第10回:漫画にありがちな展開
「だーっ、もうコスプレはおしまい。写真撮るのやめろぉ。恥ずかしいじゃねえかぁ」
「えー、もうやめちゃうのー。つまんなーい」
と観衆たちのブーイング。
誠司は何かに気を取られているのか、唇をなぞるように右手を当てるポーズで、与一を見ていなかった。その視線の先は教室の隅に注がれている。収納式スクリーンに、ひまわりの挿してある花瓶の置かれたキャスター付きの台、自動鉛筆削り機と並んで置かれた黒板消しの掃除機。特に見るところのないいつもの風景だ。騒ぎに入っていない女生徒が一人、席についている。
誠司ははっと我に返って、
「だめだめ。罰ゲームは、コスプレしたまま授業を受ける、だ。まだ授業は始まってもいないじゃないか」
「そんなぁ、勘弁してくれよぉ。俺もう、恥ずかしすぎて、やだよぉ。どうにかなっちまう」
「どうにかなるのかよ。男のお湿りとか、売れないし、勘弁な」
「なにがだっ」
「あ、そうだ。小林、そのビデオ編集して売るのも、それを元に同人誌描くのも禁止な」
「小林ぃ、てめえ、なにやってやがる」
そうしている間に、五時限目の化学担当の檜垣がやってきた。檜垣はイ組の担任であり、時折なにを考えているかわからないところがあって、化学担当のくせに歴史的な政権争いと幕末維新の話になると夢中になって暴走する他は、友達のように近しく生徒に接するので人気のある教師である。背が高くて肩幅が広く、鋭角的な顎。丸眼鏡の下には柔和な笑みを絶やさない。いつかの時代に理想的とされた家庭的な父親……もしくは夫……のイメージのある三十歳だ。檜垣は、生徒たちがクスクス笑いながら名残惜しそうに自分の席に戻っていくのを教卓についてのんびり待っていたが、コスプレをしている与一に気づくと「ほお」と軽く驚いて、
「びっくりだ。あんなかわいい子、私のクラスにいたかい」
軽く笑いが起こった。
「羽賀、知っての通り次の時間は学年主任の厳島先生だからね。もう一回変身しないと、お説教の時間になるよ。気をつけなさい」
「呪文を忘れて戻れない場合はどうしたらいいんでしょう、先生」
「さあ、どうしたらいいでしょうね。先生なら、かわいいから許しちゃうんですけど、ねぇ」
「もしかして、羽賀って、先生の好みー」
女生徒が茶化すと、
「ええ、とっても。かわいくって食べちゃいたいくらいですよ」
檜垣は微笑んだ。
「さて、羽賀には驚かされたけど、今度は私が君たちをびっくりさせる番だね。時期外れだけれども転入生を紹介しよう。本当は朝のホームルームに知らせるはずだったのだが、急用で遅れていたんだ。さ、入ってきなさい」
控えめに扉が開かれた。
生徒たちのさざめきは、波を打ったように静まり返った。
本当なら、歓声が上がるところだったろう。元より転入生が女性と知れた瞬間、男子生徒は騒ぐ準備を整えていたし、女生徒はそれぞれ好き勝手に転入生を評価する気でいた。それが惚けた静寂に取って代われたのは、とりも直さず、転入生の美貌がクラス中の心と目を奪ったからだった。
全員分の息を呑む音が聞こえてきたようだった。
「はじめまして。菅原和羽といいます」
色素の薄いクリーム色のサラサラとしたボブカット。
まつ毛は豊かで、瞳は円らで大きく、年齢は中学生とも高校生にも見えるが、あどけない顔立ちと低い身長のせいで、制服を着ていなければ小学生に見えたかも知れない。
肌は病的に白く透き通っていて、体の各パーツは一つ一つが驚くほど小さい。胸は小ぶりだが形が整っていて、腰は強く抱けば折れそうなほど細くくびれている。表情のない冷めた黒瞳、桜色の唇。整いすぎて、どこか嘘くさい美しさ。
名のある職人が作った等身大の芸術品、という表現がぴたりとくる少女。
(文句のつけようがないくらいきれい、なのに)
見ていると寂しくなる気がする、と朝香は思った。
和羽と名乗った少女は、挨拶を済ますと教室中から浴びせられる視線をものともせずに教壇から降りてある席の前で立ち止まる。
朝香はなぜか悪寒のようなものを感じた。
「これからよろしくね。はずれ」
目の前に差し出された小さな手の平を、はずれは、恭しく手に取ると優しく裏返して手の甲に口付けをした。
「仰せのままに」
それは、まるで中世の騎士が忠誠を誓う姫君にするような、麗しい光景だった。