うろなに立つ
「今日は、とてもいい天気ですね」
がたんごとん、と揺れる電車の席で、もう何度目になるか分からないお天気の話を呟いてみる。
「正解です」
そして、もう何度目になるか分からない素っ気ない返答。
「もうすぐ降りる駅ですよ」
「正解です」
「降りる準備をして下さい」
「正解です」
「……今日は寒いですね?」
「不正解です」
流石に引っかからなかった。
「流石に引っかかりませんよ。それは不正解です」
あっさりとした返答。
「いえ、すいません」
当然だが、馬鹿にした訳ではない。一応言い訳したが、それには特に何の反応も示さなかった。ちょっぴり恥ずかしい。
電車は揺れる。
陽はとうに落ちたというのに、窓から入ってくる空気は湿気と熱気を孕んでいる。ニュースによると、このあたりはすでに梅雨明けしたらしい。暑いのよりは寒いのが良い、という人は「暑いのは我慢出来ないが寒いのは着込めば大丈夫」という論理を展開するが、個人的には寒さというモノは何をしても浸透してくるモノだと思うし、暑さを避けるのと大して変わらないのではないかと思う。何より、寒さ対策には風情が無い。暑さ対策なら団扇に蔓棚、かき氷。日陰というのは何より趣き深いモノだ。
まあ、都市部でそれを体験するのはひどく難しいし、何より現在に則していない。やっぱり、暑さより寒さの方が耐え忍びやすいのだろう。
そんな事を考えながら、電車は揺れる。
アナウンスが入り、電車はゆっくりと速度を落として、一瞬の抵抗と共に停車した。死ぬほど重い特大のキャリーケースを二つ、無理矢理に引きずって駅のホームに降り立ち、他の乗降客の邪魔にならない様に必死で進む。四人座れるはずのボックス席を二人と荷物二つで占領してしまった心苦しさはあるが、大荷物と共に通路に突っ立っているよりはマシだったろうし、何よりもう過ぎた事だ。
やっとの思いでホームの中央に設置されたベンチまで辿り着くと、小さな拍手で迎えられた。
「正解です」
当然の如く荷物を置き去りにし、また当然の如くさっさと電車を降り、またまた当然の如く乗降客に紛れ姿を消す、という行為を当然の如くこなした我らが上司は、堂々とベンチの真ん中に座っていた。
「経験上、取りあえず座りたがる人がまず向かうのは座れる場所ですからね」
「正解です。ですが」
「経験則は主観測に依るモノであり、絶対の方程式にはなり得ないので注意する事」
「正解です」
そんな風ににっこりと微笑まれても、お腹がふくれる訳ではない。
「荷物を半分持って頂けませんか、教授」
「不正解です。か弱い女性に重い物を持たせるのは、男子たる常識から逸脱していますよ」
「経験則でしょう」
「不正解です。一般的なジェンダー論に基づいた男性ヒロイズムの充足に対する貢献です」
涼やかにそう言い、彼女は立ち上がった。すらりと長い身体はぴったりした黒い細身のスーツに包まれ、知的でクールな女性に見えるだろう。傍目からは。
ただし、頭には一昔前のギャングみたいなソフト帽が載っているし、よく見ればズボンはズボン吊りで肩に吊ってあるし、胸元にはループタイが巻かれ、琥珀の嵌った大きな留め具がぶら下がっている。長い髪の毛は伸ばしたままになっていて、腰の辺りまでさらさらと流れ、歩く度にふらふら揺れる。
公共施設特有の白くて明るい照明の中、ソフト帽の鍔の下から覗く眼光は青く、柔和な笑みとは対照的に、文字通り氷のような鋭さをたたえていた。
「それでは、行きましょうか」
そう言いながらゆっくりと懐に手を入れたので、口を挟む事にする。讒言するというのは、時としてひどく簡単だ。
「駅構内は禁煙です」
懐に手を入れた状態でぴたりと動きを止めた教授は、悲しそうに首を振った。
「正解です。ですが、正解とは時に悲しい物ですね」
「そうですね」
気を取り直し、ゆっくりと腰の後ろで手を組んだ教授は、ぶらぶらと歩き出した。当然キャリーケースは置きっ放しなので、僕はそれを引いて着いて行く。
町の名前はうろな町。僕たちが今日から住む事になる、大きな町だ。
彼女の名前は和倉葉朽葉。某大学文学部教授で、僕の上司だ。
僕の名前は六条寺華一郎。彼女の、一応、助手だ。
僕たちの「探し物」は、この町にあるのだろうか。
枯竹四手です。宜しくお願いします。
「うろな町」企画参加作品、一話目の投稿となります。
どこかで見たような名前が出て来ました。
イッタイダレナンダー(棒
一応「推理」タグを付けています。推理になる予定です。です。
感想等ありましたら、宜しくお願いします。
延々と喜びます。