第37回:虚偽の人
誠司は俗にお姫様だっこと呼ばれる形でツェツィを抱きかかえたまま、容易に悪魔の追撃をかわす。足はほとんど動かず、落ち着いて数歩ばかり歩くようにしているだけのようにしか見えないが、悪魔の残忍な爪はかすりもしない。そんなことができるのも、誠司は縮地という空間操作の使い手であるばかりでなく、陰陽道に通じた異能力者であるからであった。
そして、和羽達の仲間、執行者でもある。
「まぁ、間に合ってよかった。まさか、はずれが覚醒してしまうなんて、なぁ。この一年、そぶりすらなかったのに」
「……」
「どうしたんだい、ツェツィ。しばらく見ないうちに、俺の顔を忘れ」
「気安く話しかけるな、ゲス」
ツェツィは、感情のこもらない声で言った。
「……な、なに言ってるんだよ。俺だよ、俺。誠司だ。同じ執行者の井上誠司だよ」
「知っている」
ツェツィは言った。
「だから、ゲスだと言った」
「なんで……」
誠司の心中を見透かしたように、ツェツィの瞳は平穏である。とぼけるな、と誠司は言われている気がした。
「お前は裏切り者だ。もう、みんな知っている」
誠司は、驚きに口を開いたが、観念したかのように目を伏せると、閉じたまま優しく微笑んだ。くるべくときがきた、という表情だった。
「裏切り者のゲス野郎」
「裏切られ者のかわいこちゃん」
再度の罵言にも、誠司は
「しかし……なんだ、そうか。じゃあ、仕方ないな。ああ、でも、だからと言って君たちを無下に扱ったりはしないさ。女の子は世界で一番尊い宝物なんだ」
「吐き気のするせりふです。誠意がありません」
「まったくだね。でも、俺、誠意のないせりふならいくらでもしゃべれるんだよね。肝心なことは言えないくせにさ」
ツェツィに無表情に指摘され、誠司は笑う。他の執行者たちも既に集まっていた。誠司はそれを確認すると、悪魔から離れた場所にツェツィを下ろした。
「誠意なんて生まれたときに置いてきたよ。まあ、そんなことはどうでもいい。裏切り者の最後の仕事を、さっさと片付けてしまいますか。この馬鹿の目を覚まさせてやらないと」
「そんな風にごまかして、逃げるつもりじゃないんですか」
「逃げる?」
誠司は笑った。その考えは彼にとって予想外のものであるらしかった。
「俺はもう自分の感情に背を向けないと誓った。自分がやりたいことだけをやりきってやるのさ」
誠司は自分の成功を信じて疑わない青年実業家のような余裕の様子で、符を構え悪魔に向かって歩いて行った。