第2話 聖女もゾンビになる
「──おひとりで、どちらに行かれるのです?」
夜明け前、人間の村へと続く街道で俺を引き止めたのは、よく知る声だった。
無視することもできずに振り返ると、そこには神秘的な美少女がいる。
「……ユスティナ」
白い肌を縁取るふわふわした金髪は朝焼けを照り返して赤く輝き、瞳は綺麗な紫水晶の色。ついでに描写するなら、禁欲的な教会の修道服の上からでもはっきりとわかる巨乳の持ち主でもある。
この美少女──ユスティナは、俺の〝勇者パーティー〟の一員だ。
二つ名は『現代の聖女』。その名に相応しい結界術と治癒魔術に、俺も仲間たちも何度命を助けられたか知れない。
けれども今は。
「やっぱり来ちまったか」
「ラグ様……」
「お前にだけは見つかりたくなかったんだけどなあ……だから、できるだけ人に見られないよう朝早くに離れようと思ったのに」
呟くと、ユスティナはぶわっと大粒の涙を浮かべて駆け寄って来た。
「たったおひとりで魔王のいる最奥に乗り込んで! 魔王の気配はなくなったのに、ラグ様はいつまで経ってもお戻りになられず! せめて遺体を探そうと皆に言っても、城が崩れるからとっ……」
「……悪い」
「とても、とても心配していたのです! それなのに、わたくしたちの元に戻らずに、おひとりでいったいどこに行くというのですか!!」
ユスティナはそのまま俺に抱きついてくる。
俺は、子供のようにわんわんと泣く彼女を引き離すことができなかった。
「悪い」
「ええ、ラグ様は悪い方です!!」
「でもさ、……その理由はユスティナもわかっただろ」
ユスティナは〝聖女〟、聖職者だ。
俺が既に死んでいることくらい、一目でわかるはずだった。
「ええ、わかります。……それは魔王のせいですか」
「ああ、魔王の最後の呪いってやつだ」
まあ最期は「ちょっとタンマ、今のなし!」とか言ってたけどそこは黙っておく。魔王の名誉というかラスボス感を残してやるのが、仇敵へのせめてもの手向けというやつだろう。
「聖女が、ゾンビと一緒にいるわけにはいかないだろ?」
元はしがない村人の俺と違ってユスティナは教会のお偉いさんの孫娘だ。王都に戻れば勇者パーティーの一員として褒美もたくさん出るだろうし、悠々自適の人生が待っているはずだ。隣にゾンビなんぞがいてはいけない。
……それは、俺はちょっと寂しいけど。
「だから、俺は死んだものとして王都に戻ってくれ。頼むよ」
「嫌です」
「俺のことは心配するなって。ちょっとばっかし死んでるけど、でも食費もかからないし何とかやっていくから。手紙だって書くし」
俺はユスティナを諭すように言う。
けれども、彼女はきっと紫水晶の瞳で俺を見上げた。
「そんなものは、ラグ様が一緒でなければ何の意味もないのです!」
「……ユスティナ」
正直、ユスティナはこう言うだろうと思ってたんだ。
心優しい聖女が、ゾンビになったからといって仲間を見捨てられるわけがない。だから事情を説明したり別れも告げずに魔王城を脱出するしかなかった。まあ、それは無駄な努力に終わったわけだけど。
「わたくしが魔王と戦ったのは、世界のためなんかじゃない、ラグ様がいたからなのです」
「うん。……ありがとう」
「無事に魔王を滅ぼした暁には、王都の聖堂で派手に結婚式を挙げて、郊外に立派なお屋敷を立てて、白い大きな犬も飼って、でも使用人は執事と気心の知れたメイドが数人だけで、慎ましやかな生活を……うふふふ、子供は男女それぞれ五人は欲しいですわね」
「ごめんその具体的なプランまでは聞いてなかった」
「そのために、わたくしはずっと戦って来たのです。──ラグ様がいなければ、今までの戦いも何の意味もなくなってしまうのです!」
ありがとう、ユスティナ。
そして、ごめんな。
「ですから」
……ん?
「わたくしも、ラグ様と同じようにゾンビになります! それならば、未来永劫ご一緒できますわよね!?」
……うん?
「ちょ、ちょっと待てユスティナ、それはっ……」
「なぜです。ラグ様がゾンビになっていらっしゃるのに、わたくしがゾンビになってはいけないという理屈がどこにありますか」
「いや、それはええと、その」
「ラグ様を治癒するのはわたくしの役目です。ラグ様の腕や脚が腐ってぽろっといったり、そのお顔から目玉がごろっと落ちた場合、わたくしがお側にいなければ、誰が治して差し上げるというのです!」
「ぽろっと……うんまあその可能性もあるか」
「万が一、治癒が効かなくなって身体が腐るに任せるしかなくなった時は、ふたりで一緒にぐちゃぐちゃのどろどろになって大地に還りましょう!」
「……頼む想像させないでくれ……」
「それに、食費がかからなくて便利とラグ様が仰ったばかりではありませんか。わたくしはラグ様に無駄飯食らいな女と思われたくはないのです!」
「いや問題はそこ!?」
俺はとうとう言葉に詰まった。
ユスティナを説得できる気がしない。ごめん魔王、俺も似たようなこと言ったけど、他人に言われると結構ビビるわこれ。
「っつーことだ、ラグ。聖女様は一度言い出したら聞かねえぞ、諦めな」
「……ロビン」
街道にぽつぽつ生えた木の影から、また別の男が姿を見せた。
街人の職人のような動きやすそうな格好をしているが、腰や全身のそこかしこに暗器だの鍵開け道具だのが仕込んであるのを俺は知っている。こいつはユスティナと同じく俺のパーティーの一員であり、頼れる〝盗賊〟だ。
ユスティナひとりで俺の居所をよく見つけられたもんだと思ったのだが、ロビンが一緒だったようだ。そりゃロビンはユスティナに泣いて頼まれなくても探しに来るか。
「それにしても、本当に死んでんな」
ロビンは近づいてきて、まじまじと俺を眺めてきた。
その顔は少し疲れた感じだ。魔王との最終決戦と崩壊する城からの脱出じゃなくて、暴走するユスティナを抑えてたせいだろうなあ、これ。
「ユスティナじゃなくてもわかるもんか」
「普通の奴にはわからないんじゃねえか? 俺はほら、臭いにも勘が効くから」
「マジか。腐敗防止の魔術……じゃ臭いまでは取れないだろうなあ、臭い消しとか用意した方がいいか」
「それなら、俺の故郷に『ケルナの水』って香水があるぜ」
「おお。見つけたら買い込んでおくわ」
我ながら死んだ後だというのに暢気な会話だ。
でも、このくらいでないと魔王退治のパーティーなんてやってられない。
ある意味、その空気にいちばん染まってしまった……というか染まりすぎたのがユスティナなのかもしれない。彼女は俺たちの会話をにこにこ楽しそうに聞いていたが、やがてぱっと顔を上げた。
「では、わたくしも降霊術の儀式をしてまいります! 絶対に、絶対にそれまで待っていてくださいね!!」
「お、おう」
「もし、またわたくしを置いてひとりで行ってしまわれるようなことがありましたら──その時は死界の底でも探し出して肉片一つ残さず浄化して差し上げますので、そのつもりで」
「お、……おう……」
一方的に宣言して、ユスティナはぱたぱたと街の方角に戻っていった。
その後ろ姿を俺とロビンは唖然と見送るしかなかった。
ああまで言った以上、ユスティナはやる。絶対にやる。
「もう……止められないな……」
「わはは。お前ひとり良いカッコして去ろうなんて、そうはいかねえぞ」
「……参ったなあ」
俺はがりがりと頭を掻いた。
「そういやロビン、お前はこれからどうするんだ?」
「俺は故郷に戻る。王都に行っても褒美の代わりに面倒が山ほど降ってくるに決まってるしな、そういうのは性に合わねえ。他の奴らも似た感じだ」
「……そうか」
「『ケルナの水』はいくらでも仕送りしてやる。……だから手紙寄越せよ、宛先不明じゃどうしようもねえからな」
「……ああ。ありがとう」
今日は礼を言ってばかりだな、俺。
でも、こいつらがいなければ俺は魔王退治なんてできなかった。いや死んでゾンビになったけど。
だから。
「お前とお前の子孫が困ってる時にも連絡をくれ。この〝魔王退治の勇者〟が何に代えても助けると約束する。ま、ゾンビだけど」
「ゾンビだけどな」
俺とロビンは顔を見合わせて笑った。
*****
数日後、魔王城の瓦礫の上でささやかな祝宴をして、世に名高い『魔王退治の勇者パーティー』は解散。
そして俺はゾンビとなったユスティナを連れて旅立った。