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うろなで天狗 夕 10/9

 僕こと六条寺華一郎ろくじょうじはないちろうは考える。例えば僕の人生に和倉葉朽葉(わくらばくちは)がいなかったら、どうなっていたのだろうかと。

 無駄な思考である。


 天狗仮面氏と猫塚(ねこづか)さんとあんなに長く問答をしていたにも関わらず、うろな駅の改札前に着いたのは目当ての電車が到着する時間よりだいぶ早かった。体感時間なんてものは、往々にして状況に左右されるから『体感』時間なのだ。駅舎の中は流石に人目が多いので、煙草を吸わせるわけにはいかない。ヘビースモーカーの教授は微笑みを薄くして、じっと黙って腕を組んでいた。どうにもならないので、僕は持って来た水筒の、コップの代わりになる蓋にコーヒーを注いで渡し、教授が飲み干してはそれを僕に突き返し、注いで渡し、飲み干し、というルーティンを繰り返して何とか間を保たせていた。

 僕は四杯目のおかわりを注ぎながら、教授に問いかける。

「教授」

「何でしょう」

 涼しく返答する教授は、黒のスーツの裾に落ちていたらしい煙草の灰を指で払いながら、いつもの微笑みを浮かべて僕を横目で見やる。

「さっきの、天狗仮面さんの話なんですけど」

「正解です」 

 え。

「……会話を先取りしないで下さい」

 教授は答えず、僕の手から水筒の蓋をひったくって、コーヒーを飲み干した。

 ただ、やはり僕が聞きたい事は分かっているのだろう。彼女は蓋を僕に返しながら、微笑みと共に呟いた。

「貴方は、違和感を感じたのでしょう?」

 僕は、特に返事をしなかった。

 なんというか、勘のようなものなのだ。猫塚さんに対する態度であったり、先ほど教授の首筋にあった汗であったり、いつになく不自然だった気がしただけだ。ただ、それはどうやら「アタリ」だったらしい。

 教授は、微かに首をもたげて天井を仰ぎ見ていた。僕は彼女の首筋を眺めながら、次の言葉を探す。

「ええと、天狗仮面さんは、結局『妖怪』なんですかね。だったら、彼は『不思議』じゃないんですか?」

「不正解です。このセカイが人間のモノである、と思っているのは、人間だけです」

 教授は静かに言い、軽く嘆息する。

「それらは『不思議』でなく、ただの事実です。それに、正直に申し上げれば、彼が何であるのか確認する術はありました」

「……どうやって」

 彼女は答える代わりに懐に手をやって、一枚の紙を抜き出した。札のようなそれは、風でひらひらと揺れている。

「陰陽師である芦屋(あしや)さんから頂いた物です。覚えているでしょうか」

「あ、はい」

 やけに元気な陰陽師少女と横にいた幸薄そうな少年を同時に思い出し、僕は頷く。

「これの発動原理については言及を避けますが、妖怪に反応するもの、と言う解釈もあります。つまりこれを取り出し彼にかざして」

 と言いながら、教授は札を懐に戻す。暴発なんて無いと思うが、念のためだろう。

「退けろ、と言えば、回答が得られた可能性はあります」

「じゃあ、なんでやらなかったんですか」

「不正解です。やらなかったのではなく、やれなかったのです」

 懐から抜き出された教授の手には、シガレットケースが握られていた。ぱちりと蓋を開け、中から煙草を取り出し、くわえると、彼女は少し残念そうに微笑んだ。

「これを使用するには地面に置き、言葉を発する、というプロセスが必要ですが、当然の如くそれは見られてしまいます。了解を取ってから行う、という手法も考えましたが、それだと問題が発生する可能性が飛躍的に上昇します」

「問題?」

「彼らが真に妖怪であった場合、抵抗される可能性があります。危険を冒すには準備が足りませんでした。さらに、この札は妖怪に反応するのではなく、使用者の意思を反映するだけの可能性もあります。その場合は文字通り無駄撃ちになってしまったでしょう」

 ああ、一応安全とか考えるんだ。

 教授はライターを取り出して、煙草に火を点けようとする。

「……教授」

「はい」

 微笑む教授の口元から煙草を抜き取って、彼女の胸ポケットに差し戻し、僕に出来うる限りのしかめ面をしてみる。教授は微笑みを崩さず、ライターを元の位置に仕舞い直して、肩をすくめた。

「正解です」

「そうですね」

 ちょっと刺々しくなってしまった事を反省しながら答え、禊ぎのようにコーヒーを手渡すと、教授は躊躇う事無く受け取って、また一息に飲み干した。そして、思い出すかの様にゆっくりと、言葉を吐き出す。

「天狗の仮面を被った天狗以外の何かであるのか、あるいは仮面を被り天狗になった天狗であるのか、若しくは仮面の要素をまったく無視した他の何かであるのか」

「……最初の仮説を立てた時、言ってた奴ですか」

「正解です。そして、私は彼が天狗である、という結論に達しました」

 ちょっと言葉を切って、教授はまた微笑みを天井に向ける。

「故に、別な疑問が生じます。つまり、彼は天狗の面を被るが故に天狗なのか、天狗の容貌であるが故に天狗であるのか、あるいは天狗を名乗るが故に天狗であるのか」

 ……ううん、混乱して来たぞ。

「つまり、教授は天狗仮面さんが天狗である理由が知りたいんですか?」

「不正解です」

 きっぱりと言って、教授は微笑む。

「彼が天狗仮面を標榜する理由は、分かりません」

 あっさりとそう言ったので、僕はちょっと拍子抜けしてしまった。教授にしては珍しい事だ。

「ただ、顔を隠すだけが目的ならば、例えば狐面を被って妖狐であってもいいわけですし、何なら袋を被るだけでもいい筈です。天狗面を選択した理由が不明である以上、最初の仮説を採用せざるを得ません。つまり、彼は『天狗であるが故に天狗仮面を名乗っている』という事です。すると全ての不都合は消失します。天狗面である理由も、天狗以外でない理由も、天狗である事を強調し標榜する理由も、まったく説明がつく様になる」

 そう続けた彼女は、多分無意識だろうが、右手を僕の方に差し出していた。僕がそれに気づいたのもコーヒーのおかわりを水筒の蓋に注いでいる時で、やっぱり無意識だったからあまり人の事は言えない。

 おかわりを受け取って、教授は青い目を細めて立ち上る湯気を見つめる。

「全てに説明を付ける事は容易です。天狗仮面氏は本当に天狗で、ただしそれを知られない様に面を着け、周囲には「天狗が天狗の面を被っている筈が無い」と思わせる事で危険を回避していて、白昼を横行する理由は、そうですね」

 彼女は口元をいつもより綻ばせ、白い歯を微かに覗かせた。

「ニンゲンが好きだから、とか」

「……『泣いた赤鬼』みたいな?」

「正解です」

 ……割とそういうのもありかな、とは思う。正解かどうかは別にして。

 教授は口元を少しだけ引き締めて、またいつもの微かな笑みを浮かべる。

「ただし、彼を妖怪と定義出来るかは、まだ結論を出せる段階ではありません」

 ようやく、最初に戻って来た。僕の第一疑問は『天狗仮面氏は妖怪で、不思議ではないのか』という事だったのだから。教授は、簡単に結論から言ってくれる事はほとんど無いのだ。

 だから疑問が増える。

「でも、天狗は妖怪でしょう」

「正解ですが、あるいは不正解です。天狗は妖怪とされる事が多いですが、神人ないし神とされる事すらあり、また魔物であるとも言われます」

「じゃあ、天狗仮面さんはどれなんです?」

 我ながら子供っぽい質問だ。その証拠に、教授が僕を見る目が若干呆れている様に見える。

「天狗はニンゲンではない、というだけです。あるいはそれを妖怪と呼称するのでしょうし、神とも魔物とも言うのでしょう」

 話を戻します、と彼女はコーヒーを啜る。

「芦屋さんの話を覚えていますか」

 今日は良く出て来る。あまり覚えていないが。あの日は教授の観察眼と陰陽師を名乗る少女の強烈な印象が強くて、細かいところは覚えていないのだ。

 まあ、妖怪(?)の話をしているのだから、陰陽師が出て来るのは自然か。

「ええっと、天狗仮面さんの話はしましたよね」

「正解です。その際、彼女は『天狗仮面さんからは妖力が感じられない』と言いました。つまり彼は妖怪でない、と」

「ええ、確か、そう言ってましたね」

「彼女はプロフェッショナルです。見立てに対する信頼性は高い。すると、仮説がいくつか生まれます」

 ふぅ、と息を吐き出して、教授は微笑む。

「彼は本当に妖怪でないか、芦屋さんが嘘をついているか、天狗仮面氏が巧妙に妖力を隠蔽しているか、あるいは彼は妖怪であるが、現状に於いて妖力を失っているか。これらが現在の情報を総合した上で、整合性の認められる仮説群です」

 ……僕には教授の言う『整合性』が理解出来ないのだが。まず妖怪が理解出来ないのだから、スタートラインにすら立てていない。

 教授はコーヒーを呷って、水筒の蓋を僕に突き返した。

「情報が不足しています。あるいはもう一度芦屋さんにお会いすれば、新たな情報が得られるかも知れませんね」

 それきり彼女は微笑んだまま、何も言わなくなってしまった。コーヒーも底をついたのが原因かも知れないが、とにかくこの話はここで終わりなのだ。

 ……謎が深まっただけな気もする。


 ようやく目的の電車がホームに着く時間になり、改札から人が吐き出される。その波が静かになるまで、僕と教授はぼーっと突っ立っていた。

 最終的に、目的の人物が出て来たのは次の電車が来たくらいの時間だった。がらがらというキャリーケースが堅い地面を引きずられる音が響いて来て、栗色に染められた髪の毛が揺れるのと共に、小柄な影がぶんぶん手を振り回していた。恥ずかしい。

 茶色の上着に身を包んだ影は改札を通って僕達の前に来るなり、にっこり笑った。

「いやぁ、やっぱり旅ってのは愛し甲斐があるっす。準備やら何やら(いと)しすぎて二徹しちゃったっす」

 言われてみれば、眼の下に隈がある。我が後輩は大きなキャリーケースをゆっくり労る様に撫でながら、こちらを向いて、にこりと笑った。

「お久しぶりっす、センパイ。またラブラブしたいっす」

「した記憶は無いんだけど」

「悲しいっす」

 ちっとも悲しくなさそうにそう言って、にこにこと形の良い丸顔を転がして、今度は教授の方を向いた。

 と思ったら僕の視界から消えた。

 そして、ばふん、と音がしたと思ったら、教授の黒いスーツに小柄な茶色の塊がひっついていた。

「せぇんせぇ!」

 ちょっと言いたくない部分に顔を埋めている所為でくぐもった黄色い声と、動じずに微笑む教授の対比は、なんというか、うん。

「センセはラブラブチュッチュしてくれるっすよね! ちゅっちゅらびゅらびゅしてくれるっすよね!」

「不正解です」

 …………。

 首を振りながらも教授の袖を掴んで離さず、懲りたのだか懲りてないのか良く分からない格好で、僕の後輩は情けなさそうに言う。

「愛が通じないっす……」

 知ってる。

 まあそんなこんなで、と後輩は居ずまいを正して、ぴしりと敬礼した。

四条社(しじょうやしろ)麗乃(れいの)、本日付でゼミナール担当和倉葉朽葉教授の研究休暇旅行に参加するっす。精一杯愛するっす」

 ラブラブするっす、と真面目な顔で付け加えて、彼女は無い胸を張った。

 枯竹四手です。宜しくお願いします。

 連載9話目の投稿となります。


 前話と続いています。

 引き続き三衣千月様の『天狗仮面』さんと『猫塚千里』さんを、それから寺町朱穂様の『芦屋梨桜』さんと『稲荷山孝人』君を、お名前(存在?)だけお借りしました。

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