うろなで推理 2 4/27
前話『うろなで推理 1』を先にお読みいただけると分かりやすいかと思います。
澤鐘さんは少し逡巡してから、よろしくお願いします、と頭を下げた。
四条社は楽しげに謎の手紙を矯めつ眇めつしているし、教授は教授で微笑みながら煙草を吹かすのみである。
……致し方ないか。
僕は四条社の横で、澤鐘さんから情報を得る事に専念する。
「犯人に心当たりは?」
「あ、あるような、ないような」
色々書いてあると言っていたから、それは当然だろう。
「いつ盗まれたんです?」
「わ、分からないんです。取材の時か、会社か、す、すられたのかも」
「最近なんですよね?」
「は、はい」
何だか尋問しているみたいで、気が重い。しかし、分からない事だらけなのだから仕方ない。
「気づかなかった?」
「……まったく」
そこまで気落ちする事もあるまい、と思ったが、彼女にとってとても大事な物だったのだ、と思い直した。教授にとっての『不思議』、四条社にとっての『愛』、僕のとっての。
……僕にとっての、何だろう。
「ろ、六条寺さん?」
「あ、ああ、すいません」
ぼーっとしてしまった。
四条社はというと、眺め終わったらしい手紙を僕に渡しながら、大儀そうに頷いた。
「透かしとか炙り出しとかピンの痕とか指紋とかは無いっすね」
指紋はともかく、他の奴はあると思っていたのだろうか。
僕は手紙を読む。
『【不意ながら、他意などと呼べるものは、辞典の語彙から消えさせてもらう】
【ぎいこと鳴る、他社からの代謝産物、愛はもうこの世から消え失せる】
#青くなる前に解け。 怪盗YSより』
……うん、分からない。しかし、やると(四条社が)言ってしまった以上、やるしかあるまい。
「ええと、このYSというのに、心当たりは?」
澤鐘さんは少し考えていたが、首を横に振った。
「い、イニシャルなら、分かるんですが」
イニシャルではないだろう。分かり易すぎる。これで彼女の記憶に頼る限り、ほぼお手上げだ。この暗号(推定)を解くしか無いのだろう。
まず、普通に読んでみようか。四条社が僕の肩越しに手紙を覗き込んで、僕は文章を声に出してみる。
「……急だけど『他意』という言葉を辞典からカットする?」
「何言ってんのか良く分かんないっす」
当たり前だ。僕にだって分かっていない。次の段。
「……ぎいこと鳴る他社製品、愛はこの世から消え失せる」
「愛に対する挑戦状っすかね」
四条社が奮然と言うが、多分違う。では、何なのか。次の段を考えてからにしよう。
「……青くなる前に解け」
「もう顔真っ青っすけど」
多分澤鐘さんの事を言っているが、それでない事は彼女だって理解している、と思う。
以上。
「つまり、文章通りの意味では無いだろう、って事ですね」
「は、はい……」
澤鐘さんは首肯して、もごもごと言葉を濁した。当然だ。彼女にもそれは分かっていただろうし、それなら理解してとっくに怪盗とやらを探しに行っているはずだ。
「うーん、この『青くなる前に解け』ってのがヒントっすよね、多分」
四条社はそう言って唸る。
「青くなる。何がっすかね」
「そこを越えたら、手帳がどうにかなるんじゃないかな」
ひっ、と澤鐘さんが卒倒しそうな悲鳴を上げたので、四条社が慌てて彼女の背中をさすった。
「だ、だーいじょうぶっす! その前に必ず解いてみせるっすよ。……センパイが」
責任転嫁を図る四条社は置いておいて、考える。
「青くなるまで、か」
「何がっすかねぇ」
青いものを色々考えてみる。例えば、空。
「空が青くなる前、とか」
「確かに曇ってるっすけど、どっからが青い空かって話じゃないすか?」
窓の外は確かに暗めではあるが、雲の切れ間が無い事も無く、青空は微かにのぞいている。指標にするには曖昧か。
「青いものねぇ」
「何か青いもの、持ってないっすか?」
四条社が訪ね、澤鐘さんはちょっと考えた後に、ポケットから青いペンを取りだした。
「こ、これ、取材用の、ペン、ですけど」
それは流石に関係ないだろう。僕が首を横に振ると、彼女は不安そうに唇を噛んだ。あまり無駄をしていては、教授の沽券に関わりかねない。
でも、と四条社がつぶやく。
「『青くなるまでに解け』が文字通りの意味だったら、他の部分も文字通りなんじゃないすかね。でも」
「他の部分は『文字通り』だと意味不明、か」
「そうっす」
彼女が言いたいのはつまり、この文章には何らかの隠された意図がある、という事だろう。一理ある。……それが分かれば、苦労などしていないが。
四条社はぶつぶつと手紙を読み続け、僕は彼女の淹れたエスプレッソに口を付ける。彼女は何でも愛しているが、このエスプレッソもなかなかのものだ。
「うう、なんかゲシュタルト崩壊っす。不意、他意、語彙、愛」
うんうん唸り続ける彼女は韻を踏むように、不意、他意、語彙、愛、と呟き続けている。
不意、他意、語彙、愛。
…………。
「それって、何か意味ありげじゃないか」
僕が言うと、四条社と澤鐘さんが同時に僕を見る。
「この短い文章の中に、韻を踏める言葉がいっぱい出て来る。恣意的に感じるけど」
「言われてみりゃそうっすね。無意識のうちに韻を愛してしまったっす」
良く分からない納得の仕方をされたが、理解はしてもらえたようだ。澤鐘さんも、同意なのか恐怖なのか分からないが、とにかく首を振っている。これで糸口は掴んだ、と思う。
ここから、例の『青くなる前に解け』が理解出来れば、解答は導きだせるのではあるまいか。
青くなる前。
「青って文字は、入ってない」
「青って意味の言葉も無いっすねぇ」
「『あ』と『お』も、ほ、ほとんど、入ってない、です」
三者三様の意見が出たが、これ以上は進展の気配が無い。僕はエスプレッソを飲み干し、四条社は手紙を睨み、澤鐘さんは自身の膝に目を落として、全員が沈黙した。
そのまま一分ほどの静寂が訪れて、しかし、それは涼しい声で破られた。
「不正解です」
教授は、とっくに空になっていたであろうカップをサイドテーブルに置いて、長い足を組んで微笑んだ。
「言葉の意味のみに拘泥していては、いつまでもそこより先に進めません。視点は無限ですが、指定される限りにおいてそれは絞られます」
意味、というよりは意図が理解できず、僕らは教授を見るのみだ。教授は胸ポケットから煙草を抜き出し、ふらふらと振ってみせる。
「これはなんですか」
「煙草です」
「いわゆるシガレットっすね」
「わ、和倉葉教授はエジプトの紙巻きを愛用されていると」
僕達が順繰りに言うと、教授は微笑み、その煙草を咥えて火を点け、息と一緒に有害な煙を思い切り吸い込んだ。
「全てが正解です。そして、それが真理への入り口です」
教授はそれだけ言って、目を閉じまた沈黙した。
それを破ったのは、またも四条社だった。
「……センパイ」
「どうした?」
「どうぞ澤鐘さんに説明をしてあげて下さいっす」
目を白黒させていた澤鐘さんは、びくん、と飛び上がって、そして子犬のように濡れた瞳で僕を見上げる。僕も困っているのだが。
とにかく、話の共通点を見つけねばならない。
「ええと、つまり、青って言うのは、煙草と」
「ど、どんな関係が?」
「…………」
それが分かれば、誰も苦労していないのだ。教授以外。
煙草と『青』に共通する事なんてあるのだろうか。青いパッケージの煙草、とか。
青のパッケージ。煙草の種類を思い出そうとして、僕はまた沈黙する。
……そうか。
「分かった、かも」
「ほ、本当ですかっ!?」
「センパイ! もったいつけないで説明するっす!」
二人が慌てる。僕は、横目で教授を見やる。彼女は目を閉じたまま微笑んでいて、煙草はほとんど灰になっていた。
「青って一口に言っても、色んな種類があるってことじゃないかな。煙草と一緒だ」
「……それで?」
四条社が首をもたげ、澤鐘さんも小刻みに震えながら頷く。
しかし、それは困る話だ。
「僕は『教授の意図』が理解出来ただけで、手紙の件が解決したとは言ってない。けど」
けど。けど、だ。
教授の意図には、必ず真実への手がかりがあるはずなのだ。
「青色の種類で思いつくのは?」
「そうっすねぇ。青って言っても色々あるっすね。同音なら『蒼』や『碧』も有りっすか」
「か、カラーコード、とか、他言語とか」
「青っぽい色は? 水色、緑青、後は」
僕は考えあぐね、四条社は肩をすくめた。
「それこそ唸るほどあるっすよ。カラーコードでいくっすか? 何種類か分かんないっすけど」
「百種類では、き、きかないかも知れません」
女性二人の抗議で、僕はまた思考停止する。確かに、少し多過ぎる。
僕はいつのまにか、教授の言葉を脳内で反復していた。
視点は無限、絞られる、根源、真理。
根源、か。なかなかしっくり来る。
「青の根源」
「根源ってあれっすか。青は何とかかんとかって諺」
「じ、荀子です。青は」
そうだ。
「青は、藍より出て藍より青し、か」
「弟子が先生より強くなる、ってあれっすよね。何とかストラッシュ使える元勇者」
四条社の軽口が遠くに聞こえる。僕は澤鐘さんの膝の上にあった例の手紙を拾い上げる。
『【不意ながら、他意などと呼べるものは、辞典の語彙から消えさせてもらう】
【ぎいこと鳴る、他社からの代謝産物、愛はもうこの世から消え失せる】
#青くなる前に解け。 怪盗YSより』
……不意、他意、語彙、愛。
青くなる前。
青の根源たる藍。
なるほど、なるほど。
「……さん? …寺さん? ……ろ、六条寺さん?」
ふと気がつけば、澤鐘さんが心配そうに(常にそんな感じだが)僕を見ていた。
「すいません、でも、分かりました。解き方が」
そう、解き方は分かった。
ただ、意味は未だ分からないのだ。
引き続きアッキさんの澤鐘日花里さんをお借りしています。