第52回:与一の場合
葛城市で妖怪化した住民が次々と事件を起こしていたとき。
緑町常陽学園も例外ではなく、夏休みに入っても実家に帰らず学生寮に残っていた生徒たちはほぼ同時期に妖怪化し、学園は妖怪の巣窟となった。
羽賀与一と日野真は身を隠しながら校内を移動している。二人は寮の居残り組であり、人間のままの姿を保っている数少ない学生だった。
「……一体なにがどうなってるってんだ」
「知らねえよ。確かなことは、俺たち以外の連中が化け物になってるってこと。そして町中が似たような状況だってことだ」
ロ組の金原は液状化したまま泣き続けていたし、隣室の武田は毛むくじゃらの動物になっていた。
第一校舎の外付け階段で、手すりに背を預けて日野はため息をつく。今この町に起こっていることの理解しがたさはもちろんだが、この異常事態で側にいるのが与一だけというのも原因であった。
与一は馬鹿だ。知能は平均的であるが、その使い方が悪い。状況判断は遅いし、すぐ熱くなる。一緒にいても足手まといになりこそすれ、頼りにはできないというのが与一に対する日野の評価だ。
井上誠司がいれば効率よく事態の把握を図るだろうし、せめて鹿島はずれがいれば常に冷静に安全策がとれるのだろうが、二人とも終業式前に行方不明になっている。
(いち早く化け物連中に仲間入りしたのか、目立つやつらだから最初の餌食にされたのか、それとも……)
まさかあいつらが黒幕か、と考えて「それはないか」と苦笑したところで、与一によって思考を妨げられた。
「おい、日野。お前、黙りこくったと思ったら、急に笑ったりして、不気味なんだよ。ビビるじゃねえか」
「笑ってねえよ」
「いいや、笑った。お前は笑ったね。ああ、くそ。わけわかんねー状況の上に、よりによって日野みたいなわけわかんねーやつと一緒だなんて、ついてねえ。はずれよりましだけど」
(それは、こっちのセリフだよ)
日野は心の中で言うだけで口には出さない。比良町朝香もまた化け物が出現し始めたのとときを同じくして失踪しているのである。朝香至上主義の与一は今、誰にでも噛み付く犬のようになっている。噛み付かれるのはごめんだった。
「どうやらもう他に学校で正気を保っているようなやつはいないようだし。どこか安全な場所を探そうぜ」
街中に平気で化け物が徘徊している以上、そんなものがあるのかどうかは疑問に思えたが。
与一は、それには答えず、そっぽを向いて神妙な顔をしていて、日野をいらだたせた。
「おい、与一……」
「しっ。……今、何か聞こえなかったか?」
蝉が鳴いて、さんさんと陽光が降り注ぐ。妖怪化現象が起きているとはいえ、それ以外は驚くほど普通の日常である。
日野はいくら耳を澄ましても油蝉の鳴き声しか聞くことができなかった。
「気のせいじゃないのか」
「聞こえる。確かに。こっちだ」
脇目も振らずに走り出した与一を追って仕方なく日野も走る。