千年生きたブリス
「司、その名前に心当たりがあるの?」
司は少しの沈黙の後、多そうに口を開いた。
「ブリスという名前は、俺たちの業界じゃ知られた名前ですよ。この国の政府に裏から手を伸ばし、ありとあらゆる不正をを持って裏から介入してくる国際金融資本家の一人。世界でも屈指の大富豪です。あまりに強大なコネと財力のせいで、とても警察が手出しできるような人物ではありません」
「そんな奴が人身売買にまで手を出して、カスミを狙っているってことか。これはまた厄介な話ね。って、あなたも警察官じゃない。これ以上首突っ込んで大丈夫?」
「保身を考えるならば、絶対に手を出すべきではありませんね。ですが、そんなことは関係ありません。ここで逃げては男が廃る。俺はカスミちゃんを取り戻します」
力強く答える司に、心の中でガッツポーズをしてしまった。司ならきっとそう言ってくれると思ったけれど、ここまではっきり言い切る姿に、胸が熱くなってしまった。
「ひとつ、その黒髪の娘に聞いてみたいことがある。質問してもいいかい?」
子ヤギは私の目を見つめ、興味津々といった様子で私を見ている。質問を了承すると、子ヤギはニンマリと笑ったかのように見えた。
「親子の情愛が深いということは多くの人間を観察したことで私も知るところだ。誠に不躾だが、私は子が命を差し出されてもなお生きながらえている君に興味がある。奇しくも、君もブリスも同じ秘術で不老長寿を授かった鬼だろう?ブリスは全く意に返さなかったが、君は腹を痛めて産んだ我が子を食べ生きながらえたことに、何を思い、何を感じた?」
体から一気に血の気が引いていく。視界がぼやけ、思考が定まらない。よろめき後退りしたところをボタンと地蔵が支えてくれてのはかろうじて分かったが、それ以外の感覚が消えていくかのようだった。
「そんな・・・、そんなこと答えられるわけが・・・」
「教えてくれ。人間の感情は最優先で探究している分野なんだ。さぁ、我が子を喰らい生きながらえた君の気持ちを教えてくれ」
スパンと小気味よく頭を叩く音が響いた。
「痛いじゃないか、やめてくれよ」
司はさらに一発、スパンと子ヤギの頭を叩いた。子ヤギはよろめき、転びそうによろけた。
「いくら知りたいからってな、聞いていい事と悪いことがある。知恵の神なのにそれがわからないのか」
「なるほど、これは興味深い。君、名前は?私にもっと人間のことを教えてくれないか?」
「あぁ、貴様に人の道を叩き込んでやる。俺の方が貴様よりよっぽど人の道に明るいことは、今の一言ではっきりしたからな」
人心を理解しない神を煙たがりながらも、司は滔々と人の道を説いている。子ヤギは説教されているにもかかわらず尻尾を振り楽しそうに司の話に耳を傾け歩き続ける。
突然の質問に驚き、思わず固まってしまったけれど、司のこの一言に私は救われた。
「司くん、やっぱりいい人ですね」
「姉さん、いい旦那を捕まえましたねぇ」
地蔵とボタンはからかい気味に私に話しかけるが、それをあしらう気が起きないほどに、私の視線は司に釘付けになり、暖かな想いが胸に湧いてきた。
「うん、そうかも」
「えっ?!ほんと?!」
二人は嬌声をあげているが、そんな声すら耳に聞こえど一地反応する気が起きない。司のことも気になるが、私は子ヤギにどうしても聞きたいことがあった。
「子ヤギ、あなたはどうして私が鬼になった理由を知っているの?いや、そんなことはどうでもいい。知っているなら教えて。どうして私は鬼になったの?これは私にかけられた呪いなの?あの子は、私を恨んでいるの?」
司の説教に耳を傾けていた子ヤギの耳がピンと立ち、私の方へと向く。
「呪いで長寿を授けることはあるにはあるが、君の場合は祝福だろうな」
呟くように子ヤギは話し始めた。
「元々、若返りの秘術なんてものは他人の肉を食らう必要など無い。自身の生命エネルギーを効率よく循環させることができれば、それで不良長寿は簡単に手に入る。しかし、これは苛烈な修行の果てにようやく手に入る“技術”だ。修行をせず若返ろうと思ったら、生命エネルギーを他者から直接取り込むしかない。つまり、食人だ。だが、カニバリズムで不老長寿を手にした例は無いように、生命エネルギーを渡す側が明確な祝福と祈りを伴って、ようやく生命エネルギーの受け渡しが可能となる。ということで、君が鬼になったのは呪いではない。祝福だよ」
気がつけば、ボタンも子ヤギの話に耳を傾けている。私と同じような境遇のボタンにとっても、この話は聞き漏らしたくはないだろう。
「君もブリスも、秘術発現の条件は同じだったのだが、ブリスの場合は容赦なく子どもを犠牲にしたことで、子どもの祈りに翳りが出た。それがブリスにかかった秘術が中途半端で子どもを喰らい続けなければならない理由なのだよ。対して、君は随分と子どもから愛されていたのだろう。見事なまでの術の精度だ。だが、高い精度がゆえに、君が持つ罪の意識と共鳴し、尋常ならざる力を副産物として得た。つまり、“鬼”として生まれ変わったわけだ」
「そう・・・。あの子は、私を恨んではいないのね」
連れ去られる直前、追憶の世界で聞いたカスミの言葉。あれは嘘でも間違いでもなかったのね。あぁ、カスミ。なんて優しい子なのかしら。
「ふむ、実に興味深い顔だ。よく見せてくれ。これは一体どんな感情なんだ?事細かに教えてくれ」
ズカズカと近づいてくる子ヤギを司は抱き上げ、先頭を歩き出した。
「俺の説教はまだ終わっいない。道案内しつつ俺の説教を聞け」
「わかったよ。せめてもう少し丁寧に抱き上げてくれないか?雑に扱われるのは趣味じゃない」
騒々しい二人の背中を見ながら、私は安堵した。そして、それはボタンも同じだったらしい。目に涙を浮かべ、私を見ている。そっと頭を撫でてやると、大粒の涙がボロボロと溢れ始めた。分かるよ、私には分かる。同じ苦しみ、痛みを味わったあなたのパートナーだから。ボタンは声を押し殺し、静かに泣き続けるのだった。




