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うろなで嘯く

 僕こと六条寺華一郎ろくじょうじはないちろうがうろな町に来てから、一ヶ月が過ぎた。

 それは教授、つまり和倉葉朽葉(わくらばくちは)の研究休暇が一ヶ月消化された事と同意味である。実を言うと、僕は四日ほどうろな町を後にし、大学に戻って諸手続をする必要があった為、大変不本意ではあったが教授を置き去りにして電車に乗ったのだった。

 大学であった事は割愛する。手続は地味で面白くなかったし、教授宛の連絡は事務内容が殆どだったし(当然処理するのは僕だ)、持って帰るのはいくつかの書類と教授の煙草のストックくらいのものだった。面白くも何ともない。

 しかし、ホテルに戻った僕はちょっとばかりへこんだ。

「お帰りなさい」

 ベッドの端に座っている教授は、煙草をくわえたまま微笑んだ、のだと思う。いつも通りひどく薄い笑みだったのと、部屋に充満した煙が濃過ぎて、良く分からなかったのだ。机の上にちょっと引くくらい積み上げられた煙草の吸い殻と、三つ作って置いて行ったのに空になっているコーヒーポット。ついでに人間に悪影響しか及ぼさなさそうなこの煙と匂いである。

 僕は答えずに扉を閉め、全速力で窓に向かい、力一杯窓を押し開けた。むわっとした夏の空気が入って来るが、同時に部屋の中の恐ろしい空気がふぅ、と抜けていった。エアコンはがんがんに効いているので、部屋の中で空気の流れが出来ていたらしい。こんな状態でよく煙感知器が作動しなかったものだ。

 それから僕はようやく細めていた目を開く事が出来た。吸い殻の山とポット以外に何か変わったようなものは見受けられない。逆に言えば、少なくとも四日はこの状態だったという事だ。

 教授は膝の上でノートパソコンを開いて、何かを打っていた。

「教授」

「何でしょう」

「……ただ今帰りました」

「正解です」

 まあ、何を言っても聞くような人ではない。

「手続は完了しましたか」

「はい」

「正解です」

 教授は煙草を口から外して、ちょっと考えてから灰皿(だと思う)の横に押し付けて無理矢理消すと、吸い殻を山の上にそっと乗せた。不完全燃焼が起きていそうだ。

「で、教授は」

「研究レポートを作成中です」

 彼女は人差し指の関節で、ノートパソコンの画面をこつこつと叩いた。僕がやる様にお願いしてから出かけたので、まあ、うん。

 ただ、いつにまして消費煙草量が多い。

「その、煙草は」

「ストックを消費しました。ああ、大学にあった分は持って来て頂けましたか」

 僕は無言で自分のバッグを漁って、中からカートンを一つだけ出して渡した。彼女は特に何も言わずそれを受け取り、自分の傍らに置いた。

「レポートは出来たんですか?」

「不正解です。鋭意製作中です」

「……進行度は」

「七割といったところでしょうか」

「いつからやってるんですか」

「不正解です」

 彼女はちょっと微笑みを大きくして、僕を見上げた。

「貴方は出発直前にレポートの作成を要請しました。私は貴方の前で作成を開始しました。答えは明らかです」

 ……つまり、僕が出かけてからずっと書いていたのだろう。

「ありがとうございます」

「正解です」

「ところで、お風呂とかは」

「入っています。生理現象に伴う離席も数回」

 ああ、流石にそこは捨てていないらしい。ちょっとほっとした。

 僕が少し安堵した所で、教授が「ああ」と呟いて、僕の方を向いて微笑んだ。

「食事を、摂りたいのですが」

 だよね。

 当然の如く、僕が用意したコーヒーと申し訳程度のサンドイッチで四日保たせていたらしい。あと煙草。

「ルームサービスでも取れば良かったじゃないですか」

 僕が言ってみると、彼女は首を振った。

「不正解です。あの状況でホテル関係者を呼べば、間違いなく叩き出されていたでしょう」

 自覚はあったようで良かった。

 何はともあれ、食事はホテルの食堂で済ませ、それから街へ繰り出した。目的はコーヒーと、消臭剤である。

 教授に着いて来るようお願いした所、彼女は割とあっさり首肯した。珍しい。

 率直に「珍しいですね」と言うと、彼女は隈の出来た顔で小さく微笑んだ。

「外気を吸うのも、たまにはいいでしょう」

 四日ぶりなのだろう。

 そういうわけで、近くのスーパーに向かったのだった。


 ホテルの部屋に戻ると、教授はベッドに座って小さくため息をつき、胸ポケットから煙草を取り出す。

「ライターを」

 言われて思い出し、ライターを返した。

 僕が何故ライターを持っているかというと、僕が目を離した隙に、多分久しぶりの外気で混乱気味だったであろう教授が高校生くらいの女子と何やら話をしていて、ついでにスーパーの中で煙草を吸おうとした事に起因する。まったく、目を離せない。

 しかし、面白そうな女子だった。

「教授、あの子と何を話していたんですか」

 僕が尋ねると、彼女は小さく首を傾げ、微笑んだ。

「不正解です。話していた、というよりはそうですね、戯れていた、というのでしょうか」

 なんだかいかがわしい。

「彼女の論理展開には興味深いものがありました。先が楽しみです」

 珍しく手放しで相手を褒めた教授は、ゆっくりと煙草に火を点けた。

「ただ、論理を肯定する、という行為に慣れていないのかも知れませんね」

「……どういう事です?」

 例えばです、と彼女は呟いて、僕が淹れてきたコーヒーを受け取った。

「私はコーヒー牛乳を『コーヒーではない』と言い、彼女はカフェオレを例に挙げて『カフェオレはコーヒーではないのか』という疑問を提示しました。ですが、これは『コーヒー牛乳はコーヒーではない』という私の見解に基づいた疑問です。彼女はこれを肯定せず、また否定もせずに別な理論を展開しようとして、失敗したと言えます」

 ……なんというか、不毛な会話をしていたようだ。

「『コーヒー牛乳はコーヒーではない』という前提を、まず否定してみましょう。どういった反論が考えられるでしょうか」

「……ええと」

 どうしよう。下手な反論では、あっという間に論破されてしまう。

 が、特に思いつかない。

「そうですね、コーヒーが入っていればそれはコーヒーである、とか」

 我ながらひどい。

 しかし、教授は手元のカップを一息で空けて、微笑んだ。

「正解です」

 え。

「こんなものでいいんですか」

「正解です。否定の論理、というものはどんな些細な事でも否定すれば成立します。貴方の挙げた例には破綻も無く、成立すると考えられます」

「で、でも、なんかありませんでしたっけ。コーヒーの含有率がどうとか、牛乳の割合がどうとか」

「正解です。正確には「コーヒー入り乳飲料」ですが、それは『コーヒーが入っていれば、それはコーヒーである』という理論に破綻をもたらしません。実際にコーヒーは入っているわけですから。極論すれば、コーヒーも「コーヒー豆の抽出物入り水分」と言ってもいいわけです」

「……はあ」

 なんというか、小理屈である。

 しかし、教授は面白そうに煙草を吹かした。

「次に、私の『コーヒー牛乳はコーヒーではない』という論理を肯定してみて下さい」

 え。

「肯定も何も、そしたら「そうですね」で終わっちゃうと思うんですが」

「不正解です。すると、一つの疑問が提起されます。つまり『ならば、何故コーヒーが入っているのか』ということです」

 教授は僕が片付けたばかりの灰皿に灰を落として、ちらっと僕を見た。

「何故コーヒーが入っているのにコーヒーとして扱われないのか。これは疑問です」

「だから、ベースが」

「では、空気の事を考えて下さい」

 空気?

 僕は目線を上げて、部屋の中をぼんやりと見た。

 濁っている気がする。

「我々は人間です。故に、空気を吸って生きています。では、空気とは何ですか」

「……酸素」

「小学校理科のレベルだと思うのですが」

 言い過ぎだ。中学校理科くらいだろう。

「窒素八割、酸素二割でしたっけ?」

「正解です。では、空気とは窒素がベースですね?」

「……まあ、そうじゃないんですか」

「酸素は原始地球の空気に於いては認められていませんでした。少し長くなってしまいますので割愛しますが、まず窒素がベースと言っていいでしょう。しかし、人間は酸素の吸入によって生存しています。これは進化です」

 教授は一気に言い切って、次の煙草に火を点けた。

「では、酸素を含まない原始地球の空気とは「空気」ではなかったのでしょうか?」

「……いや、空気でしょう」

「酸素が入っていないのに?」

「でも、空気っていうのは地球にあるもので」

「不正解です。空気とは地球以外にも存在します。含有物が違うだけです」

「や、しかし酸素が」

「酸素が入っていないと空気ではない?」

「違うんでしょう?」

「正解です。しかし、地球の空気に於いて酸素は最早不可欠です」

「コーヒーと関係があるんですか」

「正解です。コーヒー牛乳はコーヒーが入っていないとコーヒー牛乳ではない、と言えますね?」

「そうですね」

「ではコーヒーを含有している以上、コーヒー牛乳はコーヒーの一部と考えられますね」

「いや」

「空気にとって酸素が後付けの含有物であり、いまや生物に必要不可欠である様に、コーヒー牛乳にもコーヒーが必要であり、コーヒーが必要である以上主たる部分はコーヒーであると言えませんか」

 矢継ぎ早の問答に脳みそがこむら返りを起こし、僕は目をぱちぱちさせて、思考を停止した。文字通りぐうの音も出ない。

 教授はにっこり微笑んで、コーヒーカップを僕に差し出した。条件反射で受け取って、次の一杯を注ぐ。

「理解出来ましたか」

 僕がカップを渡すと同時に、彼女はそう言った。

「いえ、ちっとも」

「正解です。理解出来る様に会話していませんから」

 教授はさも面白い様にコーヒーに口をつけ、灰皿の縁に置いた煙草を手に取った。

「深い関連の無いものを深い関連がある様に関連づけて織り交ぜる事によって、相手の思考を混乱させる。これがいわゆる「屁理屈」です。少しきつめでしたが」

「そうですね」

 まったく悪気が無さそうな教授は、煙草を吸い切って灰皿の中に投げ入れる。僕はちょっと座りたくなって、いつも教授が座っている椅子に腰かけた。

「彼女は私の論理に対して反対論理をぶつける努力をしましたが、関連性を重視して「カフェオレ」を持ち出したのでしょう。嘘をついたりする上で有効な手段です。しかし、反論を試みずにすぐ関連性の高い話題を投入すれば、同様の論理に打ち破られる確率は高くなります。若さ、ですね」

 いつもの教授からは聞けないような台詞である。むしろこっちの方が興味深い。

「以上です。彼女は嘘をつく事にかけては一流かも知れませんが、問答者としては発展途上です」

 そう結んでふう、と息をついた教授は、唐突にこてん、とベッドに横倒しになった。そして、起き上がらない。

 僕が何も出来ずに固まっていると、不意に静かな寝息が聞こえてきた。……どうも眠ったらしい。

 ひょっとして、四日間ろくに寝ていなかったのではないだろうか。隈もあったし。

 ……まあ、いいか。

 流石にこのままでは風邪をひきそうなので、エアコンの設定温度を上げ(かなり低い設定だった)、ちょっと考えてから、床にずり落ちていた掛け布団を教授の上に放った。顔は出ているから呼吸は可能だろう。

 部屋の電気を消して、廊下に出る。ふと、あの時あった少年の顔が思い浮かんだ。確か綾瀬君だったはずだ。

 ……何か似てる。

 あの時受けた既視感の余韻を思い出しながら、僕は自分の部屋に向かった。

 彼らにも、また会いたいものだ。

 枯竹四手です。宜しくお願いします。

 連載七話目の投稿となります。


 先に投稿されたシュウ様の『文芸部へようこそ』第十二話と繋がっています。そちらから読んで頂くと分かりやすいです。


 いつにまして論理破綻が凄い作品です(笑

 

 感想等ありましたら、宜しくお願いします。

 ニコニコ喜びます。

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