第47回:悪友に乾杯
誠司は、すべてを説明しだした。はずれは黙って傾聴する。
和羽と同じ組織に所属していて監視を目的にはずれに近づいたこと。組織の中枢は出雲といって神々の子孫を自称する力のある家系の者たちであること。
誠司は一部の妖怪を束ねる集団に内通していて既にその事実は出雲側に発覚していること。
「今頃、俺の体は組織の裏切り者として釘を刺されたり、端っこから削り取られたり、爪を順番に剥がされたり、まぁ、そういう制裁を受けて死にかけているはずさ。俺は体から離れた残留思念とか、まぁ、そういうやつで、思念を操るのは俺の血の能力だ」
「血の能力ってのは、神の信徒に与えられるっていう異能で、執行者は皆持っている。もしくは持たせられる。俺のはブラッドタイプオンミョウジ。と言っても、神の信徒云々は嘘っぱち。妖怪と変わらないよ」
「お前の中に潜んでいる悪魔は、元々はお前の親父さんの中にいたものだ。親父さんのときは完全には覚醒しなかったが……。お前の中の悪魔は、この世界を維持している女神を廃し、次代の女神となる巫女の肉体を滅ぼす。つまり、女神と、巫女である菅原和羽を殺す。それが役目であり宿命だ、とヤハウェは託宣を受け聖書に記した」
ヤハウェとは出雲と対立する組織で、宗派だの信仰だの肌の色だのといった基準で区別された、組織が無数にあるということ。
女神とは長い間葛城市を守ってきた土地神と呼ばれる精神体であるということ。
「詳しく言うならいくらでもごちゃごちゃ言えるが、結局は神の名を借りた権力闘争よ。今、ちょうどここの土地神が代替わりする時期にきている。出雲はそれ用に菅原を育ててきたし、ヤハウェはそうはさせじと思っている。土地神を横からかっさらおうって第三勢力もいて、俺は今そこに所属している」
誠司は水割りで乾いた喉を潤すと「質問は?」とはずれに尋ねた。
はずれは始終仏頂面であったが、眉間の皺を更に深めて、
「実にどうでもいい話であった」
と言った。
「だな」
誠司は同意した。
「生まれてからずっとそれにつきまとわれていた俺からすれば、すっげー迷惑」
「だから裏切ったのか」
「正統性とか、理想社会とか、そんなご大層なお題目はもうたくさんなんだよ。結局、あいつらの言ういかにもな建前は、まっとうな人間達への詐欺でしかない。政治家と同じさ」
「そこでなんで政治家が出てくるんだよ」
「言ってみたかっただけ。若者に貶されるのも政治家の務めさ。それすら許されないところなんて、俺は大嫌いなんだよ」
さて、と誠司は区切って、
「これからお前はどうする? 現実では、もうストライキが始まっている。ヤハウェもお前のことをお待ちかねだぜ」
「……予言がどうだろうと、組織がなんだろうと、俺はどうでもいい。ここがどこかはわからないが、俺がここにいると、俺が望むものは手遅れになる気がする。誠司、頼む。俺に負い目があるのなら、俺を元の場所に戻してくれ」
「お前らしい、かな?」
はずれの前に置かれたグラスからはおびただしい水滴がカウンターを濡らしていた。
「実を言うと、俺に負い目なんかない。監視していたことも、組織の命令でお前に近づいたことも悪いとは思ってないんだ。それは、それだけのことだからな」
出会う前から虚偽にまみれた二人の時間。けれども育まれたものにはなんの嘘もないから。
誠司は芝居がかった仕草でグラスを傾ける。
「元よりお前のことは送り返すつもりだ。その為にここへきた。しかし、それはお前の意志でなければならない。でなければ、俺は手を貸すつもりはないし、ろくなことにもならない」
「なら早くお願いする」
「感情が戻ると、お前はせっかちなんだな」
「そういうお前は、悪趣味だ。大方、俺が和羽と会ったときの記憶操作も、さっきの夢もお前の仕業だろう。そして、今も、親切そうな顔して俺を思い通りにしようとしている」
はずれはじろりと誠司を睨んだ。誠司は相変わらずすかした笑みを浮かべている。
「お前は悪魔の子さ、記憶はいじれないよ。そもそも、記憶なんてものは他人があれこれ都合よくいじれるもんじゃない。人にはそいつ自身が自分の生活に支障がきたさないように記憶を補正する機能があって、俺はそれを活性化させるだけなんだ」
「では、夢の方は認めるのか」
「なんでそう思うんだ」
「お前が悪趣味だからだ」
「悪趣味? 俺が悪趣味だって? それはとんだ言いがかりだぜ。俺たちの生まれた世界に比べれば、俺自身のなんて健全で、上品なことか」
はずれは睨み続けていた。誠司の内面を見透かそうとするかのような瞳だった。誠司はかつて一度だけこの瞳を見たことがあった。誠司は姿勢を正した。
「俺じゃない。俺の血が、騒いでそうさせるのさ……そう、認めるよ。俺の血の能力は他人の意識を作為的に特定のものに向けさせることができる。夢は得意な範疇だ。そして、なにより、俺は、お前をいいように使おうとしている」
誠司は意地悪げに瞳を輝かせる。反して、はずれの顔は曇る。
以前から周囲の物をすべて茶化しているようなところがある誠司だったが、最早はずれは呆れるばかりで怒る気力もない。
「それで。その悪趣味な男に踊らされているかも知れないはずれ君は、それでもあの世界に戻ろうと思うのかい?」
「もちろん」
はずれは唐突に誠司の顔を殴りつけた。グラスとその中身とイスとが激しく音をたてた。
「これで全部チャラだ。悪趣味な友人を持ったことを悔やみながら、行くとする」
「……そうこなくっちゃ」
誠司はにやりと笑って、はずれの差し出す手をつかんだ。
いつの間にか他の客に混じって騒いでいた黒髪切りは、酒場の端で起こった笑い声に目を細め、なにも言わずに乾杯を捧げた。