王族会議 就任式襲撃
戴冠式は存外あっさりと終わった。
開式、教皇による祝詞、聖典の朗読、サインの宣誓など基本的なことを基本的に行った後、サインとエルル三世は二人だけで大聖堂の地下深くに潜り禊を行う。
禊の後はミーミアス城の中庭に集まった皇国民の前で就任式である。
安全を考慮して中庭を見下ろせる、中庭から覗けるバルコニーの上で執り行う。
無論、王族はバルコニーの上だ。
今はサインとエルル三世が禊を終えて地下から上がるのを待っている状態だ。
アルノ達は迎賓室で出された紅茶をすすりながら就任式が始まるのを待っていた。
「この国の戴冠式は楽でいいねー。僕の国なんか七日七晩お祭り騒ぎだよ。その間玉座に座りっぱなしだし」
「妾は戴冠式の後、巨大な山を登らされたのう」
他国の戴冠式の単純さを羨ましく思う王たち。
「多分イネミス殿がサイン殿の体調不良を考慮して幾分か省略しているのだと思いますわ」
本来の戴冠式の所要時間がどれほどかはわからないが、少なくとも神を信じないために無宗教であるエルトとゼリーンでさえ先ほどの戴冠式の倍の時間がかかる。
幾分かどころか半分以上省略しているのではないだろうか。
「でもサイン殿、朝とは打って変わって以外と元気そうだったアル。なんだか背中を押されたというか、吹っ切れた感じだったアルよ」
「確かにそんな感じだったな?なんかいいことでもあったんじゃねえの?」
「ああ、あれなら就任式も問題無いだろう」
確かにサイン殿は憑き物が落ちたような清々しい顔で戴冠式に臨んでいた。
恐らく妹のラムと何かあったのだろう。当のラムはサイン殿の護衛でどこかに潜んでいるのか全く姿を現さなかったが。
などと、王たちはのんびり談話していたが、そこに交わらずに難しい顔でうんうんと唸っている物がいた。
「………っち、妙だな。不具合か?」
リチャードである。
仲間内で馬鹿騒ぎするのが好きなリチャードが珍しく一人で悩んでいた。
先ほどから表面に突起物やら光る突起物やらが乱立する箱のようなものを片手に、ポチポチとその突起物を箱に押し込んで光る突起物を赤や青に光らせてはイライラしていた。
「リチャード、さっきから何を唸ってるんだ?なんだその変な箱は」
「あぁ、これは俺が乗ってきて、今は宝具を上空に隔離している円盤の制御装置だ」
「制御?その小さな箱を弄っているとあの大きな円盤を操れるということですの?」
「そうだ。電波ってぇもんが出ていてなぁ、この箱と同じ周波数を円盤に設定しておけば、この装置から遥か上空の円盤を遠隔で操作出来るんだ」
「ちょっと何言ってるかわからない」
デンパ?シュウハスウ?なんだそれは。そんなもの出ていないぞ?
「電磁波のことだ。電気と磁気のエネルギーが波になって空間を伝わってくんだ。光もこれと同じもんでなぁ、振幅と波長によって表すことができるものなんだが、人間の可視域では380nmから780nmの可視光と呼ばれる範囲の光しか人間は目にすることができねぇから、この箱から発せられる長波長の電波は目には見えねぇんだ。まぁ、なんだ。つまりそれを利用した技術だ」
「「「?」」」
全員揃ってリチャードが何を言っているのかわからないという顔をしていた。
「つまり、雷と、磁石が、波に攫われて、漂流?………僕には早すぎたようだ……」
「シンプクトハチョウアル?」
「なのめーとるってなんじゃ?」
「見えない光?ですの?」
「なんだかよくわからんがすごい技術なのはわかったぞ」
「人間の言葉で喋って欲しいんだが?も一回頼める?」
「で、それがどうしたって?」
王たちが口々に自分の理解度を披露していく中、思考放棄してリチャードに本筋を聞くアルノ。
「まぁ理解できるとは思ってなかったけどよぉ………。それはともかくだなぁ、その円盤からの通信が途絶えちまってなぁ」
「途絶えた?つまり……今は制御出来ていない?ということか?」
「いや自動制御だからなぁ、通信がイカレちまったのか、電波が届いてねぇのか……。まぁ試作機だしなぁ」
電波が届かないとかいう状況がイメージしにくいが、それはともかくアルノが気になったのは試作機という言葉だった。
「試作機?あれは完成してないと?」
「いやテスト飛行中っつーか、売り出すつもりはねぇからあのまま完成でもいいんだけどよぉ」
「つまり作ったばかりのモンに乗って大西洋を渡ってきたのか………」
そんな不安定な謎技術の塊、危なっかしくて乗りたくないな……と、他の王たちが揃って苦い顔を作った。
「ほんとさあ、リチャードのとこの科学力一体どうなってるのさ。ぶっちゃけローマ帝国よりも技術力高いでしょ?」
それについてはここにいる王たちでさえ疑問に思っていたことだ。
『向こう』と比較して技術革新がほとんど停滞しているのは世界的に見ても問題になっていたことだが、メソアメリカ文明の技術力は大昔から他の文明と比較しても発達しすぎている。
常に一歩も二歩も先を行き、いつだって周りの国々を驚かせた。
過去、メソアメリカから技術を盗んで持ち帰った国があったが、誰一人として解析することができず、気が済んだら返せと呑気な要求をしてきたメソアメリカにおとなしく技術を返還して変人を見るような目で謝罪した。という逸話がある。
「まだ電子機器すらまともに使えていねぇだろぅがよぉあそこは。比較すんじゃぁねぇよ可哀想だぜ」
またわからん言葉が出たが、やはりさすがの王たちもこういう時のリチャードを見る目は気味の悪いものを見るような眼差しに変わってしまう。
「妾にくれた自動車とやら、約束通り解析や分析はしていないが、そう言われると開けてみたくなるのう」
「やめとけゃ。ぶっ壊れるだけだぜ」
「俺にくれたあの飛行船もさ?その電子機器とやらがくっついてんの?」
「電子機器も何もコンピュータ搭載してっからなぁ。なんも不具合はねぇよな?」
どんな目を向けられてもリチャード本人はどこか自慢気で、自国の技術力を誇りに思っているのがよくわかった。
そこで、コンコンと扉がノックされた。
「皆様、戴冠式の準備が完了しました。お席までご案内いたします」
城の使用人がそう言うと、全員が立ち上がった。
ミーミアス皇国 中央広場
戴冠式を開式まで待てずに駄々をこねたアイを連れ出したアナは、城下町の中央に位置する最も広い広場までやって来ていた。
噴水の周りで子供達に混ざって鳩を追って駆け回るアイを、ベンチに座るアナだけでなく周りの者達も微笑ましげに眺めていた。
子供達の中で、やはりアイが一番大きい事に気がつくと、アナはアイの過去の事が気になってしまった。
アイの見た目は大体12歳頃。つい昨日助け出した子はアイを見るとすぐにアイがカタリアである事に気がついたが、アイがカタリアだった頃より身長が伸びたとか、体格が変わったというような事は言っていなかったので、アイは見たまんまの年齢のはず。
だが12歳前後だとするとどうにも精神年齢が幼い。
アルノ陛下が連れてきた時は言葉も喋れなかった為、魔獣化した際に知能も記憶も精神年齢もリセットされたのだろう。
では、人格はどうだろう。性格はどうだろう。趣味嗜好はどうだろう。カタリアだった頃と変わりはないのだろうか。
変わっているのだとしたら、人間のカタリアはどこに行ってしまったのか。その存在を宝具に消されたのか。
変わっていないのだとしたら、今のアイはどこから来たのか。宝具にその存在を植え付けられたのか。
それともカタリア自身が変わってアイになったのか。
あのネルハという少女にもっと詳しく話を聞いておけばよかったと後悔し始めた。
せめて歳と誕生日だけでも……と思う。
だがこの子の育った修道院は焼けて失くなってしまったため、今更探しても何も残っていないだろう。
「はあぁー、失敗しましたー」
アナは珍しく溜息を吐いた。
「おや?美しいご婦人を溜息を吐かせるとはどういった不届き者かな」
「はいー?」
急に話しかけてきたのは白い燕尾服を着こなすまさに貴族といった風貌の青年だった。
灰色の瞳と、長い銀髪の、そうまさにこれぞ銀髪であるといえるほどの鮮やかな銀。
明らかに普通に発生する色ではない。どんな染料を使っているのか針金のごとき髪。誇張でもなんでもなく銀製品のウィッグかと見紛うくらいの銀髪である。
その痩せ型で青白い肌にもよくマッチしている。
その青年はアナの座るベンチの空いたスペースに腰掛け、子供達とアイを眺める。
「あの少女かな?まさかお母さんではないでしょう。妹さんかな?」
青年は自分の連れがアイだとすぐに見破った。
「はいー、血の繋がりはないのですがー、娘や妹のように可愛く思っていますー」
この青年が只者でないことはすぐに察したが、その目から感情を読み取ることが出来ないため真意を確かめられない。
熟練の武芸者にはよくそう言ったことがあるのだが、アナの目に何も映さないほどの達人には見えなかった。
故に、アナはこの青年に妙な不気味さを感じていた。
「そうですか。あの子があなたの眉間に皺を作るような悪い子には見えなかったもので。では何故溜息を?」
「いえーまあー、原因があの子というのはあながち間違ってはいませんー。悩みの対象があの子というだけで私が勝手に悩んでいるだけですからー」
「ほう?あの子の何を悩んでいらっしゃったかな?」
随分と首を突っ込んでくるが、ただの親切で言っているだけなら無下にするのも悪いと思い、さわりだけでも話してみる。
「いえー、あの子の出生についてちょっとわからないことが多いものでー」
「出生というと、孤児か何かで?」
「そんなところですー」
それだけ言えば充分であろう。さすがにこれ以上首を突っ込んでくるようなら適当に言い訳をつけてここを去るとする。
「ところで、あなたはベツレヘムの星を知っているかな?」
「?」
まるで思考を読まれたかのようなタイミングで青年が急に話題を変えた。
それにベツレヘムの星。
それは。
確か。
「とある大きな宗教の開祖が生まれた時、西の空に現れた誰も見たことのない星が現れた。その星が止まった星の真下に母に抱かれた赤ん坊の開祖がいたそうなのです」
それは知っている。イエス・キリストの事だ。
だが何故そんな話を。
「12年前、そのベツレヘムの星が2000年ぶりに輝いたをご存知かな?」
「っえ?」
ベツレヘムの星が輝いた?だが、それはつまり………
「その星の下にいたのはとある少女だった。その少女の母親はひどい遊び人で、産んだ子供に初乳すら与えずに、寒い夜に教会の玄関前に置き去りにした。私が玄関をノックしなければその子は凍え死んでいただろう」
「あのー、一体何の話をー?」
話が急すぎて全く飲み込めていないと言うのに、青年は構わず続ける。
「やはりあの時点で面倒くさがらずに連れて行くべきでしたね。まさか教会にアルフヘイムとクルースニクがいたとは思わなかったものでね。取り返すのに随分時間がかかってしまった」
取り返す?
「しかも残念なことにその子はクルースニクに巻き込まれて北欧まで逃げてしまうし。よりにもよって……」
「宝具に触って魔獣になってしまったものだから、こちらは大慌てですよ」
そう言って、青年は立ち上がり、噴水に向かって歩き出そうとした。
無論、アナはすかさず青年の手を取って引き止める。
「あーなたのお名前を、おーしえて頂けませんか?」
アナはすでに戦闘態勢に入った。
青年が不審な動きをしようものなら速やかに攻撃つもりだ。
「私の名前ですか?私の名前はルスヴン。ルスヴン卿と呼ばれています」
ルスヴン卿というと、会議の記録資料に記載されていた、ミーミアス皇国に魔獣の警告をした者の名前だ。
「あーなたがミーミアスに魔獣の事を……、そーのあなたが何故…」
「決まっているでしょう?王族会議を開催させ、他国の王たちを一堂に集め……」
「一網打尽にするためですよ」
青年はアナの手を凄まじい勢いで振り払って、地面と平行に飛躍し、噴水近くで遊んでいる子供達に突っ込んだ。
「アイちゃん逃げてえええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇl!!!!!!!」
「っ!?」
アイはすぐさま振り返ったが、遅かった。
青年はアイにタックルするように突撃し、アイを肩に担ぎあげると尋常ではない跳躍力で広場を越えて家屋の屋根の上に降り立った。
目にも止まらぬ速さで突っ込んできた青年に、驚いて飛び去る鳩、転倒して泣き出す子供達、子供達に駆け寄ってその場から避難する親たち、人間離れした跳躍力を目の当たりにして唖然とする人々、何事かと駆けつけてくる衛兵たち。
それらを屋根の上から見下ろすルスヴン卿の目は地べたを這い回る虫けらを見るかのような目だった。
「アイちゃんーーっ!!」
アナはルスヴン卿に負けず劣らずといった跳躍力で屋根の上のルスヴン卿に突撃する。
「女性にこういう事はあまり言いたくはないが、あなたもかなりの化け物ですね!」
ルスヴン卿は突撃してくるアナに踵落としを食らわせようと足を振り上げる。
が、アナは振り下ろされた踵を掴み、踵に引っ張られて下に落ちる上体の勢いと反対に、突撃の勢いで持ち上がる下半身でルスヴン卿の頭に踵を直撃させた。
しかし、ルスヴン卿はそれを腕でガードした。
ルスヴン卿は時間が加速されたような速さでその場で回転し、逆立ちするような姿勢になっているアナの胴体に回し蹴りを叩き込んだ。
アナの体が弾丸のように吹き飛ばされて噴水を粉砕しながら広場に激突した。
「がっ………はっあぁ………」
ほぼ全身を打撲したアナが広場に寝転がって悶絶する。
一部始終を目撃した人々はついに悲鳴を上げて逃げ惑った。
衛兵たちは市民を安全な場所に誘導し始め、応援を寄越すように笛を吹き鳴らす。
「失礼。少し力を入れすぎてしまったが、大丈夫かい?」
「がーうーっ!!アナヲ!イジメルナー!」
「おっとっと。暴れると落ちますよ。それでいただいていきますので」
青年はそう言って屋根から屋根へ飛び移り、城の方へ向かって去っていった。
「アイ、ちゃ……ん」
アナは痛む体に鞭打って立ち上がる。
それを見ていた衛兵がアナに駆け寄ってくる。
「お嬢さん無理はなさらず!奴の事は我々に任せてお休み下さい!すぐに医者を呼びますので!」
「いーえー、お気になさらずー。この程度ー、大した傷ではありませんのでー」
アナがいつも通りの笑顔でそ告げるが、それで引き下がるような衛兵ではない。
「何を馬鹿なことを!いいからそこのベンチに………」
『キャアアアアアアァァァァァァ』
「っ!?」
衛兵がアナの体を支えて近くのベンチまで連れて行こうとしたが、先ほどの比では無い断末魔が広場に響いた。
「なんだ!?どうしたんだ!?」
断末魔のした方に目を向けると、その瞬間市民の避難していった道の向こうから血しぶきを撒き散らしながら人間らしきものが大量に広場に飛んできた。
それは案の定人間だった。
道の向こうから次々と戻ってくる市民たちと、吹き飛ばされた人間たちがあふれ出したように広場にやってくる。
無傷の者、血を浴びた者、血を垂れ流す者が一様に恐怖に取り憑かれたような顔で逃げ惑う。
まだ息のあるもの、バラバラにされた者、地面や家屋の壁に激突してバラバラになる者が子供に投げ飛ばされた人形のように空を舞い、ぐちゃぐちゃと音を立てて落下する。
そして、広場を一瞬で地獄絵図に変えた者が姿を現した。
人ではなかった。
グオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォァァァァアアアアアッ!!!!!!!!
地鳴りのような怪音を嘶いたのは、大型の肉食恐竜のような巨体に、人間のような肌を持ち、腐って体の所々に開いた穴から大量の動植物の腐食屍体を撒き散らす、おぞましい姿をした生き物だった。
「魔獣……ですねー、あれは……」
まるでシャレになっていない冗談を言われた時のような表情で、そう呟いた。
「う、うわああああああああああぁぁぁぁ!!!!」
アナの体を支えていた衛兵が恐慌状態に陥り、アナを放り出して市民に混じって逃げ惑う。
それが正しい。今この状況であんな化け物相手にできるのは自分しかいない。
アナは地面を蹴って跳ね上がり、魔獣に向かって殴りかかる。
その感触は人間のようで、腐った肉を殴りつけたような感覚があった。
グオオオオオォォォガアアアァァァァァ!!!
魔獣はほんの少しグラついただけですぐに体勢を立て直した。
腐った体で衝撃を吸収されたのかほとんどダメージが入っていない。
もう一度、今度は割れたガラスの破片を拾って攻撃を仕掛けようとしたが、何者かに突き飛ばされて失敗する。
「っ!?なんですかー?……なっ!?」
その者を確認しようと視線を向けると、それは人間の屍体だった。
それもまた腐った体で、眼球が落ちて虚空になった眼孔、肉がちぎれてちらりと覗く骨。
そんな屍体が立ち上がって、意思を持ったように歩いている。
大勢だ。
百人近い屍体が道を埋め尽くして目についた物を壊し、目についた人間を殺している。
アナは自分を突き飛ばした屍体を蹴飛ばし、一度距離をとって広場に戻る。
が、その恐竜と屍体のいる道以外の場所からも次々悲鳴が上がった。
ムカデのような足をした大型犬サイズの長躯のナメクジ、翼ではなく大量の人の手を持つ鳥、全身の穴からドロドロと粘液を吐き出す蹄を持った蛙。
それらが逃げ惑う人々を喰らい、殴り、蹴り、踏み潰し、噛み砕き、引き裂き、殺戮していく。
一瞬で彼らの遊び場となった広場を見渡して、アナは自分一人ではもう対処できないと判断し、就任式の真っ最中であろうミーミアス城に向かって駆け出した。
ミーミアス城 中庭 及び バルコニー
「………ですので、私の夫のしでかした全ての悪事はこの私に償わせてください。全身全霊を持って、身を粉にして、この国に尽くさせていただきます」
サインの演説に、この場にいた全ての人間が静まり返った。
サインの演説が始まった途端に、「セルトの妻であったサインを信じていいのか、むしろサインも夫の共犯ではないのか」という声が上がり、その言葉が伝染して中庭全体がブーイングに包まれ始めたのだが、サインが言ったのだ。
「その通りです」
と。
更にブーイングの勢いが増したかと思うと、サインは全てを説明し始めた。
自分の生い立ちから普段セルトにどう扱われていたかまで含めてありのまま説明した。
それを聴いて、サインは何も悪くないという空気が出来上がったというのに、サインは夫の悪事を知っていて何もしなかった自分も共犯であると言って譲らなかった。
サインは全て償うと言って、涙まで流して謝罪した。
その潔さ、意志の固さ、真面目さ、自己犠牲にも似たその精神に、全員が心を打たれた。
サインこそが最大の被害者だと言っても過言ではないというのに。
静まり返った中庭に、大喝采が巻き起こった。
始めたのはミーミアスの国民だ。他国の来訪客ではない。ミーミアスの王はミーミアスの国民に認められた。
「………すげぇ女だなぁ、サインは……」
「本心から言ってましたわ。言葉を一切組立てずに思ったことをまんま口にしていましたわね」
「僕じゃ無理だよあんなの………」
「俺感動したかも?」
「これならミーミアスは安泰じゃのう」
「うむ」
王たちでさえ素直に感心していた。
バルコニーにはサイン皇帝、イネミス公、教皇。及びアルノ、アリンたちと六大文明の王たち、そしてヨーロッパ諸国の数十人の王たちがバルコニーの後方で並んで椅子に座っていた。
「………私はサイン殿を見誤っていたのかもしれませぬな」
イネミスが目に涙を浮かべて拍手を送り、エルル三世も晴れやかな顔で司会を続けた。
「皇帝陛下、素晴らしい演説、ありがとうございました。それでは、宣誓をお願いいたします」
宣誓。これは戴冠式と同じだ。あれほどの演説のあとなら必要はないかもしれないが。
サイン皇帝はエルル三世から戴冠式でも使っていた小さな杖を受け取り、捧げるように持って宣誓の言葉を口にする。
「私は………」
ビイイイイイイィィィィィィィィィィ!!ビイイイイイイィィィィィィィィィィ!!
突如、けたたましい音が中庭とバルコニーに響き渡った。
人間を不安にさせる音程と音階。
そんな音が繰り返し鳴り続ける。
音の出所はリチャードの懐だった。
リチャードが焦ったような顔で懐から、例の円盤を操る黒い箱を取り出した。
リチャードはその音を止めることなく、手の中の箱を見続けた。
「あの、リチャード様、失礼ですが音を………」
エルル三世が見かねてリチャードを注意するが、リチャードは聞こえていないのかその場で立ち上がって空をキョロキョロと見渡し始める。
「おいリチャードどうした。その音はなんだ」
アルノが立ち上がってリチャードの肩を揺さぶりながらその音の意味を問う。
「ありえねぇ、そんなこと。一体何が………」
リチャードは信じられないと言った顔でつぶやく。
まともな反応ではない。ましてやあのリチャードがである。
「リチャード!!何があった!?」
「俺の船が落とされた!!宝具を載せた円盤が!!熱圏まで飛ばしていたのに!!」
「落とされた?あの円盤がか?一体誰に……」
アルノの言葉を遮ったのは影だった。
城の全てを覆い尽くすほどの巨大な影。
だがその影は城の上を一瞬で通り過ぎて行き、城下町に向かって行った。
それはリチャードの円盤だった。
火を吹きながら隕石のような速度で落下して、円盤は城下町の一角に、轟音と爆炎と爆煙を上げて突っ込んだ。
巻き上がる粉塵には家財が、家屋の破片が、円盤の欠片が混じる。
地鳴りのような重低音とパチパチと空を舞う巨大な火花が城からでも容易に確認できた。
あたりを覆い隠すほどの爆発で、町の一角が炎に変わった。
家屋が燃え、教会が燃え、時計塔が燃え、祭りの屋台が燃え、人が燃えていた。
炎の中から日に包まれた人が、犬が、馬が、非現実的な光景を見せつけながら自らにまとわりつく火の手から逃れようとする。
城下町を一望できるバルコニーにいた全員が息を呑んでその光景を信じられないと言った顔で眺めていた。
開いた口が塞がらない者と、口を押さえて目を背けた者ばかりの中で、アルノは最も早く正気に戻った。
「リチャーーードオォォォ!!!」
アルノは青い顔をしたリチャードの襟を掴んでその頰を引っ叩く。
「お前!!どうするつもりだ!!あれはっ……確実に300人は死んだぞ!!不測の事態じゃ済まされない!!ただでは済まないぞあれはっ!!」
「ありえねぇ!!ありえねぇんだよ!!あれは落ちた時のために常に熱圏まで飛ばしているんだ!!もし機能停止して自然落下すると耐熱機能も停止して燃え尽きるように設計してあるんだよ!!たとえ落下するまでもっ!地上に落ちるなんてありえねぇ!!」
「だが実際に落ちたぞ!!ありえるかありえないかじゃなく!今まさに落ちて爆煙を上げてんだ!どうするつもりだ!?どう収拾つけるつもりだ!!」
アルノとリチャードが怒鳴りあう。
二人の次に我に返ったのはアリンだ。アリンは二人の間に入って二人を引き剥がす。
「お二人とも言い争っている場合ではありませんわ!!今からならまだ助けられる人もいるはずですわ!!イネミス殿!!」
「はっ!?はいっ!?」
「皆さんもいつまでボケッと眺めているつもりですの!?起きなさい!!」
アリンが皆を引っぱたいて叩きおこす。
「とっとと消化活動始めますわよ!!城の衛兵をかき集めるんですの!!」
「はいっ!」
「急げ!!」
「消防部隊を呼べ!!全員だ!!」
アリンの掛け声で衛兵たちが堰を切ったようにドタバタと動き出す。
「うむ、早く消化したほうがいいぞ。せっかくの実験材料が減ってしまうからな」
低い、まず響き渡るはずのない男の声が、空から響いた。
その場にいた全員が空を見上げた。
火を吹いて墜落していった円盤の軌跡だけが残っていた晴天の青空に、ポツンと、人影があった。
「浮い……てる?」
誰が言ったともわからないその言葉がこの場にいる全員の心情を代弁していた。
そう、人影は確実に宙に浮いていた。
人影は太陽の陰になっていて逆光でその容姿を伺うことができない。
まるでそれを察したかのように、宙を蹴って中庭を挟んでバルコニーの反対位置にある城の正門の上に降り立った。
それはどう見ても人間だった。
全身が赤と黒を基調とした服装で包まれており、マントまで羽織っている。どこか怪人のごとき禍々しさを放つ30前後の男だった。
「おいどうした?消化にいかんのか?何を足を止めて我輩を見つめておるのだ?男に見つめれてもドン引きなのだが………。もしや我輩の存在はあの災害よりも重要だとでも言いたいのか?」
禍々しい雰囲気を放っていながら、男の口調は飄飄としたもので、そのミスマッチさにモヤモヤとした感情を抱いた者が多くいた。
「………何者だ!お前!」
アルノが男に問う。
「我輩か?我輩はあの円盤を叩き落とした者だ」
男は悪びれることなく、ハエを叩き潰した程度のことのように自白した。
「なっ、ふっ、……ふざけんじゃねぇえ!あれは大気圏の上層を地球の軌道に乗って飛んでいたんだぞ!!どうやって撃ち落としやがったんだ!!」
「撃ち落としたのではなく叩き落としたのだぞ?素手で」
「ふざけんなぁぁああ!!!第一宇宙速度マッハ24も出ている物体まで追いつけるわけがねぇだろぅが!!そもそもてめぇが空を飛べるとしても、生物が熱圏までいけるわけねぇだろぅがぁぁあ!!!」
「そうなのか?では我輩はどうやってあれを叩き落としたのだ?我輩自分にドン引きだぞ………」
他人事のように言う男はどうも掴み所がなく、随分と人をイライラさせる。
全員揃って男のおかしな言動に戸惑っていると、正門の上に、男の隣にゾロゾロと人影が出てくる。
「伯爵よ、それでは何者かという質問の答えになっていない」
男を伯爵と呼んだのは金色の瞳に銀髪の、鎧と貴族の服が融合したような恰好の男。
「まあ演出ってモンをわかっていないあんたが下手なこと言って舐められるのも癪だから別にいいんだけど」
「演出なんぞいらん。さっさと食わせろ」
「かっこつける必要………ある?」
「これからすることを考えたらどっちでも同じでは」
金髪で、首を絞め上げる形状をした縄を首に巻いた青白い女。
同じく金髪を後頭部でまとめあげた貴族の女性。
長い黒髪で、虚ろな目をした庶民らしき娘。
真ん中で分けたブロンドの髪と、海緑色の瞳を持つプロポーションのいい女性。
その後ろにも大勢いる全く統一感のない老若男女が、伯爵をはじめとして猛禽のような眼光で、中庭とバルコニーにいる人間たちを見つめていた。
「……あっ、…………あいつら、舞踏会にいた……」
そこでアルノが、彼らは仮装舞踏会で肉料理を貪っていた連中だと気付いた。
「あっ!?一緒に肉料理食べていた方たちですわ!?」
「モーハン!婦好!あやつ教会で出会った、確かサラという名の……っ!!」
「!そうアル!他の三人も、あの時一緒にいた女たちアル!」
王たちだけでなく、中庭にいる市民たちもあいつを見たことがあるとか、あいつはあの時の怪しい奴などといった声がチラホラ聞こえて来る。
「もう一度問う!!何者だ!!」
もう一度、彼らの正体を問う。
その言葉に、この場の全てが静まり返った。
彼らはニヤニヤと笑いながらアルノを見つめ、最初に現れた伯爵と呼ばれる男が一歩前に出て、声を張り上げる。
「我らはブラッド!!貴様ら人間どもの怨敵!!貴様ら人間どもに迫害され!貴様ら人間どもに報復を誓った我らが同胞たち最後の復讐鬼!!」
「我らは 吸血鬼 !!!そしてこの我輩の名は、ブラッドのリーダーにして!著ブラム・ストーカーがこの世に放った怪奇小説!!」
「『吸血鬼ドラキュラ』の主人公!ドラキュラ伯爵である!!」
伯爵はそう名乗った。
ドラキュラ伯爵。この名を知らぬ者はいない。吸血鬼の代名詞。その名自体が吸血鬼という意味だと勘違いしている者すらいる。
故に、誰一人として伯爵の言葉を信じられなかった。
静まり返った王と民衆たちの前で、伯爵はその空気を察したのかしてないのか、素っ頓狂な顔で仲間たちの顔を見渡した。
「我輩、変なこと言ったか?」
「いや割とマシな啖呵切っていたわよ?」
「じゃあこの空気何?」
「あんたいい歳して何言ってんの?みたいな空気ですよこれ」
「おお、なるほど!信じておらんのだな!」
察していなかったようだ。
無論そう簡単に信じられるはずがない。
確かにここにいる全員は、伯爵が宙に浮いていたのを確かに目撃している。
だがそれでも、自分は小説に登場する怪物だなどと自己紹介されて、信じる奴のほうがおかしい。
魔女という前例をその身をもって知っているアルノでさえ、伯爵の言葉を信じられなかった。
「……ふぅ。そうか。ごもっともだ。我輩も同じことを言われたら、そうだな………たとえ海を割っても私は神だなどと言われたらこいつ頭おかしいのかと思うぞ」
「………それ……ちょっと……ちがう……?」
「私目の前で海割られたら信じるわ」
「問題はお前が小説の主人公だからだろう。それと吸血鬼らしいことをしていないこと」
「それだ!よしではそれらしいことをしよう!」
伯爵はバルコニーを向き、手を鳴らして注目を集める。すでに注目の的だったが。
そして、中庭の市民に手のひらを向け、指を鉤爪のように折り曲げ、何かを引きちぎって手繰り寄せるかのように腕を引き上げる。
すると、
その掌の正面にいた10人あまりの人間の体から、
大量の血を吹き出しながら内臓の一部が飛び出してきた。
よく見るとそれは心臓だった。
心臓を引き抜かれた男は恐怖に歪んだ顔で死に。
心臓を引き抜かれた女は理解出来ないと言った顔で死に。
心臓を引き抜かれた子供は引き抜かれた衝撃で即死した。
伯爵が手を触れずに、腕を一本動かしただけで10人あまりの人間が一斉に殺された。
伯爵たちは勢い余って飛び上がった心臓を、血の軌跡を描きながら落ちてくる心臓を一人一つずつキャッチして、血まみれの心臓がベチャリと血を吹き、伯爵たち自らの体を汚した。
伯爵は血まみれになった手で、引きちぎられた上大静脈と大動脈を両手で掴んで心臓を見せつけるようにぶらぶらと揺らしながら民衆の顔色を伺う。
「………まだ少しインパクトが弱いのか?いい表情だが静まり返ってしまったな………」
伯爵が困った顔で独白する。
中庭にいる全員が黙り込んでしまった。
心臓を引き抜かれて死んだ者たちの血を至近距離で浴びた者達すら黙り込んでいた。
明らかに不自然な力で人を殺した伯爵に対し、悪い夢を見ているのだと思い込みたくて、誰一人として声を上げずに夢から覚めるのを待っていた。
そこで赤ん坊が泣いた。
目まぐるしく変化する人間の空気に追いつけなかったからか、甲高い声を張り上げて泣いた。
それが起爆剤だったかのように、中庭は騒然となった。
男も女も年齢も人種も地位も関係なく、悲鳴を上げながら吸血鬼たちの立つ正門から距離を取ろうと我先にと城の中に押し入ろうとする。
だがこの就任式にあたって公開されているのは城の中庭のみであり、城門は閉ざされていて、一階に位置する部屋は全て必要に応じて簡単に設置可能な鉄格子が嵌められている。
城を公開するにあたって城内への立ち入りを防ぐために設置した鉄格子が裏目にでた。
民衆は城門を開けてくれと懇願した。
サイン皇帝や教皇に対して罵倒の言葉を投げかける者もいた。
大人が子供を踏みつけ、人の上に乗り、人を蹴飛ばし、貴族の取り巻きが庶民を殴りつけて主人を守ろうとし、庶民が貴族を無視して城門の破壊を試み、警備の衛兵が突き飛ばされて花壇に突っ込み、子供を踏み潰された母親が絶叫し、阿鼻叫喚の地獄絵図とはまさにこのこと、と、伯爵が嬉しそうに言う。
「城門を開けろ!!開けさせるんだ!!」
「はいっ!!」
イネミスが近衛兵に命じて城門を開けさせ、ようとしたが。
「それでは面白くないな。ヴァーニー」
「全く」
伯爵の隣にいた金の瞳と銀の髪をした男、ヴァーニーが空間に呑み込まれたかのように消える。
「うっぐぅあ!?」
近衛兵が小さく断末魔を上げてその場に崩れ落ちた。
「なにっ!?」
「そんなに不思議がることか?」
突如、バルコニーに現れたヴァーニーが近衛兵の胸に腕を突っ込み、人差し指に刺した心臓が背中から飛び出した。
「いつの間に!?」
「伏せろアリン!」
さすがの王たちも冷や汗をかいて慌てた。
アルノはアリンを床に伏せさせ、リチャードは懐から手のひらサイズの銃を取り出し、シャーヒーンはステファニーと婦好を背中に隠し、モーハンはどこからか槍を、ジョセルはなにやら小さな小瓶を取り出し、イネミスはサインの前に出て盾になり、エルル三世は後ろに下がりつつ近くの近衛兵に改めてこっそりと城門を開けに行くように命じた。
「ふん」
ヴァーニーは鼻で笑うと、果敢にも取り押さえようと立ち向かってきた近衛兵たちの体を素手で引きちぎり、叩き折り、えぐり、ねじ切り、吹き飛ばし、潰した。
エルル三世の命令でこっそりと城門を開けに行った近衛兵には気づかなかったが。
瞬く間に白いバルコニーが赤いバルコニーに塗り替えられ、兵だけ殺して同じようにかき消えて伯爵の隣に舞い戻る。
「よし、ご苦労さん」
「さて、この後どうするつもりだ。考えなしに動くからこういう………おっと、やってきたな」
伯爵たちが城下町の方へ振り返る。
バルコニーのアルノ達からは伯爵たちが何を見ているのか伺えなかったが、それはすぐに解決した。
子供を抱えた人影が、正門よりも高く跳び上がって伯爵たちの横に着地したのだ。
「遅かったではないかルスヴン。もしや手こずったのか?」
「いえまさか。遠かったもので」
その人影は青年だった。
完璧な銀の髪を持つ燕尾服の青年だ。
そして、そのルスヴンと呼ばれた青年が、その腕に抱えている子供を見て、アルノとアリンは息を呑んだ。
「アイ!?」
「アイちゃん!?」
ルスヴンの腕の中で猿轡をかまされ、手足を拘束されているのはアイだった。
「ウグウウ!!」
アイがルスヴンの腕の中で暴れるが、ルスヴンは涼しい顔をしている。
「ああ、そういえばあの女中もアイちゃんと呼んでいましたね」
「おいっ!アイをどうするつもりだ!?」
当然ながらアルノが真っ先に叫んだ。
「どうするつもりと言われても………伯爵」
ルスヴンが肩をすくめて素知らぬ顔でアルノの問いを伯爵に投げ渡す。
「うむ、この子は我々の計画に利用させてもらう」
「計画だと!?お前ら一体何をするつも」
「教えてあげない。誰が教えるものか。何、気にするな。大したことではないからな。というか、そっんっなっこっとっよっりっだっ!」
アルノの問いかけを即拒否して、急くように話題を変えようとする伯爵。
「王として、一人の小娘よりも助けなければならない者たちが足元にいるのではないか?」
「っ!………っこの…」
「そうだ。その顔だ。そういう顔だけしていろ。さて!もう一度注目せよ!愚民ども!!」
アルノを意にも介さず中庭の民衆に大声で呼びかける。
普通に声を出しても聞き取りやすい声をしているので、大声を出すとどんなに騒がしくても大勢の耳に入る。
案の定、中庭の市民たちは全員が振り返って伯爵に注目した。
「少し時間が押しているな。よし、簡潔に言おう。我々は宗教が嫌いだ。大嫌いだ。特にお前たちのような大きな宗教になると憎しみが増す。憎くて憎くて仕方がない。そしてなによりお前たちサン・テレサ教がいっちばん嫌いだ。デカイ小さい抜きにしても嫌いだ。なぜだと思う?」
伯爵が民衆に問いかける。
無論、誰も答えない。
答えがわからないから。
だが答えを知っている者達がいる。
答えがわかっているのはアルノたち一部の王たち。
その一部の王たちも答えない。
それはアルノがミーミアスに対して最も警戒していることだから。
「それはな、サン・テレサ教がキリスト教とかぶって見えるからなのだ」
やはりだ。
一部の王たちが思ったとおりの答えだった。
だがキリスト教など知るはずもない市民たちは伯爵が何を言っているのかわからず、どよめく。
「また、キリスト教ですか………?」
エルル三世がいい加減にしてくれと言わんばかりに眉根を寄せた。
「と言っても、『こっちの世界』しか知らぬお前たちにはわからんよな………」
伯爵が哀愁漂う気持ちで声のトーンを下げる。
「『こっちの世界』?」
エルル三世がついに理解の範疇を超えたのかイラついたような表情になった。
一部の王たちがギクリとした顔で冷や汗を流す。
『こっちの世界』の意味がわからなかった他の王たちは何か知っているのかとアルノたちに問うてくる。
「まあそれはいい。つまり結論から言うと、我々はお前たちサン・テレサをな、ぶっ潰しに来たのだ!!」
驚くような者は一人もいなかった。
伯爵のドスの効かせた声に怯えた者は大勢いたが、サン・テレサをぶっ潰しに来たというのはもう全員が予測できていたことだ。
ここまでやっておいて金銭を要求してくるのではと考える者の方が異常だろう。
予測通りのことを宣言されて、予測が確実に変わっただけで、民衆は静まり返った。
高い城壁に囲まれて、入り口を塞がれ、城にも入れない市民たちは、古代ローマで見世物として猛獣と戦わされたグラディエーター、もしくは公開処刑で猛獣に殺されるのを待つ罪人のよう。
誰もが死を覚悟したその時
「と、言いたいところだが、一度だけチャンスをやろう」
と、伯爵が言った。
「え?」という声が上がる。
民衆は一筋の光が差したかのように内心で安堵した。
助かる。
そう思った。
「お前たちの信仰心を試そう。その場に跪いて神に祈るのだ」
またしても「え?」という声が上がった。
今度は絶望したようにかすれた声だった。
「我々はこれからお前たちに襲いかかる。食い散らかす。無論お前たちが我々に勝てるはずも無い。お前たちは抵抗虚しく食い滅ぼされるだろう。だがしかしだ。もしも神がいて、お前たちに信仰心というものがあるのなら、きっと神はお助け下さるぞ?多分な。なあ?そこの神父。そうだろう?」
伯爵は民衆の中にいた祭服をきた神父らしき男に問う。
無論、伯爵は返答など求めてはいない。
だがそれでも、その神父はガタガタと震えながらその場に跪き、祈りを捧げ始めた。
他の市民たちも、これは最早神頼みでしかないと分かっていながら、それにしかすがるものがなくなり、その場に跪いて祈り始めた。
全員が祈り始め、中庭全体が静まり返る。
その光景を見て伯爵は、ドラキュラ伯爵は、満足げに鼻を鳴らした。
「ふふん。いい光景だな?異常とも言える。ドン引きだ」
「早く、早く城門を開けろ。まだ下に辿り着かないのか………」
「そんなはずは………もうとっくに辿り着いている頃です………」
アルノが祈るように独白する。
エルル三世はあの近衛兵が逃げたのではないかと疑い始めた。
「だが面白い」
ドラキュラは右腕を振り上げる。
「やれ」
ドラキュラが右腕を振り下ろした。
グウウゥゥゥゥゥゥオオオオオオオォォォォォォォォァァァァァァァァァァァァ!!!!
振り下ろされた右腕と同時に何かの咆哮が大地を揺らし、正門が衝撃音をがなりたてて吹き飛ばされ、大量の化け物が流れ込んでくる。
正門を破壊したのは筋組織をむき出しにした肉食恐竜らしき魔獣、便乗してなだれ込んでくる腐敗した動く人間の屍体たち、そして明らかに人間ではない大勢の男女。
ドラキュラとその取り巻きの者たち十数人が殺しにくるのだと思い込んでいた市民たちは、予想外の襲来に絶叫した。
「逃げろおおおおオォォォォォ!!!!!」
誰かが叫んだ。
伯爵が、阿鼻叫喚の地獄絵図だと、先ほどと同じ感想をあげる。
逃げろと言われても、最後の最後まで祈り続けていた神父が恐竜に丸呑みにされた。
屍体たちが走って市民を追いかけて咬み殺す。
ボロ布を着た男女が農夫を地面に叩きつけて踏み潰す。
頭から動物の耳を生やした女が町娘の頭をもぎ取る。
黒い肌の男が鋭い爪で貴族の男を引き裂く。
死人のように青白い肌の少女が警備の衛兵の肉を噛みちぎる。
なかでも目立ったのは貴族服を着た複数の男女で、なにやら赤い液体、おそらく血液を、自由自在に操り蛇のようにうねらせて人間を切断している。
「あの近衛兵、さては逃げたな‥‥‥」
いつまで経っても開かれない城門がそう語っていた。
「いいぞお前たち!!クドラクたち!もっと派手に殺せ!ヴリコラカスども!城の裏手に逃げたぞ!ノスフェラトゥら!ティラノの邪魔だ城門を破らせるそこを退け!」
ドラキュラが中庭で殺戮を繰り返すものたちに野次を飛ばす。
「伯爵、観覧はこの辺にして、そろそろ始めましょうか」
「ん?ああ、そうだな。ヴァーニー、三人を頼む」
「全く」
ドラキュラの合図で仕方がないといいたげに頷きながら、ヴァーニーがまたもやその場から掻き消える。
そしてまたもやバルコニーに煙のように現れる。
サインの背後だった。
イネミスがいち早く気づいて腰の剣を引き抜く…………が、ヴァーニーはサインを抱えて跳ね上がり、上手くサインを避けてヴァーニーだけを狙った突きをかましたイネミスの真上をくるりと飛び越え、首筋に手刀を当てて昏倒させた。
アルノたちが気づいたのはその一連の流れが終わってからだった。
「イネミス様!?」
エルル三世が叫ぶ。
リチャードが銃を向け、モーハンが槍を構えるが、ヴァーニーはそんなことお構い無しに今度はエルル三世に近づき、首根っこつかまえて持ち上げる。
「う‥‥‥ぐっ、は、離してくださ‥‥‥」
「ヴァ、ヴァーニーとやら!二人を離すが良い!」
「ではかかって来い」
ステファニーがヴァーニーに忠告するが見事に切り返される。
ヴァーニーは余裕の足取りでイネミスに近づき、イネミスを踏みつけまたもやその場から煙のように消える。
案の定、ドラキュラの横に舞い戻った。
エルル三世を離し、サインはそのままお姫様だっこに持ち変える。
「連れてきたぞ」
「よおし、では始めよう。こいつらを持て。最上階まで行くぞ」
ヴァーニーはサインを、ルスヴンはアイと弱弱しく抵抗するエルル三世を、ドラキュラは気絶しているイネミスの服を掴んで背中から持ち上げる。
そして正門の上にいたものたちが全員揃って宙に浮き、ミーミアス城の最上階まで飛んで行った。
ミーミアス城 正面本道
血まみれの街へと変貌を遂げたミーミアス皇国の本道を、アナは血色に塗装しながら城に向かっていた。
グチャグチャの屋台、火を噴く家屋、多様な殺され方をした屍体、足を滑らせるほど血を浴びた道。
アナの向かう先に溢れる人を襲う屍体どもと異形の化け物ども。
アナの通り過ぎた道に転がる化け物の屍体と本来の姿を取り戻した屍体。
アナは魔獣と動く屍体どもを次々に片付けながら道を進んでいた。
本当は無視して城に駆けつけようとしているのだがなにせ道を埋め尽くすように魔獣どもが往来しているためまともに通過することもできないのだ。
ただでさえ巨体のものが多いというのに、その隙間を埋めるように動く屍体どもがわらわらと密集しているものだから密度が凄まじいことになっている。最早肉の壁だ。
その肉の壁が人を食らいながら移動しているのだから冗談ではない。
アナはその肉の壁を綺麗に破壊しながら突き進んでいた。
あまりの数に迂回しようかと思ったが子供が襲われていたためについつい助けに入ってしまった。
単独でこの軍団は相手にできないと思い先ほどは退いたが、実際はそう難しくもなかった。
あの腐食恐竜がちょっとばかし強かっただけなのか他の魔獣たちはなんてことはない、図体デカイだけの獣と大して変わらなかった。
見た目通りの奴は見た目通りだし、そのまんまの奴はそのまんま。
故に弱点がわかりやすく、そいつに見合った攻撃をすれば簡単に倒せる。
サソリ女の方が強いぐらいだ。
この魔獣が宝具によって生み出されたのか知らないが、だとしたらサソリ女に比べてお粗末だ。
素早さや力強さはあっても知能を感じられない。
さきほど片付けたワニの顔と鱗を持つ人間サイズの蝿にいたっては人を食うのに夢中で他の魔獣に踏み潰されて負傷していたし、屋根の上にいた巨大な黄色いタコなど軟体動物のくせに足を滑らせて体を打って死んだし。
流れ作業のように魔獣を片付けながら駆けていると、空から甲高い大きな音が聞こえて来た。
今度は空飛ぶ魔獣か?と思い見上げてみると、それは金属の塊だった。
流線形のフォルム。翼のようなものと、尾びれのようなものがくっついている。それが数機、凄まじい速度でアナの真上を通過していった。
どこに向かうのかと目で追うと、海の向こうに黒い雲が見え………否、雲ではない。
鳥の大群だった。
大小、色、形、様々な個性的な形態をした鳥だ。
あれは明らかに魔獣。
空飛ぶ金属はそんな空飛ぶ魔獣の大群に立ち向かっていった。
鳥のような動きを見せながら、どこに設置されているのか機銃を乱射しながら次々に魔獣を殺していく。
「もしかしてー、メソアメリカの新兵器でしょうかー?」
もしかしても何もあんなもの、ローマ帝国でだってつくれないだろう。
アナが襲い来る魔獣を叩き潰すながら見とれていると、家屋の破壊される爆音が鳴り響く。
家屋を破壊しながら出てきたのは恐竜だった。
先ほどの腐食した肉食恐竜ではなく、今度は四足歩行の恐竜。
アナは恐竜に明るくないが、あのフォルムには見覚えがある。
大きなツノと鎧のような頭をもつ、草食の恐竜。
名前は忘れたが草食であることは間違いない、というのに人間を口に咥えてゴリゴリと噛み砕きながら口の中で遊ばせるそいつは、全身に炎をまとい、胴体には人の腕ほどの長さの蜘蛛の足が無数に生えている。
そいつは口の中の者を飲み込むと、アナに向かって全力突進を仕掛けてくる。
炎に包まれているため掴んで受け止めることが出来ないので、ギリギリで回避行動をとった後、全速力で城まで駆け抜ける。
恐竜が目の前まで迫ってきて、アナはギリギリのところで横に回避する。
が、想定外だったのは胴体に生えた蜘蛛の足で、なんと横に回避したアナに向かってその足を伸ばし、アナの体をズタズタに引き裂いていった。
「いっ!?……ったいですねー………」
服ごとアナの体を引き裂いて行った恐竜は顔面を地面に激突させ、それを軸にして全身を反転させてアナの方を振り返った。
「そんな身の返し方ありますー?」
下着まで引き裂かれて露わになった全身を、引き裂かれて血を垂れ流す傷跡が白い肌を赤く汚す。
しかも毒を盛られたのか若干体が痺れる。
視界が悪くなって寒気が襲う。
膝ががくんと落ちて歩けなくなる。
恐竜はそんなアナを好機とばかりにのしのしと近づいて、味見するように灼熱の舌で全身をべろりと舐める。
まともな死に方をしないとは思っていたが、まさか恐竜に食い殺されるとは夢にも思わなかった。
アナは覚悟を決めて目を閉じた。
恐竜が大口を開けたのが耳でわかる。
灼熱の呼気が全身を焦がす。
焼かれた血と肉の臭いが鼻の中を支配する。
次の瞬間、自分の肉の引きちぎられる音が聞こえる………かと思ったのだが、実際に聞こえてきたのは恐竜の鳴き声と巨大なものと巨大なものが衝突する音だった。
「?ー」
そっと目を開けると、恐竜は消えていた。と思ったら横にいた。
なにやら棘だらけで鋼鉄の巨大馬車、いや、馬が見当たらないからおそらくメソアメリカの機械を積んだ自動車だろう。
四対の巨大な車輪、全体に装着された棘だらけで分厚い装甲、昨日ラムが掃射していた多銃身機関銃が2門も設置されている。
戦車と言っても過言ではないその車が恐竜を吹き飛ばし、踏み潰してぐちゃぐちゃにしていた。
そして戦車から、数人の武装した男たちがぞろぞろと降りてくる。
「やあお師匠様?随分とボロボロになってんな?」
「大丈夫かアナ殿。毒か?誰か毒消しを。それと服も」
「僕が持ってるよ。お師匠様、これ飲んで」
降りてきた男たちのうちの3人はシャーヒーン、モーハン、ジョセルの三人だった。
というかよく見れば他の男たちも顔見知りだった。
モーハンが肩にかけていたマントを着せてくれて、ジョセルは懐から小瓶を取り出して飲ませてくれた。
即効性の毒消しなのか一気に体が楽になる。
「ふー。助かりましたー。ありがとうございますー。他にも魔獣がいっぱいいたはずなんですけどねー?」
礼を言いつつ道を埋め尽くすほどいた魔獣たちが姿を消していた。
「お師匠様のためとあらば薬なんていくらでも消費するよ」
「魔獣どもならなぎ倒してきた。取り逃がした奴も多いが、ビビって逃げてしまった」
「それにしてもお師匠様よ?俺たちが来た方と反対側の道に魔獣が散乱してんだけど?あれ師匠がやったの?」
「お師匠様はやめてくださいー、ジョセル陛下ーモーハン陛下ー」
身内しかいないからといって師匠と呼ぶのはやめてほしい。
「ご無事ですか教官!」
「こんな化け物相手に無理なさらないでください!」
他の男たちまで教官と呼んできた。
「………ほんと恥ずかしいからやめてくださいー」
いくら私が戦闘訓練を施したとはいえ今更師匠だ教官だと言われると照れ臭い。
「それはともかくー、城で何がありましたー?」
街がこれだけ攻撃されて城が無傷なんてことはないだろう。
「ああ、それが………」
シャーヒーンが城であったことを説明してくれた。
吸血鬼だのと耳を疑う単語をすんなり聞き入れ、微塵も動揺せずに静かに頷くアナを男たちが惚れ直したように見とれる。
「なるほどー、それであなたたちは城下町の魔獣の掃討、アルノ陛下たちはアイちゃんや皇帝たちの救出のために城に潜入、それでさっきの空飛ぶ金属の鳥はリチャード陛下が飛ばしたのですねー」
「ローマ帝国やフランク王国はリチャードが港まで運んで海を警戒している。海の向こうにも魔獣の影が確認されたのでな」
「陸海空は大丈夫そうですねー。それでは私は城に向かいますー。その吸血鬼の相手は苦戦するでしょうしー」
「我々としては師匠殿には休んでもらいたいのだが………」
「あなたまで師匠と呼んだから行きますー」
「謝っても行くのだろう?」
「もちろんですー」
毒が抜けたのかアナはスッと立ち上がり、城に向かって歩き出す。
「教官殿!無理はなさらないでくださいね!!」
「終わったらまたご指導をお願いします!」
男たちが敬礼してアナを見送る。
「もしも負けるようなら鍛え直してあげますがー、勝てるようならお断りですー」
そのアナの分かりにくい活を、男たちは全員が察することができた。
「恐竜型の魔獣には警戒してくださいー。他の魔獣は野生動物と変わりませんがー、恐竜だけは少し知能が高いようですー。見たまんまの魔獣が多いですからー相手をよく見て何が有効打になるかを見極めればそう苦戦はしないでしょうー」
「「「はっ!!」」」
男たちは再度敬礼して、今度こそアナを見送った。
「さて、始めようか。モーハン、円盤の落ちた地域を頼む、同時に消火作業も始めてくれ。ジョセルは反対側だ。私は本道の守りを固める」
「いいぜ?まかせな?インダス人、俺と一緒に来いよ?」
「エジプト人!いくよ!」
モーハンが果敢に槍を振り回し、ジョセルが懐から小瓶を取り出して一気飲みした。
「さあメソポタミア人!!付近の化け物どもを掃討する!!アナ殿の活を無駄にするな!!」
「おうっ!!」
シャーヒーンが戦車に乗り込み陣頭指揮を執る。
港方向から本道の真ん中を堂々と、地響きを鳴らしながら姿を現した腐食恐竜に向かって、シャーヒーンたちは剣を取った。
続く