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第1話 錬丹術師の弟子

架空の花を登場させています。本小説は現実にも存在するものと架空に存在するものが混在している中華風ファンタジーです!


霧が山肌を這うように流れていく。


白兎(みみ)は炉の前で膝をつき、長い火箸で炭をかき混ぜていた。

青白い炎が揺れ、坩堝(るつぼ)の中で辰砂(しんしゃ)が静かに溶けていく。鮮やかな朱色の鉱石が熱せられ銀色の液体へと変わっていく様子を、白兎は布で覆った顔の隙間から注視する。


水銀だ。


不老不死の薬『金丹(きんたん)』を作るための最も重要な素材であり、同時に最も危険な毒でもある。


「白兎、火加減はどうだ」


背後からしわがれた声が響いた。


「はい、師匠。ちょうど良い具合です」


白兎は女性にしては低い声で答えた。

この声も十数年の訓練の賜物だ。幼い頃から祖父である玄真道人(げんしんどうじん)は彼女を「孫息子」として育ててきた。


何故なら、錬丹術は男子にのみ伝えられる秘術だからだ。


古来より、錬丹術は天地の理を操る神聖な技術とされ、女子が学ぶことは天の摂理に背く大罪とされてきた。発覚すれば師も弟子も死罪。一族郎党皆殺しにされる。


だが、玄真道人は孫娘の才能を見抜いていた。この子こそが真の後継者だと。


「よし。では次の工程に移れ」


玄真道人が近づいてくる。その足取りが以前よりも明らかに不安定だった。

白兎は気づかないふりをして立ち上がり、次の材料を用意し始める。


硫黄、鉛、雄黄。それぞれの性質を理解し、正確な分量で混ぜ合わせる。間違えば爆発するか猛毒の煙が発生する。錬丹術とは一見神秘的なものに思えるが、その実命懸けの化学実験だった。


作業を続けながら白兎はちらりと祖父を見た。

手が震えている。

以前はあれほど正確だった動作が今は明らかにおぼつかない。歯茎も変色し、時折何を言いかけたのか忘れてしまうこともある。


――水銀中毒だ。


何十年も錬丹術に身を捧げてきた代償。祖父自身もそれを理解している。だからこそ祖父は白兎には常に「煙を吸うな、素手で触るな」と厳しく教え込んできた。


「師匠、少し休まれては」

「いや、まだ大丈夫だ」


玄真道人は頑固に首を横に振った。その時、工房の入口から声が響いた。


「玄真道人殿、おられるか」


白兎と祖父は顔を見合わせた。

この山奥に、来客など滅多にない。


白兎が扉を開けると、そこには立派な官服を着た男が立っていた。その後ろには護衛の兵士が数名いる。


「朝廷の勅使だ。玄真道人に謁見を求める」


白兎は慌てて祖父を呼びに戻った。

玄真道人は急いで身なりを整え、勅使を迎え入れる。


「玄真道人、皇帝陛下がそなたの名声を聞き及ばれた。不老長寿の術に長けた錬丹術師として宮廷に迎え入れたいとの詔だ」


勅使が巻物を広げ、読み上げる。


白兎は息を呑む。

宮廷への召し抱え。錬丹術師としては最高の栄誉だが、同時に祖父の現状では不可能な命令でもあるためだ。


「これは……身に余る光栄でございます」


玄真道人は深々と頭を下げた。


「しかしながら、この老いぼれは既に八十を超え、長旅に耐える体力もございません。どうか、孫の白兎を代理として差し向けることをお許しいただけないでしょうか」


勅使は眉をひそめる。


「孫?」

「はい。この者が、私の全ての技術を受け継いでおります」


玄真道人は白兎を手招きした。

白兎は進み出て深く礼をする。


「白兎と申します」


勅使は白兎をじっと見た。

若く、痩せた体躯。年頃の男にしては小さく貧弱だが、その黒い瞳からは強い意志が感じられる。


「……若いな。本当に玄真道人の技術を受け継いでいるのか」

「はい、もちろん。私が一番弟子です」


白兎は淀みなく答えた。


「辰砂の精錬、水銀の昇華、硫黄と鉛の配合。全て習得しております」


勅使はしばらく考え込んだ後、頷く。


「よかろう。では白兎、そなたが宮廷に参内せよ。三日後、ここに迎えの者を遣わす。ただし――」


勅使の声が厳しくなった。


「宮廷では、内廷薬房に居を構えてもらう。後宮への出入りは宦官のみに許されているため、そなたも去勢の手続きを」

「いえ」


玄真道人が遮る。


「それには及びません。白兎は錬丹術師として参内するのであり、後宮に入る必要はないはずです。内廷薬房は後宮の外にあると聞いております」


勅使は少し考えてから頷いた。


「確かに。では、後宮への立ち入りは厳禁とする。よろしいな」

「かしこまりました」


白兎は深く頭を下げ、去り行く勅使たちを見送った。

それにしても、いくら錬丹術師とはいえ、祖父は『孫』としか言っていないのに当たり前のように男だと思われたな――と、どこか少し複雑な気持ちを抱えながら。


勅使が去った後、白兎と祖父は顔を見合わせた。


「師匠、私が本当に行くのですか」

「ああ。お前しかいない」


玄真道人は白兎の肩に手を置いた。

その手が微かに震えている。


「白兎。お前はこれから、完璧な男として生きねばならぬ。少しの油断も許されない。女だと知られれば、錬丹術を女子が学んだという大罪で我が一族は皆殺しにされるだろう」

「……分かっております」


白兎は覚悟を決めた表情で頷いた。


「だが、お前なら出来る。お前は誰よりも優秀な錬丹術師だ。性別など、技術の前では何の意味もない。ただ世間がそれを認めないだけだ」


祖父の言葉に白兎はふっと笑った。

相変わらず歳の割に先進的な考えをするお方だ――と、そう思って。




三日後、白兎は簡素な荷物をまとめ工房を後にした。

長い黒髪を束ね、男物の道服を身につけ、腰には小さな薬箱を下げている。胸は布でしっかりと巻いて潰し体の線も出ないようにした。


迎えに来たのは、宦官の楊公公(ようこうこう)という男だった。

丸い顔に人懐っこい笑みを浮かべているが、その目は鋭い。


「白兎様ですね。さあ、参りましょう。都までは五日ほどかかります」


馬に乗り、山を下り始める。振り返ると霧の中に工房が小さくあり、その前で祖父が手を振っているのが見えた。

白兎は前を向き直る。もう、後戻りはできない。


都への道中、白兎は様々な町や村を通過した。賑やかな市場、立派な寺院、行き交う商人たち。山奥の工房しか知らなかった白兎にとって全てが新鮮だった。


三日目の夜、白兎たちは小さな宿場町に泊まった。

ほんの少し寂しい気持ちで布団に入ったせいか、今頃祖父が何をしているかが気になりうまく眠れなかった。


そんな翌朝、何だか騒がしいなと目を覚ました白兎が一階へと降りると、なんと宿の主人が倒れているところで。


「大変だ、疫病かもしれない!」


(疫病……?)


宿の者たちが慌てふためく中、奇妙に思った白兎は遺体の側に近づく。


「触るな、若造。病が移るぞ」


周囲の者が止めようとしたが白兎は構わず観察を続けた。


まず、口回り。赤く爛れていて激しい嘔吐の痕跡が見える。

次に瞳孔の確認。しっかりと開いていて確実に死んでいる。

そして何より気になったのは――。


「これは疫病ではありません」


周囲がざわめく。


(微かに残る独特の匂い、これは……。)


白兎は立ち上がり断言した。


「毒です」

「なんだと!」


周囲から口々に言葉が飛んでくる。

ずっと前からいたのか今来たのか、その場に居合わせた楊公公も驚いた顔で白兎を見た。


「どうしてそれが分かる」

「そうだそうだ!誰が毒なんて使ったって言うんだ!」

「落ち着いてください、毒殺とは言っていません。まずは私の話を聞いてください」


しん……と静まったのを確認して白兎は話し出す。


「口の周りが爛れているのが分かりますか?これは激しい嘔吐を繰り返したためです。そして瞳孔の拡大、これは視神経が損傷しているためです。それに、ほら……匂いませんか?」

「匂い……?」

「これは、青竜花(セキリュウカ)という花の匂いです。甘い匂いが異性を誘惑するとかで、香水なんかに使われる希少な花ですよ。それに見た目も美しい観賞用にもピッタリな花ですが――空のように青いその花の下には猛毒を持っています。つまりこれは、青竜花(セキリュウカ)による中毒死です」


白兎は宿の者に尋ねた。


「この方、昨夜は何を食べましたか」

「あっ、えっと……普通の食事です。野菜の煮物と、パンと……」

「水は?」

「ああ、裏の井戸水を」

「見てもいいでしょうか」

「えっ、あ、もちろんです」


白兎は井戸を調べさせてもらった。

特に代わり映えのない普通の井戸だ。しかし――どこから紛れ込んだのか、井戸の中を覗き込めば水の上に美しい青色が揺蕩っている。


「……ありましたね」

「本当だ!」

「でも、たった一輪だぞ……?」

青竜花(セキリュウカ)は猛毒の植物です。たった一輪、されど一輪ですよ。どこから紛れ込んだのか……この根や葉を少量でも接種すると激しい嘔吐と痙攣を起こし、死に至ります」

「なんと恐ろしい……!」


白兎は井戸水を汲み上げて匂いを嗅ぎ、頷く。


「やはり、しみ込んでいますね。根ごと落ちてしまったのが悪かった。宿の主人はこの水を大量に飲んでしまったのでしょう」

「では、この井戸は」

「すぐに使用を中止してください。そして、新しい水源を確保すべきです。誰もこの水を飲んではいけません」


最初こそ白兎の言葉を戯言だと侮っていた町の者たちが一斉に動き出し、無事に井戸に蓋がされた。

楊公公は感心したように白兎を見る。


「なるほど、玄真道人の孫は確かに只者ではない。若いのにまるで検視官のような観察眼だ。どこでそのような知識を得たのですか」

「錬丹術は毒にも薬にもなります。物質の性質を知らねば金丹は作れません。そのためあの方に幼少の頃よりあらゆる知識を教えていただきました」

「なるほど。これは皇帝陛下も気に入られることでしょう」

「…………」


淡々と答えた白兎だが、少し言い過ぎたかもしれない……と少し反省する。

これから向かう場所を思えば、あまり目立ちすぎるのは危険だった。




生まれ育った場所を出て五日後、ついに都に到着した。


巨大な城壁に囲まれた街。無数の屋根が連なり、人々が蟻のように行き交っている。

そして、その中心に聳え立つのが紫禁城(しきんじょう)――皇帝の住まう宮殿だ。


「さあ、ここからが白兎様の新しい人生ですよ」


楊公公に導かれ、白兎は宮城の門をくぐった。

厳重な検問を通過し、いくつもの門を抜け、ようやく内廷薬房に到着する。


「ここが白兎様の居室です。錬丹の作業場も隣に用意してあります」


小さいが清潔で整った部屋だった。

窓からは後宮の建物が見える。あそこに入ることは決してないだろう。


「明日、尚薬局(しょうやくきょく)楚大人(そだいじん)に挨拶に伺ってください。薬房全体を統括しておられる方です」


楊公公はそう言い残して去っていった。


白兎は一人、部屋の中に立ち尽くす。

遠くから笑い声や音楽が聞こえてくる。後宮の妃嬪たちの宴だろうか。

ここは、山の工房とはまるで違う世界だ。


白兎は深呼吸をした。

明日から、戦いが始まる予感がしている。


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