第13回:生かされる理由
酒の臭いが充満する中、死屍累々と友人たちの横たわる自室を後にする。
時刻は十時をまわっている。
清潔感のある廊下を通り、階段を下りて、一階の食堂へ行くと、食事の時間もとうに過ぎているので、調理場を残して消灯していた。調理場には週刊誌を読んでいる人影が一つある。
はずれはその人影に近づいて、頭を下げた。
「今日は、直前で無理を言って休ませてもらって、すみませんでした」
人影は、中年のおばさんだった。頬骨の角ばった特徴的な顔立ちで、目はへの字に垂れている。雑誌から顔を上げると、おばさんは柔和な笑顔を浮かべた。
「ああ、いいよ、いいよ。今日はおばちゃん特製カレーで仕込みは済んでいたしね。こないだは大根の煮物がんばってもらっちゃったし、たまにはこんな日もあるでしょう」
はずれは、寮の食堂の手伝いをしている。アルバイトのようなものだ。学費の足しにするために入学して間もなく、寮の管理人でもあるこの内田さんに頼み込んだのである。常陽学園は原則的にアルバイト禁止であるが、学内での活動として特例として認めてもらったのだ。内田さんの口利きによるところは大きい。
「ただ、社会では通用しないことは覚えておいてちょうだいね。わがままができるのは学生の内だけだから。順繰り順繰り、覚えていくこと、いいね」
はずれはいちいち頷いた。ただでさえ頭の上がらない相手である上に、今日は一方的に聞くしかない理由があった。
はずれは、今日、与一たちに流されて食堂の手伝いを休めないか内田さんに相談した。はずれ自身、怠けたいという意識があったわけではないが、後輩の相談に乗らないのは人情にもとる行為なのではないかと思い、結局内田さんに甘える形になったのだった。実際として、相談はぐだぐだではずれの心中以外にはこれといった結論も出ず、最後には酒乱パーティーになってしまったわけで、はずれとしては申し訳が無かった。
「そうそう、あの子があんたの代わりに手伝ってくれたんだから、感謝しときなさいよ……って、あらやだ、いない」
内田さんが指す方向には、電灯の明かりが届かない食堂に闇が広がっているばかりで、誰もいない。
はずれは手伝ってくれたという人を探してみたが見つからず、挫折して部屋に帰ろうとすると、寮の前の花壇に人影が見えた気がして気を変えてロビーへ向かった。一歩外を出ると、夏休みが迫った暖かな空気が身を包む。夏の香りが一層増したような気がした。
赤い煉瓦を敷いて隔てた十二平方メートルほどの花壇。そばには少女の姿。屈んでいるから、ともすれば小さな子供のように見える。
「……ようやくきた」
涼しげに咲く淡い青色の花……フェアリィベルという名前だ……から顔を上げたのは和羽だった。
「職員室から戻ったらもう教室に残っていないし、わざわざ寮に訪ねてきたら、食堂の手伝いをする羽目になるし、君に関わるとろくなことがないね。最悪」
「……すまなかった」
「僕のことを思い出すまでは、僕のことをお姫様のように扱うこと。そう、約束したよね。このあいだ」
「ああ」
「で、君は今日の僕への仕打ちは、お姫様に対する当然の対応だろうと思うわけだ」
「……違うと、思う。すまない」
和羽に詰問されて心なしか力なく答えるはずれ。その態度に満足したのか、和羽はため息をついて力を抜いた。
「……まぁ、わかっているならいい。食堂の手伝いも結構楽しかったし」
実際には自ら進んで手伝ったのだろう。はずれの知っている和羽はそういう人間だった。いや、それは正確ではない。なぜなら、はずれは和羽という人間を知らないのだから。
「毎日食堂を手伝っているの」
「ああ」
「なんで食堂なの」
「外のバイトは禁止なんだ。寮に入らなければばれないのかも知れないが、みーちゃん先生に、きちんと勉強するように言われているし」
「……そっか。じゃ、ほら、質問」
一瞬、和羽の表情が翳った気がしたのは、月が雲に隠れたせいかも知れない。
「ん」
「今度は、はずれの質問の番」
「……ん」
「君って、自主性ってものがないんだね。そんなことじゃ立派な大人になれないよ」
「あー、悪い」
「別に怒ってるんじゃなくてっ……もう、で、なにか質問ないの」
「……ん、あー、今日は、調理はしたのか」
「それが従者の態度?」
「調理はなさったのですか」
「ううん、僕は配っただけ」
「そうか」
「敬語」
「左様でございますか」
「他に質問は?」
「……あー、先日の件についてお聴きしてもよろしいでしょうか」
「先日って」
「あなたが、妖怪、といった存在と、あなたがここにきたわけ」
そして、
「俺がまだ、ここにこうして生きている理由」