タマはハンター
タマは、自分のことをすごい猫だと思っていた。
なぜなら、タマはハンターだからである。
春子の家には、小さな庭があった。草が生えていて、花が咲いていて、時々、小さな虫たちがぴょんぴょん跳ねたり、のそのそ歩いたりしている。
タマは、その庭を見回るのが好きだった。
ただ歩いているわけではない。
見回りである。
警備である。
そして、狩りである。
大切な仕事である。
ある日、タマは小さな虫を見つけた。
草の葉の上で、じっとしている。
タマは身を低くした。
耳を伏せる。
ひげをぴんと伸ばす。
しっぽを、ゆっくり揺らす。
そして――
「にゃっ!」
前足で、ぱしっと押さえた。
捕まえた。
タマは胸を張った。
やはり自分はすごい。
タマはその虫をくわえ、家の中にいる春子のところへ持っていった。
「にゃあ」
「あら、タマちゃん」
春子はタマの前足の下を見て、少し目を丸くした。
「あらあら。虫さん捕まえたの?」
「にゃ」
「タマちゃん、すごいわねえ」
春子は笑って、タマの頭を撫でた。
タマは目を細めた。
当然である。
自分はハンターなのだから。
その次の日も、タマは庭で虫を捕まえた。
また次の日も捕まえた。
春子はそのたびに、
「タマちゃん、すごいわねえ」
と言ってくれた。
タマはだんだん、得意になっていった。
この家の平和は、自分が守っている。
春子はまだ分かっていないかもしれないが、自分はかなり役に立っている。
タマはそう思っていた。
ある日、タマは大きなバッタを捕まえた。
今までの虫とは違う。
足が長い。
体も大きい。
しかも、ものすごく跳ねる。
タマは何度も逃げられそうになりながら、庭の端から端まで追いかけた。
植木鉢の横を走り、草の中に飛び込み、しっぽに葉っぱをつけたまま、ようやくバッタを捕まえた。
これは大物だった。
タマは誇らしげに、春子のところへ持っていった。
「にゃあ」
「えっ、タマちゃん!?」
春子は大きな声を出した。
タマは満足した。
やはり驚いたか。
すごいだろう。
「まあ、大きなバッタねえ。タマちゃん、すごいわねえ」
春子は少しびっくりしながらも、最後には笑ってくれた。
タマは胸を張った。
春子は分かっている。
自分がすごいハンターだと、ちゃんと分かっている。
ところが、ある日のことだった。
タマは家のすみで、大きな黒い虫を見つけた。
黒くて、つやつやしていて、動きが速い。
ただの虫ではない。
タマのひげが、ぴんと立った。
これは強敵だ。
タマは慎重に近づいた。
黒い虫は、ささっと動いた。
タマも動いた。
黒い虫が植木鉢の裏へ逃げる。
タマは回り込む。
黒い虫が壁のほうへ走る。
タマは前足を伸ばす。
ぱしっ。
捕まえた。
タマは目を輝かせた。
これは、今までで一番の獲物かもしれない。
タマはそれをくわえて、春子のところへ持っていった。
「にゃあ」
春子は振り返った。
そして、タマの口元を見た。
「……」
春子の顔が、固まった。
タマは少し首をかしげた。
どうしたのだろう。
いつものように言えばいいのに。
タマちゃん、すごいわねえ、と。
次の瞬間。
「きゃあああああっ!」
春子は逃げた。
タマはぽかんとした。
「にゃ?」
なぜ逃げる。
すごい獲物なのに。
かなり苦労して捕まえたのに。
タマが不思議に思っていると、春子はしばらくして戻ってきた。
手にはティッシュペーパー。
もう片方の手には、ビニール袋。
春子の顔は、とても真剣だった。
「タマちゃん、だめ。離して。お願い、離して」
「にゃ?」
春子は恐る恐る近づいてきた。
そして、ティッシュペーパーで黒い虫をつかむと、タマの前からさっと取り上げた。
タマは驚いた。
せっかくの獲物が。
自慢の獲物が。
春子はそれをビニール袋に入れ、口をぎゅっと結んだ。
そして、そのまま捨ててしまった。
タマは納得できなかった。
なぜだ??。
なぜ、あれは褒めないのだ。
バッタは褒めた。
小さな虫も褒めた。
なのに、黒い虫だけは悲鳴をあげて、取り上げて、捨てた。
春子は分かっていない。
あれは、なかなかの相手だった。
すばしっこくて、黒くて、つやつやしていて、いかにも強そうだった。
タマは少し腹を立てた。
次にあの黒い虫を捕まえたら、春子には見せない。
そう決めた。
そして、数日後。
タマはまた、家のすみで黒い虫を見つけた。
前と同じように、素早く動く。
タマの目が細くなった。
来たな。
タマは身を低くした。
今度は春子に見せない。
自分だけで確かめるのだ。
この黒い虫は、本当にそんなに嫌がるほどのものなのか。
どんな味がするのか。
タマは前足で押さえ、少し迷ってから、ぱくりと口に入れた。
かり。
……。
タマは動きを止めた。
思っていた味と違った。
もっとすごい味がするのかと思っていた。
強い獲物だから、きっと強いうまさがあるのだと思っていた。
けれど。
苦い。
なんだか、苦い。
草でもない。
肉でもない。
魚でもない。
おやつでもない。
ただ、よく分からなくて、苦い。
「にゃ……」
タマが微妙な顔をしていると、そこへ春子が来た。
「あら、タマちゃん。何して……」
春子の声が止まった。
タマの口元を見たのだ。
そして春子の顔色が、また変わった。
「タマちゃん?!」
タマはびくっとした。
怒られるのだろうか。
しかし、春子は怒るより先に、タマを抱き上げた。
「だめだめだめ。今の食べたの? 食べちゃったの?」
「にゃ?」
タマには分からなかった。
なぜ春子がそんなに慌てているのか。
春子はタマを抱えたまま、急いで出かけた。
どこへ行くのだろう。
そう思っていたタマは、すぐに嫌な予感がした。
見覚えのある道。
見覚えのある扉。
消毒の匂い。
白い服を着た人間。
病院だった。
「にゃああ……」
タマは低い声で鳴いた。
ここは嫌いだ。
とても嫌いだ。
春子は白い服の人と、何かを真剣に話していた。
「黒い虫を食べてしまったみたいで……」
「いつ頃ですか?」
「たぶん、さっきです」
タマには人間の言葉の細かいところは分からない。
だが、春子がとても心配していることだけは分かった。
白い服の人はタマを見た。
タマも見返した。
できれば帰りたかった。
しかし帰れなかった。
その後、タマは嫌いな薬を飲まされた。
「にゃっ!」
苦い。
さっきの黒い虫より苦い気がする。
タマは抗議した。
強く抗議した。
だが、人間たちはまったく聞いてくれなかった。
「よく頑張ったね、タマちゃん」
春子はそう言ってタマを撫でた。
頑張らされたのだ。
タマは憮然とした顔をした。
家へ戻ると、春子はすぐに掃除を始めた。
いつもよりずっと念入りだった。
棚の下をのぞき、床を拭き、窓の近くも確かめる。
タマはそれを、少し離れた場所から見ていた。
春子は忙しそうだった。
そして、少し怖がっているようにも見えた。
タマはまだ納得していなかった。
せっかく捕まえた獲物を取り上げられた。
食べてみたら病院へ連れていかれた。
薬まで飲まされた。
ひどい話である。
けれど、春子が何度もタマのほうを見て、
「もう食べちゃだめよ」
と心配そうに言うので、タマは少しだけ考えた。
もしかすると、あの黒い虫は、春子にとってはとても困るものなのかもしれない。
もしかすると、食べるものではなかったのかもしれない。
タマは自分の寝床へ行き、丸くなった。
今日は疲れた。
狩りをして、苦いものを食べて、病院へ行って、薬まで飲んだ。
大変な一日だった。
春子はまだ掃除をしている。
タマはその姿を見ながら、小さくあくびをした。
「にゃ……」
自分はハンターだ。
それは間違いない。
だが、ハンターにも、食べていい獲物と、春子を悲鳴で走らせる獲物があるらしい。
タマは目を閉じた。
次に黒い虫を見つけたらどうするか。
少し考えた。
春子に見せると怒られる。
食べると病院へ連れていかれる。
では、どうすればいいのか?。
タマは眠りに落ちる直前、ひとつの結論を出した。
見なかったことにする。
それもまた、立派なハンターの判断なのだった。




