帰り道
結局その日はよく遊び、よく笑った。閉園時間まで全力で遊んだカスミは帰りの車の中でぐっすりと休んでいる。さすがに電池切れか。よく遊んだね。カスミに付き合い続けた他の面々も同じく眠りに誘われ、みんなすっかり眠りこけている。
「今日は久々に疲れました。よく眠れそうです」
とろんとした目をしながら司は車の運転をしている。
「無事に家に帰るまでがお出かけよ。安全運転でよろしくね」
私は缶コーヒーの蓋を開け、司に渡す。
「これはどうも。ツバキさんもお疲れでしょう。あとは任せて、休んでもらって大丈夫ですよ?」
「今日一日運転させっぱなしだし、さすがにそれは申し訳ないわよ」
助手席に座る者として、運転手を一人にさせてはいけない。誰かにそう教わったり、言われたわけではないけれども、なぜだか私はそう思っている。なにより、司は実際よく働いている。警護も当然のことながら、それを踏まえた上でカスミとも遊んでいたのだから、体力の消耗も激しいだろうに。
司は一口コーヒーを含み、ほっと一息ついている。その顔は今日も一日よく働いたといった面持ちで、助手席から眺めるに、なかなか精悍な男前にも見えなくもない。
「それにしても、今日は夕日が綺麗ですね」
司はフロントガラスの先に広がる赤い空を眺めている。今日の夕日は確かに格別だ。まばらに空に散っている雲がまたいい味を出している。
「子供の頃、俺は後部座席から覗いて見える両親の姿を見るのが好きでした。外出して、一日遊んでの帰り道、夕日に照らされた両親はいつもとはちょっと違った雰囲気で二人だけの会話を楽しんでいるんです。仲睦まじく他愛のない話に花を咲かせる両親を、まどろみながら眺めるのがなんだか好きで、あぁこれが幸せってことなのかな、なんて子供ながらに考えていたものです」
「随分と、素敵な思い出ね。私もその気持ちわかるかも。私が子供の頃は車なんてなかったし、遠出なんてできる世の中じゃなかったけれど、畑仕事の帰り道、両親と手を繋いで真っ赤な夕焼けを見ながら歩いた故郷の道は、今でもよく覚えているわ」
「いつの時代も、人間なんてそんなに変わらないかもしれませんね。まさか自分がこうして父親の立場になるなんて、思いもしませんでした」
どこか遠くを眺める司の顔は、ちょっぴり寂しそうでもあった。それもそうか。彼は子供の頃に両親を亡くしている。今しがた口にした思い出も、きっと数少ない彼の大切な思い出なのでしょう。
「あなたが父親の立場なら、私はやっぱり母親の立場よね」
「そうですね。少なくとも、カスミちゃんはそう思っています。今日も呼んでましたね、お母さんって」
「そうね。もう、観念しちゃいそう。許されるのなら、あの子の母親になるのも、素敵なことだと思うわ」
「えぇ、素敵です。ツバキさんとカスミちゃんが遊んでいる姿はまさに親子そのものでした。見ていて心が温まりましたよ」
正直、私の中では葛藤が消え去ったわけではない。でも、カスミの手を取って一緒に走った時、私の心は随分と絆されてしまっているのも確か。そんな私を見透かしたように、司は横目で私を見てにっこりと笑った。そういえば、私はなぜこの男に心情を吐露しているのだろうか。彼の横顔を見て、沸々と湧く悪戯心。
「私が母で、あなたが父なら、当然、私たちは夫婦という間柄に行き着くわよね」
「そうなりますね。ん?夫婦?」
私は足を組み、頬杖を突き、司に艶かしく視線を送る。見て見ぬふりをする司。しかし視線はチラチラと私を見ている。
「あまり揶揄わないでください。今のツバキさん、ちょっと変ですよ?」
「そうかしら?私はただ、夫婦円満は子育てには大事って話をしたいだけよ」
「それは俺を誘ってるつもりですか?やめてください、こんなみんながいるところで」
「じゃぁ、二人っきりなら?」
「それは・・・」
顔を赤くし、押し黙ってしまった。照れ隠しなのか、より運転に集中し私を見ないように前を向いている。謎の満足感と勝利に酔いしれる自分がなんだか可笑しくて、夕焼け空を見ながらクスッと笑ってしまった。
後ろからカスミの呻くような小さな声が聞こえてきた。この子にしては珍しい。呼吸がいつもより荒い。それに、何か苦しんでいるようにも見える。
「カスミ、どうかしたの?」
心配して声をかけたら、カスミはまどろみながらも目を開け、私を見た。すると、こわばっていた顔が少しずつ緩み、また穏やかな顔へと戻っていき、瞼を静かに閉じた。
「お母さん、大好き」
再び眠りにつきながら、そっとカスミは呟いた。頭の中は真っ白になり、音がかき消されたかのように世界がシンと静まり返った。寝ぼけたカスミの声が頭の中でこだましている。茫然自失も同然で私は正面に向き直り、ポカンと夕焼け空を眺める。あぁ、なんて綺麗な空なのかしら。あの日の夕焼け空を思い出す。
あれは、私がまだ人間で飢饉が起こる前の出来事。娘と手を繋ぎながら、畑仕事からの帰り道で見た綺麗な夕焼け空。思わず立ち止まって眺めていると、急にぎゅっと足に抱きつき、娘は笑いながら言うのだった。お母さん、大好き、と。
あの時の言葉と、今まさに耳に残るカスミの言葉が一つに重なり、私の胸を包み込み、じんわりと温めていく。
「・・・ごめん、司。私も疲れが出てきたみたい。少し寝てもいい」
「えぇ、もちろん。ゆっくり休んでください」
私は蹲るように司に背を向け、シートに身を預ける。震える肩を抑え、必死に嗚咽を殺し、とめどなく流れる涙を静かに拭い続けた。




