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01 フホウ

以前にアップしていたモノに加筆したものです。

内容は、少々電波系です。女性には、嫌悪感を覚える表現が使われているかもしれません。大まかに、男性向けかも。

 十年前にテレビで流れていた殺虫剤のCMのメロディに叩き起こされたのは、深夜二時を廻った頃だった。

 むーむーむーちょでぶーんがどきゅん♪

 むーむーむーちょであぶらむしむしぃ♪

 繰り返される間抜けな音は、テーブルの上で踊る携帯から漏れていた。

 その携帯の持ち主は、もちろん僕だ。

 目覚めと共に気力減退を加速させるとは、凄まじきメロディー。なんという着信音だろうか。破壊力抜群である。

 こんな着信音を設定したのは、一体誰だ! 誰だ出てこい!

 むーむーむーちょでぶーんがどきゅん♪

 むーむーむーちょであぶらむしむしぃ♪

 あ? クソッ! 僕か!? 僕だったか!

 正直、設定した事すら忘れていた。危ない、もう少しで、また他人のせいにするところだった。

 着信音を設定したのも、ついでに、この曲の高音質版をネットでわざわざ捜索したのも僕だ。うーん、失敗失敗。僕ってお茶目さん。

 そうだね。何故、この曲を選択したと聞かれたら、一見さんはお断りだからとしか言いようがないのである。

 関係者以外から電話など、怪しくて関わっていられないじゃないか。そんな輩からの電話などに真っ当な着信音など贅沢すぎるのだ。

 携帯のディスプレイをみると、そこにあるのは謎の番号の羅列。そもそも一見さん用の着信音だから当然だ。

 それにしてもこんな時間に、鬱陶しいな。一体誰だろう。

 間抜けな曲にイラつきながら、局番を確認する。それは市内番号だった。気になったので確認キーを押して、番号の権利者を検索した。

 ―S中央病院―

 床にごろんと寝転がって結果を確認する。

 この時間に病院から電話って何だよ……こわっ。これはないわ。正直関わりたくないなぁ。

 ふなむしだってすってんきゅう♪

 だにだにさんたらめろめろちゅう♪

 相変わらず、無意味に高音質の着信音は継続中である。

 僕は、このメロディに誘発され、まったりとCMの映像を思い出していた。

 ああ――、そういえば丁度このメロディの場面で、バニーのお姉さんと食い倒れ人形みたいなおっさんが一緒に踊っていた気がする。恥ずかしいメロディだけど、なんか、懐かしいなぁ。

 わんちゃんあんしんぺろぺろちゅう♪

「ちゅう♪」ポチッ

 僕は、ちゅう――に合いの手を入れつつ思わず通話ボタンを押していた。

 やばい。今の瞬間、意外とノリノリだったよ僕。しかも、通話しちゃってるし……。

 どうせ押すなら、電源ボタンにすれば良いのに、何やってるんだ馬鹿。間抜けすぎる……。

 仕方ないので、無言のまま携帯に耳を当てた。切るのはそれからでも遅くは無いだろ。

「夜分遅くに失礼します。そちら平実潮さんの携帯でしょうか?」

 でも、耳に飛び込んだのは、心地よい女性の声。僕は、反射的に応対してしまっていた。スケベ心八十パーセントですが。それが何か?

「はい、そうですけど。何か御用ですか?」

「私、S中央病院の主任看護師、渡辺と申します。平実さん、不躾で申し訳ありませんが……直江三二美さんをご存知でしょうか?」

 突然の思いもよらない名前に、僕は言葉を失っていた。

 直江三二美……。三二美? 三二美ねえさんか――?

 それは、一族の中で疎まれ、口にするのを憚られる名前。そして、僕が当時唯一なついた不思議な人。憧れだった人。

 僕が中学生になりたての頃だから、七年ほど前か。ねえさんは、突然失踪した。当時、理工系の大学院に通っていたねえさんの年は、二十二歳ぐらいだったと思う。

 その時、実家の一族が騒然としていたのを覚えている。ねえさんの失踪に嘆き悲しむというより、一族から失踪者が出た事が問題となっていたのだろう。

 名家である平実家での不祥事は、忌避される。場合によっては何らかの措置をとらなければならない。そういった体裁を何よりと考える伝統がこの一族にはあった。

 特に当時は、本家から大臣を輩出していた時期だったから、些細な問題でも過敏に反応したのだと思う。

 一族会議の末、ねえさんは平沼家から分家筋の一端の直江家へ養子にされ戸籍を変更する事で、現実からも一族からも抹消されてしまった。

 正直僕にとって、戸籍の改ざんなどどうでも良かったし、当時は、難しい事情など理解すらしてなかった。ただ、ねえさんの喪失に、僕はかなり参った。僕の中でねえさんは特別だったんだ。

 それから一年が経過し二年が経ち、僕の中でも、ねえさんは死んだ人となった……。

 そうして、ねえさんが失踪してから三年が経ち――。

 正常な忘却作用のおかげで僕の中からもねえさんは薄れかけていた。僕だけが忘れた訳じゃない。誰もがそうだった。

 だが、その年の夏の暑い日、ねえさんは発見された。失踪した当時のままの服装と姿で。警察の調査も空しく、この三年間ねえさんの身に何が起こったのか結局わからなかった。ねえさんはもう、その時には心を壊していたからだ。

「もしもし、どうかしました?」

 ふと響く看護師の声。僕は、記憶の欠片をいったん閉じた。

「ああ、すみません。直江三二美は親類です」

「ああ、良かった。どちらに引き取ってもらえば良いか分からなかったんですよ」

「引き取る? それって何かあったんですか」

 少しの沈黙。暑苦しい部屋の電気音がやたらとはっきり聞こえた。

「ええ……。申し訳にくいのですが、直江三二美さんは、昨晩、他界されました」

「……タカイ?」

 ――え? 他界? ああ、死んだのか。ねえさん死んじゃったのか……。

「ずっと入院されてたんですが、連絡先の中で繋がったのが、平実さんだけだったので」

 ねえさんが、俺の携帯番号を知っていた?

 どうやって知ったのかは分からない。少しの嬉しさと共に大きな空虚さが込みあがる。

 なんだよ。こんな事になる前に、掛けてくれればよかったのにさ……。

 声の優しい看護婦に、明日病院に向かうと告げ、その日は電話を切った。

 寝転がって、天井のしみを無意味に眺めた。自然にため息がこぼれる。

 最後にねえさんと会った場所、あの時も病院だった。

 ねえさんが発見されてすぐ、僕は喜び勇んでお見舞いに行ったんだ。でも、その時の僕、十五の僕は大きく後悔する事になった。

 心を病んでいるからとは聞いてはいた。

 それでも、僕にとってねえさんが特別なように、自分はねえさんにとっても特別なのだと幻想を抱いていた僕は、自分にだけは昔のように、微笑みかけてくれると信じて疑わなかった。

 しかし、ねえさんは、以前と別人のように荒み、僕に対しても冷たい目を向けては不気味に笑い、時には理不尽に罵倒した。

 その日以来、僕は、ねえさんと会う事はなかったんだ。

 優しかったその面影を壊したくなかったのかもしれない。親族のうわさで、その後、分家の屋敷で療養中だったと聞いてはいたけど……。

 何となく右手の携帯を操作し、一見さん用の着信音、あのCMソングをもう一度鳴らしてみる。

 むーむーむーちょでぶーんがどきゅん♪

 むーむーむーちょであぶらむしむしぃ♪

 ふと脳裏によみがえった記憶。

 CMのバニーさんと食い倒れ人形を真似て、ねえさんと踊る小さな僕がそこにいた。

 ああ、そうだ。僕は、当時あのフザケタCMが好きだった。だから実家で、ねえさんと一緒に良く真似して歌ったんだった。それで、何だか懐かしかったのか。

 音量を最大にし、そのままむき出しの畳の上で寝返り転がる。

 ふなむしだってすってんきゅう♪

 だにだにさんたらめろめろちゅう♪

「ちゅう♪」

 壁を叩く隣人の抗議を無視して、ループするそれを聞きながら寝タバコにふけった。



 翌朝、バイトを休んで病院に向かった僕は、事情を聞かされた。

 ねえさんは、一年程前から急性骨髄性白血病を病んでいて、その殆どをこの病院で過ごしていた。末にドナーが見つかり移植を受ける事が出来たのだが、結局のところ拒絶反応が起きてしまった為に死んでしまったそうだ。

 横たわる、ねえさんの死に化粧が少々濃く見えたが、久しぶりに見たその顔は、昔と変わらず綺麗だった。

 抗がん剤で髪の毛が抜け落ち、本来よりも体がむくれてしまっているからと女の看護師さんに忠告されていたので、その死に顔を見て胸をなでおろしたというのが正直な感想だった。

 死体をみるのに、安心するというのも何だとは思うけれど――。

 もしかすると、化粧の技術が優れていたのかもしれない。それでも、昔の表情に復元しているならば、それでいいじゃないかと結論した。 

 どちらにしても、こうして連絡のついたのは、結局、僕一人だったらしい。

 それもそうだろう。ねえさんの戸籍は偽造されている。要するにねえさんの親類は形式上でしかないんだ。

 田舎に居る間は、それでも事情を知る者が存在するので不自由しないが、一旦外界へ足を踏み出すと、天涯孤独の身の上となる。

 裏で旧家から生きていけるだけの資金を得てはいるようだったが、一人きりの闘病生活は、どれだけ辛かった事か。心を病み、最後に体を病んで、この世から去ったねえさんの気持ちは、誰にも分からないだろう。

 看護師との会話の途中に、それとなく聞いてみたが、ねえさんの挙動はいたって落ち着いていたらしい。普通に暮らせるまでに心は回復していたのかもしれない。

 ちなみに、担当を任されている看護師の話しでは、二年ほど前から、こちらで一人暮らしをしていた様だった。

 連絡をしてくれば、僕が会いに行ったのにと歯痒く思う。

 僕の携帯番号を知っていたという事は、ねえさんなりに、気を使ったのかもしれない。

 最後に会った三年前の結末を、気に病んで居てくれたのだと考えたら、僕の気持ちも少しは晴れた。やっぱりねえさんは、ねえさんだったのだと思えた。

 その後、晩の五時すぎに到着した本家からの使いの男と、ねえさんを引き取った。

 彼に渡された名刺には、『久米平市市長 神部義則 秘書 山岡高夫』と書かれていた。

 神部義則とは、本家の娘婿で、僕の義理の叔父に当たる人だ。何時の間に市長になっていたのだろう。

 凡俗な叔父が、市長になっている。これが久米平市を中心に幅を利かせる本家であり。その力を物語っている。

 平実本家は戦前から続く名家で、その影響力は先々代の平実卯之助の時代には、総理大臣がゴマをする程だったと、叔母の自慢話で聞いた事がある。そして、その力は今でも健在ということらしい。 

 その証拠に本家は、いくつかの圧力団体やNPO団体を裏から仕切っていたし、県議会も市議会も、ほぼ平実本家が掌握していた。当然、地元企業も、県経済連も本家の方向を見ていた。

 言いたくはないけど、不祥事をもみ消したり、訴えを権力や金で退けるくらいは、日常茶飯事に行っているのが現実だ。正直、時代錯誤も甚だしく思えるけど、それが僕の生きる世界の姿なんだ。

 とにかく山岡のバンの後部にねえさんの棺を積み込み、居心地の悪い本家へと向かった。僕は、山岡の会話に相槌を打つ内に、いつの間にか眠っていた。

 久米平市の北部、糸瀬河内にある本家に着いたのは深夜を廻った頃だったと思う。

 当主である忠叔父さんは、東京の議員宿舎に詰めていて不在だった。その代わり、叔父さんの息子で僕の従兄弟に当たる雄介さんが迎えてくれた。

 忠叔父さんが居なくて、正直、ほっとしていた。

 叔父さんは、会うたびに、ふらふらしている僕を叱り、平実家の関連企業なりに無理やり押し込もうとするので僕は、苦手だったからね。

 急な事にもかかわらず仏間には、すでに立派な祭壇など葬具一式が用意されてあった。

 不幸な事件と本家の事情で、世間からも両親からも切り離されてしまったねえさんは、形式上として戸籍の移された直江家でも、本来の血統である平沼家でも、葬儀をするのが憚られる。それで結局、平実本家での葬儀となった様だ。

 確かに失踪後のねえさんは、一族皆に忌避されている空気はあったが、だからといって故人によって葬儀自体を差別する事はない。それが良くも悪くも平実本家だ。

 しかし、本来の差別は顕著に現れた。

 本家での葬儀でありながら、通夜から葬儀とかけて、ねえさんを偲ぶ人達は殆ど集まらなかったんだ。

 立派すぎる祭壇が痛々しかった。

「かわいそうやねえ。早死にしちょって。なんも、この子のせいじゃないそに」

「それいね。気が触れても仕方ないそ」

 大の大人たちの無責任な会話。

 そう思うなら何故、あの時ねえさんを見捨てたのか。最後まで面倒みようとしなかったのか。

 僕も、大好きだったねえさんから逃げ出した一人だ。

 だから、ねえさんに許しを請うても、あいつらみたいに無闇に同情する事はしない。絶対に同情の涙を流さない。資格がないからだ。

 心からねえさんに謝罪する事。好きだったねえさんの姿を思い出す事。思い出から失わない事。そう心に決めた。

 僕は、葬式を通して、遺影に向かって微笑みかけていた。周囲に気味悪がられても、絶対にやめなかった。

 結局、ねえさんの本当の両親である平沼夫妻は葬儀にすら来なかった。

 どうやら体調を崩していて来られなかったらしい。本当かどうかは分からない。でも、それが本当だと信じたかった。

 葬儀が片付いた後、僕は無人の実家に足を踏み入れる事もなく、その日の内に東京の自分の巣にとんぼ返りした。

 家族を失ってからの実家、ねえさんの居ない糸瀬河内は、僕にとっては暗黒と変わらなかった。田舎から出て行こうと思ったのも、それが一因にあった。


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