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第23回:プール

 その日、はずれのクラスの五時限目は体育だった。

 教室のある校舎から離れたところにあるプールに備え付けの、消毒剤の臭いのする更衣室で、高校生の割に妙にひげの濃い若本は隣で着替えている日野に言った。

「なぁ、よく漫画なんかで、着替え中に女同士胸つかんだりするだろう。『ああん、朝香の胸またこんなに大きくなってるぅ、ずるーい』『やーん、揉まないでよぉ』『誰にこんなに大きくしてもらったんだ、白状しろぉ』とか、そういうの。あれって、本当にあるのかね?」

「さあ。知らね。多分、答えはこの壁の向こうにあるんじゃないのか」

 日野はモルタルの無機質な壁を指差す。

「なに、それはお前、知りたければ俺にのぞけということか。なんと、卑怯な、破廉恥な」

「いや、別にそういう意味で言ったわけじゃねーんだけど」

「しかし、悩める少年たちのためならば、この若本法介、あえて汚名を受けようじゃないか」

「やるんかい」

「すべては知的好奇心のなせる業よ。いざいけ、俺のシルバー。目指すは比良町朝香の生バスト。特に胸の下の陰影」

「お前の範囲って人妻じゃなかったっけ……それはともかく」

 バギャ

「比良町の守護者、与一が聞いているぞ?」

「遅いぞ、日野よ」

 与一によって壁に擦りつけられながら、若本がうめいた。

「……ったく、うちのクラスの男にはろくなやつがいねえ」

「それ、もしかして俺も入っているのか?」

「もちろん」

 二つの冷たい消毒水槽とシャワーをくぐり抜けて、与一と誠司はプール際までやってきた。元々度の入っていない眼鏡であるが、誠司はさすがに水泳の授業にはかけてこない。プールの反対側には水着に着替えた女生徒の姿が見える。

 屋根のないプール場はさんさんとした太陽の日差しに照らされて、熱せられた床が足の裏に心地良い。塩素消毒によって濃紺に染まった水泳パンツからぽたぽたと垂れる水滴が、コンクリート地の床を暗く染めた。

「心外だな。俺はこれでも清廉潔白な好青年で通っているんだぜ。その証拠に教えてやる。比良町、アンダーが減ったんでカップがまた上がったらしいぞ」

「へー、そうかよ……って、なんでお前がそんなこと知ってるんだよっ」

「ほら、俺って女の子にも友達多いから、自然とそういう情報集まってくるんだよ。いわゆる、人徳というやつ」

 誠司のいつもの手口だ。動揺させる語り口で、与一を撹乱させて自分は常に優位に立つ。

「……お前って、つるむのは嫌いだとか言っているくせに、そういう友達は多いのな」

 与一はそういう誠司の態度を崩してやりたくなった。

「べたべた馴れ合うのは嫌いさ。でも、それと友人の数とは別だろう」

「広く浅い付き合いってやつかよ」

「そ。狭く浅くよりはいいだろう。情報ソースは多いに越したことはないしな。あ、でも与一はそうでもないか。困るよな」

「どういう意味だよ」

「それより、はずれの姿が見えないんだが、お前、知ってるか」

「え、あ、そういやいないな」

 与一はあっさりと目論見を忘れて、スタート台に乗ってきょろきょろ見回し始めたが、はずれの姿は見つからない。

 次々とクラスメイトたちは水着に着替え……もしくは一部の女生徒は制服のまま……プール際に現れる。やがて、ベルが鳴って授業が始まってもはずれは姿を現さなかった。

「はずれの他に、あの転校生もいないみたいだぞ。あと、ほら、眼鏡でおさげの……」

「根本だろ。いつもだよ」

「……へ、そうなの。誠司、お前、よく見てるなぁ……」

 誠司は急に与一の声など耳に入らないかのように、唇をなぞるように顎に右手を当てて黙り込んだ。誠司の考えごとをするときのポーズだ。

 与一は声をかけようとしたが、体育教諭の千田に呼ばれてしまった。

 濡れたプールサイドを歩きながら振り返ると、誠司は彫像のようだった。

 線は細いがしっかりとした顎のライン。知性の宿る切れ長の瞳。日本人にしては高い鼻。着やせするタイプで、服を脱ぐと肩幅が広くて、均整のとれた体躯が現れる。そして、なにより背が高い。容姿は申し分なく、成績は優秀。芸術を解し、スポーツもできる。

 井上誠司。

 なぜ彼が自分と友人でいるのか、与一は不思議に思う。

 誠司には、もっと、なにか、自分には想像できないが、相応しいステージがあるのではないか。そして、それを既に見据えているのではないか。たまにそんな感想が生まれることがある。

(……まさか、あいつ……)

 よぎる、不安。自分と彼との世界がもう間もなく分かたれるような。

 ……キヅクナ……。

(……なんて、考えすぎか……)

 ……ソウ、カンガエスギダ……。

 与一はそこで考えるのをやめた。考えても仕方ない。

 自分は誠司の友人だと思っているし、これからもそう接していくつもりだ。余計な疑念は無理矢理晴らすものではない。

 誠司から、一度も悩みを聞いたことがないことを歯がゆく思ったとしても。

 ちゃぷん

 水音がやけにはっきりと聞こえた。

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