表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/11

第9話 皇太子の教育係


後宮で妃嬪や侍女の体調不良が続出した事件が解決して三日が経った。

別の建物に移された被害者たちは既に回復の兆しを見せており、このまますぐに良くなるだろうと、楚大人も白兎も同じ見解であった。

でも――。


(私がもっと早く気づいていれば、もっと慎重になっていれば、被害を少なくすることだってできたのに……。)


白兎が今いるのは尚薬局(しょうやくきょく)だ。

どこか悔しさが残る結果になった白兎に、腕を組んだ楚大人(そだいじん)が尋ねる。


「お前、今回の事件で何を学んだ」


唐突な問いに、白兎は少し考えた。


「……一つの答えに辿り着いたからといって、そこで考えを止めてはいけないということです。香料が原因だと確信した時、私は調査を止めてしまいました。しかし、本当の原因はその先にあった。常に疑い、常に見直す。それが大切だと学びました」


楚大人はしばらく白兎を見ていたが、やがて短く言った。


「合格だ」

「えっ」


白兎は思わず顔を上げる。


「お前が来た当初は、正直使えないと思っていた。小僧が錬丹術で医師ごっこでもするつもりなのかと。だが、お前は諦めなかった。間違いを認め、もう一度やり直した。……それは誰でもできることではない」

「楚大人……」

「勘違いするな。褒めているわけではない。これからも慢心せず、精進しろということだ」


楚大人はそっぽを向いた。その耳がほんのり赤い――ような気がする。


(これは、褒めているのでは……?)


白兎は少し笑いそうになるのを堪えて、深く礼をした。


「はい!精進いたします!」

「ならさっさと部屋に戻れ」

「失礼します!」


尚薬局を出た白兎は、晴れ晴れとした気持ちで空を見上げた。

青く澄んだ空に白い雲が流れている。


(ふふ、楚大人ってば……。最初は怖い人だと思っていたけど、案外可愛らしい人なのかも?……おじいちゃん、宮中も悪くないところだよ。)


「はぁ……それにしても疲れた~……」


ようやく一段落した事件に、体の力が抜けるような解放感があった。

宮中に来てからずっと事件続きで常に気を張った状態だったため、あまり休まらなかったのだ。


(少し、休んでもいいかな……。)


そう思い始めた時だった。


「白兎」


楊公公(ようこうこう)が小走りで近づいてきた。


「楊公公様、どうされましたか」

「実はですね……皇太后様がお呼びです」


楊公公は少し申し訳なさそうな顔をしていた。


「皇太后様が……?」


白兎は驚いた。

皇太后に呼ばれたことはこれまでにないし、今後呼ばれることもないと思っていたからだ。


「はい。今すぐ参内するようにとのことです」


(せっかく休もうと思ったのに……。)


白兎は心の中でため息をつくが、相手は柳皇貴妃よりも格上の相手だ。当然断るという選択肢はなく、渋々頷いた。


「すぐに参ります」


そうして向かった皇太后の御所は、後宮の中でも特に格式高い場所にあった。

白兎は楊公公に案内され、広い御殿の中へと通される。


「白兎が参りました」


楊公公が告げると奥から穏やかな声が響いた。


「通しなさい」


部屋に入ると、五十代ほどの女性が上座に座っていた。

現皇帝を含む四人もの子を産んだこの国の母であるが、その見た目は若々しく威厳があり、美しい。目元には柔らかさもあり、慈悲深そうな顔立ちをしている。


(これが、皇太后様……。)


白兎は深く頭を下げた。


「白兎と申します。お呼びいただき光栄でございます」

「顔を上げなさい」


恐る恐る顔を上げた白兎を皇太后はじっと見つめる。


「噂以上に若いのね。そして……賢そうな目をしている」


皇太后は微笑んだ。


「後宮の事件を解決したそうね。大儀でした」

「いえ、当然のことをしたまでです」

「謙虚ね。よろしい」


皇太后は少し身を乗り出した。


「実は、そなたに頼みたいことがあって呼んだのです」

「頼みたいこと……でございますか」

「ええ」


(ああ、これは……久々に物凄く嫌な予感がする。)


そして、未だその予感が外れたことはない。


「賢いそなたに孫の教育係を務めてほしいのです」


白兎は固まった。


(孫……つまり、(こう)様のことか。)


白兎の頭に浮かぶのは、あの日少しだけ話した男の姿だ。

美しい顔立ちをしていたが、どこか少年っぽさが抜けない皇太子の教育係は中々骨が折れそうに思える。


「私が……でございますか」

「えぇ。煌は来年で十八になります。そろそろ帝王学を本格的に学ばせなければならないのですが、どうもあの子は勉強が嫌いなようで……」


皇太后は少し困ったような顔をした。


「今まで何人も教育係をつけましたが、煌が気に入らないと言って全員追い返してしまうのです」

「それは……」


(私も追い返されて終わるのでは?)


「ところが、そなたが後宮の事件を解決したという話を聞いてピンと来たのです。煌には物事をはっきり言える人間が必要だと。宮中の者たちはどうしても煌に遠慮してしまうから」


皇太后は白兎をまっすぐ見た。


「そなたなら、煌に臆せず向き合えるのではないかと思いました。いかがでしょう」


(いや、いやいやいや……!私でもさすがに皇太子様に臆さず物事を言うなどできませんよ!?いかがかと言われても、嫌だとしか……!)


白兎は内心で叫ぶが、顔には出さない。

断りたい。とても断りたいが、皇太后相手に断れる空気ではなかった。


「……私のやり方でもよいと仰るのでしたら、謹んでお受けいたします」

「えぇ、もちろん。教えてさえくれればその方法に口は出しません。あぁよかった、ずっと心配していたんです」


皇太后はにっこりと微笑んだ。


(全然よくない……。)


白兎は愛想笑いをしながら、心の中で盛大にため息をついた。




翌日の午後、早速白兎は煌の部屋を訪れた。

今日は薬箱の代わりに本を数冊抱えている。


(教育係……はぁ、面倒だ。いったい何を教えればいいんだ?帝王学など教えられないし、私が教えられることと言えば本草学か錬丹術か、それとも一般的な算術か……。)


考えがまとまらないまま着いてしまった。

白兎は扉の前で深呼吸をして声をかける。


「煌様、いらっしゃいますか」

「入れ」


部屋に入ると、煌は窓際の椅子に座って外を眺めていた。

煌は白兎を見るなり面倒くさそうな顔を隠しもせず口をへの字に曲げる。


「お前、この間の小僧か。確か名は――」


(もう忘れたのか。本当に興味がないんだなぁ。)


こちらとしては興味を持たれても困るので助かるが、主君としては些か問題だ。

この辺りも正す必要があるかもしれないと考えながら白兎は頭を下げる。


「白兎です。今日から教育係を務めさせていただきます」

「俺は聞いてないぞ、そんな話」


煌は不機嫌そうに言った。


「皇太后様のご命令です」

「ばあ様の……」


煌は舌打ちをする。

心底不愉快だと言いたげな顔だ。


「何でまた……。前の教育係はちゃんと追い返したのに」


(追い返した、か。確かにこれは厄介だ……。)


「お前、歳はいくつだ」

「十七でございます」

「十七!同い年じゃないか!そんな相手から俺は学ぶのか?」

「……それは我慢してください」

「それにお前、そんなに小さくて……明らかに満足な食事もしていない貧相な体つきじゃないか。女みたいな男に教えを乞うのはごめんだ」


(げっ……!この人意外と鋭いかも……。話を変えなければ。)


「煌様、まずは本日の内容をお伝えしてもよろしいでしょうか」

「別に聞きたくない」

「聞いていただく必要があります」

「何故だ。俺は皇太子だぞ」


煌は偉そうに腕を組んだ。


「皇太子だからこそ、です」


白兎は真剣な顔で言った。


「皇太子様が学ばずして、どうやって国を治めるおつもりですか」

「……生意気なやつだな」

「未来の皇帝のために言っているんです」


一歩も引かない白兎に、煌は綺麗な金色の目を細める。

それがどこか獰猛な獣を思わせて白兎は一瞬怯むけれど、ここで引いては終わりだ……!とじっと見つめてくる煌を見つめ返す。


「……ふうん。お前、案外度胸あるな」

「え?」

「前の教育係なら、既にもう帰っているぞ。今までのやつらは俺がちょっと嫌な顔をしただけですぐに『はい、煌様のご意向のままに』って言うからな」

「私はそういうことはいたしません。私が重視するのは煌様のご機嫌ではなく、煌様が自ら学んでいただくことです」


白兎はハッキリと言った。


「なるほど」


煌は少し面白そうな顔を見せる。


「お前、名前は何だ」

「白兎です。さきほどご挨拶しましたが」

「もう一回聞いた」


(なんだこの人……。本当に子供だな。)


「白兎です」

「白兎……変な名前だ」

「失礼ですね。祖父が考えてくれた大事な名前です。水銀と月の兎の伝説と結びつけて、錬丹術師は水銀を『白兎』と呼ぶんです。金丹の主要原料は水銀ですからそれで――」

「興味ない」

「……本当に失礼ですよ?それに、煌様も十分珍しいお名前じゃないですか」


言ってから、白兎は少しまずかったかと思った。


(いくら大事な名前を変だ、興味がないと言われたからといって、皇太子に対してこれは失礼だったかもしれない……。)


謝ろうと思ったが、煌は怒るどころかふっと笑った。


「……確かに。変な名前だよな」

「えっ……」

「よし、それで?今日は何を教えてくれるんだ?」


(まさか、受け入れてくれた……!)


白兎は内心驚きながら、慌てて抱えていた本を広げる。

最初に手にしたのは分厚い歴史書だ。


「まず、この国の歴史からにしましょう。この国が建国されたのは今から約三百年前です。初代皇帝は……」

「知ってる」


煌はすぐに遮った。


「では、建国後の動乱期については」

「知ってる」

「二代目皇帝の治世は」

「知ってる」


白兎は本を閉じた。


「……煌様は、歴史はすでにご存知なのですね」

「当たり前だ。そういうことは幼い頃から叩き込まれてる」


煌は退屈そうに言った。


「では、何が苦手なのですか」


率直に尋ねる白兎に、煌は少し意外そうな顔をする。


「苦手なものを訊くのか?」

「得意なことを教えても意味がありません。苦手なことを把握してこそ、教える内容が決まります」


煌はしばらく考えてから、渋々答えた。


「……民のことが、よく分からない」

「民のこと?」

「俺はここで育った。宮中しか知らない。外の人間が何を考えているか、何を求めているか……そういうのが、全然分からないんだ」


意外な答えに白兎は少し驚いた。


(この人、子供っぽくてやる気がなくて生意気なお坊ちゃまかと思ったけど、案外ちゃんと考えているんだ……。)


「それは……確かに大切なことですね。では今日は民の暮らしについて話しましょう。と言っても、場所によって様々に暮らしているかと思いますので、まずは私が知っていることを」


白兎はかつての暮らしやここに来るまでのことを思い出しながら語り出す。


「私は山の工房で育ちました。自然に囲まれて暮らし、食材は行商人から調達したり自分たちで集めたりしていました」

「自分たちで?それは大変だな……」

「ですが、米や野菜を作る苦労に比べたら、自然にあるものをいただくことは大して大変ではありません。一年を通して食材を供給してくれる農民がいるからこそ、煌様も豪華な食事を食べられるのですよ」

「だが、俺は次期皇帝だ。この身は誰より尊く、また、俺の健康が国の健康でもある」

「それは間違いではありません。しかし、だからといって感謝をしなくてよいとはなりません」

「……それは、確かにそうだな」


(やっぱり意外だ。暴君になるのではないかと思ったが、思ったよりも素直なところを見るに、家臣にさえ恵まれればよい君主となるかもしれないな。)


宮中で皇太子のことを悪く言う人間がいないのはこういうことかと、白兎はその素直な性格に微笑んだ。


「何で笑う」

「いえ。では、次に。都に来る途中いくつかの宿場町を通りました。そこで見たことをお伝えしてもよいですか?」

「あぁ、聞かせろ」


煌は興味深そうに少し身を乗り出している。


(本当に憎めない人だな……。これは才能だ。)


「私が宿場町に着いた翌朝、騒がしい気配に目を覚ますと宿屋の主人が倒れていました。――中毒死です」

「中毒死……?」

「ええ。私は最初、症状や匂いからそれを青竜花(セキリュウカ)のせいだと思いました。しかしそれは間違いだったのです。後日、宮中にいた私の元に被害が増えているとの報告がありました」

「…………それで?」

「宿場町に戻れば、人々に猛烈に批判されました。石を投げる者もおりました」

「ひどいな」

「いえ、それほどのことをしたのですから当然です。しかし、本当の原因が青竜花(セキリュウカ)を食した動物にあることを突き止め、最後には皆で協力して牧草地の作業をしました。原因を突き止められたのも私一人の力ではありません」

「へぇ……」


煌は静かに聞いていた。


「そういう小さな町でも、人々はちゃんと助け合ってるんだな」

「はい。宮中とは全く違う世界ですが人々は懸命に生きています。色々ありましたが、学ぶことも多かった。私はあの町の人たちのことが今でも好きです」


煌はしばらく窓の外を眺めていた。


「……見てみたいな、そういう場所」


ぽつりと言った煌の声は、先ほどよりずっと柔らかい。


「いつか、機会があれば視察してみましょう」

「……そうだな」


その横顔は、さっきまでの煌とは少し違って見えた。


それからしばらく平民の暮らしについて話し、内容が料理や衣服にまで及んだところで、白兎はそろそろ良いかと話を切り上げた。


「今日はここまでにしましょう」

「明日も来るのか?」

「皇太后様のご命令ですので」

「……まあ、いいか」


煌は投げやりに言ったが、追い返そうとはしなかった。


(追い返されなかった……。)


白兎は内心ホッとしながら頭を下げる。


「それでは失礼いたします、煌様」

「ん」


短い挨拶だ。


廊下に出た途端、白兎の肩の力が抜ける。


(疲れた……。でも、悪い人じゃなさそうだな。)


煌は確かに生意気だった。

だが、幼稚なだけではない。そう思わされた一日だ。


(あの人は、ちゃんと皇帝になろうとしている……。)


白兎は廊下を歩きながら考えた。

自分で選んだわけじゃない。でも、その重さは受け止めている。


(……私と少し似ているかもしれない。)


妙な親近感を抱いてしまったと白兎は思った。


そして部屋へとついたところで、「あっ」と声を上げる。


「しまった……!本を一冊置いてきてしまった!」


明日でもいいかと思ったが初日から忘れ物をするようではいけないと思い直し、慌てて踵を返して煌のいる部屋へと向かう。

しかしその途中、庭を横切ろうとした白兎は、予想外の光景に思わず足を止めて物陰に隠れた。


(あれは……?)


庭の奥にある大きな樹の下に人影が二つ。

一人は豪奢な服を身に纏った派手な男で、もう一人は長身の美人な男だった。煌と蘭羽(らんう)だ。


(何故、煌様と蘭羽様が……?)


距離があるから当然会話は聞こえない。だが、煌の様子が先ほどまでとはまったく違うことは分かる。

蘭羽の横に立ち何かを話している煌の表情は、白兎は上手く言葉にできなかったが、とにかく普段とはまったく違った。穏やかで、少し寂しそうで、でもどこか安心した顔だ。


(……どういう関係なんだ?蘭羽様は皇太后様の文官だし、離す機会が多いのは分かるけれど……。あれは、明らかに慕っている顔だ。)


蘭羽は煌の話を静かに聞いていた。そして時折何かを答えると、その度に煌が嬉しそうに笑う。

それは白兎がこの後宮に来て初めて見た、作り気のない素直な笑顔だった。


(…………まさか、禁断の恋……?…………いやいやいや、考えるだけで不敬罪になるぞ。いやでも、あの顔は……一介の文官に――ただの男に向ける顔じゃないでしょ。)


何故だか胸がドキドキとするが、きっと煌の秘密を知ってしまった気になるからだろう。


(……やめよう。本は明日回収すればいいし、見なかったことにしよう。あの二人はきっととても仲がいいんだ。歳も近いし、そうだ、そうに違いない……!)


自分に言い聞かせるように心の中で呟いて、白兎はそっと踵を返した。


ついに人間関係も色々動き出します……!

執筆の励みになるので、もしよろしければブクマしていただけると嬉しいです;;

よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ