第33回:落下
タロウは、はずれを圧倒していた。動きは洗練とはほど遠いものの、かなりの運動量を維持し続けるタロウに比べ、はずれは見るからに疲弊していた。平均的な男子高校生としては驚くべきスタミナであるのだが、持久力に関していえば相手が悪すぎたのだ。勝敗は既に明らかであった。
和羽は見ていられなくなって、短刀を構え、二人の間に割り込む。
それを妨害したのは、これまで沈黙を保っていたツェツィーリアだった。いつの間にか、和羽の制服の裾をつかんで、コバルトブルーの瞳で見上げていた。
「ツェツィ、なにを」
「執行者同士の私闘は禁止されています」
「私闘なんてする気はない」
「妖怪を殺すことはツェツィたちの義務。それを邪魔するとは、和羽様はユニスの存在意義を奪うのですか?」
ツェツィの少女らしからぬ大人びた言葉に、和羽は動けなくなった。
ユニスの存在意義。
聡明な少女たちはそのことを、口にすることはなかったが、それぞれ理解していた。
妖怪を殺すためだけに育てられた機械人形。
自分たちは、ただそれだけの存在だということを……。
妖怪を殺さない執行者には、なんの価値もない。執行を邪魔する執行者も同じこと。
(僕はただそれだけなのか。はあ君を救えないのか。僕は、僕自身のことなんかより、はあ君が大事だと思っているはずなのに)
和羽は刻み込まれた価値観によって、自縛し、動けなくなった。焼け付くような暑さが、遠くに感じられた。
そうしている間に、戦いの終結が訪れた。
はずれはタロウのパンチをことごとく受け、払い、かわしていたが、動きは目に見えて鈍くなった。だが、うまく急所は外させ、決定打を食らうことはない。ユニスは、長引く戦いにいらだちを覚えた。
「タロウ、もういいわ。フィニッシュよ。投げ捨てて」
ユニスは、はずれを屋上から地面に放り投げるよう指示を出した。半妖は常人より体のつくりも丈夫であるが、五階の高さから落ちてはただでは済まない。疲労した状態で地面に叩き付けられれば即死もありえる。完全な妖怪ならば、この程度の高さでは殺すことは適わないだろうが、ユニスははずれを始末するに有効な方法だと考えた。
「イエス、マイマスター」
タロウは主の意を汲み取り、構えを変えた。いや、元々構えらしい構えはしていなかったのだが、わずかに右肘をひいて半身を傾け、腰を落とし、構えらしき姿勢になった。
はずれは、その小さな変化を見逃さない。右の拳がくる。タロウは打撃技が主体のパワーファイターであり、直線的な攻撃が多いので次の動作が読みやすかった。鉛のように重い拳を、半身をずらしながら、手首を打って軌道をずらす。投げられることを警戒して、間合いを取った。
タロウはすかさず間合いを詰めて、またもや右の拳を放つ。はずれはバックステップで回避した。踵に固い感触。
(……しまった、柵際に追い込まれた)
と、思った瞬間、タロウは全身で体当たりを食らわせた。大して体格が良いわけでもないのに、一体どこからそんなパワーがでるのか、強烈な衝撃がはずれを襲い、はずれは内臓を全部口からぶちまけたように錯覚をした。たまらず地に膝を屈する。コンクリートにしみこんだ熱量を感じる暇もあらばこそ、はずれの天地はひっくり返り、無重力空間の中にいるような浮遊感がはずれを侵した。
空が見えた。抜けるような青空だ。
和羽と再会したあの日の空より、青かった。きっとチロと別れた空より青い。
(このままだと、頭から落ちて、死ぬな、これは)
スローに風景が流れる。鮮やかな空の濃淡が足元に過ぎ行く。
「……はあ君……っ」
遠くで懐かしい声が聞こえる。