第7話 後宮の異変~匂いたつもの~
翌朝、薬箱を持って白兎が後宮へと向かえば、門の前には楊公公が待っていた。
「白兎様、おはようございます」
「おはようございます」
「今日から後宮への出入りが許可されました。私がご案内いたします」
楊公公に導かれ、白兎は後宮の門をくぐる。
初めて昼間に訪れた後宮は、夜とは全く違う雰囲気だった。
華やかな衣装を纏った女官たちが行き交い、花々が咲き誇る庭園が広がっている。
最初に外から見た時に感じた豪奢という言葉がまさにぴったりだ。
「こちらです。ここに、被害者の方々が休んでおられます」
楊公公が案内したのは、凝翠宮の一角にある部屋だった。
扉を開けると若い侍女から三十代ほどの妃嬪まで、数名の女性が横たわっている。
(……さぁ、やるぞ!)
決意を込めた一歩を踏み出し、白兎は部屋へと入った。
最初の被害者は二十代前半の若い妃嬪だった。顔色が悪く額に汗を浮かべており、隣に膝をついて座った白兎とも視線が合わない。
「失礼いたします。この度あなた方の体調不良の原因を探るべく遣わされた錬丹術師、白兎でございます。どのような症状か教えていただけますか」
白兎が尋ねると、焦点の合わない目を彷徨わせながら妃嬪は弱々しく答えた。
「めまいと……頭痛が……。それに、体がだるくて……」
「いつからですか」
「一週間ほど前から……。最初は軽かったのですが、だんだん酷くなって……」
「脈を測ります。失礼」
(……弱いけれど、規則的だ。特に問題はない。)
「目元を失礼いたします」
(瞳孔も正常、か。今のところこれといっておかしなところはない。)
「口を開けていただけますか。できれば舌を伸ばしてください」
「あー……」
「……なるほど、ありがとうございます」
見せてもらった舌は少し白っぽい。ただの汚れの可能性もある。
「吐き気はありますか」
「時々……」
「食欲は?」
「あまり……食べられません」
「では、煎じ湯を用意いたしますね」
「私がやりましょう」と申し出てくれた楊公公に煎じ湯は任せ、白兎は他の被害者たちを順番に診察していく。
しかし、これといった収穫はなく、訴える症状の重さの割に体は健康だった。
(何故だ……?めまい、頭痛、倦怠感、時折の吐き気――症状だけを見れば一見流行り病のようにも見えるが、体に異常はない。それに、症状が比較的軽いところを思えば、青竜花のような急性中毒とも思えない。)
「……一旦出ましょう」
一通り診察を済ませ、彼女たちに煎じ湯を飲ませた白兎は楊公公と共に廊下に出た
「どうでしたか」
楊公公が尋ねる。
「症状は軽いですが、全員共通しています。何か原因があるはずです」
「楚大人も同じことをおっしゃっていました。でも、原因が分からないと」
「そうですね。身体的には異常は見当たらない。……被害者の方々に共通点はありますか?」
「共通点、ですか。……思い当たるところとしては皆、凝翠宮の周辺に出入りしていることくらいです」
「凝翠宮……」
白兎は少し離れたところにある、後宮の中でも一等派手な柳皇貴妃の宮殿を見上げた。
「柳皇貴妃様を狙った、何かでしょうか」
「かもしれません。でも、皇貴妃様ご自身はご無事です」
「そこが不思議ですね……」
白兎は腕を組んで考えた。
その時、背後から声がかかる。明るく若々しい声だ。
「見慣れない顔だな」
振り返ると、若い男が立っている。
華やかな衣装を身に纏った、金色の瞳の男。蘭羽に並ぶとも劣らない美しい顔立ちをしているが、この男は一目でハッキリと男だと分かる顔つきをしていた。
頭を下げようとした白兎の横で、楊公公が慌てて頭を下げる。
「煌様!」
「っ……!」
(煌様……ということは、皇太子!)
慌てて白兎も深々と頭を下げる。
そんな彼女を皇太子――煌は値踏みするような目で見つめた。
「お前が新しい錬丹術師か」
「はい。白兎と申します」
「若いな。本当に役に立つのか?」
「……努力いたします」
白兎は少しムッとしたが、相手は皇太子だ。反論するわけにはいかない。
「ふうん。まあ、頑張れ」
煌はそれだけを言うて、大して興味もなさそうに去っていった。
白兎は煌がいなくなったのを見て小さくため息をつく。
「皇太子様は後宮によくいらっしゃるのですか」
「ええ。皇太后様に会いに来られることが多いです。それに、後宮は煌様にとって自由に出入りできる場所ですから。いずれはこの美しき花園も煌様のものですよ」
「そう言えば、現皇帝陛下に子供は一人だけでしたね……」
柳皇貴妃しかり、皇帝には沢山の若く美しい女性がいる。
しかし、皇帝は既に四十代。煌を産んだ母であり皇帝のかつての妃であった皇后は既に亡くなっている。つまり、現時点で次期皇帝となれるのは煌だけだ。
(……美しい金の瞳をしていたな。あれが噂の皇族である証、か。)
どういう理由か、この国の皇族は揃って金の瞳をしている。
それを神の血だという者もいれば、近親で血を繋いできた証だと言う者もいる。が、何にせよ、金の瞳を持つものは血を辿れば必ず皇族に繋がると言われていた。
(予期しない出会いだったけれど、もう関わることはないだろう。皇太子のことは忘れて今は早く調査をしなければ。)
白兎は楊公公に声をかける。
「まずは宿場町の時と同じく、被害者たちの食事ついて調べたいと思います」
「それでは厨房ですね。案内します」
「お願いします」
訪れた厨房は慌ただしかったが、楊公公が声をかければきちんと取り合ってくれた。
「はぁ……妃嬪様方のお食事ですか。もちろん、最高の材料を使っておりますよ」
「そうではなく……お気を悪くされないで欲しいのですが、毒物が混入した可能性は?」
「毒!?ありえません!我々は毎日味見をしておりますし、食材は厳重に管理しています」
長く勤めている楊公公が言うならまだしも、新入りの若く頼りなさそうな男――本当は女だけれど――に言われた料理人たちは憤慨する。
白兎は慌てて謝罪をして、楊公公の口添えで実際に食事を確認させてもらうことにした。
(……特に問題はないな。腐ってもいないし、妙なものが混ざっている様子もない。むしろ新鮮で色・形・艶、すべてが一級品だ。)
「飲み物は何を?」
「これです。ご自身で取り寄せられたものは知りませんが、食事の際にお出しするのはこの茶か水くらいです」
「これは?」
「酒です。料理に使ったり、たまにそのまま出したり……」
「ふむ、これも問題ないですね」
少し取り分けた酒を指先につけて舐めるが何の問題もない。
度数がかなり高いのか舌が痺れるような感じはしたが、それはただ白兎が酒に慣れていないだけだ。
(食事や飲み物ではない……では何だ?)
「ありがとうございました」
「白兎様、次はどうなさいますか」
楊公公が尋ねる。
「そうですね……生活を調べましょう」
「生活を?」
「たとえば、化粧品です」
「あぁ、ではこちらへ。化粧品の保管は面倒ですから、すべて専用の部屋に保管してあるのです」
楊公公の後をついていけば、おしろいや紅などが沢山保管された部屋に案内される。
化粧品は貴重な高級品だ。こんなにも沢山あれば、庶民であれば一生働かずに暮らせる。
(改めて後宮はすごいところだな……。)
山奥にいた頃にはまったく縁のなかった化粧品を手に取って、白兎は一つ一つ丁寧に観察していく。
匂い、手触り、自分の肌での検査。しかしいずれも問題ない。
「うーん……」
白兎は頭を抱えた。
その時、一人の女性が部屋に入ってきた。二十代の整った顔立ちの妃嬪だ。
「あら、あなたが噂の錬丹術師?」
「はい、白兎と申します」
「私は華蓮。皇帝陛下の妃嬪であり、柳皇貴妃様の側仕えよ」
優雅に微笑む華蓮は天女のように美しく、たれ目のせいか柔らかな雰囲気を纏っている。
(……とても豊満な体をお持ちの方だな。細いのに胸とお尻が大きい。柳皇貴妃様が月の女王のような美しさだとしたら、彼女は太陽の娘のような可憐さだ。)
正反対だがどちらも美しい。
ただの妃嬪ですらこのように美しいのであれば、煌に兄妹ができる日もそう遠くはないだろう。
「あなた――白兎でいいかしら」
「はい、もちろんでございます」
「確か体調不良者が続出している件を調べてくれているのよね?実は私も体調不良で苦しんでいるの」
「えっ……華蓮様もですか?」
「ええ。でもまだ軽い方だから、こうして動けるけれど」
華蓮は白兎に近寄ると、しゃがんで化粧品を調べる彼女の隣に座った。
「ねえ、何か分かった?」
「……まだです。しかし、努力しています」
「なんだ、まだ分からないの」
「はい。申し訳ありません」
華蓮はくすくすと笑った。
「いやね、責めてるわけじゃないのよ。白兎ったら真面目ね。嫌いじゃないわ」
話してみると、豊満な体の割に華蓮は子供っぽい性格をしていた。
そんな華蓮は白兎に、秘密を教えるように後宮の様々なことを教えてくれた。
「この後宮には色々な派閥があるの」
「派閥……?」
「ええ。柳皇貴妃様の派閥、趙妃様の派閥、李妃様の派閥……。それぞれが権力を争っているのよ」
華蓮は少し疲れたような表情で言った。
「私たちは生まれた家で人生が決まる。どの貴妃に仕えるかも、誰と結婚するかも、全部決められているの」
「…………」
「選ぶ権利なんて、ないのよ」
華蓮の言葉に白兎は胸が痛んだ。
(私も……おじいちゃんに言われてここにいる。この事件だって、柳皇貴妃様に言われたから調べている。全部、決められたことだ。)
「でもね」
華蓮は微笑んで、白兎の手から紅を奪い取る。
「諦めたわけじゃないわ。いつか、自分で何かを選べる日が来るかもしれない。とりあえず今は、この紅を借りていこうかしら。もしかしたら皇太子様の目に留まって、いずれ皇太后になれるかもしれないし」
すごい野心家だ。
聞く人が聞けば、皇帝陛下の妃嬪でありながら何という不遜な態度だと怒られるかもしれない。浮気心だと咎める者もいるだろう。でも――。
(眩しい人だ。)
白兎はくすりと笑う。
「その紅は安全です。それに、良い発色をしていますから、華蓮様の白い肌によくお似合いですよ」
「そう?なら私の選択は正解だったわね」
目の前で紅を唇に引いて見せた華蓮に、白兎は「お似合いです」と笑った。
自分で選ぶ。その言葉が白兎の心に強く残る。
「それじゃあ私は行くわ。調査、頑張ってね」
「ありがとうございます」
華蓮がいなくなった後、白兎は再び調査を続けた。
(あと調べていないのは……香料か。)
後宮では様々な香料が使われている。
沈香、白檀、龍涎香などの香木や結石が主で、どれも高価な上大変貴重だ。
白兎は一つ一つ慎重に確認していく。
そして、ある香料に目が止まった。
「これは……」
淡い紫色の粉末。鼻に近づけると甘い香りがする。
「紫蘭香、ですか」
楊公公が近づいてくる。
「紫蘭香?」
「ご存じないですか?最近、都で流行している香料です。柳皇貴妃様がお気に入りで、凝翠宮の皆が使っています」
(確かに良い香りだ。でも……何かが引っかかる。)
「これ、少しいただいてもいいですか」
「構いませんよ。ただ、それでどうなさるのですか?」
「調べます。火で炙ったり、水に溶かしたり……反応を見るのです」
「なるほど。お好きなだけお持ちください」
「ありがとうございます」
白兎はその後すぐに自室に戻って、食事も忘れて紫蘭香の分析に没頭した。
「これは……」
白兎は息を呑んだ。
微量だが、この香料には有害物質が含まれている。
青竜花と同じだ。単独では無害だが、長期間使用すると体内に蓄積される可能性がある。
「見つけた……!」
白兎は興奮した。
だけどすぐに冷静になる。
(……いや、まだ確証はない。これが本当に原因かどうか確かめないと。)
もう、二度と間違えない。そんな思いで白兎は本草書を手に取る。
探せばすぐにその記述は見つかった。
『紫蘭香は美しい香りを持つが、その中には微量の鉛が含まれる。長期間吸い続けると頭痛、めまい、倦怠感を引き起こす可能性がある。』
「やはり……」
白兎は確信した。
原因は、紫蘭香だ
翌朝、白兎は柳皇貴妃への報告のため凝翠宮を訪れていた。
「白兎か。何か分かったのか?」
「はい。この香料が原因です」
白兎が紫蘭香の容器を取り出せば、柳皇貴妃は眉をひそめる。
「紫蘭香が?」
「はい。これには微量の鉛が含まれています。長期間使用すると体内に蓄積され、今回のような症状を引き起こすでしょう」
「では、これを使うのをやめれば……」
「症状は改善するはずです」
柳皇貴妃は頷いた。
「分かった。すぐに使用を禁止する」
柳皇貴妃が侍女たちに指示を出すのを見て白兎はホッとした。
これで被害者たちも回復するはず――そう思ったからだった。
しかし、その期待は裏切られることになる。




