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うろなで天狗 夜 10/9

 僕、つまり六条寺華一郎ろくじょうじはないちろうの人生訓は『仕え奉れ』ではあるが、それは別に現在上司でありあるいは主でもある和倉葉朽葉(わくらばくちは)教授に限った事ではない。例えばそれは四条社麗乃(しじょうやしろれいの)にも、適用されるのだ。

 彼女が和倉葉朽葉の元に来た理由は僕の場合より単純で、つまりいわゆる「コネ」である。もっと簡単に言えば、彼女の相手を出来そうなのが教授で、その助手が僕だった、ということだ。

 そういうわけで僕の血縁者である四条社麗乃は、どうやら『愛する事』を探求しているらしい。ただ、これは僕の解釈で、もっと深い事情はありそうだ。知りたくは、あんまりない。僕がもっと知りたくないのは、彼女がどうやって開設すらされていないはずの『和倉葉ゼミナール』唯一のゼミ生として大学に潜り込んだのか、という事だが、まあ、それはそれだ。

 とにかく、彼女は教授のゼミ生という事になり、教授は指導する気は無さそうだし僕もあまり勉強の相手をした事が無いのだが、彼女自身はべったべたに教授と(多分)僕を『愛』しているようだ。ただ、教授に関して言えば彼女を気に入ってはいるらしい。その証拠に、コーヒーを分け与えたりしている。

 辛辣では、あるけれど。


 どうやったかは不明だが、ホテルの彼女が取った部屋は教授の部屋の隣だった。まあ、いい。うん。楽だし。

 彼女はキャリーを豪快に蹴飛ばして部屋に突っ込むと、そのままドアを閉めて教授の部屋に突入していった。

「わー、センセの部屋いいっすね! 愛し甲斐があるっす」

「不正解です。貴方の部屋もまったく同じ間取りと内装、備品を使用していますから、変わりはありません」

「うう、その通りっす。でもセンセの部屋はやっぱりいいっす。煙草とコーヒーの匂いがオトナっす」

 何とも言い難い声が聞こえて来たが、僕は無視して一度自分の部屋に戻る。僕の部屋は少し離れているのだ。

 部屋で挽いた粉をドリップに均していると、ノックの音とほぼ同時にドアが開いて、栗色の弾丸が駆け込んで来た。

「わーい、センパイの部屋っす! これもまたラブっす!」

 とてつもなく訳が分からない言葉と同時に突っ込んで来た四条社は、ぼーん、と音を立ててベッドにダイブした。

「あー! やっぱ羽毛はアヒルっすね。ううん、いいとこのホテルは良いもの使ってるっす」

 ごろんごろんとベッドを転げる彼女は、ぱっと見では女性に見えない。今日は茶色いレザーのジャケットと藍に染まったジーンズという出で立ちで、靴はスニーカー。声が高くて低身長なので、ぎりぎり女性か中学生か、というところである。彼女曰く「染めてれば間違えられないっす」という事で、髪の毛はいつでも栗色だ。

「何で僕のとこに来たのかな」

「センセに追い出されたっす。愛とは時に距離を必要とするっす。あー、センパイの部屋はエチオピアンな香りっすねぇ」

 多分コーヒーの事だろう。エチオピアンなんて言葉があるのかは知らないが。

「暇って奴は、愛するには大き過ぎるっす。何も無い時間も愛してるっすけど」

「じゃあ荷物を片付けてきたら?」

「愛しすぎて死ぬほど詰めたから一理あるっすけど、まずやりたい事があるっす」

 彼女はごろりと一回転して、僕の方に頭を向けた。

「今って、どんなもんなんすか」

「……どんなもん、ね」

 困る話だ。

 つまりこの研究旅行の『成果』という観点なら、それに対する解答は僕には用意出来ない。これは教授の研究であり、僕はあくまで助手なのだ。もし助手としての観点で、と言われたら、その時は正直に「無い」と答えるしかないが。

 答えあぐねていると、四条社はふぅ、と軽く息をついた。

「センセが学校に送って来た研究報告書、ちらっと見せてもらったっす」

 ああ、八月の終わりに作ってたあれか。それは僕も見た。だって、整理して梱包して送ったのは僕なのだから。

 つまり、彼女が言いたい事は分かっている。

「おっそろしい量だったすね。あんなんよくまあ送ったっす」

 左右にごろごろ転がりながら、彼女は楽しげに言った。まあ、四日もぶっ続けで書いていたのだから、あの量になるのは当然だろう。

 唐突にぴたりと止まって、四条社はにっこり笑う。

「でも、愛で読み上げればセンセが言いたい事は一目瞭然っす。センセは研究対象を絞り切ってないから、ああやって資料と調査内容を列挙して情報を増大させ、最終的に研究予算査定の延長を図ってるっす」

 む。

 あの膨大な量の報告書を読み切り、且つ内容に隠された欺瞞を見破る。なるほど、愛の為せる技なのだろう。僕がその事を知っているのは、この目で実際を見ているからだ。

 そう、四条社麗乃は、愛しているのだ。何もかもを。

「ねぇ、センパイ」

「何かな」

「センセは、何を計算に入れてるんすか」

 布団に顔の半分を隠して、栗色の髪の毛をぐしゃぐしゃにしながら、彼女は多分笑っているのだ。僕の周りは笑顔で溢れている。良い事だ。

「……教授はね」

 僕がそう言いながら顔を上げると、ごそごそしていた布団の動きが止まる。

「教授は、この町に『不思議』を見いだしてる。だからここにいる。僕に分かるのは、それだけだ」

 布団の塊がごそっ、と跳ねとんで、茶色の弾丸が跳ね起きる。

「例えば、どんなのっすか?」

 乱れた髪の毛を整えながら、四条社は満面の笑みを浮かべていた。

「そうだね、例えば天狗の仮面を被ってこの町を守っている天狗がいたり、教授に問答を仕掛ける奇特な高校生がいたり、どんな料理もおいしく作る中華料理屋があったり、陰陽師を名乗る少女がいたり、まあ、色々だよ」

「そりゃまた豪儀っす」

 えへえへ、とだらしなく笑い、四条社は楽しげだ。

「そっすかぁ、ふぅん、なるほど。それはまた」

「教授っぽいだろう?」

「うぅん、そっすかねぇ。やけにファンタジックな内容だし、でもなかなかどうして」

「高校生の方はどう考えても妖怪じゃないけどね」

「そりゃそうっす。でもまた、それはまるで」

 妖怪の話っすねぇ、と彼女は呟き、ベッドの上に膝立ちしたまま、動きを止めた。僕は長く置いてしまって酸化したコーヒー粉に謝罪を告げてゴミ箱に捨て、新しい豆の封を切るため、後ろを向いた。

 途端にべしゃん、と音がして振り向くと、彼女はベッドに倒れ込んでいた。

「いいぃじゃないっすかぁ」

 蕩けそうな声。

「妖怪? 愛に狂って変化となった歌人然り、愛が欲しくて仲間が犠牲になった赤い鬼然り、仲間の愛が為に自らを犠牲にした青い鬼然り、妖怪は愛に溢れてるっす。むしろ愛が妖怪っす」

 溶けた声で理解不能な事を呟きながら、彼女はふらふらと立ち上がる。

(あや)(あや)し、故に(あい)(あい)し。ああぁ、なんて」

 愛、と彼女は呟いて、自らの前髪を掻き揚げた。口元には満面の笑み、視線には静かな炎、その形相は、愛と言うか狂と言うか。

 そう、四条社麗乃は、多分『愛』を探しているのだ。愛しいほどに、狂おしいほどに。

「さいこぉっす、センパイ。愛してるっす」

 僕は答えない。

「一言くれればいいんす。ただ『探せ』と言ってくれれば。答えは決まってるんす。ただ探しに行くっす。愛を」

 彼女はふらりと身体を揺らして、直立した。僕の顎くらいまでしかない短躯は平衡を取り戻して、ようやくヒトらしさを取り戻す。蕩けた笑みを浮かべた顔以外。

「センパイ。御命を」

「……うん」

 僕は、告げる。

「僕ないし教授あるいは両名の帯同を最低条件に、行動を許可する」

「仰せのままに」

 センパイ、と言って、彼女はとても愛おしげに笑った。


 四条社を従えて教授の部屋にコーヒーを運んでいくと、そこはすでに煙草の煙が充満する危険な区域になっていた。

「不正解です」

 涼しい声の中に若干の憮然が含まれている事を悟って、僕は少し足を速めてコーヒーの入ったポットと白いカップをテーブルに置く。教授は窓際に椅子を据え、足を組んで座っていた。

「センセ! 今日も元気に二箱目っすね!」

 四条社はテンションが高い。というか、良くそんな事まで分かるものだ。これも愛の為せる技なのだろう。そういう事にしておきたい。

「正解です」

 教授は何の感動も無く返答して、僕がコーヒーを注いだカップを受け取るなり、中身を一気に飲み干した。

「以降は私の研究協力とゼミナールとしての活動を並行して進めていきます」

 教授は微笑みを浮かべ、僕と四条社を交互に見る。

「研究対象は定めません。またゼミナール活動に於いてもそれは同様です。それでは」

 彼女はカップを目線に捧げた。そして、微笑みと共に、青い瞳を揺らす。

「『不思議』を探しましょう」

 はい、と僕。

 ヤボール、と四条社。ドイツ語だったかな。

 教授は窓から入る街灯の光を受けて、やはり微笑んでいた。

 枯竹四手です。宜しくお願いします。

 連載十話目の投稿となります。


 これで10/9は終了です。えらい時間がかかりましたが(笑

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