嘯くヨタカ
人間は、いつから夜を恐れなくなったのだろう。
人間は、いつから目に見えぬ存在を信じなくなったのだろう。
人間は、いつから自分が狩られる存在であることを忘れたのだろう。
眼下に広がるのは、眠ることを忘れた街。世界は我らのものといいたげな人間が作り上げた幻想の街だ。この街の中心地に聳え立つこのビルからは、四方八方この街の景色が見渡せる。人間共が見たなら、さぞや感動すること請け合いの景色なのだろうが、私から見ればまるで価値を感じない景色だ。
どれだけ上っ面を綺麗に見せたところで、裏を覗けば一目瞭然。罪と穢れに満ち溢れ、虚飾が、欲望が、暴虐が、地獄が、この街を暗く闇に染め上げている。
見るがいい、この高層ビルの群れを。一体、どれだけこの土地で人間が苦しみと恥辱に塗れ滅びていったことか。このビル群はこの地で滅んだ者達の卒塔婆のようではないか。煌びやかな分、不謹慎さも相まってこの汚らわしい人間の街には逆にふさわしいのかもしれないが。
こんな街を眺めていると、胸がムカムカし、イライラが募る。こんな時はタバコに限る。持ち前の妖力で小さな火を灯し、タバコに火を付ける。ゆっくりと吸うと、煙が体内をゆっくりと満たしていき、ピリピリした体をなだめほぐしていくようだ。
なにより、私はタバコの煙が立ち上る光景が好きだ。白い筋が宙へふんわりと舞い上がり筋を描いて消えていく。この儚さは何度見ても飽きることはない。
「ツバキの姉貴ぃ〜、またこんなところにいて。夜景でも楽しんでたの?」
私の名を呼んだこの声。甘く舌足らずな話し方をするこの小娘は私の妹分、ボタンの声だ。声だけでもなく見た目もなんだか甘ったるい。いわゆるギャルと呼ばれる属性の人間の見た目に似ていて、この穢れた街に馴染んだ外見をしている。
「ただの仕事終わりの一服よ。地べたで吸うより高いところで吸った方がうまい気がする」
「左様ですか」
私たちの仕事。決して褒められた仕事ではない。罪を犯し、妖に身を堕とした私達に贖罪として神仏から与えられたお役目を全うすることが私達の仕事だ。
仕事内容は、いたって単純。神罰の代行だ。この世には人間の法では裁けない者共が跋扈している。あらゆる暴力と理不尽をもって人の世を食い荒らす人面獣心の獣供を、妖である私達が比類なき暴力と覆せぬ理不尽をもってして始末する。神の世界に住み肉体を持たない神仏に代わってこの現実社会で汚れ仕事全般をこなすのが私達、通称“ヨタカ”のお役目だ。
罪穢れを忌み嫌う神仏共の為に、私たちは夜な夜な手を汚し続け、真っ赤に染まりすぎて洗う気が失せるほど血に染まったこの手でこの世の治安が陰から守られているというのは、冗談にしては笑えない世界の構造ってやつだ。
「それで、あんたは今夜はどうする?今日の仕事は終わったし、もう根城に帰るの?」
「いやさ、帰ろうとしたら地蔵ちゃんにたまたま出くわしてさぁ。あたしらに今夜中にもう一件仕事頼みたいんだって」
「あんた、それ先に言いなさいよ。でも、もう火を点けちゃったからこの一本吸い終わったらにしましょう」
「でも急ぎで仕事を頼みたいんだってさ。下で待ってるってさ」
「なんと間の悪いこと。説教されてもつまらないか。仕方ない、すぐ行くわ」
口に咥えたタバコを握りつぶし、手のひらの中で消し炭にして空へと放つ。穢れた夜景を一瞥し、私はつぶやくでもなく心の声が漏れ出した。
「今夜の仕事、なんだか面倒くさそうな予感がするわね」
ボタンに連れられ、私はビルを飛び降りる。建物と建物の間をジグザグに壁を蹴りながら人目のつかない裏路地へと降りていく。裏路地には点々と薄暗い照明が点き、その照明の並びの中に佇む女の姿が認められた。
「あっ!ツバキさん、ボタンさん、こっちですよ〜」
私たちの名を呼ぶこの女こそ、私達に汚れ仕事を押し付ける神仏どもの一柱、“地蔵”だ。
地蔵は、そこいらの辻に立っているお地蔵様の像よろしく柔らかい笑顔を私たちに向け小走りに駆け寄ってくる。見た目は背の低い上京したての女子大生のように見えるが、おかっぱ頭に地味なニット帽を被り、これまた地味なショールを肩に巻き地味なロングスカートを履いた、実に芋臭く地味の権化とも呼べそうな格好だ。
世界の最先端トレンドが集まるこの大都会にあっては、逆によく目立つ風貌の彼女だが、中身は天界で仏道の修行をしている歴とした仏だ。そして、そこいらに祀られている地蔵を依代としこの世に顕現し、天界の意図をこの世に住む私達に伝えるのが役割だ。
「すいません、急にお呼び立てして。実は天界から直々にあなた達に仕事の依頼がありまして、しかもちょっと切迫している様子なのです」
「珍しいわね。あんたらが後手に回るなんて。弛んでいやしませんか、お地蔵様」
「そう、仰らずに。まずは説明をさせてください。ボタンさんもいいですね?」
「ふぁーい」
「それでは、早速説明いたします。今回はいつもの仕事とはちょっと違います。こちらの絵巻をご覧ください」
地蔵は懐から巻物を出すと広げてみせた。広げられた巻物には一人の女の子の写真が貼られていた。見た目は小学校低学年くらいの小柄な女の子だ。
「この女の子は、カスミちゃんという名前です。両親がつい最近、交通事故で二人とも亡くなってしまい、児童養護施設に預けられていました。ところが、先日カスミちゃんを引き取りたいという里親さんが現れ、めでたく退所の運びとなったのですが、この里親さんに結構な問題が見つかりまして」
「なぁに、その問題って?」
「単刀直入に言いますと、カスミちゃんの里親は人身売買のブローカーでした。書類上は日本人の夫婦ですが、国籍も名前も全て偽造されたものです。この国の司法や行政でも見抜けないほど巧妙な工作をしています。おそらく某国の裏社会の組織が絡んでいると見て間違いないかと・・・」
「人間同士のいざこざなんざ私達には関係ない。人間共の問題だ。ったく、いまだに奴隷貿易でもしてるってのかよ、現代人は」
「あながち間違いではないのですよ。詳しくは言えませんが、彼らは奴隷としてではなく生贄として日本人の子供を国外に連れ出そうとしているようです」
「ん?今、なんて?」
「生贄です。カスミちゃん、このまま国外に連れ出されると生贄として殺された上に解体され裏社会の人間に食べられちゃいます」
「へ〜・・・。そいつは興味深い。そんな鬼畜なマネを一体どこの誰が、何の為に?」
「姉貴、そんなことやる奴なんて、どうせ地獄から這い出てきたような意地汚い奴らだよ。しばき倒してから始末しようぜ」
「ボタンさん、そういう発言は謹んでください。現在、天界の“刑部”が調査中ですので今はまだはっきりしたことは言えませんが、どうも裏社会で広く信仰されている悪魔を神と称える宗教があるのですが、その宗教における延命の儀式と関係があるらしく・・・」
「延命の儀式?あぁ、なるほど。悪魔にでも生け贄捧げて叶いもしない不老長寿のお願い事でもしてる連中がいるってことか」
「詳しいことは調査中ですのでまだ分かりません。ですが、可能性は高いそうです」
「それはそれは、とんでもない悪党もいたもんだ。で?私たちはその偽者の親を始末すればいいってわけね」
「あっ、今回はそちらの仕事は結構です。カスミちゃんを救助したら里親役の人間は生かしたまま逃してください」
「えっ?」
私達二人は、素直に驚きの声をあげてしまった。私達の仕事は人間の手に任すには荷が重い常識はずれの悪党や、世の為に有無を言わさず始末する必要がある人間の処理が通常業務だ。それが人を、しかも子供を助けるのが仕事?天界の連中もヤキがまわったのか?
「意外って顔ですね。でも、これは天界からの指示ですので必ず守ってください。いいですね?カスミちゃんの居場所は道祖神の皆様が把握しています。案内も任せて欲しいとのことなので、あとは道祖神の案内にしたがってください」
「はいはい、分かりました。じゃ、早速お仕事行ってきますよ。行くよ、ボタン」
「はいな〜」
「いつも言ってますけど、派手に暴れないでくださいね〜!刑部の人達怒っちゃいますから〜!」
私は聞くだけ聞いたという意味で地蔵に目をくれず軽く手を挙げ返事とした。路地を出たところに道祖神の像が置かれている。道祖神の石像は私達の姿を認めると、あっち、あっちと石の手を指し示すのだった。




