第60回:お別れジュース
個室に戻ってしばらくすると、朝香は紙コップ二つとペットボトルを持ってきた。いかにもマイナーなメーカーが販売しているような、不恰好な緑色のラベルには抹茶ソーダと書いてあった。
コップにジュースを注ぐ音だけが部屋に響く。窓の外は中天の太陽がまぶしい。行動開始は日没だからまだ時間はある。はずれははやる気持ちを抑えてベッドに腰かけている。朝香はコップを手渡すとイスには座らずに、はずれの隣に腰かけた。静寂が横たわり、はずれは場をつなぐように口を開いた。
「与一は今どうしてるんだ」
「与一は、仲間が保護している。あいつはなにも知らない。知らなくていいんだ。巻き込みたくなかったから、ここには連れてきてない」
「会ってもいないのか」
「……うん。だって、その……」
はずれはジュースに口をつけてその苦味に顔をしかめた。朝香は小動物がおびえるような視線をはずれに送っていたが、やがて意を決したように言った。
「私、ヤハウェの端末なんだ」
思い切った告白のつもりだった。秘密にしていてはいけない秘密を打ち明けたつもりだったのだが「そうか」とはずれは頷いただけだった。朝香は肩透かしを食らったように目を丸くした。
「そんなあっさり……私、だってただの人間じゃないんだよ。鹿島君のことだってずっと」
はずれは朝香の唇の前に人差し指を突きつけて「それ以上言わないように」沈黙させた。
「ユニスとの話、聞いていただろう。俺は他人の過去を気にしない」
自分の罪は許せないくせに。
「お前が今協力してくれると言うのなら、俺はお前を信じる」
知っている。それは協力者に過ぎないということ。和羽と自分の他には敵と味方とその他しかいないということ。
恐ろしく内面世界の狭い男の口からつむがれる「信じる」という言葉のなんて空虚な響きのすることか。
「……比良町、お前は仲間だよな?」
「……う、うん」
「それは、俺が和羽を助け出すのに協力してくれるってことだよな」
「……うん」
人は、とても高度な生き物だ。動物にできない知的作業をたくさんすることができる。もちろん、可能な行為の幅には個人差があるが、少なくとも、
「じゃあ、なんでこのジュースには睡眠薬が入っているんだ?」
……平気で嘘がつけるくらいには。