第9回:喧騒の教室
八日経った。
私立緑町常陽学園高等学校の二年イ組の教室の十五番の席で、羽賀与一はうなだれていた。
「なんで……なんでなんだよ、ちくしょー。はずれ……なんでお前が……まさか、こんな目にあうなんて……」
目には涙すら浮かんでいる。悔しさからの涙だった。
誠司は与一を気遣って、与一の肩に手を置いて諭すように言った。
「残念な結果だった……でも、これはどうしようもないことだったんだ。受け入れよう。それが、どんなに辛くても」
誠司は震えていた。歯を食いしばって耐えていた。きつく閉じた目の端に涙が浮いていた。
「誠司……」
与一は感極まった表情で親友の顔を見上げた。滂沱と涙が流れている。
限界だった。
プフッ
「わ、笑いやがったな、てめえ。くそ、この偽眼鏡。伊達眼鏡。今すぐ笑うの止めないと、グーで殴るぞ、グーで。コラ、笑うなってば」
「笑うなって言ったって。だって、お前」
「いいから笑うなってば」
「はいはい、わかったわかった。かわいいよ、与一。その猫耳」
大爆笑。
クラス中が喧騒に包まれる。口笛が鳴る。黄色い声が上がる。
与一をぐるりと囲んだ者たちの視線はすべて、猫耳付きヘアバンドをつけてメイド服を着た与一に集まっていた。
「くそー、なんで俺がこんな目に。絶対、はずれには負けないと思ったのに」
「いや、むしろ、俺にはなんでお前がそう思ったのかが不思議だね。はずれとお前の内、国語の定期テストで負けた方がコスプレして授業を受けるって。なに、お前、そんなにコスプレしたかったのかって思ったよ」
「一教科なら勝てるって思ったんだよ」
ことの始まりは今月の初め。例によって与一がはずれに挑戦を申し込み、強引に条件を飲ませたのだった。期末にある定期テストで国語の教科で点数の低い方が恥ずかしい格好をすることになり、具体的な衣装は誠司が調達した。
テストを終えた休日明けの今日、四時限目に勝敗は決し、現在は昼休みに至る。
「ところがそうはならなかった。国語どころか、全教科大敗。甘いんだよ、お前は。誰だってやればできるなんて、やる気を出すための虚言に過ぎないんだぞ。はずれは常日頃から勉強しているんだ。努力の仕方も把握していないお前とは、努力の総量の桁が違うんだよ。ま、でも、良かったな。似合っていて。お前は今日から、イ組のアイドルだぞ」
「嬉しくなーい」
喚いていたら、ふと女生徒の一人と目があった。ポニーテールの、気丈そうなその女の子の名前は比良町朝香という。与一の幼馴染である。朝香は隣席の女友達と与一のコスプレについてかしましくはしゃいでいたが、与一と目が合うなり、目をそらして盛大にふきだした。五歳の頃から知っている男の子が校内で猫耳メイドの服を着ているのだから、当然の反応であった。
しかしながら、与一のコスプレは決して気持ち悪いものではなかった。与一は他の同年代の男子と比べて背が低く、童顔かつ中性的な顔立ちをしている。髪は固めて突っ立てているものの、女の子と勘違いしてもおかしくない容姿だった。いや、むしろそこいらの女の子が猫耳メイドの服装をするより遥かに似合う。キングオブ猫耳。そういう才能があるのかも知れなかった。
与一自体は口の悪い男子小学生みたいな性格であり、クラスメイトたちはからかいたくてたまらなかった。
「おい、羽賀。『ご主人たま。私がご奉仕するにゃん』って言ってみろー」
「いや、一人称は『よっち』だろう。これは譲れん。あ、目線ください」
「与一ってば、マジでかわいいんだけど」
「与一。写メ撮るよー笑って笑って」
「いいぞー歌えー踊れー」
「そして脱げー」
という具合で、教室はさながらアイドルの撮影会場のような様相を呈していた。
だが、安易にクラスの混沌に身を投じない例外はいるもので。
その内の一人、自分の席に座っていた鹿島はずれは、与一の怒りと恥ずかしさがないまぜになった視線に気づくと、与一に手を振った。与一の猿みたいな怒号が上がったが、すぐ止んだ。はずれの腕に目が止まったからだった。はずれの腕には痛々しく包帯が巻かれていた。与一は傷のことを考えて一旦テストの賭けを解消しようとしたが、はずれはその必要はないと答えたのだった。
(ちくしょう。ハンデがついていようがなかろうが、俺程度が相手ならテストは余裕ってことかよ。むかつく)
フラッシュと接写音の中、与一は舌打ちして、そばに立つ誠司を見る。そういえば、誠司も頭が良い。成績は常に学年五位内に入る秀才だ。与一は、八つ当たりと理解しつつも誠司が腹立たしかった。誠司がはずれと対決すれば勝てたのに、と見当違いに憤る。怒りの中には、懸命に勉強したのにはずれに歯が立たなかった自分自身への情けなさも含まれていた。