第66回:ファーストネームで呼ばないで
化け火使いは全身に火を纏って戦っていた。河童の一匹を蹴飛ばし、あるいは炎の拳でぶったたく。他のメンバーもそれぞれ応戦している。その向こうの通路の奥にエレベーターが見えた。走り出そうとしたはずれを黒い影が強引に引っつかむ。敵だ。抵抗しようとするはずれにいらだったような声がかかった。
「エレベーターは使えねえってよ」
瀬川だった。瀬川なのだろう。三白眼の両目は正面を向き、口は牙の生えた嘴のようになっていた。標準的な体型の青年と比べて決して軽すぎることはないはずれの体を小脇に抱える怪力を持ち、片手で河童たちを蹴散らしている。
「じゃあ、どこから屋上に行くんだ」
「そんなの、決まっているだろ」
瀬川は頭の悪い人を相手にするような態度で言った。
「壁を、登るんだよ」
このビルは二十五階建てである。ここが何階かはわからないが、登るのも落ちるのも人間の身であるはずれには辛い。尋常ではないと思ったはずれだったが、とっくに尋常ではない世界に突入しているのだった。横にユニスとツェツィもやってきて河童たちに訓練された攻撃を与え始めた。ユニスは七枝に分かれた燭台をぬらぬらとした肌に突き立て、ツェツィは蛇のような波紋のある剣で細長い手足を斬り飛ばす。河童はアヒルのような悲鳴を上げた。
「降ろしてくれ。俺も戦う」
瀬川は顔を向けずにはずれを放った。はずれは転がるように衝撃を逃がし、するりと立ち上がる。近くにいる河童に近づいておもむろにその手をつかむと、肩に乗せるように投げ飛ばした。仰向けに倒れた河童を見て、はずれは自分の体術でも通用することを確信した。もちろん、河童たちの方が膂力に優るだろう。飛行する以外にも未知の能力を持っているのかも知れない。だが、はずれは最大限の努力をすると決めている。危険に怯えて他人任せにはできない。
河童の一匹に迫る。不用意に手を伸ばしてきたやつは腕を取って投げた。体当たりをかけてきた河童をはたきこむ。相手のリズムに合わせていると、なんだか相撲をとっている気になってきた。
(そういえば、河童は相撲好きだっけな。こいつらもそうなんだろうか)
誰かが語ってくれた昔話を思い出す。河童は通りがかりの人に相撲をせがんで自分が勝つまで続けたという。だとしたら、相当にタフで負けず嫌いな妖怪だ。
河童が猫騙しをしかけてきた。生憎、はずれは猫ではない。少しも怯まずに左の掌底を河童の顎に叩き込み、朦朧としたところを、首をつかんで床に叩きつけた。さっき投げられた河童が背中から腰に抱きついてくる。はずれはその河童に体重を支えてもらう形で跳んで、目の前の河童たちに両足で蹴りつけた。内臓を潰さんと万力のように脇腹を締めつけてくる背後の河童に対して、はずれは肘打ちをしながら前後に揺れて、それでも放さない河童に蹴りを放つ。踵は河童の股間に命中し、河童は口から泡を吐いてへなへなと倒れた。
「あ……悪い」
「なに謝ってるのよ」
「しかし、ユニス。これ痛いんだぞ」
「知らないわよ。というか、ファーストネームで呼ばないでよ」
燭台をバトンのように振り回し、ユニスは河童を圧倒する。洗練された動きは、新体操でもやっているかのようだ。河童たちはろくに触れることも敵わぬまま倒れ伏す。
しかし、後から後から河童たちは壁穴から入ってきた。穴の向こうで舞い首と黒髪切りが戦っているのがちらりと見える。檜垣側にはたくさんの駒がいるが、こちらの増援は期待できない。電撃的救出作戦が失敗した時点で、ジリ貧になることは目に見えていた。




