うろなで推理 3 4/27
前話『うろなで推理 2』を先にお読みいただくと分かりやすいかと思います。
「つまるところ、四条社は最初に辿り着いていたんだけどね」
まじすか、と彼女は呟く。
「どういう事っす?」
「『青くなる前』って言うのを青の根源、つまり『藍』と考えた時、不意も他意も語彙も愛も全部が『アイ』で終わってるんだ。ゲシュタルト崩壊も起こすはずさ、いつも言ってるんだから」
「つまり、アーベーセーでいうところの」
「それだとイーだろ」
「じゃあエービーシーで」
「そう。つまり『アイ』だ」
「じゃ、じゃあ、この『青くなる前』って言うのは」
得心いったらしい澤鐘さんの瞳に、ようやく光が射す。
「はい。つまり母音たる『i』の前に、答えがあるんじゃないかなと」
僕は手紙を広げて、指で示す。
『【不『意』ながら、他『意』などと呼べるものは、辞典の語『彙』から消えさせてもらう】
【ぎ『い』こと鳴る、他社からのた『い』謝産物、あ『い』はもうこの世から消え失せる】』
「つまり、不、他、語とぎ、た、あです」
「双子、ギターっすか?」
「だと思うけど」
ここまで言って、僕は澤鐘さんを見やった。
「澤鐘さん。この『双子』『ギター』に心当たりは?」
彼女は俯いてぶつぶつと呟いていたが、急に顔を上げた。
「あ、あります、あります!」
「何ですか」
「最近、うろなで歌手活動をしている二人組バンドの取材をしたんです」
「それって『DQN's』っすか?」
世俗に詳しい四条社が口を挟むと、澤鐘さんはぶんぶん頭を振って肯定した。
「か、彼らの新曲の名前が『双子はいつも笑う』です」
「なるほど。じゃあ、その人達の内ギターを担当しているのは?」
そいつが多分、手帳を持っているか、あるいは何か知っているのだろう。
しかし、今度は四条社が首を横に振った。
「『DQN's』はどっちもギターやるっすよ。ちなみに瀬島蒼龍と大神義愛の二人っすから『怪盗YS』と合わないっすけど」
ソウルにギア。斬新な名前だ。芸名には最適だろう。
そんな僕の心が表情に出ていたのか、四条社がうぷぷ、と笑った。
「彼らは本名でやってるっす」
「そ、そうなんです」
澤鐘さんが遠慮がちに同意して、僕は昨今の命名事情を思い知らされた。まあ、華一郎の方がある意味ひどいか。いや、それはどうでもいいのだ。
「とにかく、その人達に会えば」
それで、とりあえず進展はあるはずだ。そのはずなのだ。
いつもの癖で教授を見やると、彼女は少しだけ満足そうで、少しだけ不満そうだった。
「教授、何かありますか」
「正解です」
彼女はそう呟いて、それから澤鐘さんに視線を移す。
「貴方は、この件を刑事問題にする気はないのですね」
「は、はい」
「では、一つだけお願いします。この件について犯人が発見され手帳が戻って来た場合、その人物を訴えない事」
澤鐘さんは無言で頷き、教授は微笑みと共に頷いた。
「では、怪盗氏に会いましょう」
二人組に会うため、澤鐘さんが設定したのは僕たちが彼女と初めて会った場所、つまりこのホテルに併設されたカフェだった。澤鐘さんと僕と四条社、そして、教授も着いて来た。
「それで、聞きたい事って何ですか?」
そう聞くのは、瀬島蒼龍の方である。フリルいっぱいの可愛い洋服に身を包んで、ニコニコしている。その横で黙ったまま、静かに座っているのが大神義愛のようだ。こちらは表情を消して、黒っぽい服は少し大人びた印象だ。二人とも高校生だということだ。
ただし、澤鐘さんと四条社から得た事前情報の限りだと蒼龍の方が『男性』で、義愛の方が『女性』であるらしい。深く追求はすまい。
「じ、実は」
澤鐘さんは必死な様子でそう切り出し、手帳が盗まれた事、手紙の事、そしてその内容と解釈についてを彼らに語った。じっと黙って聞いていた二人は、彼女の話が終わるとお互いに顔を見合わせ、蒼龍君の方が口を開いた。
「でも、どっちも『怪盗YS』ではないですよ?」
そこだ。この『YS』がアキレス腱なのだ。僕たちにあるのはこの手紙についての解釈だけで、物的証拠どころか状況証拠すら無い。彼らを納得させるには、この手紙を完膚なきまでに論破する必要があるのだ。
「せっかくこう名乗ってるんだから、YSさんを探した方がいいんじゃないですか?」
蒼龍君はそう言い、義愛さんは何も言わない。僕らも、それについての解釈は持ち合わせていないのだ。澤鐘さんはさらにおどおどして、僕の後ろにいる四条社からの視線が背中に突き刺さっている感覚がある。
どうしよう。
「……Sは、蒼龍君の頭文字ですよね」
「Yは?」
蒼龍君は挑戦的に答える。義愛さんに至っては掠る余地すらない。
……困ってしまった。
「不正解です」
唐突に教授が口を挟んで、全員の視線が一気にそっちを向いた。
「青というワードに対する『蒼』、Sという頭文字、そしてYは、ラテン語発音で『ユー』です。龍と似ていますね」
蒼龍君はたじろぐ。つまり、こじつけに成功したのだ。
「じゃあやっぱり、彼が」
「不正解です」
え。
「な、なんで?」
四条社が彼らの方をちらちら見ながら尋ねると、教授は微笑んでコーヒーを啜った。
「この解釈はラテン語を使う意味やSが後ろに来ている意味が説明出来ません。故に不正解です」
そう言って、彼女は微笑みと共に二人の高校生を見つめる。
「瀬島蒼龍」
「は、はい」
反射的な返答をした蒼龍君をじっと見て、教授は微笑む。
「貴方は、彼女の兄ですか」
彼女とはつまり、義愛さんの事だろう。蒼龍君は躊躇った後、頷いた。教授は満足げに微笑んで、義愛さんの方に向き直る。
「つまり、貴方は妹ですね」
義愛さんは頷く。教授も頷く。
「妹、つまりYoung Sisterです。怪盗YSは」
貴方です、と教授は言った。
義愛さんは黙っていたが、結局静かに頷いて口を開いた。
「私です」
思いのほか、女性的な可愛げのある声だ。
「この間、取材に来た時に」
澤鐘さんはぽかんとしているし、四条社は何を考えているのだか分からないが、とにかくにやけている。義愛さんはぺこり、と頭を下げ、躊躇いがちに手をテーブルの下に下ろすと、分厚く膨らんだ手帳をテーブルに置いた。澤鐘さんが悲鳴のような声を上げ、それを取り上げて数ページめくり、大きく嘆息した。
「……これ、です」
彼女は安心のあまり脱力して、四条社が手を出さなければ椅子から転げ落ちていただろう。教授は微笑みながら蒼龍君と義愛さんを見つめる。
「お返し戴ければ、彼女も特に問題にする気はないと明言しました。最後に一つだけ、理由をお聞かせ願えますか」
義愛さんは目を大きく開いて、それから俯いた。耳が微かに赤くなっている。
「……しんを」
「何でしょう」
「しゃ、写真を、取り戻したくて」
なるほど。何かまずい写真が撮られていたのだろう。歌手ともなれば、スキャンダラスな写真があっても不思議ではない、というのは偏見か。
なら結構です、と教授は言って立ち上がり、それから、謎めいた言葉を発した。
「相談する相手がいるのは良い事です。正解ですが、ある意味では不正解です」
彼女はそれだけ言い残して、カフェから出て行った。取り残された僕たちは呆然としていたが、四条社がゆっくりと、彼女なりの締めの言葉を呟いた。
「眼福だったっす。色々」
はあ。
僕は蒼龍君と義愛さんに教授の非礼を詫び、彼らは何度も頭を下げながら帰って行った。澤鐘さんはようやく気を取り直したようで、手帳をはらはらとめくっていたが、急に小さな悲鳴を上げた。
「な、なくなってます」
「写真ですか」
「は、はい。大神さんの、魔法少女コスプレ写真」
…………。
それはまあ、取り戻したくもなるだろう。どこから仕入れたのかは知らないが。若気の至りとはいつだってあるものなのだ。
四条社が彼女の後ろでため息をついているので、それも多少なりとも気になる。
「何か?」
「何か、じゃないっす。義愛ちゃんの生声マジラブっす」
……そう。
「コスプレ写真も見たかったっすけど、その辺は愛で補完するっす」
それは愛ではなく、妄想だと思う。とにかく、これで一応解決だろうと思うとほっとする。
僕は会計伝票を手に取りながら、こっそり嘆息した。
引き続きアッキさんの澤鐘さん、そして瀬島蒼龍くんと大神儀愛さんをお借りしました。