第17回:食っているものはなに?
その日の放課後、学校を出る道すがら朝香と菊間と会い、部活が休みになったというので、誘って学校近くの喫茶店スズシロにきた。
落ち着いたログハウス調の、二ヶ月前の最新曲が流れる店内には、珍しく他に客はいない。
注文した総質量二キロを超す『びっくりどっきりベリーベリーパフェ』が眼前に運ばれてきたところで、朝香が嬌声を上げた。
「きゃぁー、おいしそー」
「お前も注文すればいいじゃん。そして太れ」
「うるさい。バカ与一。私はこれで我慢するもん」
そう言って朝香は自分で注文した抹茶アイス黒蜜がけをつつく。誠司は言った。
「八分以内に食べきれば、パフェの代金はおごりだから、与一の」
「なっ、バカ、誠司。誰が俺のおごりにするって言ったよ」
「なんだよ、小さいやつだな。じゃあ、俺が半分は出してやるよ。それでいいだろ?」
「俺が金払うのは変わらないじゃないかっ」
「与一、せこーい。それくらいおごってあげればいいじゃない」
「バ、バカっ。これいくらすると思ってるんだよ。二千円だぞ、二千円っ。俺は金持ちじゃないの」
誠司と朝香が与一をからかって遊んでいると、
「……誠司、与一。ありがとう」
与一は元気な調子から一転毒気を抜かれて、恥ずかしそうに視線をそらす。
「ば、バッカ。マジな顔してそんなこと言うんじゃねえよ。かゆくなるじゃないか。ほら、早く食えよ。八分なんてあっという間だぞ?」
「……与一ってば、照れてる」
「バカ言うな、誠司。照れてないよ。俺はその、なんだ、えーと……とにかく照れてないの」
誠司が「はいはい」と妙ににやけた表情を浮かべると、与一は益々むきになる。菊間はうろたえて、朝香は笑っている。その光景を眺めながら、はずれはいつの間にか、自分がひどく落ち着ける場所にいることに気づいた。それは、学校や寮でのなに気ない日常の瞬間やたとえば先日のパーティーでも感じた安らぎだった。この居心地のよい空間に浸っていたいと思う。だが同時にそう思う自分を責める声が、頭の中に響く。
(果たして、それが、許されるのか)
(お前は悪魔の子。善を信じる者たちの敵となることを宿命付けられた生まれながらの妖怪)
(お前はダメな子。ろくでなしの子。出来損ないの子。人様に迷惑をかけないことが、お前が生きていても良い条件)
(過去に罪業を負ったお前が、のうのうと生きてよいものか。幸せになっていいものかよ)
(お前は望んじゃいけない。生きているだけで満足して、なにも願ってはいけない。ご飯も、趣味も、友達も、そして……)
聞き覚えのある自分の声。けれど、違和感のある誰かの声。
(俺は自分の罪を知っている)
生クリームを運ぶスプーンの動きが止まる。朝香がいち早く気づいて声をかけた。
「どうしたの。鹿島君?」
「ん。いや、なんでもない」
「もしかして、菅原さんとなにかあったの」
朝香は勘が鋭い。こと自分に対する好意以外に関しては。
朝香はよく観察し、物事を正しく関連付けて思考することができる。恋は盲目という言葉が示す通り、朝香は夜中に一人で部屋にいるときや、はずれが男友達と話しているのを見たときなどは過剰に意識してしまうが、恋の力がなせるわざか、はずれを対象とする勘は普段以上に鋭くなる。はずれと和羽の間にも、噂以上のつながりがあるのではないかと感じていた。
「彼女に振られちゃったの」
「ぎく」
と擬音を口にするのは、はずれなりのお茶目である。
「え、え、本当なの?」
「いや、そもそも振る振らないという仲じゃない」
「じゃあ、なにがあったの」
はずれは、逡巡して、すぐに詳細に説明するのは諦めた。
「話せないようなこと」
はずれは「話したいけど、話すと怒られるから話せないし、というか既に一回怒られた」という旨を伝えたかったのだが、これほど言葉の選びを間違えたら伝わるわけはなく、もちろん朝香は誤解した。
「え、え、具体的に言うと」
「肉体の一部が膨張して、上に乗っかって、赤い凶器が貫いて、あと血が出た」
朝香はなにを想像したのか、真っ赤になった。彼女の中途半端な知識と想像が結びついたのだろう。頭に血が上り、目の前が揺らぐ。朝香は瞬間的にはずれの頬をはたいていた。
パチンッ
「痛い」
朝香ははっと我に返る。
「……あ、ごめん、つい……鹿島君が、そんなこと言うから。いや、本当ごめん。気にしないで、そんなんじゃないから……そんな……ごめん、ちょ、先帰るね」
瞳から零れる涙を隠すために、うつむいて走り去る朝香を、事態をつかめない男たちは見送る。
「もう十二時だっけ?」
つまらないと思いつつ、冗談を飛ばす誠司の頭を、くすりともせずに与一が叩いた。
「おい、はずれ。お前またなんか朝香に変なこと言ったんだろ。なにしてんだよ、追いかけろよ、早くしろよ」
「……しかし、あと三分でパフェを食べねば」
「そんなの俺のおごりでいいからっ。その代わり、朝香を泣かしっぱなしにしたら、俺が、ぎったぎたにぶっ殺す」
怒鳴って脅してはずれを走らせた与一は、機嫌の悪いしかめっ面をしていらだたしげに椅子に座ると、残ったパフェを食べ始めた。