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うろなで出かける

 僕こと六条寺華一郎ろくじょうじはないちろうは、名前こそ仰々しいが至って普通の一般人である。普通に生まれ、普通に成長し、普通に進学し、普通に就職した。したつもりだった。ただ、就職先が多少特殊だっただけである。

 大学教授の助手、というのは正確に言えば正規の雇用ではない。半分学生のようなものではあるが、僕は別に授業を受けているわけでもなければ逆に授業を持っているわけでもない。そのかわり、教授の生活に於ける生殺与奪(せいさつよだつ)の権利は持っている。何故なら、彼女は家事が苦手だからだ。

 下手、というわけではない。極稀に料理をする事もあるし、整理整頓もきちんとするから嫌いというわけでもない。彼女曰く「違和感を感じる」という事だ。良く分からないかも知れないが、彼女の研究室に行けば大体分かる。

 きちんと分類され、整理された要らない書類や書籍が膨大な山を為し、コーヒーメイカーは綺麗に磨かれているがカップが使われた形跡はない。申し訳程度の冷蔵庫の中身は空で、灰皿は一日一度空っぽになるが、ゴミ箱の中は吸い殻を閉じ込めたビニール袋で満杯だ。つまり、どうやら違和感のせいで家事を「やりきれない」らしい。やっぱり良く分からない。

 ただ、そのままだと研究室がとんでもない事になりかねない。そういうわけで、僕は要らない書類を廃棄し、コーヒーを淹れ、冷蔵庫にコーヒー豆のストックを補充して、吸い殻を集積所に捨てに行く、という「仕上げ」を行うのが最初期の業務だった。また、教授は授業をする割に校内業務には無頓着だったため、教務との折衝や各種手続きが僕の仕事に追加され、さらにバイトで喫茶店に勤めていた関係でコーヒーを淹れるのも僕の専門となった。

 彼女はとにかくコーヒーを飲む。やたらと飲む。ひたすら飲む。コーヒーと煙草を六対四くらいの比率で嗜み、それだけで何日か過ごす場合すらある。健康に悪い、と指摘した事もあるが、彼女は平気だった。

「不正解です。私はこれらの嗜好物(しこうぶつ)を長らく(たしな)んでいますが、まず「健康」とは身体に異常があるか異常の兆候が無い場合を指します。摂取物との被害的因果関係も一部科学的に証明されていますが、私は健康診断等の第三者による観測でも異常を発見された事はありません。つまり私は現在「健康」であり、少なくとも現状私に関して言えば嗜好物と「健康」に因果関係は認められません」

 そう涼やかに言った彼女は、微笑を浮かべてコーヒーカップを撫でた。

「そして、未来に関して言えば可能性の問題です。零ではありませんが百でも無い、全く予知不能な曖昧の彼方です。そして、私はそれを零にしようという完全に無駄な試みを行う気はありません」

 紫煙の渦巻く研究室でそう宣われ、僕は反論する気を完全に奪われた。それで、僕は彼女にコーヒーを淹れる生活を続けている。


 今日はうろな町主催のお祭りがある、と聞いて教授に伝えてみた所、彼女は意外にも「正解です」と言って出かける支度を始めた。

「え、行くんですか」

「正解です。貴方は行きたくないのですか」

 正直な所、心の底からどっちでも良かったのだが、教授が乗り気なら僕に選択肢は無い。

「いえ、行きたいです」

「では支度を」

 彼女はそう言ってソフト帽を頭に載せ、スーツの上着を着て、悠然と支度を完了した。というか、それだけである。

「三分待って下さい」

 僕はそう言って自分の部屋に戻り、支度を始めた。

 まず、財布である。教授があまりにも趣味(煙草やらコーヒーやら)にお金を使いそうなので、僕が管理している。

 次に、ドリップ用の小型ポットと付属品一式である。どこで「コーヒーを飲みたい」と言い出すか分かったものではないため、この間僕が自腹で買った一人用のものだ。強化プラスチック製なのでそうそう割れる心配もない。

 挽いたコーヒー豆を詰めた袋とお湯を入れた小型魔法瓶も鞄に入れる。正直重い。試しに魔法瓶を抜いて、鞄を持ってみた。軽い。

 ……冷静に考えれば、そもそも何故出先で僕がコーヒーを淹れねばならないのだろうか。探せばその辺に喫茶店くらいあるだろうし、飲んでいるのを見た事は無いが、最悪自動販売機で売っている缶コーヒーでもいい、かも知れない。

 大体、僕たちが今から出かけるのはお祭りである。日本のお祭りでコーヒーの出店を出す人がいるだろうか。いや、いない。いないと思う。少なくとも多いとは思わないし、このうろな町が例外だとも思わない。そして、いくらコーヒーに対する偏愛が著しいと言っても、和倉葉朽葉も大人の女性である。しかも教養ある大学教授で、当然、経験則として「お祭りでコーヒーは出ない」と理解しているだろうし、予想しているだろう。そして、準備してから言うのもなんだが、それを僕に求めると言うのは流石に酷ではないか。

 つまり、和倉葉朽葉がコーヒーを求める確率とは、ひどく低いのではあるまいか。お祭りなんだし、流石にラムネやらジュースやらを飲むのではないか。別にコーヒー以外を口にしないわけではないのだから。

「不正解です」

 思わずびくりとしてしまった。振り返ると、教授が煙草をくゆらせながら微笑んでいた。

「貴方が提示した三分が経過しました。準備は完了しましたか」

 ああ、良かった。どうやら僕の逡巡がバレているわけではなさそうだ。当たり前だ。僕は彼女に背を向ける格好になっていたのだから、いくら僕の口が動いたとて分かるはずは無い。

「すいません、今終わりました」

「では、行きましょう」

 教授が踵を返す。

 よし。

 僕の論理は完璧だ。多分完璧だ。きっと完璧だ。

 そう言い聞かせて、僕は魔法瓶を置き去りにして出かけたのだった。


「ええと、ですね」

 パイプ椅子に座った女性は、眼鏡に手をやって微笑んだ。だいぶ必死な感じだ。そして、必死なのも当たり前だろう。

 彼女の目の前にいるソフト帽にスーツの和倉葉朽葉(わくらばくちは)は、いつも通り涼しげな笑顔を浮かべている。

「コーヒーの食券を頂けますか」

 教授はもう一度繰り返した。この言葉はすでに三度目である。それで、僕はようやく現実逃避思考から戻って来た。

 落ち着いて、冷静になって考えてみれば、中華料理屋でコーヒーを頼むような人がお祭りだからといってコーヒーを探さないわけが無い。至極当然だろう。そして、それが当然であると考えてしかも納得出来る事自体が「不思議」である。いやまったく、そうだと思う。

「申し訳無いのですが、コーヒーの出店は無いんです」

 眼鏡の女性は三度目になる応答をして、本当に申し訳なさそうに微笑んだ。そんな風に思う必要は無い。いや、本当に無いのだ。コーヒーを注文するこっちが申し訳無いのだから。

 教授は微笑んだまま、ちらりと僕の方を見た。

「不正解です」

 いや、何故だ。


 微笑んだまま無言になった教授をなだめすかして、丸テーブルが並べられた休憩スペースに座らせ、申し訳程度に携帯灰皿を渡して、僕は食券販売所に取って返した。

「すいません、教授がご迷惑をおかけして。ええと」

 頭を下げると、眼鏡の女性は両手を振った。

「いえ、こちらこそ用意が無くて申し訳無いです。あ、私、秋原と言います」

「あ、いえとんでもないです」

 とにかく平謝りに謝り倒し、それから、秋原さんに一つだけお願いしてみる事にした。

「あの、お湯ってありませんか。熱湯がいいんですけど」

「お湯、ですか」

 彼女は少し考える風に天を仰ぎ、すぐ頷いた。

「出店で使用しているものがありますけど」

「少しもらえませんか。お金なら出しますから」

「いえいえ、大丈夫です。……でも、何に使うんですか?」

 祭りの出店でコーヒーを要求する珍客の付き添いみたいな奴がお湯なんてお願いしても、最早驚いているわけではないだろう。秋原さんの純粋な疑問に、僕はそれなりに真面目な顔を作って答える。

「コーヒーを淹れるんです」

 今度こそ、彼女は眼鏡の奥の瞳を丸くした。


 戻ってみると、教授は袋状の携帯灰皿を満杯にしていた。いや確かに小さいものだったが、それにしたって多い。周りの客達の視線が痛い。

「教授」

 僕が声をかけると、彼女はぐるりとこちらを向き、そして微笑みを消した。

 僕の持つ紙コップから立ち上る湯気と、夏のぬるい風が運ぶ香ばしい香りと、多分いつも通りの表情であろう僕を順番に見て、彼女はようやく微笑んだ。

「……正解です」

 祭り囃子にかき消されそうな、小さな声だった。


「そもそも、コーヒーとは何だか知っていますか」

「……飲み物、でしょう」

「正解です」

 教授は頷き、一杯のコーヒーを飲み干し、僕が買って来たたこ焼きを竹串を器用に扱い優雅に割って、小さな口に運んだ。比較的コーヒーに合いそうなものを選んだつもりなのだが、どうだったろう。

「ですが、不正解でもあります。コーヒーは現在、焙煎された豆から抽出された飲料を指すのが一般的ですが、元来は薬用、あるいは宗教的要素を含んだものでした。嗜好品ではなく、一般に飲まれるものではなかったということです」

「はあ」

「主に眠気覚ましの秘薬として、夜業の際に服用されていたと伝えられています。嗜好品になった過程に興味はありませんが、これは非常に興味深い」

 彼女は紙コップを掲げ、ひらひらと振った。

「この国に中国から茶が輸入されたのも、元は薬用、そして夜業対策でした。カフェインの名が付けられる前、海と大陸を隔てた遥か彼方で同じものを含んだ異なるものが同じような目的で同じ様に服用されていた、という事は、実に「不思議」です」

「そう、ですね」

「そして「祭り」という催しは、元来神を「まつる」という催しです」

 ん?

「神を祭る場に於いて、神に仕える上で必要不可欠とされた飲料が振る舞われない。これは不正解です」

 ……ああ、そう思ってたんだ。

 教授は微笑んだままたこ焼きの最後の欠片をつまんで口に運び、少し黙っていた。僕は一緒に買って来た焼きそばを啜り、ゆっくり周囲を見回してみた。

 まだ昼だが、土曜日という事もあってそれなりの人々が僕らと同じ様に飲み食いしていた。まだ暑い時間だが、それなりに風もある。教授はスーツにソフト帽で暑くないのだろうか。いやいつもこの格好だから、まあそれなりに快適ではあるんだろう。我慢するような人ではないはずだ……。

「……か? ……聞いていますか?」

 静かな声で我に返ると、丸テーブルの向こうから、教授が僕の方を覗き込んでいた。

「私の話を聞いていましたか?」

「……いえ、少しぼーっとしていました」

「そうですか」

 教授はそれだけ言って、懐から煙草ケースを取り出した。親指で蓋を跳ね上げ、中を一瞥すると、軽く振って、蓋を閉じた。

「煙草が無くなりました。帰りましょう」

 え。

「で、でもお祭りが」

「不正解です。煙草が無くてはいけません」

 彼女は膝の上を手で払って立ち上がり、本当に出口に向かって歩き出した。僕は彼女が残していったスチロールトレイを回収して近くのゴミ箱に突っ込み、後を追った。

「煙草もまた、古くは薬用や宗教的用途を伴っていました」

 追いついた僕の前を歩きながら、教授はのんびりと首を回して言った。

「論理としては先ほどのコーヒーと同様です。宗教儀礼という括りの中で、煙草もコーヒーも祭りも同一です。つまり、神への供物、繋がるためのモノ、崇め奉る儀式的所業、そういった類です」

 つまり、つまり……。

 どういう意味だ?

「やはり、お祭りに煙草は欠かせません。特に煙草は、その煙によって神の元へ登る事が出来るとされていました。お祭りで吸わずしていつ吸うのでしょうか」

 ……ああ、こっちもそういう事なのか。

 思わずため息が出そうになった時、教授がぴたりと足を止めて、僕の方に振り返った。

 いつもより、少しだけ口角が上がっている気がした。

「不正解です」

「……何がですか」

「私の論理が、です。煙草、コーヒー、お祭りの神性は未だ疑われてはならない「不思議」ですが、私の話したそれは最早暴論の域です。……コーヒーを飲んだ際にも同様の話をしたのですが、聞いていなかったでしょう」

 ふわり、と長い黒髪が揺れて、一瞬遅れてぬるい風を感じた。

「いつも言っているでしょう、言葉とは」

「噛み砕き、吟味してから飲み込むべきである。……確かに、鵜呑みにしてました」

「正解です」

 彼女はまた前を向いて、歩き出した。

「しかし、煙草が無いのは不正解です。また、コーヒーの購入が不可能である事も確認出来ました。一度ホテルに戻って、煙草の補充とコーヒーの摂取を行い、然るべき後に「お祭り」を堪能しましょう」

 今度こそ、本当にため息が出た。

 まだ、微かに囃子の音が聞こえてくる。多分夕方には戻れて、もう一度焼きそばを堪能出来るだろう。

 まあ、それも悪くないか。

 枯竹四手です。宜しくお願いします。

 連載五話目の投稿となります。


 まず、執筆に際してシュウ様の秋原さんの設定をお借りしました。

 ありがとうございました。


 うろな町お祭り企画作品という事で、少しだけ長くなりました。

 教授の「暴論」、お楽しみ頂けたでしょうか(笑


 感想等ありましたら、宜しくお願いします。

 じんじん喜びます。

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