謎の男
「カスミちゃんだよね。ごめんね〜怖がらせて。もう安心だから出ておいで」
「早いとこ行きましょう。安全なところに連れて行くわ」
私とボタンは少女に手を差し伸べるが、少女は涙をポロポロと流しながら、怯え竦んでいる。無理もない。親になるはずだった大人に裏切られ、挙句売り飛ばされそうになり、その上、目の前でこれだけ凄惨な光景を目の当たりにすれば、怖がらない方がおかしい。なにより、この地獄を作った張本人の私たちこそ、この子から怖がられている。
差し伸ばした私とボタンの手は、先ほどの戦いで返り血を浴び、赤黒く汚れている。ボタンと顔を見合わせ、大きなため息が出てしまった。
まったく、よくこんな手を差し出せたものだと我ながら嫌になる。ここ数百年は返り血で汚れるなんて事は日常茶飯事で、何気ない日常のワンシーンでしかなかった。けれど、まともな人間が今の私たちを見たならば卒倒したとしてもおかしくないというのに、人間の感性から遠く離れた自身の感性が実に恨めしい。
「・・・ごめんね、嫌だよね。こんな血で汚れた鬼に手を差し伸べられても。でも、安心して。私たちはあんたを助けるために来たから。危害は加えない。一人で立てる?ひとまず、ここから離れよう」
私はできうる限り人間であった時の頃を思い出し、可能な限り優しく話しかけた。少女は依然怯えたままだが、震えるながらもどうにか立ち上がった。
「えらいね。いい子だ」
少女が、何か呟いたように聞こえた。
「どうしたの?どこか痛いの?」
ボタンもまた、できうる限りの優しい声でカスミに声をかけている。少女はおずおずと言葉を口にした。
「助けてくれて、ありがとうございます」
蚊の鳴くような声で、少女は初めて言葉を口にした。驚いたのは私たちだ。まさか、口を開いて一番に出てきたのがお礼の言葉だとは思わず、私とボタンはまたも顔を見合わせ目を丸くしてしまった。
続いて、少女は背負っていた鞄から何やらゴソゴソと取りだし、私たちに差し出した。
「手、怪我してませんか?これ、どうぞ」
差し出されたのは除菌タオルと絆創膏だった。どうやら、この子は私たちの血で汚れた手が怪我をしているように見えたようだ。私たちはまたも顔を見合わせ、さらに目を丸くしてしまった。
「ありがと〜!お嬢ちゃん優しいね〜!」
ボタンは久方振りに向けられた人間の優しさに嬉しさを隠せず、というかデレデレしながら除菌タオルと絆創膏を受け取っていた。少女は、私にも同じく差し出してきたので、思わず受け取ってしまった。
人間の、それも子供から優しさを向けられたのは、いつ以来だろうか。そんな考えがふと頭をよぎった。
後頭部にトンと鈍く冷たい筒が当たる感触。驚いた。気を抜いていたとはいえ、背後を取られるなんて。
「そのまま両手を上に挙げ膝まずけ。今すぐにだ」
「えっ?嘘ぉ!いつの間に!ってかあんた誰?!」
「金髪の女。この女が殺されたくなければ、指示に従え」
ボタンは意表を突かれ混乱し、私に目で指示を求めてくる。この話し方、どうも警察っぽいが、普通の警察官でもなさそうだ。鬼の背後を取るなんざ、人間業じゃない。けど、この弱々しい霊力の感じは人間特有のもの。正体が分からない以上、今はこいつの指示に従うべきか。
指示に従うようにと、ボタンに目配せし、私もひとまず謎の男の指示に従う。
「すいません、これは一体何事でしょうか?殺すだなんて、そんな乱暴な事はしないでください」
「気持ち悪い話し方をするな。銃撃が聞こえて駆けつけてみれば、この有様。教えろ。これはお前たちの仕業か?」
当たり前のように猫撫で声は効かない、と。面倒臭いことになったが、こうなっては仕方ない。私は素早く振り返り、背後の男の拳銃を捌きつつ、腹に掌底を入れた。だが、手応えがない。すでに男は半歩下がり、私の攻撃の間合いを見切り攻撃を躱していた。
こんな芸当ができる人間がこの時代にもいるとは 意外だ。どんな面をした男か見てやろうと視線を向けた瞬間、両目にわずかな痛みを感じた。ボタンのギャっと悲鳴を上げた声も聞こえてくる。
目潰しか。いや、視界がなくなる直前に男が構えた拳銃が私の顔に向けられているのを見たし、発砲音も聞こえた。数は四つ。おそらく、私とボタンの眼球に命中させたんだ。なかなかやりやがる。だが、鬼の回復力を舐めるな。目玉に弾を食らったところで少し痛いだけ、って、誰もいない?!
「ツバキ姉!あそこ!」
ボタンの指差す先に、少女を抱えて全力で走り去る男の後ろ姿が目に映る。男の目的はあの子供か。
「くそっ!ボタン、逃すなよ!」
「はいな!」
ボタンは全身の筋肉に妖力を込め、瞬間的かつ爆発的に身体能力を高め、一歩駆け出した。駆け出した瞬間に、逃げ去る男の前方へと先回りし、逃走を阻む。さすがに男も動揺したのか、その場で立ち止まり退路を探すが、すでに私が男の背後に控えている。
逃げ場はないが、男も諦めが悪い。拳銃で私たちを牽制しつつ、少女を身を挺して守ろうとしている。
「お前、警官か?」
私の問いに、男は何も答えない。必死で周囲を警戒しつつ、逃げる隙はないかと探しているようだ。私は口に咥えていたタバコを握り潰し、妖気で消し炭にして臨戦体制を整える。
「警官なら、殺すつもりはない。私たちはその子を助けるように言われてここに来た。ちゃんと安全な場所へ送り届け、信頼できる人物に託す。だから余計な仕事を増やさないでちょうだい。わかったらその子を返して」
「その話、どうやって信じろと?」
不信と猜疑の目。当然か。この惨劇の中、無傷で血まみれの女を信じる馬鹿はいない。
「仕方ないねぇ。ちょっと眠ってもらうしかないか。ボタン、ここは私がやる。手出し無用だよ」
「どうしたのさ、ツバキ姉。今日はやる気になっちゃって」
「なに、久々に背後を取られたどころか、私の攻撃を躱されちゃったら、気になるじゃない。この男が一体どこまでやり合えるのか」
「遊んでると、地蔵ちゃんに怒られるよ?まぁ、手短にね」
ボタンは言葉を言い終わるか否かの一瞬のうちに電光石火の如き動きで男から少女を奪い取り、私の背後へと退がった。
「はい、準備オッケ〜。あとはツバキ姉にお任せ〜」
「サンキューな、ボタン」
男は、何が起こったのかと驚いているが、平静さは失ってはいない。この物腰、態度、よく訓練されている。
「それでは、お手並み拝見」
男は私を見据え、構えをとった。




