第2回:ビニール袋ヒーロー
鹿島はずれは、よく風変わりと評される少年だった。
この風変わりというのは、変人、もしくは馬鹿という言葉をオブラートに包んだものだ。
はずれは、路地で一人の少年が三人の不良少年たちに金銭的脅迫を受けているところを目撃した。認識すると同時に踵を返し、畳屋の軒先で状況を理解して、買い物袋をおろして素早く必要であると思える行動を開始した。
「こっちですよ。おまわりさん、早く。かつあげです。恐喝です。強盗です。ひいては暴行、強姦、人身売買に発展する危険性があります」
しねえよ、なんて無様な反論をするやつはいなかった。
路地裏に、声がよく通る。
少年には、その言葉の意味が理解できなかった。どういう意図で発せられたのか。
不良少年たちは忌々しそうに舌打ちすると、強引に少年の財布を奪って駆け出した。
「あっ、僕の財布……っ」
少年はうろたえて追うことができない。
その時、少年は自分の横をなにかが横切った気がした。黒い突風か、獣かと思えたが、どちらでもなく、学生服を着た、学生のようだった。だが、少年にはそれがさっき見た学生と同じなのか、判断がつかなかった。
学生が白いビニール袋を頭からかぶっているからであった。ビニール袋には二つ穴が開いていて、ちらりとだけそこからのぞく目が見えた。右手には異様に大きな大根を一つ持っている。まるで変質者のようないでたちの学生が、しかも妙に足の早いものだから、少年は状況を忘れて気味が悪くなった。
学生は、不良少年たちを追いながら、右手で大きな大根の葉を握りなおし、投げた。大根は、白い手斧のように、回転しながら飛んでいき、狙い誤らず金髪の不良少年の頭に命中した。たまらず体勢を崩した不良少年が、転ばぬようなんとか踏ん張っている間に、学生はあっさり追いついて、
タン
と軽く不良少年の手を蹴った。動物革の財布が宙を舞って、学生の手元に落ちた。
不良少年はなにやら喚いて学生に襲いかかろうとしたが、すっと、なにげなく上げたように見えた学生の足の裏が目前にあることに気づくと、気を削がれたのか、
「ちくしょう。おぼえてやがれ、イツマン野郎」
と、謎の捨て台詞を残して逃げていった。
その捨て台詞の謎は、学生が脱いだビニール袋に大根の残骸を拾い集めた後に戻ってくると、氷解した。そのビニール袋は、近所にあるスーパーイツマンのものだったのだ。「いつも満足、イツマンの〜」というメロディが少年の頭をよぎった。
「ん」
と、学生は、さも面倒くさいことをしたというように、財布を少年に向かって放り投げた。
ビニール袋を脱いだ学生は、間違いなくさっき路地をのぞいていた人物と同じに思えた。
間近で見てみる学生は、少年の二倍近くも身長があるように思える。もちろん、それは錯覚なのだが、背の高さは事実であり、ひょろりとして痩せているように見えるのに妙に肩幅が広いのが、学生をより威圧的に、少年を覆おうとする影のように、もしくは見上げるような巨人であるかのように、少年に見せている理由であるのだと、少年は思い至った。ろくにセットをしていないような伸び放題の黒髪は、漆黒と呼ぶにふさわしく、一切の光を吸い込んでしまいそうで、髪の奥に潜む瞳も、眼窩にぽっかり穴が開いているかのように暗黒が納まっている。少年のよく見知った藤の校章の刺繍された制服に身を包んだ、学生の手は枯れ木のように長い。
いつまで経っても警官はこなかった。どうやら、不良少年たちを追い払うための虚言であるらしかった。
「ありがとうございます」
少年は、頭を下げたが、学生は礼の言葉が聞こえていなかったかのように不機嫌そうな顔をしている。むすっとして他に反応もない。
少年は、なにかまずいことを言ってしまったのかと思って、まじまじとその学生を見つめた。しかし、学生はしばらく剣呑とすら言える目つきで少年をにらんでいるばかりでなにもするでもなかった。少年は不安になった。少年は、まさか、学生のこの反応が照れであるだなんて思わないのだ。
(もしかして……この人もあいつらの同類か。いや、でも、助けてもらったのは確かだし、あの不良たちにとられることを思えば……)
そう思って少年は財布の中から、医者の肖像が印刷された紙幣を三枚取り出しておずおずと差し出した。
「これ、お礼の気持ちです。少ないけど、受け取ってください」
学生は、差し出されたお金にちらと目をやったが、心動かされたようでもなく、
「それは、君の金か?」
「……は」
「君が働いて稼いだ金か?」
「……いえ、お小遣いですけど」
学生は、フンと鼻を鳴らして少年を馬鹿にすると、
「……なら、いらない。そんなお金は」
と言い切った。
「え」
「……礼をする気持ちがあるならば、それは、そうだな、二億円だ。君が稼いで二億円ためたなら、受け取るが、それ以外ならいらない。俺には過ぎたものだし、君にそういった習性がついてしまうのも良くないからだ。では、また機会があれば。親と、親の財産は、せいぜい大事にすることだ」
本気とも冗談ともつきにくい、そして冗談としたら百人中九十九人がくすりともしないだろう、鷹揚のない調子でそう言うと、学生はさも面倒くさそうにその場を立ち去ろうとする。
日は落ちかけて、涼しい風が裏路地に流れ込む。昼は夏らしい陽気であったが、これからの時刻、少しは過ごしやすい気温になるだろう。
学生は「暑い、暑い」と文句を漏らし続ける。しかし、学生は分厚い上着のボタンを上から下まできっちりしめて、さらには、いきなりなにを思ったか、不良少年たちを追いかけたときと同じくらいの勢いで走り出した。まるでなにものかから逃げるように。
少年は、不審に思って財布の中身を確かめたが、異常はなかった。つまり、わからないようにこっそりちょろまかしたわけではなかった。先ほどの発言にしても、かっこうつけているのか、冗談を言っているのか、はたまた本気なのかどれもはっきりとはしない、奇天烈な印象が少年の心の中に残った。
とらえどころのない奇妙な人物。なに考えているか読めない、風変わりな人間。端的に言えば、
(……変な人だなぁ。まぁ、いい人なのかな……)
それこそ、イツマン野郎ことビニール袋をかぶった学生、鹿島はずれが多くの人にもたれる平均的なイメージであるのだった。