うろなで推理 後日譚
僕は、つまり六条寺華一郎たる僕の事だが、一応社会人である。まあ半分学生のようなものでもあるのだが、それは僕の職業が大学教授の助手であるからだ。何故こうなったのかは割愛するが、とにかく僕は教授たる和倉葉朽葉に文字通り仕えている。一度だって嫌だと思った事はないが、一度たりとも平和を感じ取れた事も無い。
まあ、それは別にいいんだけれども。
「教授! 教授!」
僕が教授の部屋に飛び込んだ時、彼女は丁度着替えを終えたタイミングらしかった。というのも、色々散らかっていたからだ。何とは言えないが。
「……片付けて下さい」
「不正解です」
「片付いたら呼んで下さい」
教授が答える前に、僕は扉を閉めた。四条社にでもやらせようかと考えたが、たまには自分でやってほしい。
そういう訳で、僕は三分ほど廊下に立っている羽目になった。
教授が扉を開けて招き入れ、僕はようやく散らかった衣類の消えた部屋に入る事が出来た。多分散らかっていた品々をそのへんに突っ込んだだけなので、やっぱり後で四条社を呼ぼう。すでに昼だが、躁病気味な割に低血圧な彼女は多分まだ寝ている。
「どんな用件でしょうか」
教授が微笑む。そう言えば、忘れかけていた。
「これなんですけど」
僕は教授に、一冊の雑誌を渡した。
それは『月刊うろNOW』という、うろな町ローカルの雑誌で、教授は先月、この雑誌に属する記者の澤鐘日花里さんに、まったく奇妙な取材を受けたのだ。取材だか事件依頼だか曖昧なそれは、教授(と僕と四条社)の手によって、一応『解決』した。したと思っていた。
そして、教授の取材記事が載った雑誌が発行された訳だが、それを読んで僕は、ちょっとどころではない憤りのような感情を持ったのだった。それで、教授がこれを読んでいないであろう事を確信して(教授はあれでなかなか活字を読まない)、持ってきた訳だ。
教授にページを開いて見せる。教授は青い瞳でもって、黙読し始めた。
結果から言うと、あの取材自体が澤鐘さんの仕組みであり仕込みであり、つまり教授は試されただけだったという事なのだ。澤鐘さんは最後に教授の事を『なにせ彼女は、ただ謎を解くだけの機械でしかなく、探偵と言う物では無いのでしょうから』と結論づけて、記事を終えていた。記事掲載の連絡が無いなと思っていたら、そういう事だったわけだ。
教授は記事を読み終えたらしく、雑誌を閉じて、ベッドの上に置いた。そして、サイドテーブルにあったコーヒーカップを僕に突き出す。反射的に受け取って不随意的にコーヒーメイカーに向かい、無意識的にコーヒーを注いで彼女に手渡す。
教授はそれに口を付けて、いつもの微笑を暗褐色の液体に映した。
「不正解です」
…………。
何がだろう。
「で、記事の件ですけど」
「何でしょう」
「何でしょう、じゃなくて、あれ、どう思うんですか」
教授は青い瞳をぱちぱちさせて、首をかくん、と傾げた。
「どうも思いませんが」
……ちゃんと読んだのだろうか。
「だって、あれが事実なら教授は騙された挙げ句、勝手に分析までされてるんですよ?」
「何か問題が?」
「だって」
どうも教授が状況を理解しているとは思えない。あれは下手をすれば詐欺か何かだ。
「だって教授、知らなかったでしょう?」
「不正解です」
…………。
え。
え?
「し、知ってたって事ですか」
「正解です」
教授は微笑みを絶やす事無く、優雅に頷いた。
「あれだけの情報収集能力と記憶力がありながら、盗まれたタイミングの記憶も無ければ取材相手の事も思いつかない、そんな事があるでしょうか。混乱していたのなら、貴方の視力のような情報が出てくるはずもありません。つまり彼女はある程度混乱していなかったのです。結論として、彼女が何かを隠している可能性はありました。この記事で、それが立証されただけです」
「じゃ、じゃあ、気づいてたなら、言えば良かったじゃないですか」
「あの段階では、確証はありませんでしたから」
教授は、至極あっさりとそう言った。
「状況は確かに不自然過ぎました。窃盗のタイミング、警察に行かない理由、私を頼る理由など、積み上げれば切りがありません。ただ、それらの疑惑が事実である、という証拠がありませんでした。故に指摘しませんでした」
「でも教授、これは」
詐欺じゃなくても、虚偽である。
何とか理解してもらいたいものだと思い、僕は必死で次の言葉を探した。
「……いいんですか? この記事が大学に知られたら」
「不正解です。大学に知られても問題は無いでしょう。大学の名前は出ていませんし、そもそも彼女は取材許可を取ったと言っているのですから」
彼女は涼やかに言うが、自分が如何に一部で名前(悪名とも言う)を轟かせているか、果たしてきっちり理解しているのだろうか。こうなればその取材許可も怪しいものだ。
大体、理由が分からない。
「なんで教授を試すような事をしたんですかね」
「不正解です」
え。
教授はコーヒーを飲み干して、嘆息する。
「記事を見れば明らかです。彼女は私の『推理力』なるものを知りたかったのでしょう」
「いや、それは分かりますけど、でもその理由は?」
「知りたかったから、でしょう」
「…………」
僕は黙る。何を言っていいか、分からなくなったからだ。
教授は微笑む。僕の心情は、恐らく理解しているだろう。
「怒る理由はありません。私は取材を受け、その結果がここにこうしてあるだけです。彼女が導きだした『正解』たるこの記事は、取材の範囲に於いて完全に正当で正確なものです」
いつの間にか煙草を取り出していた教授は、ライターを捜してポケットをまさぐっていた。僕は横のテーブルに置いてあった安っぽい青のライターを取り上げ、渡す。
「正解です」
教授はすぐに火を点け、ゆっくりと煙を吸い込んだ。葉が燃えるチリチリという音が微かに聞こえるくらい、部屋の中は静かだった。
吐き出された紫煙に、教授の声が混ざる。
「彼女の『不正解』は二つだけです。私が『探偵』であるかどうか、そして『推理力』なる能力の、今回に於ける意味です」
あの日も言いましたが、と教授は言う。
「私は『探偵』ではなく、そして『探偵』と名乗った事もありません。当然名乗る予定もありませんし、そう認識されたというだけです。私はそれについて何ら意見を持ちません。何故なら私は探偵ではなく、最初にそれを否定したのですから、つまり自らの『探偵』についての意見を持つ理由すら存在しません。故に不正解です」
「……じゃあ『推理力』については?」
「今回私が働かせた『推理力』は、恐らく零に等しいでしょう」
いや、それは無い。
しかし、教授は真面目に微笑んでいる。
「では、あの暗号を解く上で必要不可欠だったものは、何でしょう」
「え? それはまあ、直感というか、気づく力というか」
「不正解です。あれを解くのに必要だったのは、知識です」
二本目の煙草に火を点け、教授はその青い瞳を、遠くを見るかのように細める。
「あの暗号から二つのキーワードを抽出するのは容易でした。しかし、その後が問題です」
容易だったかどうかについては全く違う意見があるが、今は置いておこう。
「あれを解くには、最終的に暗号設定者である彼女の知識が必要でした。私は瀬島蒼龍と大神義愛の情報を有しておらず、最終的に犯人を絞る決め手となった部分に関しても、彼女達に会った上で初めて理解可能になりました。つまり、あの暗号は彼女ありきであり、そこに『推理』が入る余地はありません」
「でも、教授は『推理』で犯人を」
イケメンの兄と、やけに声が可愛い妹のバンドコンビを思い出す。内片方が今回の『犯人』であったが、彼女もまた作られた『犯人』だったわけだ。いや、犯人と言っていいかは、今や微妙なラインになってしまったが。
「あれは推理とは呼べません。もし推理をするのであれば、最初の段階で最後までの道筋をつける事が求められます。暗号を解いただけではまだ半分です。そして、私は半分までしか『推理』をしていません」
「最後の部分は? 一応『犯人』は指摘したじゃないですか」
「私は最後に瀬島蒼龍と大神義愛、両方の可能性を指摘しました。可能性を潰し切っていないのであれば、推理の完成とは呼べません。最後に片方に絞ったのは、そのこじつけ方が一番シンプルで理解しやすかったからです」
微かな笑みの端っこに、短くなった煙草が突っ立っている。教授は、何故だかひどく面白そうだった。
「結論を言えば、あれは『推理』ではなく、私の考える一番シンプルな『可能性』の指摘だったという事です。例えばあの場で否定されていれば、私は何の反論も出来なかったでしょう。物証も確証も実証も無く、状況証拠すら曖昧だったのですから。あっさり認めた理由は、犯人が目的を果たしていたからに過ぎないと考えます。状況を組み立てる能力のみを『推理』と呼ぶのであれば、今回私は『推理』をしたのでしょう」
目的。
しかし、その目的すら、作られたものであったのかも知れない。
……いや、あの感じだと、写真に関しては多分あったんだろう。うん。
教授は微笑んで、空のカップを僕に差し出す。
「以上です。ですから、あまりそういう顔をしないように」
ん?
「……変な顔してますか、僕」
「不正解です」
教授は涼しく言って、微笑む。
「コーヒーが美味しくありませんでした。貴方は顔に出ない分、他のモノに出るのですね。良い経験になりました」
…………。
やれやれ。
「淹れ直します」
「正解です」
僕は白い陶器のカップを受け取り、コーヒーメイカーに向かう。
美味しいコーヒーを淹れよう。
アッキ様の澤鐘日花里さん、瀬島蒼龍君、大神義愛さんを、名前だけお借りしました。