初手
人は一人では生きていけない。などと世間的には言われているが、さてさてどうだろうか。
生きるだけならば、無人島に一人きりになったとして、食料・水・火を起こす術などを身につければ、生きていけるんじゃないだろうか。
しかしながら現代人たる我々を見るや携帯、パソコンなどのインターネットにアクセス出来る媒体を、肌身離さず持ち歩いているわけである。
これらを失うと正直なところ何も出来ないのではないだろうか。
今日の天気、クラスメートと交わす話題、密かに大ファンである某女優の情報などなど、俺が考えうる中でも、これが突然無くなるとなると天地をさまよい歩いた挙げ句に、交番でお巡りさんに愚痴を撒き散らして泣きじゃくる、酔っ払いサラリーマンの如き姿を、世間様に露呈してしまうかも知れない。
しかし、無かった時の俺は、どうしてたんだろうな。
記憶はあったとしても、その当時の心情までは、いくら脳をあぶっても浮かび上がってきそうにない。
そんなことを考えながら新学期が始まる我が校に向かって、歩みを進めているところだ。
歩くのはほんの数分でバスに揺られているわけなのだが、この朝から学生で満員御礼のスクールバスに揺られながら、大した働かない頭で空想に更けるのも、学生生活の嗜みである。
しかしながら、そんな俺のライフスタイルに、ケチがついてしまった。いくらネットで調べても、自分の運命の転機は検索しようがなかったことに少々不満を感じた。
『おっはよーーー』
というわけで華麗に問題点のご登場だ。
全く、少しは距離を考えろ。お年寄りは誰も乗ってなどいない。
などと怒り心頭になりたいところなのだが、そんなことを言えば、何故だか俺が痴漢行為をしたかのように、みんなから白い目を向けられる事態になるので、我慢している。
仕返しは、後でたっぷり時間がある時にしよう。
朝っぱらから選挙中の政治家みたいに、声を大きく出すのが仕事のような挨拶が、俺の空想をかき消してくれているが、万が一、このせいで世界を揺るがす発想が消え失せているのだとしたら、耳栓を着けるべきかも知れないな。俺がノーベル賞を取る日は遠い。ああスイスに行ってみたかったぜ。
そんなロマンを、片隅に置かざるおえない事態の原因は、俺の目の前に来て、いつものように向日葵も頭を垂れるほどの満面の笑みでいる。
全く、『可愛いは正義』なんてもんが、最近の流行りらしいが、何も全てにおいてそれを押しつけるのはどうだろうか。
近い将来、少女の暗殺部隊が誕生しないことを祈ろう。
優しい微笑みを受けながら拳銃を向けられたところで、撃たれた腹に手をやり、腹から溢れる血に染まった手を見れば『なんじゃこりゃ』と言葉を吐くだろうしな。
「今日も朝から覇気のない顔だね。元気出さなきゃダメだよっ」
俺は元気さ。ただ目覚まし時計が二度なり響いて、体がびっくりしているだけさ。
「おまえには勝てる気がしないよ」
こうして、このメガホン美少女戸田静と一緒に登校することになったのも、ほんの一週間前の出来事がきっかけだ。
結局、人間というのは順応性の高き生き物なのだ。
時の流れに身を委ね、過ごした方が楽だしな。
反発するってのは、何をするにもかなりの労力がかかるもんさ。
そうこうしながら学校につき、冬休みの間に冷え切った廊下に漂う人々の会話が、まるで祭りが始まるかのように熱気に包まれ盛り上がっていた。
この調子だと教室は既にホカホカだろう。お年玉いくら貰った?とかお年玉で何か買ったか?などなど話題は尽きないからな。
「じゃあまた放課後ねー」
そうしてメガホン娘は去っていった。
アイツのクラスならば年中熱帯地域であろう。
しかし雨を流すのは担任ぐらいだろうな。
まあ、他のクラスのことなど考えても仕方がない。そんな余裕がある身分でもないしな。
しかし我がクラスはと言われると、別段考えることもない平凡なものだ。
一年近く過ごせば、最早当たり前過ぎて特にこれといったことはない。
廊下と変わらない挨拶と、話題でもちきりだ。
俺としては跳びっきりの話題があるにはあるんだが、話しかけても俺にとってメリットなど微塵もないであろうことは明白なので、ここは大人しくしておくのが、高校ライフを無難に過ごす為には必要だろう。
俺自身は至って普通なのだから。一通りクラスメートとの久しぶりの会話に慎み、冷えた椅子と机に懐かしさを感じていた。
新学期の担任の挨拶が始まり、これからまだまだ寒い日々が続くであろう新学期のスタートだ。
この平穏な日々が訪れてくれたことを喜べるのも冬休みに起きた出来事のおかげか。
あの悪夢のような一週間前。
今は全く感じさせずに過ごしているが、決して忘れたわけではない。そうそれは突然の出来事であり、忘れることなど到底出来ないであろうほどに衝撃的なことだった。
「死んでもらう」
突如として俺の前に〈棒らしきもの〉が眩い光を放ちながら降ってきたらしく地面に突き刺さっていた。
なぜ?それは俺に分かるわけがなく、ただそこにあるという認識を強制的に味わっているという状況だ。
俺はこの日、冬休み中に温まった財布を片手に、この期間の間にクリア出来そうなゲームを、電器屋で調達してコタツでヌクヌクホリデーを計画していた。
その帰り道で起きた出来事である。
アクションモノは全くセンスのない俺は、昨今のゲームについていけずにいる中で、今や細々と並べられているジャンルの棚を眺め、ほとんど同じタイトルで最後の数字だけが違う作品列を見て、相変わらずの独壇場を確認しながら真新しいものがないかを吟味し、結局その圧倒的存在感に手を伸ばした。
またよろしく頼むぜ髭のオッサン。
そうして電器屋で誓いを立ててから帰宅の途へと向かっていたところ、それは起こった。
正月明けとはいえ余り人混みも車通りも少なく、いつにも増して寒さを身に感じながら、それでも足元に集中して行軍を続けていた。
そんな中、本当にいつの間にか全く音がしない現象に苛まれた。
歩くのに夢中になっていたからか、どの地域から制圧してまわろうかと妄想に浸っていたからか、いつからこの現象が起きたのか、さっぱりわからんがとにかくそれは起きていた。
気づいた俺は辺りを急いで見渡し、何が起きたのかを確認した。
すると…………動いていなかった。
雪道にハンドルを取られまいと恐る恐る走っている年配女性が運転する車。それに苛立っているだろう後続車。この遅さならイケるか?と確認しているガソリンスタンドのお兄さん。
みんな動いていない。
信号はと少し視線を上げたがやはり蒼かった。
何が起こったか見渡して情報を得ようとすればするほどに、俺の頭は理解する事が出来ずにいた。
「なんなんだよ」
と天を仰いだ俺の目にはやはり微動だにしない雲がただあるだけだった。
「うわっ」
急に足が宙に浮いた。
天を仰いだおかげで重心がズレ、足を滑らせたせいで見事に転けてしまった。
まあいい、どうせ誰も見てやいない。
そう思いながら起き上がろうとしたところ、爆撃でも受けたかのような衝撃が目の前で起こった。
この音のない世界で久しぶりの音がこんな爆発音とはずいぶん酷い世界だ。
あまりの衝撃に閉じてしまった目を見開くと、さっきまで俺が立っていた場所に棒が突き刺さっていた。
最早、あまりに不可解なことが起こり過ぎてパンクした俺の脳内に余計なことを考える隙間はなくただ地面に刺さっているのだから上を見上げた。
そして………………天使だ。天使とは所詮宗教的な何かだと知ってはいるのだが、今まさに目の前の存在を、表す言葉としてこれほど重なる言葉は無いと言い切れるほどの天使だった。
その神々しく広がった大きな翼を、ゆっくり羽ばたかせながら徐々に地面へと降下してきた。
こちらを見ながら徐々に歩み寄ってくる天使様の姿は、その見た目の美しさや神々しさとはうらはらに、今にも俺を奈落の底へ突き落とした挙げ句に………いや、とにかくだ。
絶望的な状況なのだ。
もし上手い表現を出来る人がいるなら、その人物はなぜ生きているのだろう。
想像絶する状況なのだから、それは生きている間に、その感覚を味わうことなど出来やしないだろう。
「出てこなつもりか?ならば、その入れ物ごと消え去れ!」
いつの間にか目の前まで来ていた天使様は、突き刺さっていた棒を手に、今にも振りかざそうとしていた。
悪い夢なら醒めてくれ。
目をつぶり、身体全体に力を入れて、その恐怖をぬぐい去ろうとしながら、構えていたはずの俺だったのだが、なぜだろう。目が開いていやがる。
「やっと出てきたか」
天使の声で、生きているという感覚を味わいながら、何が起きたものかと視界にあるものに注視したところ、おかしなものがそこにあった。なぜだ。
《………うるせえ》
なんで俺の腕が棒を掴んでるんだ。
《うるせえって言ってるだろ》
どこからか声が聞こえる。
もの凄く近くで聞こえるのだが。
「とんだ役立たずに入っちまったぜ」
「まだ、傷は癒えていないようだな」
「これぐらいは、いいハンデだぜ」
(なんだ。誰と話してるんだ天使は…)
「減らず口も、すぐに閉じさせてもらう」
天使は少し距離を置き構えている。
俺は動かない身体に逃げろと強く、念じるしか出来なかった。
目を閉じられないのが辛い。
というか身体が勝手に動いてやがる。
さっきまでとの視界が変わり、明らかに視線が高くなっているし、腕はいったいどうなったんだろうか。
《おい》
なんだよ。
《おまえの身体は今、俺が使っている》
何言ってんだコイツ。
《いいから念じろ。あの武器に対抗する力を》
俺は逃げ出したいんだ。
《どうせ逃げれるわけないだろうが。なんでもいいから武器を想像しろ》
武器?武器って言われてもな……。
「死ね」
天使がもの凄い勢いで向かってきた。
《早くしろ!このクズ野郎》
もう好きにしやがれ!俺はさっきまでいた電器屋で目に入った、とあるゲームのパッケージを思い浮かべた。
すると急に目の前が真っ暗になり、突然のブラックアウトに俺は、死んだと思った。
これが終わりの世界か……そう達観しようとしていたところまたあの声だ。
《初めてにしては上出来だ》
気づくと視界がまた勝手に開けてやがった。
するとそこには天使の姿と、今まで棒と思っていた物が薙刀のように先が刃物のような形状をしていることに気づいた。
こんなのを振りかざされた日には、俺は俺を見ながら一生を終えるとこだったであろう。
身体が正常であればパンツが湿ったかもしれない。
そしてその斬撃を塞いだ俺の手には、大層立派そうな刀が握られていた。
鞘に納められたままであるが、見事に天使の刀身を受け止めている。
「やっとやる気を出してきたか」
天使は仕留め損ねたことを気に病むことなく、ただこちらを見ている。
しかし、俺が刀を持ってたとして俺は刀の使い方など知らないし、それどころか実物すら見たことないんだがな。
「《おまえは黙って折れないように念じていろ》ここからは、俺の反撃だぜ」
そう言い俺(動作係)は、天使の薙刀を跳ね返し鞘から刀を抜いた。
なんだか分からん俺は、とにかく言われるがまま折れないよう刀に精一杯念じた。
「そんな丈の短い武器一つで私に勝つつもりか?愚かな」
「そう思うなら、おまえもその武器だけで倒してみやがれ」
「よかろう。弱った貴様ごときに、これ以上力を使うのは勿体無い」
なんだかよくわらんが二人は会話をしていた。
そして俺の身体がついに仕掛けた。
全く行くなら行くって言え。
気が動転して念じることを忘れちまったらヤバいんだろ?なにが起こるか知らないが。
一瞬イライラした俺だが、それどころではないと改めて刀に念じていた。
「どんな武器もなあ、使い方一つで最強にも最弱にもなるんだよ!」
そう言うと俺(動作係)は、飛び跳ねやがった。
俺にこんな跳躍力はないはずなのだが、一瞬にしてビルの二階ぐらいの景色だ。
羽が無くてよかったと安堵したのもつかぬ間に、そこから天使目掛けて降下していった。
その勢いを乗せて俺(動作係)は思い切り刀を振り下ろした。
しかし天使はその勢いを薙刀で巧いこといなしてみせた。
そして勢いがついていた刀は薙刀の柄に当たり、薙刀諸とも地面へと向かっていった。天使もあまりの衝撃に、薙刀を持っていかれそうになり、薙刀を地面に突き刺す形となったようだ。
両手で持っていた柄も左手一本となっている。
「勢いをつければどうなるかとでも思ったか」
天使はそう言うと突き刺さった薙刀をまた両手で強く握り締め地面から抜こうとした。
―――その時だ。
俺(動作係)は刀を地面に差したままにして、鞘を両手で持ち思いきり地面に突き刺した。
正確に言えば地面ではなく、薙刀の刃と柄の間だ。
そして逃げ場のない力が加わった刀身は根元から見事に折れた。
「な、貴様!」
「武器は使いようだと言ったろ?これで終わりだ」
俺(動作係)……いい加減名前で書きたいところだが、もうしばらく辛抱してもらおう。
勝どきを上げ刺さったまま放置していた刀を地面から抜き、武器を破損させてしまった天使の首筋に向けた。
俺は決着が着いたかと安堵して気を緩めた。
天使はというと別に悲壮感を漂わせているわけでもなく、むしろ憤慨してるような気がする。
近くでじっくり見るとやはりキレイな顔だな。
まさに天使だ。
「これで済んだと思うな!」
黙っていた天使が大声を上げた瞬間、天使の身体の周りに光が満ちてきた。
俺(動作係)も突然の光のせいか一瞬目を閉じた。
そして視界が回復したが既に天使の姿はなかった。それどころか、先ほどまで全くしなかった懐かしい生活音が耳に届いた。
「逃げたか。いや見逃されたってとこだな」
俺(動作係)は、そう俺とはやや違う声質でいい放ち天を見上げた。
ていうか、俺はどうなるんだよ。なんで世界は戻ったのに俺は俺の中で俺の視界を見ながら俺をやってるんだ。
おい。なんとか言え。
《うるせぇ。命が助かったんだから感謝しやがれ。ったく、ほらよ》
俺(動作係)の怒鳴り声が鳴り響いた。
そして鳴り止むと同時に一瞬寒気がした。
そして………まばたきをしていた。
どれぐらいの時間立ち尽くしていただろうか。
頭に乗っていた雪が溶け水滴になり髪先に集まって氷始めていた。
あまりの衝撃のせいか、はたまた先ほどまで動き回った動作係のせいか、夢オチが一番好ましいのだがどうやらその展開は望みが薄そうだ。
一人の少女が歩いてきた。
美少女だ。
「いやーゴメンね。エジリが急に飛び出しちゃって私もビックリしたよ」
なんだか普通に話し掛けられたが、ゴメンね?とはいったいなんだ。
こんな美少女に謝られることなんかした覚えもされた覚えもないんだが。
「どうしたの?私は、戸田静。よろしくね」
「ええっと……中縦清司です」
「よろしく!清ちゃん」
相手の名乗り出に思わず応えてしまったが、いったいどちら様なのだろうか。
しかもちゃん付けされてしまった。
そりゃあ悪い気はしなかったさ。
こんな美少女に話し掛けられることなど、生涯通じてあるかないかってぐらいにドストライクだバカ野郎。
「清ちゃんの゛精霊¨さんもよろしくね」
こうして俺の日常は新たなストーリーを進めることとなった。