鴉天狗
男の構えは、明らかに武芸の心得があることを示していた。そして、その構えた姿の美しいこと。長年の研鑽を積んだであろうことが武術素人の私からも分かるほどだ。けれど、残念なのは、どれだけ武芸を研鑽したところで、鬼の圧倒的な暴力の前では研鑽に研鑽を積んだ武芸も意味をなさないことだ。
だが、この男は違った。身のこなしだけでも異質。手加減していたとはいえ鬼の攻撃を交わすなど、本来ありえない。妖気や霊力、あるいは神通力かと思ったが、いずれの力も感じない。こうなったら土手っ腹に一発お見舞いして見極めてやる。
一歩踏み込んで一気に、男の懐へと潜り込み、下から抉るように腹へと拳を突く。一瞬、腕に何かが触れた気がしたと思った瞬間、私は天井を見上げ、地面に倒れ伏していた。
「まず、一本」
男は一言、静かに口にした。
「はっ?お前、今何をした?」
いい終わる間も無く、男は倒れている私の顔をめげけ正拳を放つ。やはり人間にしては鋭く早い突きだが、私にはまるッとお見通しだ。
男の腕を掴んで捕まえてやろうとしたが、それを察知した男は攻撃を途中で辞め、私との間合いを取り直した。そして、再びあの美しい構えで私を待ち受けている。
「なんか気に食わない気もするが、面白い」
「来い、バケモノ」
その安い挑発に乗ってやる。私はタネが知りたくなった。私を翻弄したお前の技を、もう一度見せてみろ。
再び一歩踏み込み、正面から腹を狙って拳を突く。男が反応した。だが、同じ轍は踏まない。これはフェイントだ。私は素早く身を翻し、今度は顎を狙って掌底を出した。
また、腕に何かが触れた感触。そしてまたいつの間にか天井を見上げていた。傍観しているボタンが焦りながら私に声をかけている。
「ツバキ姉!大丈夫?!」
体を起こしながら、服についた埃を手で払っていく。
「大丈夫、ダメージは無い。ボタン、今私どうなってた?」
「いや、ツバキ姉・・・。今、腕掴まれて投げ飛ばされてたよ」
まさか鬼を投げ飛ばすとは、この男金太郎の親戚か?いや、腕に触れられた感触はあるが、力づくで掴まれ投げ飛ばされた感覚は一切ない。ひょっとして、合気道ってやつか?だが、それなら納得がいく。
柔よく剛を制すとはよくいったものね。合気道なら人間でも鬼の攻撃をいなすことは可能かもしれない。けど、それを実地でやり遂げちまう人間が普通この世にいるか?
「やるね、お兄さん。一度ならず二度までも投げられたのは、鬼になってから初めてだよ」
「それは光栄だ」
「けど、こいつはどうかな?」
再度、男目掛け踏み込む。力で劣る鬼に技術で翻弄したその腕や見事。だが、これならどうだ。腕を掴ませず、一気に両腕で抱きしめ、潰す。これならば投げ飛ばされることはない!
突然、眼前に男の顔が近づき視界いっぱいに男の顔が入った。
「なっ?!お前ッ!!」
こいつ、私が間合いに飛び込むより先に私の間合いに入ってきやがった。まずい、不意を突かれた。これでは・・・。
首筋に冷たい感触が走り、血飛沫が上がる。
「ツバキ姉!!」
男はさらに私の心臓目掛け攻撃をしてくるが、その腕を掴み男の得物をまじまじと見つめた。
「雅な懐刀だな。お前、これで私の首を切ったのか」
大した度胸だ。私の攻撃の先を読み、先手を取って私の首を切りつけるとは。だが、一度こうして捕まえてしまえば、人間の力では逃れることはできない。
それより、私の首だ。すでに出血は止まり傷口も塞がったが、鬼になってから初めての刀傷だ。私は空いている手で首筋にそっと触れ、指先についた自分の血を眺める。
あぁ・・・。なんてことだ・・・。まさか、この鬼の私が、人間如きに傷をつけられ血を流すなど・・・。
「なんて素敵なのかしら・・・」
「なんでツバキ姉笑ってんの?こわっ」
おっと、いけない。私としたことが顔に出ていたか。いけない、いけない。けどね、ボタン。私にとってこの男との邂逅は僥倖に他ならない。古来、鬼を狩ってきたのは、いつだって人間だった。だが、その偉業を成せる人間は稀有な存在だ。この人間が、この男こそが、私を滅する存在になるのかもしれない。
でも、この戦い方は少々煩わしい。それに、あまり遊んでは騒ぎを聞きつけた人間の目につくかもしれない。これで決めよう。
妖気を右手に集め、金棒を具現化し男めがけて振り下ろす。男は半身で躱し、そのまま私の首を目掛けて懐刀を振るう。やはり早い。早いが、それ以上の速さでこちらも動けば、何も問題ない。
一気に男の胴へと飛びつき、そのまま地面に押し倒す。男は私から逃れようともがくが、すでに私はお前の腹の上に跨っている。暴れる男の両腕を力のままに床へと押さえつけ、ここに勝敗は決した。
「さて、お兄さん。あんたを殺す予定はないし、殺す気もない。ここで大人しく引いてくれるのなら、私はとても助かるのだけれども。力を蓄えて私に再戦を挑むってのはどうかしら?」
「舐めるな。バケモノに攫われる少女を見過ごせというのか!」
「だから、あの子の安全は保証するって言ってるじゃないの」
「誰がそんな戯言を信用できるか!」
「仕方ないわね・・・。一旦ここいらで幕引きをば・・・」
私この強情な男を気絶させようと手刀を構え首筋に狙いを定めた。次の瞬間、周囲が明るい光に包まれ、ドカドカと重い下駄の音が私達の周囲を取り囲んだ。
「ヨタカに告ぐ!我らは刑部である!すぐにその男を解放しなさい!」
聞き慣れた声が倉庫に響く。明るさに目が慣れたところで、取り囲んだ者達の姿が目に入ってきた。そこには天狗の面で顔を隠し、鎧を身に付けた黒衣の修験道姿の男達が横並びで立ち塞がっている。さらに奥には装甲車のようなゴテゴテした大きな車から私達にライトを浴びせかけていた。
天狗共の列からツカツカと歩み寄ってくる者がいる。スーツ姿にペストマスクを被ったヒョロ長い体をした男だ。
「刑部の鴉天狗様が何のつもりだ?なぁ、水天坊。今回の件もてっきり私達だけかと思っていたが、現場に出張ってくるなんて、どういう風の吹き回しだ?あんたら、いつも私らの仕事の後始末しかしてないくせに」
「そんな嫌らしい言い方せずとも。いつも現場であなた方が暴れた後始末をしているのは我々ではありませんか。その言い草はあんまりじゃありませんか?」
「はいはい、感謝痛み入るよ」
同じ妖であるというのに、どうも私はこの鴉天狗が気に食わない。水天坊は刑部の頭目で、ヨタカの監視が主な仕事と聞いている。現場では陣頭指揮を執り、私たちの仕事の後始末をしている姿をよく見るのだが、現場は血と肉と臓物で溢れかえることもしばしばあり、片付ける身にもなれと、文句を言われることが多いので、すっかり水天坊の事を覚えてしまった。
私達の監視をしているというだけでも業腹だが、それに加えて気に食わないのは水天坊の格好だ。他の天狗はいかにもな伝統的な天狗の格好をしているのに、水天坊ときたらビシッとスーツ姿を決め、お面もペストマスクときた。何を気取っているのか知らないが、どうもいけすかない。
悪態ついでに殺気を放ってみたが、鴉天狗の水天坊はわずかにぼやいただけで、意に介さず、淡々と状況の説明を始めた。




