第57回:菊間
三人は診療室へと向かう。そこには既に他のメンバーが集まっていた。黒髪切りは壁に寄りかかって手鏡をのぞいて櫛で髪をセットしていて、やたらと目つきの悪い瀬川竜一という男は禁煙中のヘビースモーカーのような顔で突っ立っている。はずれに負けず劣らず仏頂面の車屋武という巨漢はイスを並べていた。他に三人の男たちがいて、部屋の隅には根本冬実、ツェツィーリア、ユニスの姿もあった。
一つ目の小鬼のようなものが菊間に近寄ってきて、飛びかかるように腕の中に納まった。なにやら耳打ちすると、菊間は頷いてディスク前に立った。どうやらこの中では菊間はリーダー格であるらしかった。そういえば目覚める前誠司はそのようなことを匂わせていたような気もした。菊間は別人のように凛々しい表情と人をひきつける口調を備えていた。小鬼がはずれにも飛びついてきて「コウウンヲイノッテルヨ、ハズレ」と言って消えた。
「さて、状況を確認しましょう」
と言って菊間は話し始めた。
「まず今回の一連のごたごたのベースとして出雲とヤハウェの対立があります。出雲は代々宗教的もしくは霊異的にこの地を治めていますが、唯一神の地上代理者を自称するヤハウェは、聖書の力を使って布教という名の侵略を進めてきました。葛城市の土地神交代の儀に際したヤハウェの介入はその一つで、悪魔を指定して土地神とその候補の巫女を殺させ、その後自分たちの息のかかった土地神をすえるつもりなのでしょう」
菊間はちらりと朝香を見た。朝香は気づかない振りをしているようだったが意識しているのは明らかだった。菊間は鼻をぴくぴくさせた。
「でも彼らは今回の主役じゃありません。そもそもこの二つの勢力だけなら少なくとも一般人が知るところじゃない。話を厄介にしたのは、この出雲とヤハウェのごたごたに乗じて、出雲に反旗を翻した存在。檜垣京介が今回の黒幕です」
そこで菊間は一旦話を切ってリモコンを操作した。黒い枠の中で檜垣京介が住民に対してなにやら演説をしている。既に彼の配下によって市役所や放送局などの施設は占拠され、一体どうやったのか、外界との接触も絶たれていた。菊間はテレビの電源を消した。
「彼がいつからこの計画を考えていたのかはわかりません。彼は密かに執行者を懐柔し、妖怪化を促進する研究を続けてきました。そして、機を見て町中の人間を妖怪化。巫女になんらかの手を加えて土地神を手中に収め、霊位的地理的に葛城市を切り離し、壁で覆った。彼の目的は、葛城市を妖怪たちの天国にすること。出雲やヤハウェからの独立。完全なる自治です。彼は妖怪の王国の支配者になろうとしています。いや、王国というよりこう言った方がいいか。妖怪による共産主義国の建国。彼は土地神を利用してその理想を実現しようとしていて、そのシステムは今夜完成します。僕たちはそれに対抗するレジスタンスっていったところで。さて、質問がある人? はい、鹿島先輩」
「確認しておきたいんだが」
はずれは言った。こんな事態になった背景には興味がなかったが、和羽を取り戻すために必要な情報はできるだけ集めたかった。
「ここに集まっているのはほとんど妖怪だよな。しかも、誠司に聞いたんだが、町中の人間が妖怪化する以前から、自我を保って檜垣に従っていた妖怪なんだろ。ならなぜお前たちが俺に味方する? お前たちはむしろ敵側のはずだ」
「違いますね。そんな風に見ないでいただきたいです。僕たちは確かに彼が行った現体制に対する破壊活動には協力しました。ですが、本質的に彼の支持者でも賛同者でも、ましてや狂信者でもない。ご理解になってないかも知れませんが、僕たちは妖怪ですよ? 自分の欲望を抑えきれずに人間であることを辞めた、割と最低な連中ですよ? ここに集まっているのだって、どういう腹づもりなのかはわかったものじゃないです。利害が一致するからあなたを手伝うが、気が変わればあなたの寝首だってかくこともあるってことを覚えといてください。信頼なんか一切しないで下さい」
菊間は小動物のような瞳を細めた。