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10 ふくしゅう

 その日、糸瀬河内は、何時にも増して暑かった。

 盆地という地形の為、下手すると中心部にある繁華街よりも気温は高い事も多いのだが、今日はその中でも特別暑い方だろう。その証拠に、駅からここまで、誰にも会わない。

 だが、それも好都合だった。

 ここでは、殆どが身内だ。親戚の叔母ちゃんに見つかり、下手に歓待されると、やり難かった。

 額の汗を手の甲で拭うと、ねえさんの元実家にあたる分家の平沼家へと足を速めた。大通りから一本逸れ、最近新しく舗装された道を進む。

 純日本風の一軒家が並ぶ先の高台に、一面白壁に囲われた大きな平屋の邸宅がある。そこが平沼家だ。多分、糸瀬河内でも五本指に入る大きな屋敷だろう。

 スロープを登った先の門を潜り、玄関のドアホンで家政婦とやり取りした後、 貴子叔母さんに応接間に通された。

 叔母さんは、僕の突然の来訪に戸惑った様子だった。

 当然だ。この家を訪ねたのは、ねえさんがここに住んでいた頃以来だから、十数年ぶりになる。しかも、ねえさんの生前でも、僕は敷居を殆どまたぐ事がなかったから尚更だろう。ねえさんは、僕をこの家に入れる事を嫌がっていたから。

 それに僕は、親類には評判がよくない。同世代の親族は、殆どが有名大学に通い、それ以外も地元の親族企業で働いているのだ。要するに身内で、ふらふらしているのは僕一人だった。そんな事で、僕は、放蕩者と陰口を叩かれている。

 僕は、出された冷茶を飲み干した。

 困惑気味の叔母さんは、慣れない世間話で茶を濁す。

 それに軽く対応した後、僕は本題を切り出した。わざわざ世間話をしに来たわけじゃない。

「仏間は何処ですか? ねえさんに挨拶したいんですけど」

 その言葉に叔母さんは絶句し、日が悪いとあたふたと辻褄の合わない言い訳らしい言葉を並べ立てる。遠まわしに僕を追い払おうとした。

 黙って、僕は立ち上がる。そして、叔母さんに頭を下げ廊下にでる。

 それに叔母の貴子は安堵の表情を見せた。このまま帰ると思ったのだろう。

 だが、廊下に出た僕は、玄関とは反対方向に進んだ。

 仏間に向かう為だ。間取りを頭に描き、仏間のありそうな部屋に足を向ける。それに貴子は制止しようと追ってきた。

「潮ちゃん。あんた何しちょるの。仏間にはお客が来ちょるから、いけんそ。やめなさんせ!」

 言い訳をころころと変える叔母を振り切り、襖を次々と開けていく。そして、僕は、とうとう仏間に足を踏み入れた。線香の香りが鼻腔を一杯にする。

 部屋の正面には、煌びやかな金装飾の仏壇があり、左手の壁には幾つかの遺影が飾られていた。

「ねえさんの遺影と位牌はどこ? 何で、飾られてないんだよ」

 貴子は口ごもる。目玉をきょろきょろと動かし答えをはぐらかした。だから、僕は同じ質問を繰り返した。今度は、怒りを込める。

「……何よ、潮ちゃん。そねなこわぁ声で。忙しかったけぇ忘れちょったそ。持ってくるけぇ、少し待っちょき」

 そう言い訳すると、そそくさとこの場を後にする。

 葬式からどれだけ経ってると思っているんだ。忙しかったからといって、飾り忘れるはずがない。明らかに、ねえさんの遺影をないがしろにしている事が分かった。

 すぐさま貴子を追った。

 貴子が急ぎ足で向かった先は、納戸だった。僕に見られまいと急いで向かったのだろう。

 納戸から出てくる貴子の手から、埃だらけの遺影と位牌を取り上げた。そこには、寂しげに笑うねえさんが居た。僕は、シャツで遺影の埃を拭き取る。

「酷い扱いだね。これじゃ、ねえさんも浮かばれない……」

「何も、そねなこと――」

「うるさい! これじゃあ、葬式にも来ないわけだ。あんたらは、人間の屑だ。死んでもこんな扱いかよ!」

 涙で視界が曇る。とても悔しかった。ねえさんの境遇の欠片を感じていた。ねえさんは、この悲しみを毎日味わって生きていたんだ。

「僕は、知ってるんだよ。ねえさんがこの家でどんな目に遭っていたか。この糸瀬河内で、どれだけ心を病んでいたか。誰にも愛されず、毎日、理不尽に当り散らされ、外にでれば疎む目で睨まれた。ここには、ねえさんの安息はどこにもなかった!」

 貴子は、無言のまま目を合わせようとしない。僕は、返答を待った。

「……大人には、大人の事情があるそ」

 また、それか。これが、ずるい大人の常套句だ。

「ふざけるな!」

「あんたは知らんのよ。あの娘とうちらは血が繋がっちょらん」

「そんなの関係ないだろ! 両親の役目を負った、あんたらが守らないで誰が守るんだよ!」

「あの娘は淫売の子なんじゃから!」

 一瞬にして頭に血が上がった。僕は、思わず貴子を足蹴にしていた。

「ねえさんが淫売の子だから、淫売として扱ったのか!?」

 凄みを利かせて詰め寄る。この時の僕は本気で殺意を抱いていたのだと思う。

「だから、本家の忠に常習的に陵辱されているのを知っても、平気で知らぬフリをしたのか?」

「本家には逆らえん。本家筋の、あんたには分からんそよ!」

 声を裏返らせた貴子は、廊下の隅で縮こまりながら、悲鳴のような声であらがった。絶頂まで上り詰めた怒りが、僕の殻を突きぬけた。

 僕の渾身の蹴りが、貴子の側の壁を突き破る。貴子の弱い悲鳴が上がった。耳障りだった。

「そんなのいい訳だ! ねえさんが淫売の子なら、平実の血を引く糸瀬河内の人間は皆、欲望に呪われたクズだ!」

 そう言い放つと、震える貴子を放置し平沼家を後にした。あのままあそこに居れば、自分がどうにかなってしまいそうだった。

 途中の商店で、千円で缶コーラを買った。小銭ばかりのおつりをポケットにしまい込み、コーラを一口飲む。大好物のコーラが不味く思えた。

 ため息をつき、ふと足元を見ると右足の靴下に黒い染みが広がっている事に気づく。さっき壁を蹴った時に怪我をしたんだろう。

 僕は、靴下を脱いだ。そしてコーラの残りを側溝に捨て、缶をゴミ箱に投げ入れる。バッグに入れたねえさんの遺影をもう一度みて、僕は、また歩き出した。

 その足で本家に向かう。

 参議院議員選が間近だった事もあり、忠がこちらに帰っているのを知っていた。

 大通りをまっすぐ進んだ先、その突き当たりの丘の上に本家はある。大通りは、平実本家からまっすぐ下家に渡り伸びているのだ。本家から町を見渡すと、まるで糸瀬河内自体が、平実家の為に作られたように感じる事があるけど、あながち間違いじゃないのだろう。

 本家にたどり着くと僕は、誰の許可も無く門を開け庭に足を入れた。僕は本家の人間だ。普段なら咎められない。精々、大切な客人が居る場合に、軽く注意される程度だ。

 だが、今回は違った。

 敷居をまたごうとする僕の前で、忠の秘書らしい男二人が壁を作ったのだ。平沼家でのやり取りが、もう伝わっているんだなと、直感した。

「叔父さんはいるかい?」

「議員は、後援者の方々へご挨拶に出かけております」

 立ち並ぶのは、秘書とは名ばかりの強面連中だった。忠は、公認非公認含め二百人を超える秘書を抱え込んでいる。その中には圧力団体に名を連ねる輩も多い。要するに、力わざ業務担当の輩を、この僕にわざわざ差し向けたという事だ。

「ふーん。なら、僕は町の事務所の方に行ってみるよ」

 危険な雰囲気を感じた。

「議員は夜まで戻りませんが、それまで潮さんにはこちらに留まって頂くように、言伝を受けております」

 言葉遣いは丁寧だが、明らかに僕を威圧している。普段の僕なら、身震いする状況だ。でも僕は、冷静だった。ここに来る間に腹をくくっていたから。

「遠慮しとくよ。また、後で顔を出すから――」

 僕は、微笑んで背を向けると歩き出す。彼らに与えられた言伝とやらの強制力の度合いを計ろうと思った。

 それに対し彼らは、背後で何やらひそひそと耳打ちした後、こちらへ駆け出した。要するに、僕を絶対に拘束して置けとの命令なのだ。

 肩を掴まれると同時に肘鉄を食らわし、すぐさま駆け出した。そして、門を出て曲がると直ぐに砂を掴む。

「待て!」

 門から出てきた男の顔に、お見舞いする。それは見事にヒットした。男は顔を抑えてもんどりうつ。まさか僕が、攻勢に出るとは思ってなかったのだろう。

 すかさず股間を蹴り上げ、戦線脱落させた。こうすれば体格差など関係ない。

 しかし、喧嘩なれしていない僕が、これ以上の戦果を挙げられる訳がなかった。気が付くと、もう一人の男の蹴りを鳩尾に喰らっていた。

 息が出来なかった。そのまま地面ではいつくばる僕に、執拗な蹴りが浴びせかけられる。そして襟首を掴まれ起き上がらされた僕は、顔面を数度殴打され、そのまま、羽交い絞めにされた。

 更に、慣れた手つきで首を極められる。暴れてみるが、男の太い腕は微動だにしない。このまま忠に屈服するのが嫌だった。

 ポケットから靴下を取り出す。それは自分の血の付いた靴下だ。その中には、多量の小銭が詰められている――。

 コインの詰められた靴下は、遠心力を利用する事で殺傷力のある鈍器になったりする。

 僕は、靴下の口の部分を握り締め二度振り回し、そのまま遠心力を使って男の頭部に打ちつけた。

 嫌な音と同時に男の腕が緩む。僕は、腕からすり抜けると体当たりし、男を突き倒す。鳩尾を蹴られたときに落としたバッグを拾うと、間髪居れず側の林に逃げ込んだ。

 全速力で駆け抜ける。自分の体の傷を顧みる暇など無かった。糸瀬河内のはずれまで走り、後ろを振り返り確認したが、忠の下僕の姿は無かった。どうやら追っては来なかったらしい。

 まだ、終わってない。僕は、側に捨て置かれていた古い自転車に乗り、久米平の繁華街に向かった。目標は、忠の後援会事務所だ。



 後援会事務所の側まで来たときには、日が傾こうとしていた。

 オフィスのガラスに映った姿を見て、通りすがりの人に、奇異の目で見られた訳が分かった。

 顔が血まみれだった。凝固した血で髪の毛が固まり、頬が膨れ上唇が少し裂けていた。マズイと思ったので、近くにあった公園で、血を洗い拭き取る。服にもかなり血が付いていたが、脱ぐわけにはいかないので、諦めた。

 自転車を公園に乗り捨てた僕は、横断歩道を渡った先にある事務所まで歩いて向かう。そして丁度、事務所から出てきた女の子に忠の居場所を聞いた。僕の顔の傷が少し気になる風だったが、忠が、二ブロック先の商店街で挨拶をして廻っている事を教えてくれた。

 僕は、忠の選挙ポスターに唾を吐きかけると商店街に移動する。商店街の前には人だかりが出来ていた。

 どうやら地元のテレビ局が、忠の嘘臭い選挙活動を放送している様子だった。群集に紛れた僕は、遠目からその様子を伺う。

 忠が、愛想笑いを浮かべながら、地元の人々と握手するさまだ。

 平実さーん――。頑張ってください――。応援してます――。

 まったく造りあげられた茶番だ。反吐が出る。

 この若い平実コールの大半は、雇われたサクラの声だ。身内の人間は知っている事だ。だから、僕は、普段こんな現場には来ないんだ。

 側のテレビ局スタッフに、生放送だと確認した僕は、バッグからねえさんの遺影を取り出す。

 胸の奥で赤々と猛り盛る炎が、蒼く鋭い報復の光焔へと変わるのを感じる。僕は、異常なほど落ち着いていた。

 集まった偽群集に愛想を振りまく忠の元へ、遺影を胸に持ち足を進める。

 忠は、僕を確認すると表情を強張らせた。だけど、誰も、僕を止めようとはしなかった。テレビ局のクルーも何かの演出とでも思ったのだろう。カメラが、僕に向けられた。そのまま、まんまとテレビカメラの前を占拠する。

 これから何が起こるのかと期待したのか、群集も声を静めた。そして僕は、粛々と復讐を始めた。

「叔父の平実忠の応援有難うございます。叔父も、皆さんの暖かい声援の一つ一つに、身が引き締まる思いでしょう」

 叔父の横に並びつつ微笑みかけて見せた。忠は引きつった笑みで答える。僕の意図を計りかねているようだ。

「二十日前、短い生涯にピリオドをうった親族の平沼三二美も、草葉の陰から見守っている事だろうと思います」

 胸の遺影を覗き込み、ねえさんに優しく微笑みかけた。

 美談が始まると思ったのだろう。僕と忠を囲むように、テレビクルーの動きが慌しくなる。

 大きく空気を吸い込んだ。

「そう。平実忠の化けの皮が剥がれる瞬間を、まだかまだかと待ち望んで!」

 神妙な空気が、どよめきに取って代わる。僕は、間を空けずに声を張り上げ捲くし立てた。

「皆さん。故、平沼三二美は、この平実忠から陵辱を受けていました。学生の頃から八年間、継続的にです。しかも、平実一族はそれを知りながら黙認し、汚い物を目にする様にして、何の罪もない平沼三二美を虐げた! 彼女は、戸籍上の親にさえ、同様に扱われた! 平実一族では、こんな事がまかり通るんです!」

 忠は、がなりたて、僕の声を遮ろうとする。忠の後援者やら取り巻きが、僕を止めようと掴みかかって来た。だが、押さえつけられようが、羽交い絞めにされようが僕は、言葉を止めなかった。

「平実一族は、穢れている。先代の情婦が孕んだ子である彼女を、本家の汚点として分家に封じ込め、なかった事にした! それだけでは飽き足らず、罪のない彼女の人生も、その心も蝕み弄んだんだ!」

 さらに増して叫び続ける。僕の声は、関係者の出す怒声にも、群集のざわめきにも負けなかった。自分にこれほどの大声が出せる事を、初めて知った。

「こんな一族に、こんな男に政治なんて任せられる筈がないじゃないか!!」

 途端、殴りつけられ、アスファルトの上に投げつけられた。背中を強打した僕は、少しの間、叫ぶ事も体を動かすことも出来なかった。ただ、胸に抱えた遺影のガラスカバーが砕けているのは分かった。ねえさんに申し訳なかった。

 テレビカメラという公然の前で、ここまで手荒な真似をしたのは、僕を止める為に手段を選べなくなった証だろう。

 何時の間にか僕の周囲で、忠の強面連中が壁を作っていた。そのまま襟首を捕まれ、脇を抱えられ引きずられる。沿道に止められていた忠の所有するクラウンに押し込むつもりだろう。

 逃れようと足掻いた。だが、その度に口を押さえられ、容赦なく拳が体中に降り注ぐ。そして、正面の男がスタンガン取り出すのが見えた。

 砕けた遺影のガラスの破片を力いっぱい握り締める。手のひらが裂ける痛みに、勇気付けられた。

 冷静に右手を振りぬく。羽交い絞めしていた手が緩んだ。

 立ち上がり右手を突き立てる。正面の男がスタンガンを落とした。

 秘書連中の壁を突き破った僕は、群集に事情を説明する忠に向かって疾駆する。そして、得物を振り上げた。

 その瞬間、忠のおののく表情が目に焼きついた……。

 利き手を振りぬく。忠は、顔を押さえ悲鳴を上げながら地面に転がった。

「クソッ!」

 僕は、拳で顔面を殴りつけるに留めていた。咄嗟に血に染まったガラスを捨てていたのだ。

 そのまま群集に紛れ、僕は逃走した。赤く染まろうとする空が、何だか泣いているように見えていた。でも本当は、自分の心が泣いていたんだろうと思う。


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