11 Everything becomes a reality
気が付くと、もう何年も足を踏み入れる事のなかった実家の前に立っていた。夕日が糸瀬河内を、そして実家を染めている。ツクツクボウシの声が、日中の終わりを告げていた。
ねえさんと過ごした、あの世界の事を思い出す。
家に入ろうと思った。鍵は本家に預けてあるけれど、自分の家の事だ。勝手は分かる。
裏にまわった僕は、鍵の掛かった窓を、手前に引っ張りつつ横にスライドさせて開け、そこから部屋に入った。そのまま二階に上がり、昔、自分の部屋だった場所に行き着く。
昔と変わらない、あの世界で見た光景と変わらないままの、この空間に安心感を覚える。途端に体が弛緩し、体中から酷い痛みが襲ってきた。
疲れ果てていた僕は、そのまま床に転がり目を閉じる。
そして僕は、浅い眠りにつき、夢を見た――。
それは、ねえさんと楽しく過ごした光景。僕とねえさんが、裏山にある廃屋、あの二人だけの城を掃除している。そこで優しくねえさんに名前を呼ばれた所で、僕は夢から覚めていた……。
つい最近の記憶の筈なのに、何故か懐かしい。
闇を見ながら、考えていた。
ねえさんは、上京してから病に倒れるまで何を考え生活していたのだろう。
起き上がると側の電気スタンドを付け、ねえさんの手記の残り、読まずに居た最後の一冊の後半部分に目を通す。
折り込んでいたページを開くと、ぴゅうたんを使って世界を呪う実験の様子が書かれていた。失踪直前のねえさんの記したものだ。糸瀬河内を平実一族を崩壊させ、自分すら消し去ろうと試行錯誤している内容が淡々と書かれている。あの時、僕に話したのはここに書かれている実験の事だろう。
僕は、ページを飛ばす。僕が知りたいのは、失踪から戻った後のねえさんだった。そこから数ページの空白を開けて手記が再開されていた。そこにあった日付は、僕がねえさんを見舞った半年程後のもの。
ここから先が、新たな生活を送り始めたねえさんが書いたものになる。
僕は、ゆっくりと噛み締めるようにその内容に目を通す。すると失踪前と後で、手記の雰囲気ががらりと変わっている事に気が付いた。
すべてを達観したかのような大らかな雰囲気とでも言えばいいのだろうか。日々の、何気ない出来事を書き残し、優しい感想が添えられる。殆どが、そんな感じだった。見舞った時に目にした、心を壊した姿はそこにはもうなかった。
その中で、失踪について書かれた部分がある。
『あの時、携帯端末に、この世界から消え去りたいと願った日から、私は、夢の世界に閉じ込められた』そう、ねえさんは独白していた。
ねえさんは、きっとCissus構文を使って、消え去りたいと望み、あの世界にたどり着いてしまったのでないだろうか。だから、あれほど自分の妄想なのだと言い張ったのかもしれない。
ページをめくると、続けてこう書いている。
『最初は幸せだった。一人じゃなかったから。
でも、また一人になってからまるで何十年も、時の止まった糸瀬河内に居たような気がする。そこで一人、何千回も苦悩し、何百回も存在する事に絶望した。でも、その世界では、死ぬ事も許されなかった』
一人じゃなかったとあるのは、きっと僕が居たからで――。ねえさんは、僕が居なくなったあの後も、ずっとあの世界に取り残され続けたんだ。
すなわち、ねえさんの失踪は、あの世界に飛ばされたからこそ起きたという事だ。
胸が締め付けられる。
僕の場合、現実時間で一週間程度、蒸発していた。それでも、あの世界では、数ヶ月、いや――もっと長くに感じられる程の時間感覚だったんだ。
それに比べてねえさんは、現実世界の時間で三年間も失踪していた筈だ。
それは、僕が経験した時間のおよそ百五十倍……。
ねえさんは、残されたあの世界で一人、それだけ気の遠くなる時を過ごしたということになる。
「そうか……」
その辛さを知らず、お見舞いに行った十五歳の僕は、戻ってきたねえさんの人の変わりように恐れを抱き拒絶してしまったんだ。あの時の僕が、そんな事情を知る身じゃなかったにしろ、ねえさんには理不尽に思えただろう。
十七冊目を読み終えた僕は、続けて十八冊目を開く。
だが、そこには最初の数ページしか文字が刻まれて居なかった。日付は入院の二週間前で途切れている。
それが、ねえさんが、生前に残した最後の手記だった。
やはり、その日の出来事を淡々と記しているだけの内容だったが、ただ、最後の一行に、こう書かれてあった。
『次の十月七日には、必ず会いに行こうと思う。十九のお祝いにプレゼントをしてあげよう』
「ねえさん……」
情けない嗚咽が込みあがる。
ねえさんは、十九になった僕に会おうとしていた。
それは、あの世界で結んだ暗黙の約束。ねえさんは、口には出さなくとも、二人で過ごしたあの時間を現実と思っていた。少なくとも、現実であって欲しいと考えていた。
僕たちを繋げる唯一の可能性。一るの望みを捨てていなかったんだ。
だが、体調がそれを許さなかった。そして、そのまま、ねえさんは死んでしまった……。
「俺は、約束を果たすべきだったのに」
溢れそうになる声を抑え、畳の上に突っ伏した。涙が止まらなかった。
訳もなくタバコを吹かしていた。
煙を吸い込むたびに口内の傷がしみる。だが、それが心地よい。ニコチンとその痛みが、脳から思考を奪い去ってくれる。
携帯用の灰皿には、所狭しとひしめく吸殻がある。持参していた二箱のタバコの中身がそれだ。
何時の間にか、外から薄ら日が差し込み始める。僕は、口にくわえた最後の一本を吸い尽くそうとしていた。
何もやる気が起きなかった。何をすればいいのかも分からなかった。
ねえさんの為の復讐は終わった。いや――そもそも、『ねえさんの為の復讐』などありもしないのだ。失踪前ならまだしも、それ以後のねえさんは、きっと復讐など望まなかった筈だからだ。
結局、僕の一人相撲だったんだ……。
最後のタバコをフィルターぎりぎりまで味わうと、揉み消す。
――ねえさんの墓にでも行こうか。
差し込む朝日に目を向けた時、何気なくそう思った。
突然、あずさ三号のメロディがバッグから鳴り響いた。携帯に設定してあるモーニングコールだ。マナーモードにしてあった筈なのに、何故か鳴り出していた。
耳障りな曲だ。大きくため息をついた。
のそのそと、部屋の隅に置いてあったバッグを、足の指に挟んで引っ張り寄せる。そして携帯を取り出そうとバッグを開く。
すると、その中でぴゅうたんの電源ランプが、弱い光を放っていた――。
僕は、即座にぴゅうたんを取り出し、駆動を確認しようと電源スイッチを押す。
ぎこちないファンが音を立てながら、ぴゅうたんは復帰した。
「なおってる……」
ぴゅうたんは、何の前触れも無く息を吹き返したのだ。
ただ、たまにファンは不安定な音を立て、ディスプレイ表示もそれに合わせ頼りなく明滅する症状が出ていた。それは、いまわの際に、強く輝こうと足掻く蛍を連想させる。
こうしている内に、また停止してもおかしくはない風に思えた。
脳裏に、ある思いが沸きあがる。それは、雑記の中にあったEMOSについての記述。僕は、ねえさんの手記を手に取った。そこには、僕の知らないEMOSのパラメータ設定が書かれてあった。
ねえさんの残したソースを元に、ぴゅうたんへ入力を急いだ。
$include TIMEH$
$Definition
days(year,month,day){ #遡る日数を計算し返す関数
DaysOfMonth[12] = {31,28,31,30,31,30,31,31,30,31,30,31};
for(cy=year;cy>.year;cy++){
if(cy%4==0 && cy%100!=0 || cy%400==0)
省略
}
$
EMOS.U1 = day; #EMOSパラメータの単位設定
EMOS.U2 = hour;
EMOS.Mode = 1; #時間を解放するモード
if(EMOS(days(2008,12,20),1000)==true)
EMOS.All = INITIALIZE;
このソースは、ターゲットとする日時から現在までの総日数を逆算しEMOSへ代入するプログラム。今回はねえさんが失踪した直後、二千八年の十二月二十日をターゲットとし、そこへ巻き戻った後、千時間の自由が許されるものになる。
無論、僕が弄っていた時のように、巻き戻った後、時間が止まったままになる事も無い。
間違いが無いのを確認した後、僕は、最後に拙い英語力を使いCissus構文を書き足した。
Cissus('Everything becomes a reality.')
すべては、現実になる――と。それはこれから僕がやろうとしている事に対しての願掛けだったのかもしれない。
そして僕は、裏山にある廃墟を目指し外に駆け出した。クマゼミがうるさかった――。
秘密基地のある廃墟たどり着いて見ると、想像以上に酷い有様になっていた。
入り口へ続く道は、背丈を越える程の草で閉ざされ、木々の根とツタが内部の至る所を侵食しているのが遠くから見ても分かる。さらには、北側の屋根が崩落していた。僕たちが手入れをしていた頃の面影はもうない。ねえさんが失踪してから、僕は、ここに来る事はなかったんだ。
体中、雑草と泥にまみれながら、入り口までたどり着いた僕は、ぴゅうたんを実行した。ぴゅうたんは、空回りするファンの音を大きくさせた。
途端に変貌する僕たちの聖域。蝉の声が消えうせると同時に、遠くからクリスマス子ども会の準備案内の放送が響いてきた。
突然の冷気が襲い掛かる。僕は、薄着の体を両手で抱きこみ、身震いしていた。
二千八年十二月二十日に自分が居る事を、僕は確信した。やはり、ねえさんの記述は正しかった。
こうして、今またあの秘密基地に僕は居た。
はめ込み式の窓のある四畳半の和室。部屋の隅にはおもちゃの入ったダンボール、中央にちゃぶ台、そして窓の前には、あのソファーが鎮座している。
無論子供の頃の記憶もある。けれど、この光景を見ると例の閉鎖世界の中二人で再建し生活した記憶が鮮明によみがえる。
思い出とするには新しすぎる記憶。
時間と空間こそ違えど、一旦は叶った筈の穏やかな夢がここにはあった。そして、辛い記憶も……。
よほど僕たちに縁がある場所なのだろう。だが、今は感傷に浸っている余裕はない。
急いで部屋に上がると、足元にあるねえさんの私物を探った。
ぴゅうたんを探していた。
あの世界でねえさんが口にした話が事実なら、ここにある筈なんだ。僕の持つこのぴゅうたんじゃない。当時ねえさんが使っていた方だ。
ねえさんが、あの世界に迷い込む直前にこの場所でぴゅうたんに入力したのは間違いない。だから、ぴゅうたんはここにある。
そうだ。僕は、ねえさんをあの異世界に迷い込ませた、元凶を叩くつもりだった。
僕があの世界から一週間で戻ってこられたのは、ぴゅうたんが運良く動作を止めたからだと思っている。
そして、ねえさんが三年間も戻ってこられなかったのは、ぴゅうたんがずっと生き続けたからだ。
誰も近寄ることのないこの場所でねえさんは失踪してしまった故に、永い孤独を味わうことになったのだと僕は考える。
だから、ぴゅうたんを止める。
そうすれば、ねえさんはあの世界から戻ってこられる筈だ。ねえさんの不幸な未来も変わる筈なんだ。
ねえさんの検証結果では、こうして過去を変えてしまっても未来に影響を及ぼすことは無い――結果的に実行者の意識への干渉に過ぎないと書かれていたが、僕は納得がいかない。
現に、あの世界は時を超えた二人の間で間違いなく実在したのだから。少なくともぴゅうたんが妄想を見せるだけのものではないのは、確かなんだ。ねえさんの検証を否定する気はないけど、座したまま受け入れる事なんて出来ない。
だから僕は、ここにある筈のぴゅうたんを捜索し続ける。
床にある物を側に避け、ダンボール箱の中身をひっくり返す。当時、僕の宝物だったプラモデルやCD、漫画本や、フィギュアを掻き分ける。
何処かにある筈なんだ。
この部屋は狭い。だから、捜索する所も限られている筈。
ちゃぶ台やソファーを移動させ、その下や裏を確かめた。姉さんの私物と共有物を押入れから取り出し押入れを調べる。
目に付く所はすべて捜索した。それでも見つからない。
そのうちに、急激に室内は暗くなっていった。冬場だから日が沈むのも早い。
僕は、壁にすがり一息ついた。
まだ、十分時間はある。だからあせる必要は無い。そう自分に言い聞かせ、ねえさんが備えてあった、小さなランプに火をともした。
遠くでサイレンの音が鳴り響く。晩の六時を知らせるものだった。
その時――側に置いていた僕のぴゅうたんの電源ランプが、明滅するのを視界の隅に感じた。嫌な予感がした。僕は、自分のぴゅうたんを手にする。
ぴゅうたんは、そのまま僕の手の中で、電源ランプの光を弱くしていく。
動作を止めようとしているのだ。
どうしていいか分からず、ぴゅうたんを振った。だが、そんな事でどうにかなるわけもない。ぴゅうたんは、また停止しようとしているのだ。
だんだんと視界が暗くなっていく。いや、世界がぶれていた。現実世界と二千八年のこの空間が重なっているんだ。
きっとこの世界から離れる前兆だと思えた。
これじゃあ何の為にここに来たのか分からない。僕は焦った。
ねえさんの私物を投げ捨てるようにして、急ぎ押入れ周辺を探してみるが見つかる筈が無い。そもそも、そんなありふれた場所に転がっているならば、すでに見つけている。
次第に視界のぶれが激しくなる。
「なんでこうなるんだよ!」
理不尽な結末を前に苛立ち墨にあるソファーを蹴った。ソファーは横倒しになると同時にクッション部分がずれた。
僕は、居もしない神様に罵声を浴びせた。
「ねえさんがそこまで憎いのかよ!!」
どうしようもなく頭をかきむしって、畳に膝をつき悪態をたれる。
「クソが! クソが! クソが! クソが! クソがぁ!!」
力の限り両手で畳を殴りつけた。畳の表面に穴が開き畳床が顔のぞかせる。そこには、こぶしから流れ出た僕の血がにじんでいた。
そして僕は、すべてを諦め背を投げ出すようにして壁にもたれる。
自嘲しつつ視線を正面に投げた時、横倒しになるソファーから赤い小さな光が見えたような気がした。僕はとっさに目を凝らした。
ソファーの背もたれとクッションの隙間だ――。
そこにランプが覗いていた。ねえさんのぴゅうたんはそこにあったんだ!
神様に礼をいうのも後回しに、踏み出し手を伸ばした。
間に合え!
僕は、おぼろげに姿を透かせるそれを、即座に掴みあげて、力いっぱい壁に投げつけた。
急速に離れゆく世界から、音域の抜けたような乾いた衝撃音が聞こえた。
何時の間にか、正面の暗闇で呆然と立ち尽くすねえさんが、こちらを見ていた。
――ねえさんは解放されたのだ。
だが、側に居る筈なのにそこは果てしなく遠い。
ねえさんに向けて――ずれる世界に向けて、僕は声を上げる。
「ねえさんは一人じゃない! 僕だけは、もう絶対に裏切らないから! だから、そこにいる僕を頼ってよ!」
消失する世界で、ねえさんが僕に走り寄り何かを叫ぶ。声は聞こえなかった。僕は、その言葉を認識しようと目を凝らしたが、結局、分からなかった。
その数秒後には、僕は、カビと埃にまみれた狭い部屋に一人立ち尽くす。
そこは二人の聖域だった場所だ。しかし、ここには僕一人しかおらず、その佇まいには昔の面影すらない。
軽くなった自分の左手を見る。持っていたはずの僕のぴゅうたんが、何時の間にか消えていた。
あれから一年が過ぎようとしている。
何のことはない。世の中も平常運行を繰り返すだけ。世の中はそれ程変わらない。平実忠は、参議院議員選を圧勝し、今日も審議中継で大声を張り上げ、当たり前の事をもっともらしく雄弁に述べている。
結局、僕のパフォーマンスは、途中からテレビで流れる事はなかった。
平実家サイドの圧力で完全に抑えられたらしい。流れていても、結果は同じだったかもしれない。ねえさんの本位はそこにはなかっただろうから、今の僕としては結果はどうでもいい事だ。
それにしても、相変わらずうるさいクマゼミだ。
世界中のクマゼミが糸瀬河内に集結しているんじゃないかと思う。都会にいると、すっかりセミの存在を忘れてしまうんだよね。全く居ないから。
ああ、そうだ。僕は、本家に出入り禁止になった。これは、変わった事と言ってもいいのかもしれない。
あそこまでやったのだから警察沙汰になる事くらい覚悟してたんだけど、それもなかった。その代わりの出入り禁止ということか。
まあ、表沙汰になれば、本家も面倒な事になるから、十中八九、蓋をしてしまっただけだろうけど。
僕は、額の汗を拭った。
山道の桜並木に目をやる。春先に来ると花が色づいて、とても綺麗なんだけど、流石に夏場はセミの溜まり場にしかならないようだ。
並木道を超えると、丁度、上がり坂も終わる。その先には、ねえさんの眠る共同墓地があるんだ。
ねえさんの墓にたどり着いた僕は、麦藁帽子を脱ぎ手を合わせた。そして、入り口側の水場でバケツに水を汲み、墓石の汚れを小まめに落としていく。
そうだね。結論からいうと未来は変わらなかった。ねえさんが三年間失踪した事も、白血病で亡くなった事も。だから、僕がこうして墓参りに来ているわけだし。結局、EMOSで現実世界への干渉は観測できない――とあったねえさん手記の通りになったというべきなのかもしれない。
どちらにしても、今では、ぴゅうたんの存在を証明する事は出来ない。何せ、
ぴゅうたんまで消え、更には、ねえさんの手記から、ぴゅうたんに関する記述が軒並み消失していたから。
現状では、ぴゅうたんを造ったとされる偉い助教授先生の存在すら、怪しく見えるだろう。これらの状況は、あの出来事を否定しているのだから。
あの後、僕も可能世界論や並列世界を扱った本とかタイムパラドックス関連の本を読み漁って、すべてが空想だったんではないかと疑ったりもした。
僕は、周辺に生え放題の草を抜き始める。
この一年、誰もここを訪れず、手入れもされていない事がわかる。それでいいと思う。あんな一族に関わられたら、ねえさんが穢れるからさ。
最後に、足場の汚れを水で流すと、綺麗になった墓域を眺めた。
でもさ――あの時、ぴゅうたんが引き起こした、僕とねえさんを繋ぐ不思議な出来事は、やっぱり現実に起こった事なんだよ。間違いない。
何故かって?
僕は、鞄からねえさんの手記の一冊を取り出しページを開く。これが、僕の経験した現象を肯定する一番の要因さ。
そこには、失踪中だった筈の日付から続き、ねえさんが死亡した以降まで、何故か日記が書き連なっている。その内容は活き活きしていて、よく僕の名前も出てくる。僕とねえさんは東京に出ていて時には会い、近くで生活している姿が事細かに描かれていた。とても幸せそうだった。
そうなんだ。失踪後からの内容が、異なる未来へと完全に書き換わっているんだ。この手記の中のねえさんは、失踪もせず白血病で死ぬ事もない。しかもそれは、今現在も毎日更新され続けているのさ。
この世界ではあり得なかった、幸せな未来の形がここにある――。
Everything becomes a reality.
ちゃんと変わったんだよ、ねえさんの未来は――。実現したんだ。
きっと、こことは違う世界でさ!
広い空を見上げ、僕は、照り返す太陽に手をかざした。
糸瀬河内は、まだまだ暑い。
誰が何と言おうと僕は信じているんだ。この手記に書き連なった、ねえさんの存在を。それが、例え空想妄想の類の話でも。こことは違う次元の世界の話だったとしてもね。
用意していた花を墓前に手向ける。手を合わせ、自分の事をねえさんに報告すると、不意に携帯が鳴った。
むーむーむーちょでぶーんがどきゅん♪
むーむーむーちょであぶらむしむしぃ♪
メロディでメールの主がすぐ分かった。携帯を取り出し確認してみる。そこには、朱美と表示されていた。
『お前、昨日のデートすっぽかして何処ほっつき歩いているんだよ! 馬鹿が! 帰ったら覚えとけよ!』
僕は、黙って携帯の電源を落とす。
背筋を冷気が襲い、額に嫌な汗が吹き出た。僕は、額の汗を拭う。
「ほんと、あっついなぁ……」
天からそそぐ白日を、恨めしく拝んでみる。やっぱり糸瀬河内まだまだ暑かった。