聖エクリオール学園
欧州の奥地にひっそりと隠れるように作られた学園がある。まわりは高い鉄格子と生垣に囲まれて中を窺うことは不可能だ。
街の噂によると、かつてからこの学園は貴族や王族の子孫、各国の優秀な留学生を招き入れているらしい。
その真相を確かめる術は無いのだが、学園のたった一つの鉄製で豪奢な門から出入りする生徒や教師のみなりからするに噂は正解のようだ。
ある晴れた午後のこと、その学園から離れたところにある小さな駅に停車した汽車から一人の東洋人の少年があわてた様子で飛び出してきた。
整ったみようによっては少女のようにも見える顔立ち。すっきりと細いけれど、少々背が低く感じられる体つき。そして、健康的で艶やかな漆黒の髪と瞳。貴族の子息かと問われれば半分の人は首をかしげるであろうが、彼が身を包んでいるのは確かにあの学園――――聖エクリオール学園のものであった。
風で飛ばされそうになる帽子を深くかぶりなおしてから、馬車を止める。
「すいません。聖エクリオール学園までお願いします。」
「はいよっ…って坊主!?今何て言った!?」
「えっと、すいません?」
「その次だよ!」
「聖エクリオール学園ま…で…ど、どうしたんですか!?」
「いいから早く乗れ!話はあとだ。少し飛ばすぞ、しっかり何かつかんでおけ」
御者は穏やかな顔つきから焦ったように急に挙動不審になり、少年の服をぐいぐいと引っ張る。
少年は御者に言われるがまま馬車に乗り込む。何かつかめと言われてもつかむものなど無かったため、しかたなく扉についていた手すりを握る。
少年――――夏目は、東洋の島国からの留学生であった。この国――――ディオダーティ王国の国民には東洋人が珍しいらしく港で地元民に問い詰められて時間を失い、汽車を一本逃してしまったのだ。
とはいえ学園長との面会時間に遅れるわけにもいかず、本来なら歩いて学園にむかうはずがこうして馬車を利用するはめになったのだ。
怪訝そうに夏目が御者の方を窺っていると、いかにも仕事人風な顔の御者が振り向いた。つややかな金髪と曇った青い瞳がとても綺麗だと、夏目はひっそりと思った。
彼は元来無口で穏やかな人間なのだ。父や兄弟、母と姉すらもあまり言葉を交わすことがなかったのだ。こんな風に見ず知らずの人と会話すること自体が夏目にとってはかなりの労力を要する。家族が先の大戦で亡くなって孤児院に入ってからは、会話することなど無いに等しかった。
夏目は、御者が全く振り返らないので窓の外を見る。爽やかな風が吹き、楽しげな午後のひとときは暖かい日差しに包まれて、おだやかだけれど明るいイメージを持たせるものであった。
ぼぅっと外の景色に見入っていると、御者が、
「おい坊主。あんた名前は?」
「え、あ、はい。夏目です」
「ナツメ?…東洋人か?」
「ええ。エクリオールには留学生として招待されました」
「ふーん。そりゃあ結構なことだ。だが坊主、これだけは忘れるな。街中はともかく下町でエクリオールの校章つけて金の入った財布を持っているヤツなんざぁかっこうのカモだ」
「は、はい。次からは…気を付けます」
消え入りそうな声で答えてから、夏目はまた顔を隠すように帽子を深くかぶりなおした。
御者は、無口で不思議なオーラを身にまとった夏目を何度か見た後、また前を向いて童謡などを口ずさみながら馬を走らせた。
馬車は、右へ左へと揺れながら聖エクリオール学園への坂道を登ってゆく。
そして校門から50mほど離れたところで馬車は止まった。
「坊主、降りな。迎えのモンがいるぜ」
「はい。ありがとうございました」
うつむき加減でお金を渡して、馬車から降りる。白くて弱弱しい細腕で大きな荷物を抱えながら、ふらふらと歩きだす。
道の先で待ち構えていたのは、一人の少年。男子にしては少し長い髪の毛を後ろで一つに束ねていて、尻尾のようにぴょこぴょこと揺れている。
長いまつ毛と垂れ目がちの目元、優しく微笑んだ口元。一目で誰もが美少年と認めるであろう整った容姿をしていた。
「はじめまして。聖エクリオール学園の李 青凰と申します。夏目さんですね?」
「はい、はじめまして。留学生で、えっと……」
「学園長から話すのが苦手だと伺っております。無理に話さなくて結構ですよ」
「はぁ」
こっちです、と手招きしながら校舎に向かっていく李に続いて、石畳の道を歩く。砂利を踏みしめる音がくっきりと聞こえるほど、静かな空間だった。緑で囲まれていて、まるでおとぎ話の世界にまぎれこんだかのようだ。
きょろきょろとあたりを見回しながら進んでいくと、大きな教会のような建物にたどり着いた。
(ここが、聖エクリオール学園長室!)
ぎぃぃっと嫌な音をたてながら扉が開き、うつろな目をしたメイドが迎え入れる。李は、一礼すると建物の中に入り、こちらを振り返って口の動きで入るように伝える。夏目が建物の内部に入ると同時に、パイプオルガンの音が響いて、背後で扉が閉まる。ステンドグラスの中のマリアが怪しく微笑んだ気がした。
「君が、夏目かね?」
「はい。孤児院出身なのでファミリーネームがありません」
「知っておる。ここでの生活は東洋人の君には少々つらいこともあるかもしれぬが、勉学に努め、日々の生活を規則正しくすごすように」
「はい!」
李に連れられて建物を出て学生寮に向かう……はずだったのだが、李は全く違う方向にある時計塔に向かって歩き出した。
「あの、李さん!」
「夏目さん、あなたおいくつですか?」
「15です」「だったら僕が12なので年下ですね。堅苦しいので敬語をやめていただけますか?」
「はい」
李にじぃっと見つめられて夏目は困ったように、
「うん」
というと、李は満足げにうなずいて時計塔に入っていく。
何やら合わせたい人物がいるらしいのだが、時計塔内部のエレベーターに乗ってからは一言も口を聞いてくれなくなってしまった。
感覚時間にして2分。時計塔の最上階についた夏目は驚愕した。本来は何もないはずの空間に、大量の書物と僅かな生活スペース、そしてアンティークドール……。
そして李が声をかけると、そのアンティークドール――――のようにも見える少女がゆっくりと振り向いた。
長い金白色のストレートヘアー、カーマインの瞳、ビスクドールのように滑らかな肌にバラ色の頬、桜の花びらのような唇。精巧に作られた人形そのもののような少女は、長い睫で縁取られた瞳を最大限に見開いて李に問いかけた。
「李、こいつは!?」
「留学生の夏目さんです。東洋の島国から来たんだとか。ルニヤのであったことのない種類の人間でしたから、お気に召すかと」
「あ、あの、李くん?」
「夏目、こちらを向け」
急に透き通った少女の声で呼ばれて反射的にそちらを向くと、小さなやわい掌が夏目の頬にそえられた。そしてじっくりと夏目のことを観察する。
ひとしきり観察し終えると、彼女は自己紹介を始めた。くるりとターンをして立ち上がったため、レースやパニエで膨れていたスカートの中の細い脚が少し見えて、夏目は顔を赤らめる。
「我が名はルニヤ・ディオダーティー。わけあってこの時計塔の最上階で暮らしている。貴様について教えろ。そして、私の仲間になれ」
夏目が、この国にきてから初めて帰りたいと思った瞬間であった。