EP06.利と義
ナイト辺境伯領から帰還してしばらく、温かい日差しが当たり前のようになった頃、すっかり日常が戻ってきた。日々の学習や公務と、やる事は山積みだ。
朝食を済ませ自室に戻ると、間もなくノックが響く。入室を促すとコーディが現れた。
「ルイス王子、失礼いたします」
「ああ、もうそんな時間か。今日は学習からだったか」
「いえ、国王陛下がお呼びです」
「父上が?」
無言で頷くコーディ。それ以上は直接聞け、ということか。
胸がざわりとする。拭う術もないまま、コーディと共に王の執務室へと向かう。
「失礼いたします」
許可を得て入室すると、既に呼ばれている御方がいた。
ふわりと綻ぶ琥珀の瞳。
さらりと揺れるゴールドの髪。
「やあ、ルイス」
「フレデリック殿下」
まさか兄上までも呼ばれているとは。それに筆頭文官も控えている……まだ誰か来るのか?
間を置かず向けた視線は、執務室の扉に阻まれた。
「よし、揃ったな」
これは王族のみの会談。そう理解した時、父上の声が重く響いた。
「呼び出したのは他でもない。お前たちには、知らせ伝えたい事がある」
ゆるりと合う視線に、喉が鳴る。
「陸路交易 ――ワイルズ国との交易についてだ」
かの国の名に、どくんと胸が跳ねる。
辺境伯領にて、予期せぬ遭遇があった事は記憶に新しい。
「知っての通り、海路交易同様利益を得ている。今後のためにも品目を調べさせた所、加工食品と、外海製の武具が、大変好まれているようだ」
「それは何より。外海製品は、東方のオーディナルズでも喜ばれますからね」
笑みを浮かべ頷く兄上。特使として赴かれた時の事を思い出してるのだろう。
対照的に父上の表情は優れない。不穏な空気をまとったまま、話を続けた。
「だが調査によると、人々は浮かれる事なく、物々しい様子だったようだ」
「と、仰られますと」
「鍛造所からは黒煙が絶えず立ち上り、炉の光が夜空を常に照らしていたという」
「それは……」
「さらにワイルズ兵士達の出入りが増え、訓練場から聞こえる音は激しさを増していると」
重々しくなる空気に、声どころか息を吐くのもためらわれる。
「そして、民衆の間である噂が流れていた。“これは兵站であり、戦が近いのでは” と」
思わぬ事に息を呑む。
兄上も目を見張っている。
「……畏れながら国王陛下、それは飛躍し過ぎでは? ワイルズ国は同盟国、それに今や大陸横断交易路の中継点。相当な恩恵もありましょう」
兄上の進言に、父上は間を置かず口を開く。まるで予想していたかのように。
「盟主であるワイルズ国王陛下だが、昨年から国民に姿を見せていない」
「……どういう事でしょうか」
「お身体が優れないようだと」
「今はどなたがワイルズを?」
「第一王子のギデオン殿下が、代理を務められておられる」
「では、まだ不慣れなだけでは?」
不慣れ? いや、違う。
不遜で、自信に満ち溢れた、あの姿。
あれは、彼の強い意思の現れだ。
私は知っている。
それに、父上も――
「その王子だが、ナイト辺境伯に接触している」
一気に静まり返る室内。
きんと空気が張り詰める中、兄上は口を開いた。
「……それは、辺境伯がワイルズ国に通じたと?」
「いや、ワイルズ王子の独断による介入だと、辺境伯は申した ――そうだな? ルイス」
父上、いや、国王陛下の声が、重く伸し掛かる。
“お前の番だぞ”と、迫られている。
「その通りでございます」
呼応するように、兄上がこちらを向く。
国王陛下によく似た琥珀の瞳が、私を絡み取る。
「信じたのか?」
凛とした声が体の芯に響く。
迫る圧力、口が重い。
答えろ。
ここで私が言わなければならない。
「はい、ナイト辺境伯の忠義に、疑いの余地はありません」
流れる沈黙。
見透かすような視線。
背中にじとりと汗が垂れる。
どれくらい経っただろうか。
ふと、空気が和らぐのを感じる。
柔らかな琥珀の瞳は、私から逸れていく。
「では、突然の婚約破棄も?」
「おそらく」
「国王陛下……」
「ああ、全ては状況証拠でしかない。だが、アラスターは ――ナイト辺境伯は、信じるに足る忠臣。そして、あやつの言葉を直に聞いたルイスの事も、余は信じている」
兄上の視線が流れ、口に添えられる指。
しばし沈黙が流れた後、ゆるりと口を開いた。
「現王不調から、王子独断による軍拡と侵攻の兆し ――ああ、狙いは東方か」
まるで、兄上自らに問うてるような呟きに、父上が笑みを浮かべる。
「納得したようだな」
「ええ、まあ……ただ、できる事は限られるのではありませんか?」
「ふむ。輸出量を制限する程度か」
「貴族達を招集せねばなりませんね」
いくつものため息が聞こえる中、王族の会談は終わった。
それから数日あまりを要し、上級貴族を招集した全体会議が開かれる。
✽ ✽
「ワイルズ国への、輸出制限ですと?」
どよめき騒ぎ出す上級貴族達。その全ては交易で利を得ている者達だ。
「わざわざ我々を招集し、何を仰るかと思えば」
「状況証拠だけではありませんか」
「国王陛下ならば、国益に徹して頂きたいですな」
「まったくもって」
押し寄せる批難の波。漏れ出る嘆息。
静かな怒りが漂う中、細身の貴族が声を上げた。
「畏れながら国王陛下、本当にワイルズ国が侵攻を企てていると、お思いなのでしょうか」
「だとしたら?」
やや感情的な父上の声に、細身の貴族が一瞬たじろぐ。
しかし、取り巻きを背にした舌戦は、絶える事はない。
「……地政学的には、まず我が国ではなく、東方のオーディナルズを侵攻すべきではないでしょうか」
「その通り。肥沃な平野を抑える事が先決」
「何故ナイト辺境伯領へ接触など、と……?」
意義を唱えていた貴族達の勢いが落ちる。顔色を変え、迷いが生じている。
その様子を見やり、父上が不敵な笑みを浮かべた。
「気づかれたようだな。東方に攻め入るために、後背を固めたと考える事もできよう」
「し、しかし、明確な根拠がありません」
「だからこそ輸出制限だと言っている」
「ですが、辺境伯の証言は、本当に信じられるのでしょうか?」
攻め手を変え、貴族達が息を吹き返す。
「その通り。もしや、かの国と既に通じているのでは?」
「そう言えば辺境伯には、不義の疑いもありましたね」
ちらりと私に注がれる視線……ええい、忌々しい。
退かない貴族達にうんざりしてきた頃、沈黙を保っていた貴族が口を開いた。
オレンジの髪が、さらりと流れる。
「そんなに食い下がるとは、卿等こそワイルズ国に通じているのではありませんか」
「な、何を?!」
「交易の継続により、誰が得するのかを考えればわかる事――ワイルズ国と、卿等だ」
「言いがかりにも程がありますよ!!」
怒号が一段と響いた時、国王陛下の声が割って入った。
「静まれ」
ぴたりと間を置かず訪れる静寂。
感情の残渣が空気に漂う中、朗々とした国王の声が響き渡る。
「確かに利が失せれば、国は弱まる。不安にもなろう。だが件の本質は、人の信を問うたもの」
優しげな琥珀色の眼が、貴族達を見やる。
「余はナイト辺境伯に信を置いている。もちろん、卿等もだ」
「国王陛下……」
「ワイルズ国への輸出量を制限する。いいな?」
「――仰せのままに」
昂る感情の波が押し流されていく。
ざわつきは次第に静まり、貴族たちは恭しく頭を垂れた。
一時はどうなる事かと思ったが、なんとか納得されたようで父上も一安心だろう。
張り詰めた空気が緩む中、違和感を覚える。
まだ何かある。
そう予感するには、十分な綻びだった。




