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うろなで出会う

 僕の上司であり、また師でもある和倉葉朽葉(わくらばくちは)は、傍目には知的な雰囲気のする女性である。いや、大学教授なんだから知的で当たり前、という人もいるだろうし、実際大変に知的だ。しかし昨今は格好と年齢と奇矯(ききょう)な言動だけが売りみたいな輩もいるし、やはり中身が伴うというのは重要な事だ。

 ただ、彼女の場合は別な意味で伴っていない部分がある。つまり、性格である。傍若無人無礼千万唯我独尊華花有棘(かかゆうし)と一通りひどい。最後の華花有棘は僕がさっき考えたものだが。大体からして、僕がこのうろな町に来た理由もこの間伝えられたばかりなのだ。

 彼女は、この町に「不思議」を探しに来ている、らしい。不思議なんてその辺にいくらでも転がっている、というのはまあ真理なのだが、しかし彼女の食指が動きそうなモノはなかなか無い。というか、僕は別に彼女のツボを心得ているわけではないのだから当たり前だ。この間は「中華料理屋なのに中華以外も出してしかも美味しい中華料理屋」という不思議なお店に行ったのだが、確かに不思議だとは思うがそれに興味を示す理由が湧かない。案外あの背の高い店主が諸国放浪とかしていたさすらいの料理人、という事も考えられるのだ。見た目の年齢が若いのでは微妙だが。

 まあ、多分そういった類の「不思議」を見つければいいのだろう。そんなほいほいと転がっていられても困るのだが。


「そこな御仁。私の顔に何か付いているかな」

 若いようで渋い、絶妙な声で僕は我に返った。どうも僕には何かを考え出すとトリップする癖がついているらしい。

 いや、この光景は誰が見てもトリップするだろう。だって、僕の目の前にいる青年(推定)は、天狗(てんぐ)の仮面を付けているのだ。

 赤く艶めいた色の鼻は高くて大きく、国が違えば嘘つきなんじゃないかと誤認する所だ。三角に見開かれた目には迫力があり、髭と眉は毛がぴっと伸びて凛々しい。山伏(やまぶし)の額にある帽子のようなものは定番だが、僕にはあれの装飾的価値以外が見いだせない。いや、それは今どうでもいい。

 ただ、首から下はジャージを着ている普通の男性で、なんというか、地味だ。ただし背中には唐草模様のマントを羽織っているので、それがアクセントなのだろう。僕には良く分からないけど。

 そんな人物が、白昼堂々と道を歩いているのだから、僕じゃなくても焦るだろう。まあ雨が降っているから白昼とは言い辛いが、真っ昼間なのは間違いない。

「御仁、御仁。濡れているぞ」

 その声でまた我に返り、慌てて傘を元の位置に戻す。服は少し濡れたが、袋に入っているコーヒー豆は無事だろう。ちなみに、天狗面の男は番傘を差していた。実にそれっぽい。

「うむ、風邪をひかぬ様にするのだ」

 うんうん、と頷きながら言う天狗面の男の手にも膨れたビニール袋がある。彼も買い物の帰りなのだろう。シュールだ。

「あ、あの」

 一個だけ、一個だけやってみたい事がある。もし許されるのなら、だ。

「?」

 仮面で表情は分からないが、多分訝しげにしているであろう彼に、恐る恐るお願いしてみた。

「仮面、触ってもいいですか」


 結論から言うと割と冷たく、固くて重そうだった。普通は木に漆を塗って作るか、あるいは張り子なのだろうが、彼の仮面は他の素材で出来ているのかも知れない。

「こんな事で良ければいくらでも力を貸すぞ!」

 天狗面の男は胸を張った。僕はお礼を言って、それから最後の疑問を尋ねた。

「なぜ、それを付けているんですか?」

 彼は間を置かず、静かに言った。

「天狗だからだ」

 なるほど。その通りだろう。ちょっと感動してしまった。僕の精神が真っ当なら涙していただろう。

 それは望むべくも無いので、僕は深く頷いて敬意を評し、ふとホテルの事を思い浮かべた。ああ、そう言えば待たせている。

「失礼しました。では、僕はこれで」

 お辞儀をすると、天狗面の男が小さく微笑んだ気がした。

「私の名前は天狗仮面。困った事があったらいつでも助けに参る故」

「僕の名前は六条寺華一郎ろくじょうじはないちろうです。それでは」

 天狗仮面は、僕の事が見えなくなるまでずっと見守ってくれていたようだった。


 ホテルに戻ると、閉め切った部屋の中は紫煙(しえん)が充満して、やたらと涼しかった。冷房が効いている。部屋の主と化した彼女は、外に出る予定も無いのにスーツ姿だ。

「教授、教授?」

「不正解です」

 いつも通りの静かな声だったが、それには若干棘が含まれているようだった。

 僕の上司である和倉葉朽葉はカフェイン中毒であると同時にヘビースモーカーであり、僕がいない間に灰皿の中がごっそり増えていた。勿論片付けは僕の役目である。

「私は備蓄が無くなったコーヒー豆を買ってくる様に要請し、貴方はそれを受諾しました。一番近いスーパーまで徒歩往復でも10分ですが、すでに15分が経過しています。降雨を考慮しても認められる範囲の遅延ではないと思いますが」

「すいません、ちょっと」

「不正解です。何が「ちょっと」なのですか」

 僕が天狗仮面にあった顛末(てんまつ)を説明すると、彼女は常に浮かんでいる微笑を消して黙った。何か考えている時は大体こうなのだ。今のうちに、とコーヒー豆をミルに開け、丁寧に挽く。上等な手挽きのミルなのだが、彼女がアンティークショップで惚れ込んだこれを研究費で購入しているという事実が不安でしょうがない。主に年度末が。

 豆が粉になり、ドリッパーに開けて(なら)す頃になって、彼女はようやくいつもの微笑を取り戻し、テーブルに放り出してあった煙草入れから一本取り出して火を点け、深く吸った。僕が注ぐお湯の音を聞きながら目を閉じ、僕が暗褐色の液で満たされたカップを差し出すまでそのままだった。

「正解です」

 吸い殻を灰皿に投げ捨てて、それを一口飲んだ彼女は多少機嫌を取り戻してくれたようで、そう言うとゆっくり深く息を吐いた。

「で、天狗仮面さんの話なんですが」

 僕が切り出すと、彼女は一瞬とぼけた顔をして、また微笑んだ。

「何でしょう」

「え、気にならないんですか」

「不正解です。大変に興味をそそられる、いい「不思議」です」

「じゃあ、次は彼ですか」

「不正解です」

 ……毎度の事だが、訳が分からない。

「どういう事ですか」

「まず、貴方の会った天狗仮面氏が何なのか、考察しなくてはなりません」

「でも、いつも言ってるじゃないですか、百聞は」

「一見に如かず。正解です。ですが、思考を放棄し、観察で正解のみを拾う事は研究とは言えません。手っ取り早ければいい、というのは研究に於いては認められません」

「でも、この間の中華料理屋は」

「不正解です。私は仮説を持っていました」

「……どんな」

「料理人が何人かいる、という説です。不正解でした」

 彼女はそう言って、またコーヒーに口をつけた。確かに、他の従業員がいた気配はなかったから「不正解」だろう。諸国放浪よりは現実的な説だ。

「今回は貴方の見聞を元に仮説を立てましょう。貴方の個人的な感想を聞かせて下さい。まず、彼は本物の天狗でしたか」

 いきなり思い切った質問だ。

「……分かりません」

「不正解です。感想に「解答不能」はありえません」

 いやまあ、そうなのだが。

「……個人的には、だといいなぁ、と」

「つまり、天狗ではなさそうだ、と思ったのですね」

「……だって、天狗が天狗の仮面を付けますか?」

 彼女は無言で空のカップを差し出し、僕はそれを受け取って、次の一杯を注いだ。

「では、貴方は「天狗仮面」氏以外の天狗を見た事がありますか」

「無いです」

「それでは、天狗の容姿を答えてください」

「ええと、鼻が長くて、赤くて、山伏の格好で……」

「貴方が見た「天狗仮面」氏と、大して変わらない様に思えますが」

「いやだって、仮面ですよ。本物の顔じゃないんですよ」

「そうでしょうか。例えば、全ての天狗が同様の仮面を付けている可能性もあります」

「そんな」

「では、貴方は天狗仮面氏の仮面と同じ顔をした人物が実在すると考えていますか」

「それは……ないです」

 当たり前だ。あんな鼻にあんな顔色の人間がいたとしたら。

 ……いや、それが天狗か。

「正解です」

 僕の心を見透かす様に、教授はぽつりと呟いた。

「天狗の発祥には多くの説がありますが、まず「天狗」として知られている容姿は「人外」です。オーバーな表現、あるいはディフォルメかも知れませんが、少なくともそういうモノです」

 彼女はぼーっとしていた僕からカップを奪い、コーヒーを呷った。カップを降ろすと、口元の微笑はいつも通りだった。

「過去を知る事は出来ますが、ある一定以上の過去を正確に「見る」事は不可能です。つまり写真技術等が無い時代ですが、その頃、世界は正しく当事者の主観で構成され、第三者視点の介在は不可能に近く、つまり「百聞は一見に如かず」という言葉に今以上の力がありました。その膨大な典型例の一つとして、天狗の容姿があげられるでしょう。現代に残るのは口承と絵画のみ、しかも口承は伝播し、変遷していく。事実を知る事は不可能です」

 しとしとという雨の音が窓から響いて、冷房の立てる無機質な音以外を奪っていた。僕はコーヒーメイカーの前で突っ立ったままで、教授は優雅に足を組んで座っている。

 ひどく静かだ。

「現代に於ける天狗の目撃例はいくつか把握していますが、それらにも具体的な物証はありません。極論してしまえば、先ほどの貴方の話もそうです」

 そこまで言って彼女は言葉を切り、ちょっと目を伏せた。

「当然ですが、貴方を疑っているわけではありません。極論ですから、鵜呑みにしない様に」

「いや、それはまあ。僕も簡単に信じられませんから」

 ただ、触れたので夢でも幽霊でもないだろう。精々が妖怪だ。あ、妖怪でいいのか。

 彼女は足を組み直して、椅子の背もたれに身を預けた。

「そこで、我々に必要な事は何でしょう?」

「天狗仮面さんに、もう一度会うこと?」

「正解です」

 教授はコーヒーカップを捧げた。彼女の賛辞ではいい方だ。

「で、考察は」

「現状では二択です。天狗か、そうでないか。要因は彼の名乗りです」

「天狗仮面、ですか」

「正解です。つまるところ「仮面」とは、それになるという事です。その理屈でいけば、「天狗仮面」氏は問答無用で「天狗」です。天狗の仮面を被っているのですから」

 そう、なのだろう。

「しかし、逆説的に言えば彼は天狗ではありません。何故なら天狗の仮面を被っているからです。仮面を被っていなければ、天狗ではありません」

 ……ここまで分かる。

「しかし、先程述べた様に、我々は天狗がいかなるモノなのか理解していません。故に、彼が天狗の仮面を被った天狗以外の何かであるのか、あるいは仮面を被り天狗になった天狗であるのか、若しくは仮面の要素をまったく無視した他の何かであるのか、という疑問が生じます」

 ……そろそろ混乱して来た。

「以上の観点から、仮説と実証方法を提案します」

「何ですか」

「彼は天狗である、という観点から彼に会い、天狗である事を実証してもらいます」

「……どうやって?」

「考えましょう。今出来る事はこれくらいです。明後日以降彼の捜索を行います」

「なんで明後日なんですか」

「明日も雨だからです」

 彼女は若干残念そうな口調で呟き、窓の方を見やった。

 雨は降り続いていた。


 以上が昼間の顛末である。

 教授は「一般的に統計されている現代の若年層が就寝する時刻です」といって僕を閉め出した。10時に。当然僕は眠れず、自分の部屋でベッドに転がり、ぼんやり雨音を聞いていたわけである。

 ふと外を見やると、何かが宙を飛んで横切っていった、気がした。ちなみにここは、ホテルの4階である。

 番傘を差し、天狗の面を被って唐傘模様のマントを羽織ったジャージの青年が颯爽(さっそう)と飛んでいく姿を想像したら、少し可笑しくなった。

 さて、僕も寝るか。

 枯竹四手です。宜しくお願いします。

 連載四話目の投稿となります。


 まず、執筆に際して三衣 千月様の「天狗仮面」をお借りし、前話に引き続いて寺町 朱穂様の清志さんと中華料理店『クトゥルフ』の設定をお借りしました。

 不思議を探そう、と思ったら、やっぱり一際目を惹かれたのが天狗仮面でした。今後もお付き合い頂くかも知れません。


 感想等ありましたら、宜しくお願い致します。

 ばっちり喜びます。

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