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Blood of Clan  作者: 見崎 桃父
第1章 始まり
6/10

王族会議 戴冠式

 王族会議祭 三日目 早朝

 ミーミアス城 第一級客室

「陛下ー、起きて下さいー。朝ですよー」

 アナはアルノの布団を引っぺがして優しくアルノの体を揺さぶった。

「がうー。アルノー、アーサーデースーヨー」

 アイがアナの真似をしてアルノの枕を奪い取り激しくアルノの頭を揺さぶった。アナ止めろよ。

「わかったわかった起きるからやめてくれ」

 アルノは疲れの取れきっていない上体を起こして気だるそうに伸びをした。体の至る所で骨が鳴った。

「あらー随分お疲れですねー。昨日は遅かったんですかー?」

 アナがアルノの肩を揉み始めた。絶妙な力加減と人間の体を熟知していなければ出来ないマッサージだ。

「まあな、お前たちこそ昨日は帰ってこなかったな?どこに泊まったんだ?」

 アナ達の泊まっている客間の警備をしている衛兵から、今日は戻ってきていないと聞いていた。

「はいー、ラムちゃんが城に戻る訳にはいかないと駄々をこねたのでー、適当な宿に泊まりましたー」

「ラムちゃん?」

「ちゃんで呼ぶな」

 アナの後ろに黒い長髪のワンピース姿の少女が立っていた。ただ髪のボリュームが半端ない。

「かつら?」

「はいー、おととい話したセルト皇帝の警護をしていた子ですー。かつらとワンピースでうまく誤魔化せましたー」

 まず何故一緒にいるのかが疑問だが、誤魔化せたと言うのは城の連中にか?セルトを裏切ったということだろうかこの子は。

「ああ、サイン王妃の妹か。おっともう王妃じゃないな」

「あ?おいそれどういう意味だよ!?」

 アルノの言葉に不安そうな顔で声を荒げ、アルノに詰め寄るラム。

「心配すんな、悪い話じゃあない。むしろお前なら諸手を上げて喜びそうな話だ」

「ぇ…?」



「皇帝が………失脚?」

 迎賓室で朝食の支度を待っていると、城の使用人が朝刊を持ってきた。朝刊にはすでにセルト皇帝がイネミス前皇帝によって王位を剥奪され、数々の不祥事の発覚により投獄された事。そしてサイン王妃が王位を継承した事も、新聞紙5面に渡ってデカデカと掲載されていた。会議が終わったのが日付が変わる時間帯をとっくに超えた真夜中だったというのに、この早さはイネミス前皇帝がミーミアスの部署の一つである報道部に手を回したのだろう。まあこんなおいしいネタ、記者なら深夜に叩き起こされても大喜びで飛びついたはずだ。

「姉さんが………次期皇帝?」

「すでに現皇帝だ。今日は急遽、戴冠式を執り行う事になったと書いてある」

「………」

「ラムちゃんー、口からエクトプラズムが出てますよー」

 ラムが口を半開きにして呆然としていた。あまりの急展開に頭がついて来ないのだろう。

「姉さんが皇帝ということは、妹である私は………」

「皇帝の補佐として付き従うか、騎士団や憲兵団などの軍事職に就くか、もしかしたら土地と爵位を貰えるかもな。姉と相談して決めな」

 イネミス殿は先々代皇帝。サイン殿の子供達は変わらず王子王女のまま。そういえば王子王女とは会った事がない。今日あたりにでも会いに行こう。

 アルノが紅茶を啜っていると、朝食の用意が出来たと、使用人がアルノたちを呼びに来た。


 使用人に案内されて大食堂に到着すると、大量の料理がずらりと並んでおり、どうやら自分の皿に好きな料理を好きな分だけ取って食べるバイキング形式の朝食のようだ。

 王族に対してバイキング形式で振舞うとは、なかなか度胸がある。まあ、王だけでも40人近く、王たちの護衛や付き人を含めて数えると200人以上いる。バイキング形式のほうが楽なのは確かだ。アレルギー持ちや宗教上の問題で肉魚を食べられない者もいるし、そしてなにより自由席なので他国の人間とコミュニケーションが取れる。

「アルノ、アリン、こっちだ。こっちに座れ」

 アルノが料理を取ってどこに座ろうかと悩んでいると、シャーヒーンがアルノとアリンを呼んだ。そこは食堂の中で一段床が高くなっているスペースであり、周りに比べて椅子やテーブル、食器など小物に至るまでワンランク上の上質な物になっている。そこにシャーヒーンを含む他の王たちが揃って席についていた。王はこのスペースに座るらしい。アルノとアリンは六人の王が座る席に同席した。

「おはよう。揃いも揃ってクマができているぞ。よく寝ていないな」

「おはようございますわ。皆さんお疲れのようですわね」

 アルノとアリンも他の王と同じぐらい寝ていないはずなのに、二人は何故か爆睡したかのようにすっきりした顔をしている。

「むしろお前らはなんでそんな元気なんだ?なんか特別な寝方でもしてんの?」

「うちのメイドは肩もみが上手いんだ」

「私の付き人は疲れを一瞬でとるツボの位置を把握してますの」

「こいつら………」

 メイクかと思うほど濃いクマをしたステファニーが恨めしそうに睨んできた。

「ところでイネミス殿は来ていないのか?」

「昨日から寝ずに戴冠式の準備をしているらしいよ。教皇殿もね」

「二人揃ってやけにウキウキしてて気持ち悪いアル」

「教皇ならさっきすれ違ったけどよぉ、足取りに軽くスキップ入っていたぜ。してやったりみたいな顔で」

「よっぽど嫌われてたんだなあ、あいつ」

「サイン殿はどうしているでしょうか。一応は夫だった男が投獄されて、落ち込んでいたりしませんわよね?」

「複雑なところではあるだろう。あまりサイン殿の前でセルトの話をするなよ」

 などと、アルノがアリンと王たち全員に注意するように言っていると、

「私の事はあまりお気になさらずに頂いて結構ですよ」

 当の本人、サイン皇帝がフラりとした足取りで、朝食を手にアルノたちのテーブルに近寄ってきた。

「うおぅ、びっくりしたぜ。幽霊みたいに現れんなや」

「申し訳ありません。まだ状況をうまく飲み込めていないもので」

 若干話が噛み合っていないが、確かに心ここにあらずといった様子だ。

 サインはそこで話を区切って軽く会釈し、一番奥の席に着いて一人で静かに朝食を食べ始めた。明らかに元気が無い様子だ。

「………サイン殿は大丈夫なんですの?戴冠式となるとかなり長い間立ちっぱなしですわよ」

 アリンが調子の悪そうなサインを心配する。

 戴冠式は昼過ぎから始まり日暮れまでには終わる予定らしいが、あの様子では開式の挨拶で倒れそうだ。

「何、イネミス殿か教皇殿が気遣ってくれるだろう。できるだけ座っていられるようセッティングするはずだろう」

 戴冠式でぶっ倒れるなんて、民衆を不安にさせるような真似はするまい。

「そういえばアルノ、君の捕まえた魔獣の狼少女……アイちゃんだっけ?一度見てみたいんだけど、今日あたり紹介してくれないかな?」

 話は変わるけどと前置きして、ジョセルが期待するような目でそう言う。

「そうアルな、私も同席をお願いするアル」

「俺も頼むぜ、ちょっとばかし興味があるしなぁ」

「そうか?そこにいるぞ」

「えっ!?どこ!?」

 モーハンを筆頭に、王たちがアルノが指さす方向に目をやる。

 そこには、アナに口元を拭ってもらっているアイの姿があった。皿に盛られた料理の量が異常なため、王たちはすぐにあの少女がアイだと感づいたようだ。

「おーいアイ、ちょっとこっち来い」

「がうぅ?」

 拭ってもらったばかりなのに今の一瞬で口元の汚れが元に戻っているアイが耳をピクンと動かして「呼んだ?」と言いたげな顔でこっちに振り返る。

「あっ、アイちゃんー、フォークを咥えて走っちゃ危ないですよー」

 アイがフォークを咥えたまま席を立ってパタパタとアルノの傍に近寄ってくる。

 アイは王たちを見向きもせずアルノとアリンの皿を見やり、「何かくれるの?」といった顔でキョロキョロとアルノとアリンを見る。

「ほら、フォーク咥えたまま歩き回るな。紹介しよう、こいつがアイだ」

 アイの咥えていたフォークをとってテーブルに置き、ビシッと起立させて王たちの方を向かせる。

「アイちゃん、ちゃんと挨拶するんですのよ」

「がう?オ…ハヨ、ウ?」

「よしそれでいい」

「………なんだかお前たちの娘でも紹介されている気分じゃのう」

「完全にお父さんとお母さんアル」

 呆れ半分といった顔で苦笑いする王たち。アリンが「嫌ですわそんな夫婦だなんて!」と顔を赤くしていた。夫婦とは言っていないと突っ込まれるアリン。

「なるほどなぁ、パッと見は普通の人間みたいだが、よくよく見ると耳が妖精のように長ぇな」

「尻尾がふっさふさじゃねえか?超気持ち良さそうだな?」

「それによく見ると犬歯が鋭いね」

「あまり魔獣のようには見えんな」

 箇条書きのように感想をあげる王たち。よく見ると周りの王族たち、ローマ帝国皇帝やフランク王国女王、他の国々の王たちも、食事の手を止めてアイに注目している。

「今はこんなだが、初めて会った時は全身が体毛で覆われていてな、全身刈り上げたらこうなったんだ」

「全身刈り上げたって?お前が自分の手で?」

「いやうちの女中に」

「下の毛まで剃ったアルか?」

「なぜ限定してそこを聞いてくる!?剃ったけども!」

「そっちの方が好みなのかえ?アリン、チャンスじゃぞ。剃ってまいれ」

「俺の趣味じゃねえよ!アリンになに薦めてんだ!」

「とっくのとうちゃんですわ」

「マジでやったのお前!?」

「アルノよ、どうして腋毛を残さなかったんだ?(迫真)」

「お前の性癖のカミングアウトなんかいらん!」

「がうぅぅぅ!!アルノ!ナンカ、チョウ…ダ、イ!」

 お父さんに続いて娘まで切れた。




 時を同じくして ミーミアス監獄 

 ミーミアス城を城下町と挟んで反対側にあるミーミアス監獄は、地上15階地下6階に及ぶ巨大な塔で、高層であるほど重要な犯罪者で、地下深いほど凶暴な犯罪者が収容されている。

 その最高階層15階から黒煙が上がっていた。

 一つの独房から火の手が上がったためだ。炎はその独房に閉じ込められているかのよう集中的に床から天井まで焦がし、付近の独房にまで延焼していた。あまりの熱に鉄格子が歪みドロドロと溶解され始め、階全体を黒煙が充満し、この時点で半数以上の囚人が熱と煙で息絶えていた。

 そしてしばらくして、炎が壁や天井から放出される大量の水に鎮火された。

 15階という高層のため消化用水を屋上に貯水しており、壁の中を通した水道管が各階の独房にまで及んでいて、バルブを開けるだけで独房や廊下を満遍なく放水することができる。

 ただバルブを開けるために15階まで登らなければいけないのが欠点で、看守がバルブを開けようと15階に到達した頃にはバルブ付近も煙で満たされていたため開くことができず、そういった事態に備えてバルブに小型の爆弾が設置されているのだがその爆弾の導火線が一階に設置されているため、導火線に火を入れてバルブを吹っ飛ばし、15階全体に放水することができたのは15階の半分が焼け落ちた後だった。

 死者20人重症者50人あまり。政治犯、暴力団組長、犯罪組織の幹部らが重要な囚人らが揃って死亡した。

 その中にはセルトも含まれていた。




「セルトが死んだ?」

 朝食を食べ終わり、戴冠式が始まるまでのんびりしようと迎賓室でくつろいでいると、衛兵の一人がセルトの訃報を知らせてきた。

「はい、ミーミアス監獄での火災で、セルトさまっ……セルトの独房から火の手が上がり、20人の囚人が死亡しました。セルトの遺体は発見されていませんが、鉄格子が溶けるほどの熱でしたので、骨も残らなかったのかも知れません」

「鉄格子が溶けた?鉄の融点は1500度以上あるはずだぞ。なぜそんな高熱が?」

「ただいま調査中ですが、なんらかの化学物質が検出されましたので、それが原因かと」

「なぜセルトがそんな物を持っているんだ?そもそもどうやって独房に持ち込んだ」

「わかりませんが、何者かの手があったものかと」

 セルトが投獄されて半日も経っていないというのにあまりにも早すぎる。セルトが投獄されたというニュースが公表されたのは先ほど発行された朝刊が一番早い情報のはずだ。

「とにかく、何か分かり次第ご報告させていただきますので」

「それはともかく、サイン殿にはまだ知らせるんじゃないぞ。こんどこそ心労でぶっ倒れるぞ」

「心得ております。イネミス様からも止められております」

 相変わらずの手際である。さすがイネミス殿だ。




 ラムは城下町の裏道をとぼとぼと歩いていた。

 行き先は姉さんがなぜかよく行く墓地だ。その墓地の最も高価な墓碑にお祈りしているのをちょくちょく見かけたのだが、姉さんは今日もお祈りに行ったらしい。

 セルトが投獄されて縛るものがなくなったラムがこれからどうしようかと考えていると、イネミス様から姉さんがまた出かけたから護衛をしてくれと言ってきた。

 皇帝として即位したのだから護衛を付けないというのはさすがに危ないが、いつも一人だったのに急に護衛を付けるとそれもストレスになるという事で、妹である私に任されたのだ。

 しかし、あまりにも気乗りしない。姉さんとはここ数年会話していないが、ほぼ毎日顔は合わせていた。ここまで培ってきたこの微妙な距離感を一体どうやって埋めたらいいのかわからない。

 などとあれこれ考えてる間に墓地に到着した。

 案の定、姉さんがいた。墓地で一番質のいい墓碑の前で膝をついてお祈りをしていた。

「………姉さん」

 ラムがそう呟くと、サインが頭を上げて辺りを見回し始めた。まさか聞こえたのかと思い、咄嗟に墓地の塀に身を隠す。

「ラム?いるの?」

「!」

 まさか聞こえているとは思わず心臓がドキリと鳴って、覗くのも止めて完全に塀の裏に身を隠す。姉さんってあんなに耳良かったのだろうか?

「ラム、出ておいで」

 ラムがいる事を確信しているらしいサインの言葉に、ラムは諦めて塀の陰から出て行く。

「……よ、く……気がついたな、姉さん」

「私耳いいもの」

 サインが自分の耳をトントンと叩いて地獄耳を自慢する。

「久しぶりに喋ったね。2年、3年ぶりくらい?」

「まだそんなもんか」

 時間が経つのは遅いなと冗談めかして感慨深く言うと、サインが憐憫の眼差しを向けた。

「……それでラム、どうしてここに?ここに来る時はいつも一人にしてって言ってあるんだけど…、イネミス様のご命令?」

「ああ、そのと…、はい。そのように仰せつかっておりますサイン陛下」

 ふと、主人に対してタメ口はまずいと感じ、敬語に切り替えてその場に膝をつく。

「ラム、私に敬語は使わなくていいから」

「いいえ、皇帝陛下にタメ口など許されるものでは………っ!?」

 ラムが否定の言葉を上げると、サインがラムに飛びついてその小さな体を抱きしめた。

「陛、……下。お戯れは……」

「ごめんね、あなただけでも村に置いてくればよかった」

 姉さんが唇を噛み、眉根をよせ、私の頭を掻き毟るように撫で回す。

「今更言っても仕方ないだろ、………そんなこと」

 本当に今更なんだと言う話だ。当時姉さんは私を置いていこうとしたけど、結局セルトが面白がって姉さんの頼みを却下したんだから、姉さんのせいじゃないだろう。と伝えると

「連れてこられる途中であなたを逃さなかったのは私のミス…」

「それじゃあ姉さんがセルトに何されるか……」

「私はいいの!ラムさえ無事ならそれでっ………!」

「ふざけんな!!それは私だって同じだ!!姉さんさえ無事ならそれでよかった!!なのにいつも私なんか庇ってセルト怒らせてぶん殴られて!!」

「ふざけんなって何!?あんたこそ私が毎度毎度セルトの奴にお膳立てして上げてたのに、あいつのめちゃくちゃな命令をバカみたいに忠実にこなしたりして!」

「誰の為にやったと思ってんだ!!」

「誰の為にやったと思ってるの!!」

 そのあと、息切れがするほどの応酬で、顔を真っ赤にしながら殴り合って喧嘩した。正しくは爪で引っ掻き合ったり引っぱたいたりしただけだが。

 二人でハァハァと息を切らして睨み合う。

 こんなに感情をむき出しにして喧嘩したのは、お互い久しぶりだった。

「ずるいぞ……姉、さん……、爪ぐらい、ちゃんと……切り、やがれ……」

「あん、たこそ……、あんな、でっかい剣を……、振り回せる怪力で……思いっきり、引っぱたいて……、これでも……今日から皇帝なのよ、………私…」

 頰をズタズタに引っ掻かれて少し血を滲ませたラムと、全力で引っぱたかれて頰を赤く腫らしたサイン。

 皇帝に手を挙げた事に今更冷や汗を垂らしつつも、姉さんを引っぱたいて積年の不満を晴らせてラッキーという気持ちが混ざってモヤモヤするラム。

「………今日から、皇帝………。私が………」

「?」

 息を整えていたサインが、なにやらブツブツとつぶやき始めた。

「あんな辺境の寒村生まれの庶民の私が、こんな世界の中枢みたいな国の皇帝なんて、やっていける自信ないよ………」

 どうやら自分で言っておいて不安になったようだ。

 確かに私たちは元々ただの村娘。姉さんに至っては王妃になったかと思えば今度は皇帝など、分不相応というものだ。

「まあ、皇帝となると王妃よりも忙しいだろうしな。セルトはほとんどなんもしてなかったけど」

 堂々とサボるか仕事という体でサボるかだった。

「そうじゃなくて、私は王の器なのか、資質があるのかってこと。私は血筋も家柄もないただの小娘だよ。国民の中には私を認めない人もいるはず」

「セルトよりかは確実にある。それに、多分イネミス様は姉さんの子供が大きくなったら子供に王位を継がせるんじゃないかと思うんだ。一応はセルトの子供でもあるから血筋がどうだと言う連中もそれで黙らせられるからな」

「じゃあ私は、それまでの繋ぎか……」

「乗り気じゃないんだろ?いいんじゃないか?のんびりやればさ」

「そんないい加減な………」

「そんなに肩肘張ってやることないだろ、あんな識字率すら低い村の娘に期待しているとは思えないし」

「それ私をバカにしてる?ラムだって同じでしょう」

「私は施設で必要な知識叩き込まれてるし」

「じゃあラムが皇帝やればいいじゃないの………」

 サインは拗ねたようにボヤく。

 なんて、バカなことを言い合っていると


 ゴオオォォォォォォォンゴオオォォォォォォォン


 国中の鐘が一斉に鳴り始めた。正午を告げる合図。後数刻で戴冠式が始まる。

「姉さん、戻ろう。戴冠式は昼食を食べてからだったよな?」

「え?ああ、うん。食べたらすぐに着替えないと………」

「じゃあすぐに戻ろう。戴冠式に遅刻なんかしたら大目玉じゃすまないぞ」

「そうだね、戻ろう」

 そう言ってサインはラムの手を取……ろうとしたのだがラムに躱される。

「私は一応護衛としてきたんだ。上から監視してるよ」

「え?いいじゃない横に並んで帰ろうよ」

「上の方が落ち着くんだ。先に行っててくれ」

「むう……、わかった。ちゃんと見守っていてね」

 ムッとした顔をしたかと思うと、すぐにニィッと笑って足早に墓地から出て行った。

 やはり姉さんは笑うと可愛い。三児の母とは言えやはり18歳だ。まだまだ若い。

「久しぶりに笑ったな……姉さん」


「夫が不当に投獄されたというのにニコニコしおって、薄情な妻であるな」


「っ!!?」

 すぐ後ろから、声がした。

 毎日聞いた、もう二度と聞きたくないと思った、嫌味ったらしくて傲慢な口調と声色。

 エルト王国国王アルノ陛下から、口を開けば不協和音を奏でるとまで評された、この私が最も憎む男。

 セルトだった。

 セルトは飛び退こうとした私の腕を掴み、そのまま地面に叩きつけた。

「ぐっ!?……いっ、ぎ?」

 ありえない、セルトが私の速度に対応できるなんて。

「貴様もだぞラム。余が拘束された時姿を現さなかったな。それに何を許可なく余の妻と親しげにお喋りしているのだ。あまつさえ手を挙げて傷つけるなど、極刑では済まぬぞ」

 セルトは地面に伏せた私の体を踏んで押さえつけ、罪人を見るような目で見下す。

 尋常では無い怪力で全く起き上がる事ができない。

 下からセルトの顔を見上げると、太陽の逆光で影が落ちて見えにくいがセルトの顔は半分が火傷したかのように醜く歪んでいた。

「セルト、投獄されたはずじゃ……、脱獄………がっ!、あっ……」

「余を呼び捨てにするかラム、貴様何様のつもりだ?」

 まだ皇帝のつもりなのか呼び捨てにしたら顔面を思いっきり蹴飛ばされた。

「おい、そんな小娘をいじめていないでさっさと話をしろ」

「だがなかなか面白い娘だな。我輩の趣味ではないが」

 セルトの後ろから、二人の男女の声が聞こえた。

 片方の女の声を発した人物はセルトの影になって窺い知れないが、男の声の方はその姿を確認できた。

 その男はまさに純正の貴族といった風貌だった。全身が赤と黒を基調とした服装で包まれており、マントまで羽織っている。どこか怪人のごとき禍々しさを放つ30前後のハンサムな男性だ。

「伯爵よ、お前も遊ぶな。戴冠式まで時間もないのだから」

「はは。全く、つまらん奴だなお前は」

 男は愉快そうに言う。

「ふん、主人がほんの少し家を空けている間に躾も忘れたか犬」

「誰がっ、犬だ……このクソ野郎っ!」

 セルトがやれやれといった風に首を振る。

「もう一度躾直すとするか……。ラム、私の護衛に付け。逆らえば家畜の餌だ」

「はっ、それがどうした。やりたきゃやれよ。姉さんはもう皇帝だからな、今のお前が姉さんに手を出せば、咎められるのはお前のほうだ」

「いや、余が皇帝だ。いつまでも変わらず皇帝であり続けるのはこの余だ。あのような女に王座はそぐわぬ。故に、皇帝の座を余から強奪し、王座に就こうとしたあの女は死罪とする」

 あまりの痛々しさに少し哀れに思えてきた。

 いつまで王の座にしがみつくつもりなのだこの男は。

「ではこうしよう。今、余が手を組んでいるのはこの二人だ。名も知らぬし、何者かも知らぬが余を不当に監禁したあの監獄より救い出してくれた余の恩人だ。この二人はどうやら『偽ウィッカ』とか言う魔女を名乗る女共と同じ超常の存在らしい。余はこの二人より肉体の強化を受けた」

 超常の存在?肉体の強化?何を言っているのかわからないが、確かにこの私を押さえつけるほどの怪力を披露しているのは事実だ。

「この二人に先ほど城に向かったサインを襲わせよう」

「なっ…に!?」

 今、おそらく姉さんはここから城まで最も近い、城下町の人通りの少ない路地を通っているはずだ。もし今襲われたらひとたまりもない。

「待て!やめろ!姉さんに手を出すんじゃない!!」

「それが人にものを頼む態度か?」

「っ!………お願いです……やめてください……」

「ふん。まあいいだろう。あいつは国外追放程度で許してやる」

 それでいい。姉さんが生きてさえいれば。それで。

「だがその代わりお前には一生働いてもらおう。まず初めに、戴冠式が始まって宣誓が始まったら城の門を開けるんだ」

「………はい」

 戴冠式は城内で行われるが、その次は城の中央バルコニーから中庭に集まった市民達の前で宣誓を行うことになっている。ミーミアスの戴冠式では恒例行事である。

 とにかく今は従うふりだけしておいてすぐにイネミス様に御報告だ。姉さんの安全も確保しつつ。

「素直に従うがいいぞラム?さもなくばお前がサインに行った非道の行いを暴露してくれる」

「はい?」

 私が姉さんにした非道の行い?そんな覚えはこれ微塵もない。セルトに命令されて殺人を犯したこと?そんなことは姉さんはとっくに知っている。ハッタリか?


「ああ、わからんか。そういえば何の説明もしなかったな。お前がサインの子供と他所からさらってきた赤子を取り替えたこと」


「え?」

 なにを言ってるんだ?子供を取り替えた?

 まさか3年前に医院から適当な赤ん坊を誘拐させたことか?いや3年前だけではなく2年前と一年前にも似た様な命令をしてきたことがあるが、まさか姉さんの子供と取り替えたのか?


「そしてそのあと袋を処分させたな?両腕で抱えられるぐらいの」


「え………あ……?」

 三年前、攫ってきた赤ん坊を渡したその翌日、セルトが袋を渡してきて、それを捨ててこいと命令されたことがあった。

 生まれたばかりの赤ん坊を攫ってきた赤ん坊と取り替えて、姉さんの生んだ子供を、自分の子供を殺したのか?

「殺したのはお前だ。袋に入れた時は眠らせていただけだからな」

「あ………う、そ……」

 私が、姉さんの子供を殺した?三回も、三人も?

 セルトが膝を折って顔を近ずけてくる。


「あの袋、結局どこに捨てたのだ?海に捨ててこいと命じたはずだが、お前はやけに早く戻ってきたな?捨ててさえいれば構わなかったのでな。特に咎めなかったのだが」


 あの袋は確か

 大きさと重さ的に

 可燃ゴミだと思って

 

 近くの焼却炉に放り込んだ。


「あっ……くっぃ……か、ひ」

 息ができない。目の前がパチパチする。脳が締め付けられるように痛い。目が焼ける。喉が塞がりそうだ。

鼓動が早い。全身の血が冷たくなる。背中の筋肉が硬くなる。腕の神経が張り裂けそうだ。足が動かない。

「やあ、お嬢さん」

 セルトの後ろにいた女が屈みこんで私の顔を覗き込む。金色の瞳をして白銀の髪を二つに縛った二十歳前の女だ。

「姉妹揃って術をかけるというのはそうある事ではない」

 姉妹?姉さんに何をしたんだお前!!と声をあげようとしても、声が喉から出てこない。

「セルト、さすがの我輩もドン引きだ………。だが面白い」

 男が苦虫を噛み潰したような顔で大仰に肩をすくめる。

 それでいてニタニタと気味の悪い笑みを浮かべている。

「私は伯爵にもドン引きだよ………」

 女が半眼で伯爵と呼ぶ男を睨む。

 などと軽口を叩きながら、女は目を見開いて私の目を見つめる。

 体の奥底にシミが、綺麗な水の中に真っ黒い墨が広まるように、何かが流れ込んでくるのを感じた。

 ゾクゾクとした冷たさと、ガチガチとした硬さが染み付いてくる。

「あ、ああ、あっ、あう、ぅぅぅ……………」

 その墨が、水を全て黒く染めると、私の中に尋常ではない恐怖が染み込んだ。

「よしいいぞ。セルトよ、この娘の中にお前に対する恐怖と畏敬を植え付けた。これでもうこの娘はお前には逆らわない。好きにするがいい」

 そう言って女はフワリと歩き出し、墓地を出て行った。

「好きにしろだと?何を今更。いままでかなり好き勝手に利用してやったつもりだがな」

 セルトが私の上から足をどかす。

 逃げるチャンスだというのに私の体は言う事を聞かなかった。

 いままで持ち合わせていなかったセルトに対する恐怖心で体が動かない。

「起きろ、いつまで寝転がっているつもりだ」

「は、はいっ!!」

 意に反して、私はセルトに対し膝をついた。この恐怖は、死に対する恐怖でも、痛みに対する恐怖でも、得体の知れないものに対する恐怖でもない。これは畏敬だ。忠誠心の一種。そんなものをこんな男に対して抱いてしまっている。

 この人に命令されたら姉さんさえ殺めてしまうかもしれない。

「ふむ、なかなか新鮮ではないか。そんな顔は初めて見たぞ。楽しませてくれた礼に褒めてやる」

「あ、りがとう…ございます…」

 嫌味ったらしいセリフなのに、私の心はこの方の優しさに無情の喜びを感じている。

「だが、先ほど余に対して随分と無礼な言葉を並べてくれたな?」

「申し訳ありません!!どうかお許しくださいませ!!」

 私は土下座して謝罪をしていた。

 セルト様が本気で恐ろしかった。全身がガタガタと震えて、奥歯がガタガタと鳴り、気絶しそうなほどの冷や汗が垂れ流される。これ以上責められれば失禁してしまいそうだった。

「まあよい、余は寛大である」

 セルト様にお許しいただいけて、心が歓喜した。

 何故か伯爵が吹き出したが、それに対し暗殺者育成施設の教官の前で後輩が余計な口を出した時のように、焦りと恐怖を感じた。無論、当時の比では無い。伯爵が笑ったことにセルト様が気分を害していらっしゃらないか、そのことが頭の中を埋め尽くした。

「やはり面白いなお前は。よし、早速計画を始めるとしよう。我輩の言ったことは覚えているな?」

 お願いだからそれ以上喋らないでくれ。セルト様に対してタメ口などやめてくれ……ッ!

「そうだな、こんな犬で遊んでいる場合ではないな。おい、ラム」

「ワン!!」

 セルト様が私を犬と評したのならば、其れ相応の態度を取らねば。

「ふざけるな。先ほどの命令を実行しろ」

「申し訳ありません!任を全うします。命にかけて」

 失敗は許され無い。セルト様の命令だ。

 邪魔するのなら、姉さんであろうと殺してやる。




 サインは足早に、路地裏を通って城へ向かっていた。

 ラムが本当に上からついてきているのかわからないが、実際見張られているとなるといくら妹でも気になってしまう。

 セルトはいつもこんな監視の中生活していたと言うのだろうか。普通に横を歩いてもらったほうが気が楽だと思うのだが。

 そんなことを思っていると、路地裏から本道に出る道が見えてきた。あの本道は城の正門から真っ直ぐに港につながっている道で、あそこから城に向かって歩くだけで城に到着できる。

「サイン」

 本道に出る一歩手前で、背後から自分を呼び止める声が聞こえた。

 その声の持ち主が誰であるか、すぐに気がついた。

 その声にサインは頰を赤くして、欲しかったおもちゃをプレゼントされた子供のように嬉しそうな顔をして、振り返った。

 そこにはつい昨日、出会ったばかりの女性が毅然とした態度で堂々と立っていた。

 金色の瞳と、自分の髪よりも格段に鮮やかな銀髪を二つ縛りにした女性。

 そして一瞬で自分の心を掴んできた素敵な女性。

「お姉さまッ!」

 サインはその女をお姉さまと呼び、ラムが見張っていることも忘れ、駆け寄ってその胸に飛び込んだ。

「1日ぶりですお姉さま。私…っ」

 女が人差指でサインの口を塞ぐ。

「しーっ。監視がいるのではなかったか?」

「あっ!?」

 しまったという顔で家屋の上をキョロキョロと見渡すと、女はクスクスと笑いを上げていた。

「お前の妹はいない。先ほど不審な人物を発見してその後を追っていったからな」

「……私をからかったんですか…」

 サインが拗ねるように頰を膨らませると、女はそれに対してもクスクスと笑いを上げる。

「すまない、面白かったものでな。今日はお前にお願いがあって来たのだ」

「お願いですか?なんでも仰ってください。大抵の事は出来ます。今日から王様ですから」

「ふむ、頼もしい限りだな。では、お前の妹にこう命じてくれ」

「妹に、ですか……」


「ゼリーン王国の女王、アリン女王を攫えと」


「ぇ………、アリン……殿…を?」

「ああ、お前の口から直接頼む」

 お姉さまが何を言っているのかわからなかった。

 何故アリン殿を誘拐する必要がある?

 何故それをラムにやらせる?

 お姉さまが何を考えているのかわからないが、ともかくこの私がお姉さまのお願いに対して言うべきことはただ一つだ。


「ええ、お姉さま。お断りします」


「そうか、では頼…ん……、え?」

 お姉さまが素っ頓狂な声を上げた。

 そんなお姉さまを可愛く思ったが、すぐさまお姉さまが問うてきた。

「何故私の言うことを聞かない?」

 質問というよりも独り言のようにボソリと言う。

 手のひらを見ながら眉根を寄せ、不安そうな顔を作っていた。

「お姉さまのお願いでもそれは聞けません。これ以上あの子に手を汚すような真似はさせたくありません」

 それでもわたしははっきりと言う。

 例えお姉さまに嫌われようとそれだけは聞けない。

「…………………………」

 お姉さまが私を睨みつける。


「私のお願いを聞いてくれ」


「!?っ………」

 お姉さまの声が、言葉が、脳髄に焼け付くほどの強烈な誘惑が、私の決心を揺らす。

 恐ろしい。嫌われるだけではすまない。殺されるかもしれない。殺される以上のことをされるかもしれない。

 愛しいお姉さまにそんなことをされるかもしれないと思うほどの、凄まじい『お願い』である。

 次に断ったらただではすまないと、その声色がそう語っていた。

 かつ、次の『お願い』をわたしは絶対に断らないという、地震のようなものがその目の奥にあった。


「嫌です!!」


「何………っ?」

 言ってしまった。殺される。切られる。殴られる。グチャグチャにされる。バラバラにされる。

 ………と、死を覚悟して固く目を瞑っていたが、いつまで経っても何も起こらなかった。

 何もされないまでも、せめて何か言ってくると思うのだが。

 妙だと思い、目をゆっくりと開いてゆっくりと頭を上げる。

 お姉さまは口を半開きにして、目を見開いて、心の底から驚いた顔をして私を見続けていた。

 まるで有り得ないものを見たかのような顔だ。生まれて此の方、これほどまでに感情的な表情を向けられたことは無い。

「何故だ?何故私の言うことを聞かない?」

 今度もまた、質問ではなく自分自信に問いかけるようなつぶやきだった。計算は合っているのに答えが合わない時のように。理論は完璧なのに実験に失敗したかのように。

 するとお姉さまは私に近寄り、肩を痛いぐらいの力でつかんで、言う。

「私の目を見ろ。目の奥を見ろ」

 言われた通り、お姉さまの美しい金色の目の奥を見つめる。

「もう一度言う。お願いだ。私の頼みを聞」

「何度お願いされてもダメなものはダメです」

 私ははっきりと言った。

 断言と言う言葉が最もしっくりくるであろうほどの声色と口調で、はっきりと拒絶した。

 お姉さまは二の句が継げないといった様子でショックを受けている。

 張り裂けそうなほどの罪悪感で心が悲鳴を上げるが、例え心が張り裂けてもこのお願いを了承するわけにはいかない。

「もう絶対にあの子に辛い思いはさせたくありません。ごめんなさいお姉さま。嫌いになったのならそれで構いません。もうお姉さまが二度と私の顔を見たくないと言うのなら、甘んじて受け入れます。ごめんなさい」

 そう言って、サインは踵を返して女に背を向け、路地裏から抜けて本道に出ていった。



 同士たちの中でも、この私は最も強い。

 『偽ウィッカ』の魔女どもでも、この私を超える者はいないだろう。

 この世の全生物の中で、などと驕った表現はしたくないが、少なくとも生物としては私は最強に近い。

 全生物の夢、不老不死にして不死身。その力を私は持っていた。

 全生物の夢、強靭な肉体と身体能力。それもある。

 全生物の夢、望むものを望んだままに叶える力。それだってある。

 だが今まさに、私の望みは叶えられなかった。

 確実に術にかけて『お願い』をしたのに、あの女は拒否した。

 何もかもを捨てされるほどの強烈な依存と恐怖を与えたのに、あの女はそれらをものともせずに跳ね除けた。

 どう考えても有り得ない。

 あの恐怖は人間なら発狂する一歩手前のレベル。

 あの依存性は麻薬や性的な快楽を何百倍も濃くした、人間なら廃人化する一歩手前のレベル。

 跳ね除けられるはずがない。人間ならば。

 だがどう見ても、嗅いでも、触っても、調べても、感じても、あの女は人間のはずだ。

 それほどまでに妹が大切だというのか?

 自分の感情を押し殺してまで、妹を愛しているとでもいうのか?

 それはあまりにも異常すぎる愛情ではないのか。

 家族愛や男女の愛さえ超越する異常性。

 だがそれでいて妹を独り占めしようだとか、自分が守ってあげようといった、偏執した感情には微塵も陥ることがない。

 尋常ではないエネルギーを生み出しているであろう感情に、理性の一切を失わず、ただ冷静にそのエネルギーで妹を愛し続ける、人間離れした強靭な精神力。

 恐らく発狂する恐怖や、廃人になるほどの快楽をどれだけ与えても、あの女は意見を変えないだろう。

 悲しみや痛みや幸福を与えても無駄であろう。

 家族や友人や子供を奪っても無駄であろう。

 妹のためだけに発揮される力。妹だけは何がなんでも譲らない。妹のためならば全てを捨てられる。

 まあ恐らく、妹以外の事には普通の人間と同じ反応を示してしまうだろうが。

 だがそれでも、私ですら持ち合わせていないであろう力を持つあの女に、気が付くと私の心と頭はひとつの感情に支配されていた。


 この感情に身に覚えはないが、知識と照らし合わせるとそれは私にとってとても信じられない感情だ。

 だが、


「あの女が…………欲しい………っ!!」


 どう考えても、この感情は『憧憬』であろう。

 この時の私は、恐らくかつてないほど人間くさい顔をしていたのだと思う。




 ミーミアス大聖堂

 サン・テレサ教の総本山ミーミアス大聖堂の中央に位置する聖堂に大量に並べられた椅子の一角、そこにアルノ達は静かに座して開式を待っていた。

 聖堂には大量の長椅子が並べられ、千人近い人数が座っている。

 アルノとアリン。六大文明の王達。ヨーロッパ周辺諸国の王達。ミーミアスの高官。賓客である我々の連れ。無論アナとアイとトルムの姿もある。

 王たちは自国特有の正装で出席している。婦好女王は漢服。ジョセル王はチュニックと言った風だが、特別、民族衣装と言ったものがないエルトとゼリーンの王二人は普段着用している公務用の服装だ。

 皆が皆、周囲の者と声量を抑えて静かに談笑したりして、開式までの時間を潰していた。

 ただ、静かに待っている事が出来るはずもないドレス姿のアイが、女中服のアナに絡んでいた。

「がうーッ。タイク、ツ。アナー、ソト…イキタイー」

「ダメですよー、もうすぐ始まりますからー」

「ううーっ!」

「アイちゃん静かにー」

 暇を持て余したアイがついに我慢の限界とばかりに騒ぎ始める。

 実際まだそれほど長い時間待っていた訳ではないのだが、子供のアイにはきつかった。

 聖堂全体に響くほどの騒ぎに当然のごとくアルノがため息を吐いた。

「やっぱりアイには無理か………。もう我慢が保たなくなった」

「一応出席しておくべきかと思ったのですけれど、やっぱりやめておいた方が良さそうですわね」

 アルノが後席のアナに目でコンタクトを取り、当然のようにアナが察した。

「わかりましたーアイちゃんー、一緒にお外行きましょー」

「イイノ!?」

 外に出る許可を貰ったアイが嬉しそうに笑顔を見せた。

 アナはアイを連れて退出して行った。


「あの子を出席させる必要があったのかい?」

 アナとアイの出て行った扉から振り返ると、ジョセルがそう問いかけて来た。

「出席させる事よりも、目を離したく無かったのさ」

 アナから昨日あった事を聞かせてもらったが、どうやらアイは元々ミーミアスの人間で、セルトに追われエルトまで逃げ延びて魔獣になった可能性が高いらしい。

 サソリ女ことキネアという女性がセルトの悪政に耐えかね立ち上がったと言う時点できな臭いものを感じる。

 セルトは確かにあれだったが、ミーミアスで悪政らしい悪政は特に見受けられない。そもそもイネミス殿とエルル三世がいるのだから、セルトが好き勝手に法を弄れる訳がない。

 つまり、悪政に立ち上げるという建前で、キネアはセルトの何か別の悪事を追求しようとしたのだろう。

 そしてセルトにバレて消されそうになり、アイを連れてエルトまで逃げてきた。

 そして偶然か必然か宝具によって魔獣にされてしまった。

 だが奴隷船に載せられそうになっていた少女の話によるとアイの容姿は人間だった頃とほとんど変わっていないらしい。

 つまり見る者が見ればアイが人間であった頃のカタリアだと言う事がバレてしまうという事である。

 セルトは気づかなかったようだが、セルトの命令でキネアを追っていた手下どもが勘づく可能性は十分ある。

 打ち解けているとは言えまだ不安定なアイの立場をこれ以上悪くするのはマズイ。

 と、そこまでジョセルに説明する。

 するとリチャードが会話に割って入って来る。

「なるほどなぁ、宝具はやはり人間にも影響があるわけか。だがセルトは死んだんだろぅ?頭のいなくなった連中がアイを狙ってやってくるたぁ思えねえがぁ?」

「本当にセルトが死んだと思っているわけじゃないだろう?今日の未明に投獄されて、今日の朝に原因不明の火災で屍体も残らずに焼け死んだなんて、ただの偶然な訳がないだろう」

 絶対に何者かの手があったはずだ。

 そもそも未明に投獄されてその日の朝に脱獄を決行するなんて尋常ではない情報の早さと行動力だ。

 セルトを殺すために火を放った可能性もあるが、セルトの部下にしろ別の組織にしろ、かなり大きな力と規模を持っているのは確実だ。

「へぇ、だがそうだとしてもよぉ、セルトが投獄されて助け出すまでの時間がいくら何でも早すぎはしねぇか?」

「………そう言われればそうだな、監獄の内装の調査や高温を発生させる化学物質の用意を考えても、いくら何でも準備が良すぎ……る。いや………事前に準備していた?」

「セルトが投獄される事を知っていたのはイネミス殿とエルル三世だけだよなぁ?俺たちはイネミス殿が言った『セルトをシベリア送りにする』とい冗談を鵜呑みにしていたんだからよぉ」

「つまり、イネミス殿かエルル三世がセルトの脱獄を手引きしたとでも?」

「まさかぁ、あの二人は根っからの真面目君で、サン・テレサの敬虔な信徒だぜぇ?セルトの肩を持つと思うかぁ?」

「あの賢しい二人が犯人だとしたら、自分たちに疑いが向くような雑な隠蔽工作はしないだろう」

「裏かいてそれが狙いという可能性はあるが、俺たち相手にはリスキーだろうなぁ」

「他の六大文明の王たちがそんな真似するとも思えないしな」

 我ら、『『本物の血の王』がそんな過ちを繰り返すような真似』をするわけがない。

「では密偵か?」

「もしくは、魔女どものよぅな超常の力を持った集団だ」

「……ほぉ……へぇ……」

「あぁ、………なんつぅか……」

 その仮説に達して余計話がややこしくなったため頭を抱えて面倒くさそうな顔をする二人。

「何やってますの………」

「そう結論を急ぐでない、相手が何者であろうと想定される全てに対して警戒すればいいだけのことじゃろう」

「サイン殿の晴れの舞台でそんな難しい顔をするでない」

「情報が少ない現状、考える範囲がデカくなるだけだよ」

「情報はどんどん舞い込んでくるのに謎が増えるばかりで中々解決しないのが正解アルが」

 婦好が頭がハゲあがりそうな事をいう。朝、寝癖を直していたら若干抜け毛が多かったアルノが更にため息を吐いた。


 カラーン カラーン


 祭壇の上の大時計の小さな鐘が小さく鳴った。

 その音を聞いて、場に着席していた全ての人間がその居住まいを正す。

 テラスのカーテンが開かれて、ステンドグラスに照らされた祭壇が色鮮やかに染まる。

 祭壇の正面にある大きな扉が物々しく開く。

 そこに現れたのは水晶の嵌められた短い杖を持った小さな教皇様、エルル三世。

 一歩一歩を踏みしめるようにゆっくりと祭壇に向かって歩き出す。

 祭壇の前まで来ると杖を捧げるように持ち、一礼。杖を祭壇の台の上に置き、祭壇を背にして振り返る。

 そして開けっ放しだった扉から大勢の人間が入ってくるのを感じた。

 感じたと言うのは、これから即位する王が入室する場面を見てはいけないというサン・テレサ教の教えだ。

 王の顔を目にするのはあの杖を手に持ち、我々出席者に向かって宣誓をする時でなければならないらしい。

 アルノ達最前列に座る王たちの席の隣を通過し、大勢の足音の正体がわかった。

 真っ白なドレスを着てベールで顔を隠したサイン。その後ろでサインの長いドレスの裾を持ち上げた白い修道服の少女が二人。その後ろに白い甲冑の騎士を二人従えた真っ赤なマントのイネミス。最後に2列で規則正しく進行してくる白い修道服姿の男女。

 サインが祭壇のエルル三世の前で立ち止まった。


「それではこれより、第45代ミーミアス皇帝 戴冠式を執り行います」

続く

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