表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/74

第38回:夢故郷

 からっと晴れた爽快な空の青に、わたあめのような雲が暢気に漂って、思わず陽光を遮らない怠慢を呪ってしまいたくなるほどに、肌を焦がす日差しが降り注ぐ。

 時節は盛夏。最も暑い時期だ。

 高低差百五十メートル、傾斜角度は場所によっては四十五度を超える長く辛い坂は、昔から滝坂と呼ばれている。そこを汗だくになってようやく越えると、地面ばかりが映っていた視界には一変、のどかな田園風景の広がりが目に入る。向こうには緑一面の山々がそびえ、ここが本当になにもない、田舎であることが実感できた。

 葛城市からは電車でも車でも一時間半かかる隣県の山間の町、大悟町。

 その田舎の景色になんの違和感もなく、畑と庭付きの乾拭き屋根の家がある。古ぼけた、昔話の中でおじいさんおばあさんが住んでいるような木造の家だ。

 児童養護施設、東雲荘。

 地元では、がきめんちとか、がきめらんとこと呼ばれている。

 ここが、鹿島はずれが物心ついてから中学校卒業までを過ごした、彼が唯一我が家と呼べる場所である。

 部屋の一室、四畳半の畳の上に敷かれた布団の中で、はずれは目を覚ました。

 見覚えのある天井の木目模様と、小さな桐箪笥、い草の香り。

「おはよう、はあ君」

 そして、彼女の笑顔がはずれを出迎えた。

 色素の薄いクリーム色のサラサラとしたボブカット。

 まつ毛は豊かで、瞳は円らで大きく、肌は童話のお姫様みたいに、白く透き通っている。

 不思議と、人形のような作り物めいた雰囲気はなかった。

「……雪菜」

 そう言ってしまってから、はずれは失言に気づいた。雪菜であるわけがない。目の前にいるのは、チロだ。長谷川智朗だ。たとえ、得体の知れない手術によって女の姿に、それも実の妹そっくりの容姿になっていたとしても、これは智朗だ。そうでなければならないのだ。

 はずれは、万が一にも、和羽にその可能性を気づかせてはいけないのだ。

「悪い、何かの勘違いだ。和羽」

「和羽? 誰のことを言っているの、はあ君」

 食い違い。

「ご飯もうできているよ。昨日は寝るの遅かったの? いつもはもっと早いのに。あ、でも、そっか、夏休みだもんね。はあ君もつい地が出ちゃったかな。きっちりしているように見えて、本当は結構だらしないんだから、もう」

「あ、いや」

「みんな、居間にいるよ。はあ君がくるの待っているんだから。ほら、用意して」

「みんな……」

 みーちゃん先生、たける、けんすけ、ひかり、かなこ。東雲荘の家族。

「ずっと、そこにいたのか。だったら、起こしてくれれば良かったのに」

「やだよ。はあ君の寝顔見ているの、大好きだもん」

 そう言うと、和羽としか思えない雪菜は立ち上がって部屋を出て行く。

「それじゃ、あたしはもう一人のお寝坊さんを起こしてくるね」

 もう一人の家族。

 長谷川智朗、チロ。

 久しぶりの我が家は、はずれにとってとても懐かしく新鮮な印象だった。

 きしむ床板、痛んだ戸板。廊下の柱に刻まれた背を測った傷の跡をなぞり、ため息を一つ吐くと、はずれは洗面所に向かった。古ぼけた家であるが、水道はきちんと通っている。洗面台だけ現代様式のものをぽんと置いてあった。蛇口をひねってはずれは洗顔した。いつものうがいや拳法の練習をする気にはなれなかったので、さっと口をすすいで居間に向かう。

 起きてから、ずっと考えていたが、一体どんな経緯で現状に至ったのかわからなかった。

 和羽の同僚である少女たちに襲われ、タロウという男に屋上から投げ捨てられたことは覚えている。それからが思い出せなかった。自分は結局地面に落ちたのか。それにしてはどこも怪我をしていない。意識のあるときは学校にいたのに、なぜ電車で一時間半もかかるここにいたのか。俺はそれほど長く眠っていたのか。

 頬をつねってみたが、痛かった。痛覚を感じる夢なのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ