第39回:静寂の食卓
居間の障子を横に開くと、誰もいなかった。
畳敷きの居間には、夏は使われない掘りごたつがあって、食事は大抵ここでとる。テーブルの上には八人分のお箸とお茶碗と、コップと、焼き魚とお新香のお皿と、それとは別の取り皿があって、野菜炒めが盛られた大皿があって、牛乳パックと急須があって、それらの内のいくつかは湯気を立ち上らせている。畳には、子供の誰かが読んでいたのだろう絵本が放りっぱなしになっていた。みーちゃん先生の叱りの言葉が今にも飛んできそうだとはずれは思った。
今の今まで人がいたような気配はある。
だが、実際に人はいなかった。
温かな家族の団欒が、消失していた。
規則によって、食事どきは消すことが決められている旧型のテレビは、電源からついていなかった。
「以前、似たようなことはあった。俺の誕生日だった。雪菜に散歩に行くように追い出されて、しばらく暇をつぶした後に勝手口から戻るとテーブルの上にはケーキが置かれて、他にも俺のためのパーティーの準備がしてあった。ささやかだったが、俺は本当にうれしかった」
これもそうなのか……そんなはずはない。
テーブルの上には、パーティーの用意ではなく、ありふれた朝ごはん。
ならば、ここにはあいつらがいるべきだ。
「これだけが置いてあるなんて、なんだか、寂しすぎるじゃないか」
そのはずれのつぶやきに答えて、
「そう?」
雪菜が背後で微笑んでいた。
「雪菜、これはどういうことだ。なんでみんながいない」
はずれは、雪菜と口走ってから、失敗したと思った。だが、彼女は気にした風でもない。
「なにをしているの? はあ君。早く座りなよ。ご飯が始まらないじゃない」
「しかし、みんなが……」
「はあ君たら寝ぼけてるの? みんないるじゃない。ここに」
「ここって……」
どこに、と言おうとして、はずれは彼女が抱えているものに気づいた。彼女はにこにことした表情のままそれを定位置に置いていき、自分の席に座った。
「さ、はあ君。ご飯食べよ」
はずれは、動けず、テーブルの上に置かれたものに目を奪われていた。
妙母美馨大姉。
明道智優童子。
他。
それは、白木の位牌だった。
六人分の位牌が、家族の代わりに席を占有しているのだった。
「……冗談はよせ。なんで、それがたけるたちの場所にあるんだ。冗談はよせ。そこは、それがあるべき場所じゃない」
「何を言っているの?」
「そんなもの置くなって言っているんだ」
はずれが口調を激しくしているのに対して、彼女はきょとんと、はずれがなにをそんなに気にしているのかわからないといった顔をしていて、ようやく合点がいったというようにぽんと手を打つ。
「あぁ、位牌のことを言っているんだね」
彼女は、クイズの答えが閃いたかのように笑う。
「だって、みんな死んだんだもん、しょうがないじゃない」
「……な」
みんなしんだ?
しょうがない?
「それとも、はあ君は遺体と一緒に暮らす気? ダメだよ。痛んじゃうし臭くなっちゃうよ」
「あ、あいつらは死んでなんかいない」
「またまたぁ。はあ君、やっぱり寝ぼけているんだね。そんな突拍子もないこと言い出して」
「違う。突拍子もないなんてことはない。あいつらは生きている。今でもこの家で、飯を食って、畑耕して、貧乏だけど、元気に」
屈託ない表情でまったく取り合わない彼女にいらだつはずれであったが、言い争うことに疲れて一息ついたときにようやく彼女のはいている服がスカートであり、彼女の座っている席が雪菜のものであること気づいた。
「お前、雪菜か」
「そうに決まっているじゃない。はあ君本当におかしいよ?」
ということは、六人分の位牌はみーちゃん先生、たける、けんすけ、ひかり、かなこ……そして、チロということになる。
もしかして、という不安がはずれを襲う。
「和羽は、もしかして」
「え?」
「和羽はもしかして、本当は雪菜ではなく、チロが死んだんだということを知っているのか」
「……」
「……」
「……え、なにそれ、どういうこと……」
「……だから、それは。だから、和羽は、自分はチロで死んだのは雪菜だと思い込んでいて」
「それは事実とは違うのね。どうしたのか、教えてくるかな。知りたいな。ゆっくりと、最初から」