第31回:恋人間合い
第一、はずれは、自分が悪魔の子であるという意識から、社会的に善良な人としての行動を心がけ、あまり人と深い親交を持たないようにしてきた。
第二、はずれにとって今の智朗の境遇は見過ごせないものであり、より平凡で幸福な生活への変化を望んでいる。
はずれは、自分の現在の状況を再確認し、慎重に、それとなく、質問をした。
内容は、智朗の双子の妹、雪菜のことだ。
公的には、雪菜は智朗が菅原源五郎の下に養子入りした数日後に病死したことになっている。はずれは臨終の間際まで付き添っていたからよく覚えている。最期はうわ言の様に自分の半身の幸福を祈っていた。
はずれがまず確認したのは、和羽はその事実のことだけを知っているかどうか。
和羽は、雪菜が病死したことを知っていた。便りも出したし当然のことであった。また、和羽は組織の書類からはずれが悪魔の子であるということを知ったらしかった。
次に、はずれが知りたかったのは……本当は真っ先に聞きたかったのだが……和羽が現在おかれている立場。聴けば、心境的にも引き返せないと思い、意図的に無視してきた事柄だった。
だが、和羽から聞き出せたのは、聴いても利用できない情報か、聴かずとも推測できるような情報ばかりだった。
智朗は、菅原の養子になってすぐに和羽と改名させられた。嫡子は死亡しているらしく、一般教養などの高等な教育を受けた他、妖怪や魑魅魍魎についての知識、武芸、格闘術を学ばされ、中学の半ばを過ぎる頃には組織の妖怪駆除執行者として初めての任についた。
あの血の能力は、小学五年の秋に内容のわからない手術を受けた直後に開花したものらしい。血に宿る神を操る能力だそうだ。妖怪とやらが平然と存在していることを目の当たりにしてしまった今では、本当に神がいても驚かないが、おそらく妖怪と同じ超自然的な生物なのだろう。
所属する組織の実態については詳しいことはわからなかった。ただ、昼に和羽が「組織は僕たちが生きる世界そのもの」と言ったように、漠然とした巨大さと得体の知れなさが伝えられた。
「目をつぶってくれないか」
言われるがままに目を閉じたはずれの耳に、なにかとてもやわらかいものが押し当てられた。たとえるなら、張りのあるプリンのような感触だった。これより大きいが、前にクラスメイトの村松福夫のものを触ったのと似ていた。
「もしかして、胸か」
はずれが尋ねたら「黙って聴いててよ。僕だって、恥ずかしいんだから」と怒られた。和羽の吐息と呼吸。規則正しい心臓の鼓動は平常より少し早いように思えた。
続いて、もう一つの膨らみに移された。やはりやわらかかったが、そんなことよりはずれを驚かせたことがあった。
力強い心臓の鼓動が聞こえたのだ。
「僕は、女装しているわけじゃない。その手術の直後から高熱が続いて、やがて本当の女性の体に変わっていったんだ。そうして、僕は二つ目の心臓を手に入れた」
和羽はブラウスのボタンをしめながら言った。
そんな技術はどこでも聞いたことがなかった。ちょうど一年ほど前に日本初の心臓移植手術が行われて話題になったが、その五年も前に心臓をもう一つ移植したなど信じられなかった。果たしてそんなことができるのか、医学知識のないはずれにはわからなかったし、二つの心臓をもつ乳幼児が発見されたニュースは聞いたことがあるが、メリットがあるとも思えなかった。
「これは紛れもない事実で、つまり、僕が所属している組織というのは、そういうものなんだ。僕の運命さえ、決めるような」
はずれは神妙に頷き、真剣な表情で疑問を口にした。
「では、男性器はどうなったんだ。徐々に小さくなったのか、それとも切り取ったのか」
和羽は顔を真っ赤にしてはずれを殴った。しょうもない情報共有の最後だった。
それ以上の情報が聴けなかったのは、襲撃されたからだった。
タパン
はずれの後頭部に何かが当たった。まだ中身の入ったペットボトルだ。デフォルメされたカバと蜂のラベルが貼られている。
ペットボトルを投げた主は、たった今屋上にやってきたと思しき異人の少女だ。傍らには、もう一人の少女の姿がある。
「この、おバカっ、和羽ちゃんから離れろ」
「ユニスにツェツィ、なんで君たちがここに」
和羽の知人であり、組織に所属する執行者の仲間である。
はずれに向かってペットボトルを投げた方が、ユニス・エッタ・オールドマンといい、アングロ・サクソンの外見形質を色濃く受け継いでいる。綺麗なブロンドのツインテールに、ふさふさの睫毛に彩られた深く青い瞳。年齢は十歳くらいで、どこかの私立学校の制服を着ている。細く整った眉が、まなじりとともに怒りで吊り上っている。
もう一人はツェツィーリア・チェスクッティというドイツ人とロシア人のハーフで、背丈はユニスとそう変わらないが、落ち着いた雰囲気をまとっているからか大人びて見える。腰まである長いアッシュブロンドに、色褪せたコバルトブルーの瞳。夏だというのに袖が長くて筒型のマハラージャ・コートを着て、濃紺の日傘を差している。
二人並ぶと動と静に好対照だった。
はずれが二人のことを問いかけると、
「僕と同じ執行者だよ。若いけど、もう仕事もこなしている」
それは、まだランドセルを背負っているような、あどけない少女たちが、妖怪を殺すという危険な仕事に従事しているという事実。
妖怪という、人間を。
だが、
「そんな恋人間合いで、若い男女が二人きりっ。させない、許せない、絶対絶対許せない。和羽ちゃんの柔肌はユニのものなんだからっ」
そんな悲壮な事実を微塵も感じさせない雰囲気がユニスたちにはあった。