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Blood of Clan  作者: 見崎 桃父
第1章 始まり
2/10

魔獣の襲撃

 エルト王国城 国王の執務室


 王国まで連行されたアルノは3人に責められていた。

「よくもまあ、毎度毎度あの手この手で我々の監視をくぐりぬけて公務をほったらかして遊びに行けるもんですね陛下」

 一人はアルノを連行したエルト王国軍最高指揮官 トロン将軍

「そもそもよくゼリーン王国のアリン陛下の来訪の予定を、綺麗さっぱり頭から忘れ去れるものですな」

 一人は王国の第2位 エゼル大臣

「アルノ様ー、今日の晩餐は庭先での予定でしたが、天候が悪いので大食堂で行われる事になりましたがー、よろしいですかー?」

 眠くなるようなゆったりした喋り方をするこの女中頭 アナ

「アナ、今はそんな話をしている場合では…」

「ですがすでにアリン女王をかなりお待たせしていますしー、お腹が減ったと先ほどから女王陛下がー」

「そうかそれはいけない。おい大臣、将軍何をしている早く晩餐の準備をしろ。女王を待たせるな」

「陛下っ!!」

「じゃ、俺は女王に詫びいれてくるから用意ができたら呼んでくれ」

 うまい具合に逃げる口上が出てきたので、すたこらさっさと執務室から出て行くアルノ。

 エルト国王は女王を待たせているであろう客間へスキップで駆けて行った。




「んっもーーーっ!!いい加減お腹が空きましたわっ!!」

 エルト王国城の客間にうら若き乙女の幼い悲鳴が鳴り響いた。

 ゼリーン王国 第402代目国王 アリン女王陛下

 王位を継いでまだ1年も経っていない新米女王はお淑やかさをかなぐり捨てて空腹を訴えていた。

 長い金髪が乱れるほどベッドの上で跳ねて駄々をこねる。

「女王陛下、王にあるまじき情けない声発するのはお止め下さいませ。それとお召し物に皺が…」

 女王の付き人 トルムがアリンを叱責する。

「ふん、友好国の女王をここまで待たせる失礼な態度をとられているのですから、こちらもそれ相応の態度をとっても文句を言われる筋合いはありませんわ」

「若干筋が通っているようなことを言わないでください、反応に困ります」

この「正論?」と思わせる言動はいつものことだ。


コンコン と客間の扉がノックされた

「よう、アリン女王。元気してたか?」

 来室してきたのはこの国の国王アルノ陛下だった。


「キャーーーーーーーーッ!!!陛下ーーーーッ!!!お会いしとうございましたわーーーーーっ!!!」


 アリンがアルノの懐へ突撃兵もかくやという突進力で突っ込んでいった。

「おっと、落ち着けアリン。久しぶりだな。」

「陛下もお元気そうでなによりですわ!」

「申し訳ありません国王陛下」

「何、気にするな」

 アリンと会う時はいつもの事だ。

「待たせて悪かったな、森で変な奴に出会ってな」

「変な奴?」

「ああ、黒いローブの男でな、森に魔獣?魔物?がいるとかなんとかおかしなことを言っていたな」

「へぇ?変な方もいらっしゃたものですわね」

 コンコンと、またも扉がノックされた

「失礼しますー。女王陛下ー、大変お待たせ致しましたー。お食事の用意が出来ましたので食堂までご案内致しますー」

「あらそう、それではお願いするわ」

 一瞬で女王の佇まいに戻ったアリンのお腹が鳴ったのを誰一人として聞き逃さなかった。




「だから言ったんだ、自前の貿易船を持てってな。民間の船団じゃヴァイキングには勝てないからな。それが嫌なら傭兵でも雇うしかないな」

「嫌ですわ傭兵なんて、余計信頼できませんわ」

「じゃあ自軍に輸送船警護部隊を編成したらどうだ?」

「それ余計出費が出ますわ…」


 エルト城 大食堂にて、両国のトップたちが一堂に会して晩餐会が開かれていた。

 アルノ国王が座っている場所は大食堂の最奥だが、アリン女王はその隣。つまりアルノが上座でアリンが次席に座っている。来訪客であり、友好国の女王であるアリンを次席に座らせるなどありえないのだが、これはアリンがアルノの隣がいいとわがままを言ったためだ。

「相変わらず慈善事業にご執心のようだな」

「ご執心なんて言いかた…、王として当然のことをしているまでですわ」

「今月孤児院いくつ建てた?」

「3軒ですわ」

「そんな金あるなら軍艦でも作れ、国民は貧困層の住民だけじゃないんだぞ」

「わかってますわよ」

 二人は会うといつも国の政策の話をする。かたや仕事は優秀なのに仕事しないアルノは先輩風を吹かせながら。かたや仕事はするけど全く仕事ができないアリンは頰をふくらませながら。

 そこでいつものパターンに入っている二人に割って入る者がいた。

「あ、そういえばアルノ陛下、最近教会から使者が訪ねてきたりしませんでしたか?」

 ゼリーン王国の大臣が、アルノの興味を引く質問を投げかけた。

「………、というと?」

「あ、いえ。先週、教会の使者を名乗る者が訪れてきましてな、なにやら教会を追放された異端者がこちらの方面に逃げてきたらしく、似顔絵を置いていくから見かけたら生け捕りにしてくれと頼まれましてな」

 追放者?さてはあの黒フードがそいつだったのではないだろうか?とアルノは疑念を抱いたが、そんな男が教皇の書簡など持ち歩いている訳がない。おそらく別の人間だろう。

「他には何か言われなかったか?何か頼まれたとか」

「はい?いいえ、特には。何か気になる事でも?」

「いや何でもない」

 魔獣退治なんて馬鹿げた話をしても俺が心配されるだけだしな…。

「陛下!」

 アルノがお茶を濁した時、近衛兵が食堂に大慌てで駆け込んできた。

「なんだ客の前で騒々しい」

「お耳を!」

 近衛兵がアルノに耳打ちをした。

「………本当か?」

「西門の方へ、お急ぎを」

「アルノ陛下?なにがありましたの?」

 席から立ち上がったアルノを心配そうにアリンが見上げる。

「心配するな、すぐに戻る。城から出るなよ。将軍!大臣!一緒に来い」

 アルノは将軍と大臣を引き連れて、食堂から出て行った。




 城下町を西に抜けた先に大河がある。その大河をまたぐようにして巨大な石造りの橋が架けられており、その橋と町の境に、これもまた石造りの門が堂々と建てられている。

 が、その門は今、役をなしていなかった。

 本来、扉を橋側に開かなければならないのだが、扉は今は町側へ向かって開かれている。否、破られている。

 金具がグチャグチャにひしゃげ、両開きの扉の片側はもう修復することができないほどに折れ曲がってしまっている。

 そして門周辺の民家はほとんどが倒壊し、崩れた家の中から取り残された住民の助けを求める声が響く。

 道には人間の体の一部らしき肉片が散らばり、かろうじて原型を残した肉も部位と呼べるものしか残っていない。

 人間を食い散らかしたようなこの惨状を見て、明らかに人間ではない、尋常ではない生物の仕業だと、アルノとともにやってきた者達は思った。

「オリオン隊、まだ息のある住民を救助しろ、動ける者は中央広場まで避難させるんだ。アルタイル隊は橋の警備を固めろ。デネブ隊は周辺を捜索し、犯人が隠れていないか警戒しろ。将軍、北門と東門の警備を強化、港もだ。急げ!!」

「「「はっ!!」」」

 アルノが衛兵たちに的確に指示を飛ばす。

「大臣、城に戻って女王の身辺警護を強化するように伝えろ。そのあと町に2号警鐘を鳴らせ。」

「外出禁止令ですか?武装待機令のほうが…」

「おそらく相手は人間じゃない、急げ」

「はっ」

 大臣が大急ぎで城へ向けて馬を駆けた。



 近衛兵の報告は西門が破られたという報告だった。

 だがいざ現場へやってきて、悲鳴と砂煙があがっているのを見て、アルノは嫌な予感がしていた。

『魔獣』、その言葉が頭からこびりついて離れない。

 付近の住民が避難、救助し終わったあと、アルノは中央広場で住民から話を聞いていた。

「急に大きな音がして…、門が吹き飛んだと思ったら、真っ黒い化け物が突っ込んできたんです…。男共で家族を守ろうと立ち向かったんですが…、まるで歯が立たなくて…」

 彼の話を聞いてアルノは確信した。『魔獣』だ。『魔獣』の仕業だ。

 あの黒フードの言ったことは本当だった。

「将軍、城に戻る。衛兵の中から選りすぐりの兵士をかき集めておけ」

「陛下?なにをなさるおつもりですか?」

「狩りさ」




 翌日 エルト城 中庭

 大きな弓を担いだアルノが仁王立ちで、兵士たちを前に大声を張り上げていた。

「任務内容は聞いての通りだ。エルト、ゼリーンの両部隊を森全体に展開し、敵生物を捜索し、殲滅、あわよくば生け捕りにする。生け捕りは機会がきたらでいい。殲滅することが主目的だ無理に生け捕りにする必要は無い。」

 エルト、ゼリーン両国の兵を集めて編成した総勢500名の大部隊。

 昨日の襲撃の後、アルノはすぐさま魔獣の討伐作戦を提案した。

 両国で話し合った結果、即刻作戦を決行に移すという運びになった。

「魔獣の容姿は黒く、巨大であるという情報しかないが、ともかく見慣れぬ生物を見つけたらすぐに報告しろ。」

 魔獣討伐部隊は襲撃された西門からその先の森へ向けて出撃した。


 西の森

 森に到着し、すぐさま作戦通りに森全体に部隊を配置した。

 森に対してできるだけ平行に展開し、森全体をくまなく探す作戦だ。

 そしてアルノはつい昨日も遊びに来ていた森の異変にすぐに気がついた。

(野生動物の気配が全く無い。人間が大勢攻め込んできたからだとしても、野鳥の鳴き声すら聞こえないなんて妙だ。)

「陛下、左方の部隊が木々の荒らされた箇所と足跡を発見しました」

「よし、すぐに向かう」

 アルノの部隊を中心とし、何か発見した際はすぐにアルノに報告できるようにわかりやすい部隊配置になっている。

 報告のあった場所まで行くと報告通り、巨大な木々が派手に荒らされており、なにかの生物の足跡も確認できた。

 そして何より、多くの動物の死骸が転がっている。

 食われた様子はなく、どうみても気晴らしに殺戮されたようにしか見えない。

「どうやらかなり趣味が悪いようだな」

「ですな、少し死体で遊んだ様子もあります。かなり知性が高いようですな」

 トロン将軍は冷や汗をたらしながら答えた。

「この先にいるな。行くぞ!」

「はっ。陛下ところで」

「………、ん?なんだ?続けろ」

 アルノが振り返ると、口籠ったトロン将軍の頭が血しぶきを撒き散らしながら宙を舞っていた。


「は?」


 首から上をなくしたトロン将軍がその場に崩れ落ちた。

「しょ、将軍!?」

「うわああぁぁ!?なんだ!?どこから攻撃された!?」

「伏せろ!!伏せろ!!首を刎ねられるぞ!!」

 随伴の兵士が急すぎる出来事に取り乱した。

「落ち着け!!陣形を組み直せ!!正面を警戒しつつ後退する!!」

 アルノは冷静に兵士たちに指示を出したが………、遅かった。

 言い終わるころには新たに一人、兵士の首が飛んだ。

 兵士の首の飛んだ方向が、将軍の首の飛んだ方向と反対だった。

 ゆえに、逃げ道を塞がれた兵士の混乱が頂点に達する。

 (まずい!!指揮が取れる状況じゃない!!それに敵の位置がわからない!二匹以上いるのか!?それとも凄まじい速度で動いているのか!?)

 アルノも少なからず混乱していたが、嗜んでいるだけとはいえそこは狩人である。すぐに冷静になって心を落ち着かせ、なぎ倒された木と木の間に体を滑り込ませた。この森の木々は巨木だ。横倒しになっていても人が中腰で隠れられるぐらいの太さがある。兵士たちにも隠れるよう指示したが、指示に従えたのは3人、残りの10人余りの兵士たちは首から上をなくしていた。

「へ、陛下。ど、どうかご指示を…。私は何をすればいいのかわかりませんっ…!」

「陛下…」

「陛下っ……!」

「落ち着け。狩る側から狩られる側に回ってしまったが、これは狩猟だ。冷静になるのはどちらの側でも同じ」

「は、はい」

 かといって、なにか策が思いつくわけではない。が、気づいたことがある。数十人の兵士の首を取られたが、畳み掛けるように殺されたものだから気がついた。その首の飛ぶ方向が自分たちを中心に右回りにグルリと回転していた。

つまり敵は位置を悟られたくないからか、大勢いると見せかけたいのかはわからないが、俺たちの周囲を高速で移動しながら人間の首を刎ね飛ばすなにかを発射しているのだ。

 つまり敵は一匹だろう。ならば勝機はある。

「そこに兵士の首が転がっているな」

「は、はい」

「切り口に剣をさして高く掲げろ。切られた首元が相手に見えないように、木から顔をのぞかせているかのようにな」

「ええ!?し、しかし!?」

「やれ、命令だ」

「………はい!」

 兵士が首の切り口に剣を突き立て、首元が見えないように顔をのぞかせた。

「………」

「………」

 ザンっ!と首の額から上が切り取られた。

 最初に将軍の首が刎ねられた方向と同じだ。

「そこか!!」

 アルノは立ち上がって、あらかじめ構えていた弓で姿の見えない敵を射った。


 ギイイイイィィィアアアアアアアアアアァァァァ!!!!!!!


 この世のものとは思えない強烈な異音。

 弓を射たあとすぐに身を隠したので、どこに命中したかわからなかったが、よほど痛い急所に当たったのだろう。

「さすがです!陛下!!」

「お見事!!」

「まあな」

 毎日毎日狩りと弓の練習がてら森へ来ているのだ。仕事をサボって。

 それにこの弓は特注品だ。象でも吊り下がることができるぐらい弦が重いのだ。本気で引けば熊の胴程度ならを貫通するし、人間なら臓物が吹き飛ぶ程の強さだ。狙撃技術も暗殺者並み。弓を引く腕力はゴリラ以上と言われたくらいだ。ちなみにゴリラ云々の失礼な物言いは女中頭のアナだ。

「………鳴き声が遠ざかって行った、もう大丈夫だろう」

 と立ち上がったアルノは、殺された兵士の惨状を確認しようと振り返った………その先に、


「がう?」


 化け物がいた。体格は人間のようだが、全身が狼のように美しい体毛で覆われており、その体をさらに覆い隠すように長い髪を、地面を擦るように引きづり、さらには尻からピョコンと生えた尻尾をフリフリと振りながら、四つん這いの姿勢で、アルノの顔を「あれ?いたの?」みたいな表情で動きを止めていた。

「うおおおお!?」

 倒木の間から飛び上がって弓を構えたアルノを、敵対者だと思った毛むくじゃらの化け物は、敵愾心と牙を剥き出しにしてアルノを睨みつけた。

(え!?こいつ………さっきのやつか!?戻ってきたのか!?………いや違うはずだ、弓に射られた傷は見当たらないし、弓を構えるまでのんきな顔をしていた………、じゃあこいつはなんだ?どこからどう見ても人間じゃあないっ!さっきの奴の仲間か!?いやしかし、だとしたら俺があいつを攻撃したのは見ていたはず、それこそのんきな顔をするはずが………っ!)

「陛下?どうかしましたか?」

 またもやのんきな顔をした奴が倒木の間から顔をのぞかせた。

「う、うわ!?」

「化けもんだっ!?」

「まだいやがったのか!?」

 やめろさわぐな…っ、余計こいつを刺激してしまうだろうが…っ!

「があああああああっ!!」

 化け物がアルノに向かって飛びかかってきた。

「っ!!…しまっ……っ!」

「………っが!?」

「え?」

 生け捕りのために持ってきていた網が、化け物を捕らえていた。

「陛下!ご無事ですか!?」

「大臣……、ああ、俺は平気だ」

 あれ?こいつ城に残してきたはずだぞ?つーかどっから出てきてどうやって網でつかまえたんだこの元暗殺者。

「いやはは、なんだか昔の血が騒ぎましてな」

「このおっさんは………」とアルノが呆れた。

「しかし、随分と派手にやられましたな………この化け物、とんでもない脅威ですな」

「あ?いや、これをやったのは他のやつだ。そいつじゃあねえよ」

「え?他にも化け物がいると!?」

「ああ」

 本当の脅威は逃げていった奴だ。あれでこの森からいなくなってくれればいいが………、とアルノが黙考していると、

「この化け物め……っ!仲間を大勢殺しやがって!!」

 衛兵たちが網に囚われた化け物を囲って怒号をあげていた。中には化け物を蹴り出す輩もいた。

「おいやめろ!!やったのはそいつじゃない!!つーか不用意に近ずくんじゃないっ!!」

「陛下!?」

「しかしこいつは!」

「違うそいつじゃあない、俺が獲物を間違えたりするものか。それ以前にとどめをさしていない獲物にのんきに近ずくんじゃない!」

「は、はい!!」

「して、陛下。この怪物いかがしますか?仰った通り、とどめを?」

「いや、せっかく生け捕りにしたんだ。連れて帰るぞ」

 アルノが化け物を手刀で気絶させて網ごと肩に担いだ。

「賢明とは言えませんが…、言っても聞かないんでしょうな………」

「あったりまえだろうが、………あれ?こいつメスだ」

「どこ見とるんですか………」




「てなわけで、こいつの毛、剃っといて。必要最低限でいいから」

「髪を切ってー、毛を切り揃えて毛並みを整えてー、体を洗えばよろしいでしょうかー?」

「お、おう。それでいいよ」

 エルト城 物置

 埃をかぶっていた物置部屋に、アルノ、アリン、エゼル大臣、女中頭アナ、付き人トルム、十数人の衛兵、そして捕らえた化け物。

 化け物があまりにも毛が多いので体毛を整えることになったのだ。

「それでー?よくこんなのを保護する気になりましたねー、陛下ー」

「そいつが襲撃した奴かはわからないが、兵士たちを皆殺しにした奴じゃあない。攻撃方法と残虐性から考えても、襲撃と皆殺しは同一の奴だろうから、そいつは多分何にも関係ないと思うぞ。」

「ではなぜ生け捕りにー?」

「そいつが無実だとしても化け物なのは変わらないだろう。生態がわからない以上、俺たちで保護しておくべきだ」

「この化け物も暴れて人を襲わないとは限らないと言う事ですわね」

「そうだ」

 この場の全員が納得し、頷く。アルノの言っていることは正論だ。たとえこの化け物がただの野生動物だとしても、希少な動物であり、保護するのは当然だ。あのまま野放しにしておく理由はない。

「それではまあー、始めましょうかー………あれ?」

 アナが剃毛を始め、顔の辺りを剃ったところで、動きを止めた。

「どうした?」

「いえー、この子以外と可愛い顔していたものでー、というか毛を剃ったら人間にしか見えないぐらい可愛いですよー」

「はっ、どんなに可愛くたって化け物は化け物……、うわまじかわいい」

 アルノが一瞬で手のひらを返した。

「へいか?」

 アリンが嫉妬と侮蔑を混ぜた目でアルノを睨みつける。

「アリン、女王にあるまじき目つきをしてるぞ。いいからちょっと見てみろって」

「ふん、どんなに可愛くったって私のほうが可愛いに決まって……、あら私よりかわいいですわ」

 アリンがナルシスト発言を撤回させて手のひらを返した。

「これー、もう全身剃っちゃってもいいんじゃないですかねー?」

 全身剃ったら毛を剃られた羊みたいになるんじゃないかと思い、トリミングという形にしようとしていたアルノは指示を変更する。

「よし、人間のように必要な毛だけ残して全部剃っちまえ」

「はーい」

 アナが全身ツルツルになるよう毛を剃り始める。

「よく見ると頭蓋骨の形が人間と同じだな、もしかして言葉も覚えられるんじゃないか?」

「陛下が女の子を自分好みに調教するつもりですわ………」

「人聞きの悪い。アナ、終わったら服着せて俺のところへ連れてこい」

「はーい」

 アルノが物置から出ようとした時、


「あっ陰毛はどうしましょうかー」


 アルノが開きかけていた扉に思いっきり肩をぶつけた。

「………鎖骨が折れるかと思った……、何、陰毛!?」

「はいー必要な毛ですかー?陛下にとって」

「俺にとって!?そいつの陰毛がどう俺の役に立つわけ!?」

「陛下好みに染めるのでしょうー?」

「染めないから!真に受けんな!いらねえよそんな気遣い!!」

「ああ、ではいらないということでー」

「え?いや陰毛がいらないって言ってるんじゃなくて………」

「いるんですかー?」

「え?」

「どうしますー?」

 え?待ってこの顔は可愛い女の子であるこいつの陰毛の有無を俺が決めるの?どう答えても変態扱いされるだけやん。

 と、アルノが頭と心から血の気が引いていく感覚を覚えていると、

「そういえば陛下、前にどこぞから輸入してきたスフィンクス?とかいう毛のない猫飼っていらっしゃいましたわよね?」

「え?いやあれ完全に毛がないわけじゃ………」

「じゃあ剃るという事でー?」

「いやちょ………」




「あの、陛下。陛下がそちらの方が好みなら私、毛ぐらいいくらでも剃…」

「蹴っ飛ばすぞお前」

 玉座の間へ向かう途中、お馬鹿のアリンが紅潮しながらチラチラとアルノ横顔を伺う。

 勢いにまかせて「………もういいよ剃れよ!」と言ってしまい、まわりにいた兵士どもから「うんうんわかりますよ陛下、憧れますよね?」みたいな顔で頷かれたのだ。あいつら全員減俸。

「まあ下の毛はともかくだ………」

「下の毛だけにそっちのけ、ですわね」

「あ?」

「いえなんでもありませんわ」

「あの化け物の処遇をどうするかだ」

「調教云々はともかく、飼育……、養育?してみてはいかがですの?本当に言葉でも教えてみては?」

「まあ、あいつの出方次第だな。害意があるなら閉じ込めることになるし、でなければ人間として接してみよう」

 実際、あいつは連れて来てからずっと眠ってもらっているが、目が覚めたら絶対怒るだろう。勝手に毛剃っちゃったし…。

「陛下ーーっ!」

 廊下の向こうから衛兵がアルノを呼ぶ声が響く。

「お前は本当いつも騒がしいな」

 襲撃があった時に食堂に駆け込んできた兵士である。

「あ、いえ。なぜかいつも私が使いっ走りにされるもので……。いえそれはともかく、教会の使者を名乗る者がいらっしゃってます」

「はあ?教会の使者?」

 黒フードの男だろうか?




 違った。

 エルト城 玉座の間に案内されてきた教会の使者とやらは、黒フードの男ではなかった。

 教会の使者さんは二人。白く、分厚い同じマントを羽織った壮年の男たちだ。

「で?教会の使者さんが一体なんのご用で?」

「エ、エルト国王?なにやらご機嫌斜めのご様子ですが?」

「魔獣の討伐を依頼しておいて、うちが襲撃されても兵士が皆殺しにされても一向に姿を見せないおたくの関係者にイライラしているだけさ」

 アルノは玉座に肘をついて足を組み、責めるような視線を使者に送っていた。

「我々の関係者ですか?貴国への使者は我々が一番最初のはずなのですが……」

「はん?教会の関係者を名乗る黒フードの男が教皇からの書簡を俺に渡していったぞ?」

 アルノの言葉を聞いて使者は目を見開いた。

「教皇からの書簡ですと!?そんなはずは……」

「ここいらに出没する魔獣を討伐してくれとの話だったが…、教会の人間じゃなかったのか?」

 まあ、白を象徴するサン・テレサ教の人間が黒フードを被っている時点で妙だとは思っていたが………。

「もしかしたら先日教会を追放されたものかもしれません、教皇の書簡は専属の者が届ける仕組みになっていますので、おそらくその書簡は偽物かと」

「俺が教皇の印を見間違える男に見えるのか?」

 アルノは懐からその書簡を取り出し、使者に投げ渡した。

「………これは確かに教皇様の印。しかし………」

「まあ、黒フードの男が何者かは別にどうだっていい。それよりもあんたたちだ、一体何の用でエルトへ?」

「ええ、教会から追放された者がこちらの方面に逃げて行ったという情報がありまして」

「は?追放した奴を探してるのか?」

「ええ、修道女の女児を連れていまして。女児は公には誘拐されたことになっているので」

「公にはって事は、本当は自分から付いて行ったのか?」

「その可能性があるとのことです」

 その言い方から、どうやら使者たちは詳しい話は聞かされていないらしい。

 教会は相変わらずの秘密主義のようだ。

「まあ、協力はしてやるが、その追放者の容姿だけでも教えてくれ」

「ええ、黒髪で顔色の悪い女です。女児の方は11歳の金髪で、口がきけません」

「わかった、見かけたら拘束するように兵士たちに伝えておこう」

「ありがとうございます。ところでもうひとつお願いがあるのですが……」

「まだあるの……?」

「す、すいません。ええっと、貴国での布教活動の許可を頂けませんか?」

「………別に構わないが、無駄だと思うぞ。うちの連中は現実主義だからな。変な目で見られるだけだぞ」

「そ、そうですか。ではやめておきます」

 この根性のないところも教会らしい。大国をひとつ丸々運営し、大陸の周辺諸国の国々を入信させるほどの一大宗教だが、どうも根性なしの上優柔不断で、こういうところが我々北方の大陸の人間には性にあわないのだ。




 隣国の女王が来訪しているため、安全上の問題で使者たちを城に泊めてやるわけにもいかず、近場の良い宿を紹介し、見送った後、アルノとアリンは再び物置へやって来ていた。

「随分と時間がかかりますわね。大丈夫かしら?」

「まあ、アナは元精鋭部隊の隊長だからな。何かあっても問題ないと思うが………」

 二人が物置の前まで到着すると………、

「がううるるるるるっ!!がうっっっ!!がああああっ!!」

「暴れないでくださいーーーっ!!ちょっと綺麗にするだけですからーーっ!!」

 扉の外まで格闘の雄叫びが漏れ聞こえてきた。

「やっぱりな」

「やっぱりですわ」

 呆れ半分で二人は物置の扉を開いた。

「ぐっ!?がああああああああっ!!!」

 全身の毛を剃られ、髪をセミショートに切られ、人間の女の子みたいな姿になった化け物(ただし耳の位置は人間だがエルフのように長くフサフサしており、お尻からは尻尾が生えている)が、アルノの顔を見るなり叫び声をさらに張り上げて牙を剥いた。

「あら、随分綺麗になりましたわね」

「おい、尻の傷どうした?」

 化け物の臀部にざっくりと切られた傷があった。何気に出血が多い。早めに治療したほうがいいぐらいの怪我だ。

「申し訳ありませんー。急に目を醒まして暴れ出しましてー、そしたら刃がざっくりといってしまってー、治療するために消毒液をかけたらー、しみたのかもっと暴れ出しましてー」

「でしょうよ」

 寝てる間に全身刈り上げられて傷を負わされた上に消毒液なんてかけられたら拷問されてるのかと思うだろう。

「うぅぅぅがぁぁぁぁぁっっ!!」

 化け物がアナの拘束を抜けてアルノへ飛びかかってきた。

「きゃっ!?」

「っふ!!」

「うぐぁっ!?…………、うう、あ」

 飛びかかってきた化け物に、アルノはその鼻っ柱に掌底を食らわせた。

 鼻は大抵の動物が弱点だ。が、少し力を入れすぎたようで、化け物は鼻をおさえて悶えていた。どうやら鼻血も出ているようだ。

「おっと?強すぎたか。アナ」

「はいー陛下ー」

 アナは部下4人に化け物の手足を抑えさせ、布で化け物の鼻血を拭く。

「ううっ、ぐう……?」

「あららー、結構出血が多いですねー。ちょっと涙ぐんでるじゃないですかー。陛下ー、女の子は大切にしないとダメですよー」

「いいから早く手当して服を着せろ」

 アナが化け物の尻の傷と鼻血の手当をしてから、物置に保管されていた古着の中から比較的綺麗で、化け物にあったサイズのものを引っ張り出し、手際よく着替えさせた。

「ところで、この子の名前はどうしますの?」

「名前?それもそうだな。いつまでも化け物とは呼んでいるのは混乱するしな」

 化け物ならもう一匹凶悪な奴がいるうえ、そもそも人前で化け物などと呼べやしない。何も知らない国民に変な誤解を与えかねない。

「そうだな………。アリン、何か一文字言え」

「一文字?というと『あ』とか『い』とかですの?」

「よし、名前決まった。そいつの名前アイな」

「はい!?」

「おい、化け物。お前の名前はアイだ。いいな?」

「ガアッ!!」

「違う。アイだ」

「ガッ…グ?……ア………イ?」

「おっ、喋れるじゃん。やっぱ知能は人間くらいあるな」

 これならすぐに会話ができるようになるだろう。

 アルノが持って来ていたウサギのジャーキーを懐から取り出し、皮袋から取り出し、アイに与えようとした。

 が、そのアルノに矢を向けられ眠らされ丸刈りにされ鼻っ柱を殴られたアイは、アルノに対してかなりの警戒心と敵愾心を抱いしまい、ジャーキーを受け取ろうとしない。

「ったく、わかったよ。殴ったのは悪かったって、許してくれ」

 詫びをいれたアルノに、謝罪されたとわかったのかアイはそろそろとアルノに近寄りジャーキーをひったくってガジガジと噛み始めた。

「謝られたとわかったんですわね」

「信じてくれるのは嬉しいが素直すぎて逆にこっちが心配になってくる」

 自然界で暮らしていた割には随分と素直だ。

「とりあえず執務室まで一緒に来い」

「がう」




 翌日

 エルト城 中央広場 魔獣襲撃の際、住民を一時避難させた場所だ。

 その広場の中央に位置する噴水があるのだが、今日は水の勢いがいつもよりもかなり弱かった。

 そのことについて、二人の兵士が噴水下の地下水路に潜り込み、原因の調査を行っていた。

「水の流れに異常はありませんね。活塞器の問題でしょうか?」

「何か詰まったのではないかな?行ってみよう?」

 活塞とはピストンのことで、噴水は地下水路を通る水の流れを水車からピストン運動に変換しているので、原因は恐らく水車に何かが詰まったのだろう。

「あれですね、やっぱり水車の動きが鈍いですね」

 大人の背丈よりも大きい水車がギリギリと音を立ててガクガクと回転していた。

「何が引っかかっている?」

「ええと………、うわっ!?」

「どうした!?」

「こ、こ、こ、これっ!!」

「ん!?こいつは!?」

 水車と水路に挟まれて水の底に沈んでいたのはつい昨日、エルト城でアルノ国王に謁見していた教会の使者の一人だった。




「はあ?使者が?」

「はい、なにやら胴を刺し貫かれたような傷跡があったとか」

「殺人か?」

「いえ、凄まじい傷で、大きな爪に貫かれたような跡であったと」

 執務室にて、アルノは大臣から使者の一人が水車の下で死んでいたという報告を受けていた。

「爪?まさか襲撃犯のあいつじゃないだろうな?」

 あれだけ首を刎ねるなんて派手な殺し方をしていた奴が爪で貫くなどという単純な殺し方するだろうか?

「いや今重要なのはそこではないな。まさかあいつが国の地下水路に潜り込んだなんて言わないだろうな?」

「その可能性があります」

「嘘だろ………」

 地下水路の水は街に隣接する大河から引いているが、侵入防止のために頑丈な防壁と凶悪なトラップが仕掛けてあるのだが、それを突破されたのだろうか?

「国民に水路に近ずくなと通達しろ。兵士を集めてすぐに水路を掃除する」

「はっ」

「がーー、う?」

 隣のアルノの寝室からアイが寝ぼけ眼で起き出してきた。

「おはよう、昨日はアリンにしごかれたな」

 昨日、執務室でアリンにこれからの生活について散々しつけられていた。

 人間を攻撃しない事と、トイレの場所と仕方についてだ。

 そして疲れて勝手にアルノのベッドで眠っていた。

「………アイ、狩りに行くか?」

「が?」




 エルト王国 主水門管理塔前

「この間に比べて随分と少数人数ですわね」

「狭い地下水路だからな。ごった返して被害がでかくなるのは確実だからな」

 アリンのいうとおり、この間の討伐作戦は500人体制だったが、今回は50人しか集めていない。

 ただし、兵の中で選りすぐりの猛者で編成された精鋭部隊を4隊だ。

「で?どうしてアイちゃんまで連れていくんですの?」

「森で暮らしてたからな。かなりの戦力になると思ってな」

「だからって………」

 アリンが随分とアイの事を気にしているが、少なくとも野生的な生活をしていたのなら危険を感じたら真っ先に逃げ出すはずだ。だからアルノはそこまで心配はしていない。

「陛下、入り口付近。異常ありません」

 地下水路入り口付近の確認がとれたらしいので、いよいよ突入である。

「よし、アルタイル隊、デネブ隊は北側を。オリオン隊、シリウス隊は南側を探索しろ。ベガ隊は俺と一緒に中央部中枢水路へ向かう」

「「「はっ!!」」」

 中央部中枢水路とはその名のとおり地下水路の中央に位置する地下水路の中枢で、水路全域に水を行き渡らせるための最も重要な分岐点であり、最も広い空間でもある。

 北班と南班が出撃した後、アルノ班は水路に降りてまっすぐ中央部へ向かう。

 石造りのため外に比べて異様に肌寒く、人が通行するための側道は苔むして滑りやすくなっており、天井の高さが大人の背丈の二倍程度しかなく、未知の敵と戦うには圧倒的に不利な施設。もしも水路に潜んでいる奴があの襲撃犯であったなら、高速で動けるという利が吉と出るか凶と出るか。

 門を破壊するほどの怪力ならば相当の巨体だとは思うのだが、あの俊敏性はどうなっているのだろう。

 だが巨体にしろ俊敏にしろ、この狭く、滑りやすく、進行方向の限定されるこの水路では、森で見せたような本領は発揮できまい。

 などと、あれこれ考えている間に中央部までやってきた。

「おいおい、これは……」

 中央部中枢水路は水路で最も広いドーム状の空間で、天井は3階建ての家屋ほどの大きさがある。

 中枢である中央部は国全体につながっているので、この区域は常に柵で封鎖されているのだが、その柵がものの見事に破壊されている。襲撃の際の門の壊し方とそっくりである。どうやらあいつのようだ。

「いませんね、何も」

 ベガ隊隊長が周囲を見渡しながらそう言う。

 中枢水路は8つの方面に分岐しており、全ての分岐した水路に柵が設けられているのだが、全ての柵が破壊されている。

 見たところ西側の柵だけが中央水路の外側から破られている。西門と同じく西から侵入したようだ。

「困ったな、これじゃあどこに行ったのかわからない」

「如何いたします?捜索しますか?待ち伏せしますか?」

 兵を分散して捜索するのは危険だ。だからといってまとまって捜索しても行き違いになるかもしれないし、待ち伏せしても戻って来るとは限らない。

「引き返す、存在は確認できたからな。他の4班を含めて挟み撃ちにするように水路全体を中央に向かってくまなく捜索しろ。俺とアイはここで待ち伏せする」

「陛下お一人でですか!?」

「アイもいるって」

「それでも二人だけじゃないですか!!危険です!!』

「いいから言うとおりにしろ」

 アルノはそう無理を言ってベガ隊隊長を説得した。



 ベガ隊が引き返した後、アイとふたりで水路の隅で座って、ただ静かに襲撃犯を待っていた。

 しかし、すぐにアイがとてつもなくつまらなそうな顔をし始めた。

 暇つぶしに話でもしてやろうかと思ったが、アイは人の話がわからないし、遊んでやろうにも今は獲物を待ち伏せしている最中だ、騒ぐわけにはいかない。

 だから、アルノは愛馬ゼフや、森の友達になった動物たちにするように頭を撫でてやった。

「が?………うくぅ」

 随分と気持ちよさそうに撫でられるので、アルノは調子に乗って顎や背中を撫で始めた。アイもゴロンとお腹を見せて寝転がりもっと撫でてと言いたげな顔をしてきたので、アルノがお腹を撫で、つい普通の動物を撫でるつもりで胸元まで手をやると………

「ぐがっ!?…ぎゃう!!」

「いてっ!」

 アイが顔を真っ赤にしてアルノの頬を引っ掻き、自分の胸を抱いてアルノに背を向けた。

「がう!がうあ!!がうがうがう!!」

 アイが抗議するように吠える。

「え?まさか胸を触られたのがそんなに嫌だったのか?」

 動物扱いしていただけに、この反応はアルノにとって予想外だった。

 アイはアルノに変態とでも言いたげな目を向けた。

「う〜っ……」

「わかったわかった悪かったって怒るなよ、いつ敵が来るかわからないんだから、喧嘩してる場合じゃ…」

 ドオオオオオオオン

「!?」

 中央部から北側の水路の方からなにかが崩れる音が響いた。

「ぐううるるるる」

 アイが威嚇の声を上げる。四つん這いで腰を上げ、すぐにでも走り出せる体勢である。

「アイ、まだだ、落ち着け。おいっ!こっちだこっちに来い!!」

 アイを落ち着けて、北側の通路に向かって叫ぶ。


ギアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!


 今度こそ確実に確信した。奴だ。傷を負わせた時の鳴き声と全く同じ声だ。

「アイ、来るぞ、油断するな」

「ぐうううっ!」

 ……………

 …………

 ………

 ……

 …

「?」

 こない、通路を一瞬で駆け抜けて突進して来た所を狙い撃ちにしようと弓を構えていたのだが、いつまでたってもやってくる気配がない。

(なんだ?なぜこない?まさか地上に上がってはいないだろうな?)

 全ての水門は一応封鎖してあるが西門のようにまた突破されかねない。

「アイ、一旦………」

 アイの後ろに立っている異形の女が巨大生物の牙のような腕でアイを突き刺そうと、その腕を振り上げていた。

「ぐ?」

「アイっっっ!!」

 アイの手を引いて女から大きく飛び退き、アイを後ろへ放ると共に矢筒から矢を抜いて弓を構える。

 長い黒髪を不自然になびかせた全裸の女。肘と膝の先から金属か外骨格かわからない、巨大な爪のような手甲を身につけている。

 またもや気配を察せずに近づいてくる奴が現れた。こいつで二人と一匹目だ。

「あんた、誰だ」

「………」

 アルノが問いたが女は口を閉ざしたままアルノを憎しみの籠った目で睨み続ける。

「なんだ?俺、あんたに何かしたっけ?」

「………」

 女がふわりと、自分の背丈よりも高く跳び上がる。


 その後ろから大人を丸呑みにできそうなほど巨大なサソリがのしのしと姿を現した。


「っ!!?な……に!?」

 女はそのサソリの上に降り立ち、アルノとアイを見下ろす。

 その女の長い髪は、サソリの本来尻尾のある部位に飲み込まれていた。否、飲み込まれているのではなく、もともとがそういう生物なのだろう。髪が硬質化し、女は髪に吊られるように、足を浮かせた。

 そしてよく見ると、左の節足が2本、根元から抉りとられていた。両手のハサミを除いて足は全部で8本あったのだろう、今は6本になってしまっている。

「お前が、俺の国を襲撃した魔獣か」

 こいつが襲撃犯だ。足を2本失ったせいで高速移動が出来なくなったから、後ろから回り混んで奇襲を仕掛けてきたのだろう。

「なるほど、俺を恨むのは当然か」

 サソリ女は両手のハサミをアイに向けた。

 カアンと音を立ててハサミからギロチンのような葉が飛び出す。

「がうっ」

 アイは軽々と回避する。あれが兵士の首を刎ね飛ばしまくった攻撃だろうが、しかし、格段に速度が落ちている。

「アイ、逃げろ。これなら俺一人でもなんとかなる」

「があ」

 ふざけるなとでも言いたげにアイがアルノを一喝する。

「があああ!!!」

「アイ!?突っ込むな!!逃げろ!!」

 アイがさそり女に向かって駆け出した。爪による攻撃を与えるつもりなのか猫のように指を突き出してサソリ女に襲いかかる。女の胴を引き裂くように爪を突き立てて攻撃する。が、アナに体毛と一緒に爪も手入れされたことを忘れていたのか、攻撃してから違和感に気がつき、しまったといった顔で自分の爪を見る。

 サソリ女は隙を見逃さなかった。

 牙のような腕でアイの胸元を貫くように腕を突き出す。

「ぎゃう!?」

「かっ!!……、は……、ふぐぅ……」

 アイと同時に駆け出していたアルノが、アイを突き飛ばし、左胸に牙の腕を貫かれた。

「はあ……、はっ……ああぁぁ」

 呼吸ができず、激痛と、流れ出る血の熱さで両手が火傷するのではないかという錯覚に襲われる。

 まずい、こんなところで死んではいけない。俺はこの国の王。一族最後の一人にして、人類の最終防衛線。

 俺は死んではいけない。せめて後継ぎを生むまでは決して。

「あああああああああああああっっっ!!!!!!!!!」

 体に残った力と血と責任感と生き意地で立ち上がると同時に駆け出す。

 アイの手を引いて中枢水路から逃げる。

「陛下っ!?ご無事ですか……無事ではないようですね」

 中枢水路まで向かって来ていたベガ隊隊長と鉢合わせる。

「何をチンタラしていた……」

「申し訳ありません!!所々で道が破壊されていまして。お前たち!!陛下を地上までお送りしろ!!」

 地上へ向かう道の途中、別働隊と合流する。

「奴を……地上までおびきだせ。……地上に出たら……一斉攻撃だ………」

「「「「はっ!」」」」




最初に突入した主水門管理棟前

 そこには大盾を構えた重兵装の兵士、砲兵、銃兵、弓兵など、国中の兵力が集結していた。

「陛下!?」

「陛下!?お怪我を!?」

 兵士に運ばれたアルノが地上に上がると、アリンや大臣が駆け寄って来た。

「救護班!!すぐに陛下を下がらせて、即座に応急処置をしなさい!!国で一番腕の立つ医者を呼びなさい!!大臣!!この場の陣頭指揮を任せます!!」

 アナが真っ先に的確な指示を飛ばす。というか大臣、メイドに命令されてどうする。

「うむ!陛下を任せたぞ!!女王陛下!!あなたも陛下とご一緒に!!」

「いいえ、ここで見届けますわ。私も女王ですのよ。友好国の危機に危ないからと逃げる訳にはまいりませんわ。トルム、陛下について行ってくださいまし。あなたの外科技術、何かあったら頼みましたわよ」

「ご安心を、いざという時は」

 アルノが搬送され、静けさの戻った管理棟前。水路から戻った全ての部隊を先頭に、ネズミ一匹通れないほどの兵が管理棟を囲んでいた。


ギイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!!!!


 棟の下から不快な鳴き声が響く。

「来るぞ!!」

 大臣がそう叫んだ瞬間、管理棟の扉を突き破ってサソリ女が飛び出してきた。

「砲兵!!撃て!!」

 砲兵が大砲に着火し、りんご程もある巨大な砲弾が一斉にさそり女に降りかかる。


ギイイイイイギギギギギアアアアアアアア!!!!!!


 鉛玉の雨を受けたサソリ女が断末魔を上げる。

「よし!効いている!!銃兵!弓兵!攻撃!」

 銃兵がローマ帝国より輸入した、肩に担ぎ、指先一つで連射ができるという『機関銃』と名付けられた新兵器で、サソリ女を狙い撃ち、弓兵が大量の矢を雨のように降らせる。

 サソリ女の姿が爆煙で見えなくなるほどの集中砲火。

「撃ち方やめ!」

 兵たちの砲撃が止む。一瞬で静かになった戦場。爆心地から爆煙がモクモクとのぼる。管理棟にも直撃したのか瓦礫の崩れる音と、炎の音だけが戦場を包み込む。

「やったか?」

「それやってない時の定型句ですわ」

「おっと、失礼」

 しかし実際、サソリ女は断末魔をあげてから全く鳴き声を発しない。そもそも煙に包まれているためサソリ女の状態が確認できない。

「さすがに煙の量が多いのは危険ですわ。改良の余地ありですわね」

「ええ、しかしあれだけの砲撃を受けて、ピンピンしていられるとは思いません」

 煙が風に流されてゆっくりと晴れていく。そして、その煙の中心にいるはずのサソリ女は……

「いない!?」

「どこにいきましたの!?地面の焦げ跡がひどすぎてどれだけ出血しているのかもわかりませんわ!!」

「捜せ!!」

 兵たちが付近の捜索を始めるが管理棟周辺はそもそも広場になっているため、どこかに逃げればすぐに誰かが気づくはずだ。

 落ち着きなさいまし私。この広い広場でこの人数の目を欺ける訳がありませんわ。だとしたら、誰の目にも姿が確認できなかった爆煙がモクモクと上がっていたあのわずかな時間だけ。でも爆煙はほとんど垂直に登っていたから、サソリ女の動ける範囲は煙に包まれていたわずかな空間のみ。横に動いたのでないとすると……

「下ですわ!!地中に潜んでいます!!」

 アリンは声を張り上げて戦場の全員に警告した。

 サソリは地面に潜る習性があったはず。一応上空も確認したがそれらしき影は無いし、そもそも飛べるとは思えない。

「ぎゃ!……」

 ふいに、誰かの短い断末魔が戦場に響く。

「!?誰ですの!?どうしましたの!?」

「どうした!!誰か答えよ!!」

「ベガ隊の隊長が急に消えたようです!!」

「消えた?」

「はい!隊長のいた場所に穴が空いていたとのことですが」

 アリンは背筋をぞっとさせた。

「逃げなさい!!地中に引きずり込まれますわ!!!」

 アリンの言葉に兵たちが慌てて戦場から逃げようとするが……


ギアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!


 サソリ女が地面から飛び出してきて、兵士を二人、そのハサミで挟んでまた地面の中へ消えていった。まるでイルカのように地面を泳いでいる。一応レンガで舗装されているのだが、まるで水の中にいるかのようだ。

「撤退!!撤退しろおおおお!!!」

 誰が叫んだかもわからないほどに、大混乱に陥るエルト国軍。

「こんな、簡単に形勢逆転されてしまうなんて………」

 強すぎる………、あの怪物は、人間では太刀打ちできないほどの生き物なのだ。

「ごめんなさいアルノ陛下………」

「失礼します女王陛下!!避難を!!」

 大臣がアリンを安全な場所へ避難させようと、アリンを担ぎ上げた時………


 カンッ、と金属が強い衝撃を受けた時のような甲高い音が響いた。


「ふん。ようやく出会えたな魔獣。まさかこれほどまでの強さとは思わなかったがな」

 黒いフードを被った男が大人の腕ほどもある太い鎖でサソリ女を縛り上げていた。

ギイイイイイイイイイイイイ!!!

 サソリ女が鎖を振りほどこうともがくが、もがけばもがくほど絡みつく。

「無駄だ。死ね」

 黒フードが鎖を引っ張り、サソリ女を鎖で引きちぎる。

ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!

 サソリ女が断末魔をあげて、バラバラに引きちぎられた。サソリはまるで解体された蟹のように、女はまるで解体された豚のように。

 黒フードは鎖を勢いよく引っ張ってサソリ女から引き剥がす。そして鎖が黒フードの裾の中へ吸い込まれる。

「アリン女王陛下ですね。お初にお目にかかります。お怪我はございませんよね?」

「あなた、アルノ陛下の話していた、黒フード………ですの?」

「黒フード?そんな名前で紹介されたのか。いやそういえば名乗っていなかったな」

 黒フードを脱ぎ、素顔をみせた黒フードが名乗った。

「私は『偽ウィッカ』のメンバー。アリス・カイテラーです。どうぞお見知り置きを」

 黒フードを脱いだ男は声も、骨格も、顔つきも、髪の色さえもが一瞬で女性のものへ変わった。

続く

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