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第10話 欠けた金の器


その日の午後、白兎は(こう)の部屋を訪れていた。

皇太后の命令で煌の教育係を務めることになってから二人はほぼ毎日顔を合わせている。


「煌様、白兎が参りました」


扉を開けると、煌は寝台に寝転がって果物を食べていた。


「おお、来たか」


煌は起き上がりもせず白兎を見る。


「今日は何を教えてくれるんだ?」

「はぁ……煌様、行儀が悪いですよ。そのように寝転がって物を食べると牛になります」

「俺を家畜呼ばわりとは中々お前もすごいやつだな」

「家畜扱いはしていません」


白兎と煌は同い年ということもあり大分打ち解け、今ではこうして軽口を叩ける仲になっている。


「で?今日は何だ」

「今日は毒物について学びましょう」

「毒?いきなりだな」

「知っておくべきことです。皇族が毒殺される例は歴史上数え切れないほどあります。知識があれば自分の身を守れますから」


煌は少し興味が出てきたのか、いきなり体を起こした。


「……なんか急にやる気になってきた」

「良いことです。では、そこに座ってください」

「ん」

「お伝えしたいのは三点です。まず、毒には即効性のものと慢性的なものがあること。次に、日常的に使う物に混入される場合があること。そして、症状を知っていれば早期発見ができること」

「へぇ……」

「たとえば、先日後宮で起きた事件なのですが――」


白兎はまだ記憶に新しい、凝翠宮の壁に鉛と水銀入りの塗料が塗られていた件の概要を説明する。


「壁の塗料に毒が……?」

「正確には毒ではありませんが、人体への影響としてはその通りです。その結果、長期間その場所にいた方々が体調不良を起こしてしまいました」

「それをお前が解決したのか」

「はい」

「すごいな」


(……褒められた。やっぱり素直な人だな。)


「光栄です」

「謙遜するな。実際俺にはできないことだ」

「いいえ、私はたまたま人より少し知識があるだけです。煌様も学べばできますよ。それに――私にはできないことが、煌様にはできるはずです」

「お前にはできないこと……?」

「たとえば大勢の人を動かすこと、判断を下すこと、そしてその判断に責任を持つこと」

「…………」

「それから、煌様の人に好かれる才能は天賦のものです」


煌はしばらく黙って聞いていただが、白兎の言葉にそっぽを向いて呟いた。


「……俺が皇帝になったとして、お前は俺が歴代の皇帝のようにできると思うか?」


その声はいつもより静かだ。白兎は思わず煌の横顔を見る。


(また、いつもと違う顔だ。……蘭羽様と同じく、この人も意外と読めない人かもしれない。)


「煌様は皇帝になりたくないのですか」

「…………お前、いつもずけずけと聞くな」


煌は苦笑した。


「申し訳ありません。でも煌様の本音を聞いた方が、私も教えやすいのです。どんな皇帝になりたいか分からなければ、何を教えるべきかも分かりませんから」

「……理屈が通っている。上手く考えたな」


煌は笑いながら天井を見上げると、少しの間を空けて答えた。


「なりたくないとは言っていない。ただ……俺より相応しい人間がいるかもしれないと思うことがある」

「相応しい人間……」

「そうだ。俺はわがままで、飽き性で、勉強も嫌いだ。そんな俺が国を治めて本当に皆が幸せになれるのか……って」


(この人は、ただのわがままな子供ではない。ちゃんと悩み、考えているんだ。…………私が、ただの小娘である私に何が言えるだろう。)


きっと、何も言うべきではないと思った。

でも白兎はこれだけは言わずにいられなくて、ほとんど無意識に言葉をこぼす。


「煌様。完璧な皇帝など、最初からいないと思います」

「……何?」

「誰でも最初は未熟です。大切なのは失敗を恐れずに学び続けること。そして、民のことを思う心を忘れないことではないでしょうか」


真剣な顔で伝える白兎を、煌はじっと見つめていた。


「……お前、本当に変なやつだな」

「よく言われます」


淡々と答える白兎に煌はふっと笑う。


「知ったようなことを。…………だが、嫌ではない。ありがとう」

「いえ、出過ぎたことを言いました」

「今日はもう帰れ。勉強の気分じゃない」

「……失礼します」


どこかモヤモヤする気持ちを抱えながら煌の部屋を出た白兎は、廊下でバッタリ蘭羽(らんう)と鉢合わせた。


「あ、白兎」


蘭羽が微笑む。


「煌様のご様子はいかがでしたか」

「……なぜ蘭羽様がここにいらっしゃるのですか?」


思わず疑問が口から出てしまい、白兎は慌てた。


「す、すみません。失礼なことを……!」

「いえ、ふふ……確かにそうですよね。皇太后様に言われて時折煌様の様子を見に来るのですが……私自身もあの方のことが気になって、ついつい足繫く来てしまうのです」

「気になって……」


蘭羽は楽しそうに笑っている。

その優しい顔の奥に何か複雑なものが隠れているように見えて、白兎は小さく首を振った。


(いけないいけない……!また禁断の関係かもしれないだなんて思ってしまった……!)


「そ、そうなんですね」


白兎の喉元まで、お二人はどういう関係なのですか?という言葉が出かかったが、何とかそれをぐっと堪える。


「えっと、煌様は……今日は少し真剣に話を聞いてくださいましたよ」

「そうですか、それは良かった。勉強は順調なのですね」

「教える側の力量に問題があるので、完璧とは言えませんが」

「それでも、あの煌様がお話を聞かれているのですからすごいことですよ」

「そうでしょうか」

「えぇ。……白兎、煌様のことをよろしくお願いしますね」


(何故、蘭羽様にお願いをされるのか……。皇太后様付きの文官だからか?それにしてはやけに言葉が重たく聞こえる。…………やっぱり…………いや、いやいやいや……!あぁもう、この思考は本当によくない。)


白兎は再び深みに嵌まりそうな思考に蓋をして、頭を下げると自室へと戻った。




その夜、白兎は部屋で一人考え込んでいた。


後宮の事件は一応の解決を見た。だが黒幕は分からないままだ。

そして煌のこと、蘭羽のこと、二人の関係――。それもよく分からない。


(何か、私には見えていないものがある気がする……。)


白兎は窓の外を眺めた。月が雲に隠れ、また現れる。


「白兎様」


扉越しに楊公公(ようこうこう)の声がして、「はい」と開ければやはり彼が深刻な顔をして立っていた。


「大変なことになりました」

「何があったのですか」

「陛下が……皇帝陛下が、倒れられました……!」


白兎は息を呑んだ。


「えっ……!?」

「原因不明の病だそうです。宮中が大騒ぎになっています。今すぐ来てください」


楊公公は焦った様子で言った。

白兎の頭の中を様々な考えが駆け巡る。


後宮で続いた体調不良事件と、凝翠宮の塗料。消された発注者の名前。

そして今度は皇帝が倒れた。


(これは……偶然ではない。)


白兎は直感的にそう思った。


楊公公と共に皇帝の寝殿へと向かえば、そこには既に楚大人と数名の医師たちがいた。

そして寝台には皇帝が横たわっている。顔色が悪く、呼吸が浅い。


「白兎、来たか」


楚大人が言った。


「お前の目で陛下を診てみろ」

「はい」


(この方が……この国の主、皇帝陛下……。)


山奥で暮らしていた白兎は皇帝を直接見たことはない。しかし民のことを考えよく働く、威厳のある君主だと聞いていた。

だが、今はその威厳が感じられない。


(意識がない。脈は……不規則で弱いな。瞳孔も開いている。舌は……ん、これは……?)


「白兎、どうだ」

「舌が黒ずんでいることが気になりますが、すぐには判断できません」

「そうか……」


白兎ならば分かるのではと期待していた楚大人は落胆した表情を見せるが、自分も、ここにいる他の医師も分からなかったのだから責めることはできない。


一通りの診察を終えた白兎は許可を得て部屋を出る。

部屋に帰るまでの道なりも、白兎はずっと皇帝の症状について考えていた。


(あれは毒……?だとしたら何の毒なんだ……?舌が黒くなる毒だなんて聞いたことがない。とりあえず部屋に帰ったら本草書でも読んで――……あの人影は。)


少し遠くに見えるあの長身は蘭羽だろう。

柱の陰になっているが、あの美しさは隠せていない。


(何を見て……?もしかしてまた煌様の……!?…………いや、違う。あそこは、皇帝の寝殿だ。)


その表情はいつもの穏やかな笑みではなかった。じっと、何かを考えているような――硬い表情だ。

白兎が近づくと蘭羽は気づき、すぐにいつもの表情に戻る。


「白兎、こんばんは。陛下の容態はいかがですか」

「……分かりません」


白兎が短く答えると、蘭羽は少し複雑な表情を浮かべた。


「そうですか……」


沈黙が流れた。


「蘭羽様」


白兎は思い切って尋ねる。


「陛下が倒れたことを、どこで知ったのですか」

「…………」

「つい先ほど倒れたと、私たちも知ったばかりです」


白兎の問いに蘭羽がすっと目を細めた。


「宮中では噂はすぐに広まりますから」


(……その通りだ。でも、あまりに模範解答すぎる。いったいこの人は何をどこまで知っているんだ――?)


白兎が疑念を抱きながらじっと見つめる蘭羽の瞳が、月の光を反射してゆらりと揺れた。


(……そういえば、蘭羽様に会うのは夜が多いからハッキリとした瞳の色を知らないな。……茶色?少し黄色っぽいか?月の光が反射しているせいで金色にも見えるが――それはないか。)


だって、金の瞳は――。


「失礼、そろそろ戻らないと」

「……あぁ、そうですね。私も調べたいことがあるので」

「ではこれで。……早く陛下の容体がよくなりますように」


そう言って蘭羽は去って行ってしまった。




翌日、白兎は再び皇帝の診察に呼ばれた。

皇帝の症状は悪化しており、楚大人も、他の医師たちも途方に暮れている。


「白兎、お前は何か分からないか」

「……いえ、やはり分かりません。もう少し時間をください」

「……そうだな。分かった」


部屋を出た白兎は考えた。


(一日でこれほどに悪化するなら、やはり病というよりは毒のように思う。だとしたら時間がない。早く原因を特定して取り除かなければ最悪――……。)


死、という言葉が頭を過ぎる。

だが相手は皇帝だ。皇帝が死ぬということは即ち国が一度死ぬということ。それは絶対に避けなければいけない。


白兎は必至の想いで本草書を読み返した。

倦怠感、脈の乱れ、舌の変色、意識の混濁。これらの症状が全て揃う毒は――。


(まさか……。)


白兎はある毒に思い当たった。

だが、その毒が使われているとすれば、問題は食事や飲み物だけではないかもしれない。


(急いで陛下が日常的に使う物を調べなければ……!)


白兎は慌てて部屋を飛び出し、楚大人に許可を得て皇帝の身の回りの物を調べることにした。


まず訪れたのは厨房だ。

皇帝が最近食べた物、飲んだ物を全て確認するが、特に問題は見つからない。


(食事からではない……では、どこから?)


その時、白兎はあることに気づいた。


「陛下が日常的に使われているものを全て見せていただけますか。食事の器から、薬まで、すべて」

「はぁ……かしこまりました。こちらです」


厨房の女官が出してくれたものを白兎は一つ一つ丁寧に確認する。

食器、茶器、薬の瓶――そして、金の器を手に取った時だった。


「…………?」


内側に僅かな変色がある。目を近づけて進捗に確認すれば、心臓が跳ねたような気がした。


(この変色……!塗料に使われているものと同じだ……!)


「あの……もしかしてこの器は、最近新しくなったのではないですか」

「え?あぁ、そういえばそうですね。三ヶ月ほど前に新しい器が献上されまして。金はどうしても剥げてしまいますからね。ちょうどよいと早速――」

「誰からですか?」

「え?えぇっと……それは記録を調べないと分かりません」

「では、急いで調べてください」

「……かしこまりました」


あまり納得がいっていない様子だったが、皇帝のための調査だと言われては断ることもできず、厨房の女官は渋々頷いてみせた。


白兎は器のサンプルを採取すると早速作業場に戻り詳しく調べる。


「やはり……」


器には微量の鉛と水銀が付着していた。

凝翠宮(ぎょうすいきゅう)の壁の塗料と同じく目立たぬよう紛れ込ませて、長期間に渡って少しずつ摂取させていたのだろう。


(これは……明らかな暗殺計画だ。)


白兎は震えた。恐ろしいのか、早く伝えなければという焦りかは分からない。

とにかくまずは楚大人にと、急いで彼の下へと向かう。


「楚大人!原因が分かりました!」

「何だって!?」

「これは陛下が使われている金の器に付着していたものです」

「鉛と水銀か……!」

「はい。凝翠宮の事件と同じです」

「同じ……ということは、この二つの事件は繋がっていると言うのか?」


驚きに見開かれていた楚大人の目が細まり、険しい顔になる。


「恐らくは……。しかし、目的は分かりません。凝翠宮の事件は柳皇貴妃様の周辺の方々を狙ったものですが、今回の事件は皇帝陛下を直接狙ったものです」


白兎の言葉に楚大人は立ち上がった。


「お前、誰かにこの話をしたか」

「いえ、まだ楚大人様だけです」

「よし。この件は口外するな。誰にも言うな、分かったか」

「……楚大人、それはどういう……」

「これ以上関わると碌なことにならない」

「ですが」

「お前は賢いが、鈍感だ。そんじょそこらの人間が陛下の器を密かに替えられると思うか?」

「っ…………!」

「恐らく、その者はかなりの地位と権力を持っている。でなければ陛下の器を密かに替えることなどできない。だから――お前はここで手を引け」


息を呑んだ白兎の頭にふと浮かんだ人物。


(かなりの地位と、権力……。)


だが、それは考えたくない答えだった。


これ以降少し更新頻度が落ちます、すみません…!

できるだけコンスタントに楽しい時間をお届けできればと思います。

よろしければブクマしてお待ちください。

ご感想をいただけ日にはもう飛び跳ねて喜びます^^

ここまでお読みくださりありがとうございました。

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