第73回:君のいる世界で
そして、九ヶ月経った。
すべては変わり、そして変わらなかった。
葛城市には大規模な震災が起こり、混乱の内にたくさんの人が死んだ、ということになっている。人々の記憶は土地神が手を加えたのだろう。ヤハウェや出雲が動いたのかも知れない。まだ過去の爪あとは残っているが、残された人々は団結して悲しみを乗り越え、復興の道をたどっている。そういうことになっている。土地神とともに去った妖怪たちも死んだことになっていた。
後日、あのビルの地階から身元不明の死体が三つ見つかった。二人が男性で共に三十代半ば。激しく損傷しているが、どちらかが行方不明の竹中支部長のものだろうということだった。誠司の死体は見つからず、本当に豚のえさにされたのかもわからずじまいである。
両組織から正式な連絡はない。あれだけ巻き込まれたにも関わらず、はずれは何も知らないままだ。予言はなったのか。出雲、そしてヤハウェとはなんなのか。皆目見当がつかない。だが、はずれ自身知ろうとしていないのも確かだった。
はずれは葛城市の郊外に家とは名ばかりのあばら家を借りて住んでいる。朝早く起きて畑を耕し、学校に行く生活。無心に農作業に従事すると、とても気持ちよい。畑は近くの農家からの借り物だが、好意により捨て値同然の格安の料金にしてもらうことができた。元々耕す者もいない土地なのだと、おばさんは笑った。
今日は休日だ。日課の畑の世話をする。昼には仲間が集まって野外でバーベキューをすることになっているから妊婦のためにイスを用意しておこう。畑から林道を通り家へ帰る途中、、 はずれはふと誰かに呼ばれた気がして振り返る。
竹林が風に揺れてざわめいた。雲は薄く、空は青く晴れ渡っていて、日差しは柔らかい。良い日になりそうだ。
はずれは後ろを向くのを止めて縁側に向かう。気持ちばかりの縁側は老朽化が激しくて、おまけに黒ずんでいる。いくら雑巾で磨いてもとれなかったので、はずれは諦めてその汚れは汚れで楽しむことにした。すると急に落ち着ける良い場所になった。
木の葉擦れの音が心地よい。
はずれは風のそよぎを楽しみながら目を閉じて考えた。
この間は花見に行って、今日はバーベキューである。次の週末はなにをしよう。少し遠出にしようかと思ったが、そろそろ根本が臨月に入る。ゆっくりできるイベントを提案しよう。
ぼんやりとしているうちにうとうとし始めた。まだかろうじて意識はあるが、目蓋が重い。
浅い夢。
いつか見た蒼穹。
虚ろの声。
そんな時、少女がとても身近に感じられる。
優しく頭を撫でられているような甘い幻想。
「はずれー。きてやったわよっ。用意はできているんでしょうね」
夢見心地は騒がしさで破られた。元気な声が近づいてくる。この九ヶ月でめっきり成長した女の子の声だ。もうそんな時間か。間もなく他の連中もやってくるだろう。
「……土産に大福くらい、買ってきたか?」
「子供にお土産をせびるな、このおバカ」
縁側から腰を上げて風に囁く。
もう大丈夫。時折はまだ、寂しくはなるけれど。
自分の居場所はここにある。
そう君が教えてくれたから。