第51回:中休み
「なぁ、竹中君。この妖怪化現象の多発は人為的なものだと思うよぉ。以前の部署でねぇ、妖怪化メカニズムの研究プロジェクトに参加していたんだけどねぇ。解明には至っていないものの、妖怪化に密接に関係している脳内物質の存在が判明していたんだよ。でね。副産物として現象を促進させる薬品が発明されているんだよねぇ。それ使えば、できるんじゃないかなぁ。どれだけの欲求レベルで妖怪化が始まるか検証データがないから正確なところは言えないけどねぇ」
取り合わないと、決めていたつもりであったが、
「それを信じろと?」
竹中は口に出してしまった。檜垣は煙草を指に挟んで灰を絨毯の上に落とし、また咥えると深々と紫煙を吐いて言った。
「駄目かね?」
「貴方は謎が多すぎる。いや、言ってしまおう。貴方は不審だ。信用がおけない。上からは顧問として紹介されたが、たとえ従兄弟であっても、指示がなければできる限り係わり合いになりたくないと思っていた。未加工の動物性たんぱく質の摂取とその行為の他人への強制、教師としての監視対象への接近。私はどれだけ貴方の奇行に付き合えば……」
「良かったねぇ」
檜垣の発言は竹中のものと噛み合わないものだ。だから、竹中はつい、
「……は?」
と聞き返してしまったが、彼がもし未来を見通す目を持っていたのなら直ちにこの場から逃げていただろう。いや、そもそもこの男と出会う前にこの町から去っていた。身振り構わず自分と家族を守っただろう。
「良かったねぇ、と言ったんだよ。君の娘は真面目でいい子だった。気配はなかったそうだよ。君の奥さんも、解消の理由が不倫だなんて、君にとっては皮肉なことだが、変化の兆候はなかった。被害者の側のままだった。良かったねぇ、君は善良というレッテルのままだ。こっちにこなくて良かったね」
「なぜ今そんなことを。関係ないだろう……いや、待て。それはどういう意味だ。答えろ、答えるんだ、檜垣」
檜垣はまた床の一点を見つめたままなにも答えない。
竹中は秘書に家族に電話を繋ぐよう命令した。昨日、異常を察知した時点で万が一を考え、妻子は隣県にある妻の実家に帰らせていた。欲しいものがあると言っていたから、今頃はショッピングでもしているはずだ。
「今は就労時間中ですので」
私情の電話は後にしろ、と秘書の目が言っていた。
そうだ、その通りだ、と竹中は思った。竹中はこれまでにこういった公私混同をしたことはない。プライベートを職場に持ち込んだことのない男だった。
しかし、今はどうしてもいられなくなってしまった。
檜垣の言葉……まるでどこかの一部始終を見てきたかのような……は竹中の不安を掻き立てたのだった。
胸ポケットから取り出した携帯電話に耳をあてる竹中に、檜垣は無造作に近寄って煙を吹きかける。たちまち竹中は机にもたれかかる様に崩れ落ちた。
「どこに行かれるのですか?」
気を失った竹中を引きずって部屋を出て行こうとする檜垣に、秘書が受話器の口を押さえながら声をかけた。
「いや、なに。この緊急事態でしょう。朝からなにも食べていなくてねぇ。ひとまずこの辺でお腹になにか入れておかないともたないよ。君もどうだい? 一つ、一緒に」
秘書は腕時計に目を走らせると受話器を置いて頷いた。
「お供します……食事だけですよ」
二人と一人はそのまま部屋を出てエレベーターの向こうに消えていった。
人のいなくなった執務室では、携帯電話がいつまでもコール音を流していた。