お母さん
タバコを吸い終え、ボタンと共にみんなが待つ芝生広場へと向かう。広大な敷地の中、すでに地蔵がシートを広げ、お茶やお皿の用意をしていた。
「遅いですよ、ツバキさん。もうカスミちゃんお腹ぺこぺこですよ」
「ごめんね、今支度するからちょっと待ってな」
カスミはお腹を抑えながら静かに頷く。いかにも空腹ですという顔だ。私は持ってきたバスケットから一つ一つお皿を取り出し、シートの上へと広げていく。正直、私もお弁当を作るという行為自体が久しぶりな上、子供が喜びそうな料理にも疎かった。けれど、今の時代は分からなければすぐに手持ちのスマホで調べ上げることができる。なんと便利な時代になったことか。
子供が好きそうな料理にも定番があり、今回はひとまず当たり外れのない献立を考えてみた。違った具が入ったおにぎりに、野菜たっぷりのサンドウィッチ。たこさんウィンナーや玉子焼き、ポテトサラダに唐揚げなどだ。我が家は五人とはいえ、育ち盛りの子供に男衆が二人いる。ボタンや地蔵も普段は少食でも食べる時は食べるから、そこを考えて量を作る必要があった。おかげでお弁当が入ったバスケットは食べ物で満杯だ。
「我が家、かぁ・・・」
私の思考は、すでに母親のそれだ。もちろん、誰一人として血縁もなければ種族も違う。ただ、根城で一緒に暮らしているという関係のはずだが、いつの間にかカスミを中心として、自然と家族の役割をそれぞれが担っているのが現状だ。
実際、今日も遊園地のスタッフからずっと家族として扱われている。遊園地の入場料にしても家族料金で入っているし、まだ年齢や身長で保護者同伴が求められるアトラクションで遊ぶ時にも、「お母さん」として見られてしまっている。なんだかこそばゆくもあり、嬉しくも感じている自分に、複雑な感情が腹の底で蠢いている。
皿を分け、料理をとりわける。料理が行き渡ったところで、みんなで手を合わせ、いただきますの挨拶をする。これも教育の内だ。
よほどお腹を空かせていたのか、カスミは目を輝かせながらご飯をバクバクと食べていき、満足そうな顔をしている。他の面々も箸が進んでいる様子でひとまずは安心。
「おかわりはたんとあるから、遠慮はしないように」
揃いも揃って子供みたいに元気な返事が返ってきて、思わず私は笑ってしまった。大きな浮浪雲に隠れていたお日様が現れ、私たちを徐々に照らしていく。あぁ、なんて素敵な光景なのかしら。みんな笑ってる。美味しそうにご飯を食べている。ここには飢えは存在しない。不幸なんて欠片も感じない。そう思うと、このまま時が止まってしまえばいいのにと、そんなことを思ってしまう。
夢のような時間はあっという間に過ぎていく。あれだけ作ったお弁当はすっかりみんなのお腹に納まり、バスケットはすっかり軽くなってしまった。食後の休憩で大人達はまったりとしているというのに、カスミは芝生で走り回っている。司がこっそり持ってきたフリスビーで一緒になって遊んでいる。
司は慣れた様子でフリスビーを投げるが、カスミは一生懸命投げ飛ばしてもあっちへこっちへ意図しない方向に飛んで行ってしまっているようだ。
「カスミー。調子はどうだい?」
「とっても難しいです!」
息を切らしながら私の質問に答えている。その姿は一生懸命そのもの。けど、次第に表情が曇っていく。一生懸命何度も投げてはあさっての方向に飛んだフリスビーを拾いに走るが、だんだん悔しくなってきたのか、ぐっと唇を噛み締め、涙を目に溜めている。
司もうまく投げるアドバイスをしているが、どうもうまくいっていないらしい。教え方が下手だ。小難しい言葉を並べ立ててやるな。
「・・・まったく、仕方のない」
私はカスミのもとに行き、フリスビーを構えた手を優しく取る。
「あっ、ツバキさん」
「カスミ、こういうのは力むとうまく飛ばないものよ。まずはリラックスして」
「あっ・・・、はい!」
「優しく指を引っ掛けて。そう、そんな感じ。そしたら、少しの力を込めて、円盤が真横で飛んでいけるように投げてみて」
「はい!」
カスミは、私のアドバイスを何度も反芻しながら、精神を集中させ投げた。カスミが投げたフリスビーはぶれながらもふよふよと司がいる方向へと飛んでいった。司のいる位置からだいぶ手前に落ちそうになったところで、脱兎の如く司は走り出し、ヘッドスライディングのように滑り込んでフリスビーを掴んだ。即座に前方に回転し受け身を取り、そのままの勢いを保ちつつ私たちの元へと走ってきた。
怒涛の動きに驚愕、もとい恐怖している私とカスミの前に立ち、司は興奮しながら感動の言葉を並べた。
「カスミちゃん!今のはすごく良かったよ!それに、ツバキさんも!どうやったらあんなうまく教えることができるんですか!」
「そんな間近で捲し立てるな、怖いから」
若干引いているカスミだが、褒められたことに関しては満更ではないらしい。司はさらに驚きの行動をとり続けている。シートでまったりと休んでいたボタン達の元へと走りだし、カスミがフリスビーを上手に投げられたことを説明し、褒めてやってくれと懇願している。にわかに活気立つ大人ども。司はカスミにこっちにおいでと呼んでいる。
「まったく、我が家の大人どもは騒がしいわね。カスミ、あんな大人達の相手して疲れやしないかい?」
「いいえ。むしろ、こんなに気にかけてもらえて、嬉しいです。こんなに賑やかで楽しいのは、初めてです」
「そうなの?今までは親御さんと遊んだりとかはしなかったの?」
「・・・あまり思い出はありません。里親になってくれた方は仲良くなる前にみんな死んじゃったので」
しまった。藪蛇だったか。カスミの過去の事を聞いていたのに、なんという失敗を犯してしまったんだ、私は。
「だから、私は施設に入っている方が長かったです。でも、施設の子も、施設の先生達も、みんな私を怖がって仲良くしてくれなくて」
「怖がる?そんな、どうして」
「私は“死神”だそうです。里親に貰われても、親が死んでまた施設に戻る私を、みんな陰でそう言っていました」
頭が痛くなり、思わず頭を手で押さえてしまう。この子は年相応とは思えないほど聡い。自分がどんな風に扱われているか、痛いほど理解してしまっている。
「だから、私、みなさんと一緒にいられて、とても幸せです」
朗らかな陽がカスミの笑顔を照らす。私の胸が腹の底から温まる。あぁ、なんてこの子は健気なのだろう。これほど辛い経験をしているのに、こんな笑顔ができるなんて。この子には幸せになってほしい。そう切に願いたくなる。私たちはカスミの本当の家族にはなれない。血が繋がっていないし、種族も違う。そんな仮初の家族のような私たちだけれど、この子のためにできることは、たくさんあるはずだ。
「カスミ、みんなが呼んでる。一緒に行こう」
「はい!」
カスミを呼ぶ声の方へと、私とカスミは走り出す。暖かな日差しや温められた心を包みこむように柔らかい体が私達の体を撫でていく。カスミが息を切らして一生懸命走るが、私の足には当然追いつけない。カスミの様子を見ながら少し先を私は走っていく。
「ほら、カスミ。もっと早く走って!」
「待ってください、ツバキさんの足、早い!」
顔を歪ませながらも一生懸命に走るカスミの姿が可愛くて、私はついつい悪戯心を発揮してしまう。追いつかれない絶妙な速さでカスミの前を走る。
「ほら、がんばれ!もうちょっとだよ!」
「待って・・・、待ってよ!お母さん!」
お母さん。私の耳に一際大きく響いた言葉に、私は目を丸くしてカスミの顔を見つめてしまった。そんな私の視線にカスミは一瞬たじろいでしまった。けれど、それは一瞬のこと。一生懸命に足を動かし走りながら、カスミはそれでも、私の目をじっと見て手を伸ばした。
心臓が高鳴り、締め付けられる。そして、込み上げる熱い感情。私は肝から溢れ出る感情に身を任せ、叫んだ。
「おいで、カスミ!」
手を伸ばしたカスミの手を取り、私は一緒に走った。ぎゅっと握った小さな手が、力強く握り返してくる。カスミは笑って私を見ている。私もまた、笑顔を返すのだった。




