帰り道
風呂でボタンと地蔵に果し合いの顛末を伝えたところ、二人は実に簡潔な言葉を私に示した。それは、恋心と親心。
この二つの心が芽生えた結果、私の魂は穢れが浄められ、妖気がその性質を変え弱体化に繋がったという見解だ。それ以上に、一度に二つの感情を味わうなんて、なんて贅沢な女なのかしらと、しきりに揶揄われる時間のほうが長かったのだけど、私にとってはこれらの感情は衝撃が大きすぎた。何百年も感情が死滅したような生活から一変、これほど感情を揺さぶられることになろうとは夢にも思わなかった。
二人からの「結局、どうしたいの?」という問いに、私はまだ答えを出せずにいた。いや、内心では分かっている。分かっているからこそ、それを認めたくない自分に困惑している。
それからというもの、司とは表面上はいつもと変わらず接しているが、どことなく私への視線が熱く、気恥ずかしくてあまり顔を見れないでいる。カスミは遊園地に遊びに行った日から、私のことをお母さん呼びしていないけれど、接してくる態度は実の娘そのもの。私もすっかり愛娘のように接してしまっている。
手元には編みかけのマフラーがある。この都市も少しずつ秋めいていき、木枯らし吹かれ落ち葉が道を滑るように飛んでいく。少しずつ風が冷たくなっていくのを感じ、カスミが寒い思いをしないように、せっせとマフラーを編むのが最近の日課だ。時計を見るとあっという間に学校にカスミを迎えに行かなければいけない時間だ。私は地蔵とボタンに声をかけ、支度をする。
地蔵とボタンは周囲の警戒に当たる日で、出迎えは私が当番の日だ。今日も今日とて警護に当たる。学校に着くとカスミは校門で大人しく待っていた。私が手を振ると、カスミもまた手を振り返し、こちらに駆けてくる。
「おかえりなさい。学校は楽しかった?」
「はい!」
あどけなく笑うカスミに心が緩んでいく。カスミはトコトコと私の隣に並び、手を握ってきた。私はそっと握り返し、カスミと共に通学路を歩んでいく。他愛のない会話をしながらの帰り道は、それはとても楽しかった。今日は何があったの?友達とどんな遊びをした?給食は美味しかった?今日も一日楽しめた?質問を投げかけるたび、カスミは嬉しそうに学校での過ごし方を教えてくれた。色々と気苦労がある警護の仕事だが、このカスミの笑顔が見られるなら、どんな苦労も厭わない。そう、思えてしまう。
けれど、今日は珍しくカスミの方から不思議な質問があった。司と私のことだ。
「最近、司さんと話す時、緊張しているように見えます。何があったんですか?」
子供の質問は恐ろしい。気になったことは直球で聞いてくる。さて、どう答えたものか?
「別に喧嘩とかしてるわけじゃないから安心しなさい。」
「痴情のもつれ、というものですか?」
「どこでそんな言葉覚えてきたのよ」
まったく、子供というものはどこからともなく知識を蓄えてはこうして思わぬところで披露して驚かせる。
「そもそも、私と司はそういう関係じゃないから」
「どういう関係ですか?」
純粋に疑問に感じるカスミに、なんと答えるべきかわからない。
「その、私と司は単に仕事仲間というか。深い関係ではないから・・・」
「でも、司さんはツバキさんのことをとても大切に思っているように見えます」
「えっ?カスミ、そんなこ風に見えてるの?」
「はい。それに、ツバキさんも司さんのことをどこか愛おしく見ている気がします。結婚していないのが不思議なくらいです。結婚は考えないんですか?」
なんということを言うのか、カスミは。顔が一気に赤くなる。まさかこんな小さな子供にこんな話を振られるとは。私は急いで話題を変えようとするが、カスミはじっと私の目を見つめ、質問の答えを待っている。
「カスミ、この話題はあなたにはまだ早すぎる。違う話をしましょう」
「私は司さんとツバキさんがお似合いだと思ってます。実は私、司さんがお父さんになってくれたらいいなって思ってます。そうすれば、私は仲睦まじい夫婦の一人娘になれます。これはとても素敵なことです」
「何を言ってるの?!あなたのことはともかく、私と司はそんな関係じゃ・・・!」
「たぶん、根城のみんなはさっさと付き合っちゃえと思っていますよ。自分の心に素直になることは悪いことではないと思います」
柔らかく優しい声に思わず、はい、と答えてしまいそうになる。本当に年相応の子供ではない。もう菩薩の転生者としての風格をカスミは纏っている。そのせいか、私は保護者としてではなく、悩める一人の女として、カスミに救いを求めてしまいそうだった。
「素直になれたらどれほど楽か。でも、それはできない。カスミも、私が夜な夜などんな仕事をしているか知っているでしょ。幸せを望むには私の両手はあまりに汚い。それに、そもそも私は大罪を犯した故に鬼になった悪人よ。今更幸せを望むなんて、許されるわけがない」
「あなたは自分自身に罰を課しているに過ぎないのです。しかし、その罪も贖われています。だからこそ、あなたの環境は目まぐるしく変化をしているのです。もう、ご自分を責める必要はないんですよ」
「まるで菩薩みたいな話ぶり?!」
突然のカスミの言葉に、天地がひっくり返るほどの衝撃。カスミはまるで生仏のように、ただ、ふんわりとした笑顔を見せている。その笑顔に、私の強張った頬も緩んでいく。
「まるで仏様ね。思わず拝んじゃいそう」
「それはよかったです。私はツバキさんが笑っているのを見るのが大好きです」
カスミは、私の手を両手でギュッと握りしめた。
「必要なのは、一歩を踏み出すことだと思います。どれだけ思い悩んだところで、堂々巡りを繰り返すばかり。だからこそ、一歩を踏み出す勇気を。私は、そうしたいと思います」
カスミは目瞑り、深呼吸して息を整えている。
「ツバキさん、私のお母さんになってくれませんか?私は、ツバキさんの子供になりたい。血が繋がってなくても、鬼であっても、そんなの関係ありません。私は、ツバキさんがいい!」
涙を湛え、私に懇願するカスミから霊気が溢れ出してきた。それはまるで柔らかな風のように私を包み込み、そして繋いだ手からも霊気は私の体へと流れ込みんでいく。まるで枯れた体に潤いが戻っていくようだ。それと同時に、頭の中にイメージが浮かんできた。見たことのない景色、会ったことのない人達。繰り返し浮かんでくるのは、複数の夫婦の姿だ。




