お仕置きルーレット
昼下がりのざわめきが、大学のカフェテリア全体を包んでいた。
午後の講義を控えた学生たちが発する独特の熱気と、油とソースの香ばしい匂いが混じり合い、活気に満ちている。学食の人気メニュー「特製カツ丼」の甘じょっぱい香りが漂う中、窓際の一番日当たりの良いテーブルで、ひときわ華やかな(そして、何やら楽しげに盛り上がっている)三人組がいた。
経済学部三年の、工藤 紗季、長谷川 真由、相沢 莉奈。
大学生活も折り返しを過ぎ、インターンやゼミの選考といった現実的な話題も増えてきたが、まだまだ「女子大生」という時間を謳歌したい、そんなお年頃の三人である。
「いや、もう本当に信じられなくない? 昨日の夜、マジで衝撃だったんだけど!」
パスタの最後の一口を頬張りながら、紗季が興奮気味に切り出した。肩を揺らして笑いをこらえている。
「はいはい、紗季の『衝撃』はだいたいしょうもないやつ。どうせまた、彼氏がなんかやらかしたんでしょ」
冷静にサラダのドレッシングを選びながら突っ込んだのは、真由だ。三人の中では一番クールで、聞き役に回ることが多い。
「えー、また? この前は紗季の限定スイーツ勝手に食べたって怒ってたじゃん。泊まりだったんでしょ? 何があったのよ」
真由とは対照的に、目をキラキラさせて「面白い話」を待っているのは莉奈。彼女はフライドポテトをつまみながら、完全に好奇心のアンテナを立てている。
紗季は咳払いを一つして、芝居がかった様子で声を潜めた。カフェテリアの喧騒が、幸いにも彼女たちの秘密の会話をガードしてくれる。
「聞いてよ。昨日、私ちょっと疲れてて、先にベッドでうとうとしてたのね。そしたらさ……なんか、こう……背中から腰のあたりにかけて、妙な感触がするわけ」
「妙な感触?」
「うん。なんかね、こう……カサカサ、スルスル、みたいな……」
「え、なにそれ。怖くない?」
真由が真顔で眉をひそめる。
「私も一瞬『え、虫!?』って思って飛び起きそうになったんだけど、よく感覚を研ぎ澄ませたら、なんかヒモ状のものが身体に這ってる感じ?」
「ヒモ?」
「まさか、ついにそういうプレイに……?」
莉奈がニヤニヤし始めた。
「違うわよ!」
紗季は莉奈の手を軽く叩いた。
「で、私、寝たフリしたまま、薄目開けてみたの。そしたらさ、あいつ……」
紗季は一拍ためて、とんでもない事実を告発するように、しかし口元は笑いをこらえきれずにひくつかせながら、言った。
「私の裁縫箱から持ってきたメジャー、握りしめてた」
「「…………は?」」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、莉奈がテーブルを叩いて爆笑した。
「ブッハ! メジャー!? なんで!? ちょ、待って、意味わかんない! あんた、寝てる間に何されようとしてたのよ!」
「え、メジャーって……長さ図るのに使うやつ? え、なんで?」
真由もさすがにこれには動揺している。
「そう! それ! 信じられる!? 私が寝てる隙に、あいつ……私のスリーサイズ、こっそり計測しようとしてたんだよ!」
「「アハハハハハハハ!!」」
莉奈の甲高い笑い声と、紗季の「ありえなくない!?」という怒っているのか楽しんでいるのか判別不能な声が重なる。
「待って待って、プロセスが謎すぎる。なんでバレたのよ」
「たぶん、アンダーバストあたりを測ってたんじゃない? 私が寝返りうつフリして『……ねえ、何してんの?』って低い声で言ったら、あいつ、メジャー持ったまま石像みたいに固まってた。傑作だったよ」
「傑作、じゃないよ!」
真由がようやくツッコミを入れた。
「それ、普通にアウトじゃない? 寝てる間に、勝手に……」
「そう! それ!」
紗季がバン!とテーブルを叩いた。
「真由、その通り。もう『セクハラ』なのよ」
「えー、でも彼氏じゃん。彼氏が彼女のサイズ知りたいって、なんか……まあ、動機は可愛い気もするけど」
莉奈が面白がりながらも、一応の「もしも」を提示する。
「可愛くない! やり方がキモい! こっそりってのが最悪。普通に『サイズ教えてよ』って言われたら、『は? なんで? 下着でも買ってくれるわけ?』ってコミュニケーションが発生するじゃん。それを、寝込みを襲うって……泥棒と一緒よ、これは」
「サイズ泥棒……」
真由がぽつりと呟いた。
「そう! で、うちのカップルのルール、知ってるよね?」
紗季がニヤリと笑う。
「「セクハラ行為(及び、それに準ずる不埒な行為)には、お仕置き」」
莉奈と紗季の声がハモった。真由だけが「うわぁ……」と引いている。
「いや、でもさ、スリーサイズ測ろうとした罪で『お仕置き』はちょっと……」
真由がなおも食い下がろうとする。
「甘い! 真由は甘い!」
紗季が人差し指を立てる。
「そういう『彼氏だから』『ちょっとだけ』っていう甘さが、彼を増長させるの! あいつは前科(スイーツ窃盗、紗季の推しの録画消去など)が多すぎる! よって、昨夜、厳粛なる『お仕置き裁判』が開廷されました」
「裁判(笑)」
「で、どうなったのよ。いつもの『お尻ペンペン』で許したわけ?」
莉奈が聞く。
「まさか。今回の罪は重い。窃盗未遂、プラス、セクハラ。これはもう、通常の『お尻ペンペン』では贖いきれない。……そこで、私たちは『アレ』を導入することにしたのです」
紗季はスマホを取り出し、写真フォルダを開いた。
そこには、明らかに手作り感満載の、段ボールと割り箸でできたルーレットの写真が映っていた。
「「なにこれ」」
「名付けて、『お尻百叩き・執行ツール決定ルーレット』」
「名前が物騒すぎ!」
莉奈が突っ込んだ。
「まあね。一昨日の夜、彼に土下座させながら私が即興で作ったんだから、クオリティは勘弁して」
真由が画面を覗き込む。ルーレットの円盤には、いくつかの項目がマジックで雑に書かれていた。
* 1.素手(紗季様の愛のムチ)
* 2.ものさし(竹製)
* 3.布団たたき(竹製)
* 4.竹刀(中学の時に使ってたやつ)
* 5.乗馬鞭(莉奈から借りたコスプレ用)
* 6.これでお仕置き終了(奇跡)
「……紗季、あんた、本気?」
真由の顔が青ざめていく。
「『これでお仕置き終了』のマス、めっちゃ細くない!?」
莉奈は腹を抱えて笑っている。
「てか『乗馬鞭』って、なんであんたが持ってるのよ!」
「莉奈がハロウィンで使ってたやつ、うち置きっぱなしだったじゃん。有効活用よ」
「鬼! あんた鬼よ!」
「それで、彼は当然『終了』を狙うわけ。もうね、拝んでたよ、ルーレットに。『神様仏様紗季様、どうか、どうか奇跡を……!』って」
紗季は彼の情けない声を真似ながら、ケラケラと笑う。
「で、回したの? 回したんでしょ? 一回目!」
莉奈が身を乗り出す。
「回しました。厳粛に」
紗季はスマホの動画フォルダを開いた。(ご丁寧に録画までしていたらしい)
動画の中では、情けない顔の彼(目元はスタンプで隠されている)と、回るルーレットが映っている。
カラカラカラカラ……チチチ……
「「…………」(固唾をのむ真由と莉奈)
動画の中のルーレットが、ゆっくりと勢いを失っていく。
『終了』をかすめ、『乗馬鞭』を通り過ぎ……
カタン。
「……あ」
「『2.ものさし(竹製)』に、ご当選されましたー!」
紗季の甲高い声が、動画から響く。絶望する彼の「うそだろ……」という呟きも。
「ものさし! 地味に痛いやつ!」
「え、てか、これ『終了』が出るまで続くって……まさか、当たるたびに百叩き?」
真由が恐ろしい事実に気づく。
「当然」
「うわぁ……」
「『イッチ!』ペシッ。『ニィ!』ペシッ。『サン!』ペシッ」
紗季がカフェテリアのテーブルを、人差し指で叩きながら再現する。
「最初は彼も『ごめんなさい!』『もうしません!』とか言ってたんだけど、三十超えたあたりから『紗季さん、お願いです。もうちょっとだけ優しめにしてくれません?』とか文句言い出して」
「「アハハハ!」」
「五十超えたら、なんかもう無心になってたね、あいつ。『……はい、次どうぞ』みたいな。で、こっちも『はい、六十一!』ペシッ!『六十二!』ペシッ!って」
「なにその流れ作業! 地獄絵図すぎ!」
「で、百までやったの?」
「やったよ。きっちり百回。ものさし、ちょっとしなってたもん」
紗季は満足げにアイスティーのストローを咥えた。
「はぁ〜……終わった……」
真由が、まるで自分が罰を受けたかのように、大きく息を吐いた。
「え? 何言ってるの? 真由」
紗季が、キョトンとした顔で真由を見た。
「え?」
真由と莉奈の背筋に、嫌な予感が走る。
「『ものさしでの百叩き』が、終わっただけでしょ?」
「まさか……」
真由の顔が、今度こそ本気で引き攣った。
「私、もう一回、あのルーレット、彼の目の前に突き出してあげたの」
「「…………」」
「『さ、二回目いこっか?』って」
「終わりじゃないのかよ!」
真由の叫びが、カフェテリアの(幸いにも空いていた)一角に響いた。
「嘘でしょ、紗季!? あんた、本物の『どS』じゃん!」
莉奈が、今度は笑いではなく、恐怖と興奮が入り混じった表情で紗季を指差す。
「さすがにかわそう!ものさしだよ!?
百叩きされた直後だよ!? 泣かなかった!?」
真由は本気で彼に同情していた。
「泣いてた。『もう許してください……』って、シクシクしてた。でも、許さないのが紗季様クオリティ!」
「ていうか、今回のお仕置き、いつもより厳しくない? ルーレットまで作って、しかもエンドレスって……」
真由が冷静に指摘する。
「あ、それ思った」莉奈も頷く。
「なんかさ、作者が前回の作品『好きのカタチ』ではお仕置きのシーンを入れれなかったから、今回の作品ではいつもよりも厳しいお仕置きの被害にあってもらおうと思ってたみたいだよ。」
「うわ、理不尽。かわいそう」
真由が真顔で同情する。
「急なメタ展開やめてー!」
莉奈が叫んだ。
「そう、だから。私は悪くないの(笑)
作者が作った台本。そして、厳格なルールの下に行われてるの!」
「はいはい。で、ルール(笑)を続行したわけね」
莉奈がニヤニヤと話を戻す。
「そうよ! だって! ルールだもん! 『これでお仕置き終了』が出るまで、って書いてあるんだから!」
紗季は悪びれもせずに胸を張った。
「いやいやいや! どのルールブックに『百叩きのおかわり』が前提になってんのよ!」
「私の心の中のルールブックに?」
「悪魔!」「鬼!」「ドS!」
真由と莉奈の非難(半分は称賛)が紗季に集中する。
「待って、でもさ」
真由がハッと我に返った。
「そもそも、寝てる間にスリーサイズ測ろうとするって、やっぱり……」
「セクハラじゃしょうがないか」
三人の声が、今度は奇跡的に揃った。
「だよねー」
紗季が頷く。
「うん、まあ、そうだよね。寝込みは、ダメ」
莉奈も同意する。
「同意なく身体に触れる(計測する)のは、親しき仲でもアウトだよね」
真由も、一周回って納得してしまった。
「でもさぁ」
と、真由がまた「でも」を挟む。
「でも、彼氏なんだから、それくらいいいような気も……しなくもない?」
「真由!」
「あ、いや、ダメだよ! ダメなんだけど! スリーサイズ測って、なんかプレゼント(下着とか)くれようとしたのかもしれないしさ……。百叩き×(終了が出るまで)は、さすがに刑が重すぎない?」
「甘い!」
紗季と莉奈が、今度は二人で真由を指差した。
「真由は優しすぎる。そういう『彼氏だから』で許してたら、世の中の『モラハラ』とかがなくならないの!」
「うわ、話がでかくなった」
「そうよ! 芽は小さいうちに摘む! 私は彼を愛しているからこそ、厳しく教育しているのです!」
紗季は、高らかに宣言した。
「はぁ〜……。紗季の彼氏、大変すぎ……」
真由は心底同情し、自分の彼氏の顔を思い浮かべて、優しくしてあげようと心に誓った。
「で? 結局、二回目は何が当たったのよ」
莉奈が、純粋な好奇心で尋ねる。
「ああ、二回目?」
紗季は、スマホの動画をもう一度再生した。
涙目で回す彼。
カラカラカラ……
「あ、『竹刀』……」
カタン。ルーレットは無情にも『4.竹刀』を指していた。
動画の中の彼が「もうやだ……」と床に突っ伏す。
「うわ、痛いやつ……」
「剣道経験者が竹刀使ったら、まじで痛そう……」
「うん、これはさすがに私もちょっと可哀想かなって思って、五十回で勘弁してあげた」
「いや、五十回もやったんかい!」
真由が突っ込む。
「で、さすがに三回目は『終了』出たんでしょ?」
莉奈が聞く。
「それがねぇ」
紗季は、三回目の動画を再生した。
もはや生気のない手で回されるルーレット。
カラカラ……
「「あ」」
「『3.布団たたき』……」
動画は、彼が「もう好きにして……」と悟りを開いたような顔でうつ伏せになるシーンで終わっていた。
「結局、三回やったの!?」
「うん。布団たたきはさすがにかわいそうになって、軽めに叩いたから、あんまり痛くなかったみたい。一応、五十回やっといた」
「合計、二百叩き……」
真由が遠い目をした。
「で、さすがに四回目回そうとしたら、『ごめんなさい! もうしません! なんでもします! 今週末のブランチ、私に奢らせてください!』ってすごい勢いで土下座されたから」
「「ブランチ(笑)」」
「それで許してあげたの?」
「まさか。ルーレットは絶対」
紗季はニヤリと笑い、最後の動画を見せた。
四回目。
カラカラカラ……チチチ……
カタン。
そこには、細く、しかし確かに存在する『6.これでお仕置き終了(奇跡)』のマスに、割り箸の針が止まっていた。
「「おおー!」」
真由と莉奈から、なぜか拍手が起こる。
「彼の『よっしゃあああ!」っていう絶叫と、私の『チッ』っていう舌打ち、録音しとけばよかったよ」
「よかった……」
真由は心底ホッとしていた。
「彼、命拾いしたね……」
「まあ、そういうわけで、昨日は合計『二百叩き』で許してあげた。感謝してほしいよね」
「いや、十分すぎるわ」
カフェテリアに、午後の講義の開始を告げるチャイムの予鈴が鳴り響く。
「あ、やば。ゼミ行かなきゃ」
「紗季のせいでパスタ食べるの遅れた」
三人が慌ただしくトレーを片付け始めた、その時。
ブブッ。
紗季のスマホが震えた。彼からのメッセージだ。
「あ」
「なに? 彼?」
莉奈がすかさず覗き込む。
「うん。『反省文、提出します』だって」
紗季はニヤリと笑った。
実はお仕置きの後、彼には「今日の昼12時までに、今回のセクハラ行為についての反省と再発防止策をまとめた反省文を提出すること」という追撃の課題が課せられていたのだ。
紗季はメッセージアプリを開き、三人で画面を覗き込む。
『件名:反省文(昨夜の件につきまして)
紗季様
昨夜は、私が紗季様の信頼を裏切る、極めて卑劣かつ思慮浅い行動(寝ている間のスリーサイズ計測未遂)をとってしまったこと、深く、深く反省しております。
(中略)
今後は、いかなる理由があろうとも、紗季様の尊厳を踏みにじるような行為は一切行わず、すべてのコミュニケーションにおいて誠意とリスペクトを持つことを誓います。
つきましては、今夜の夕食に紗季様の好物であるチーズハンバーグと、デザートに高級プリンを用意し、誠意を示したいと考えております。
本当に、申し訳ありませんでした。』
「「…………」」
「……なんか、すごいちゃんとしたの来た」
真由が若干引いている。
「ウケる!『尊厳を踏みにじる』とか書いてる!必死すぎ!」
莉奈は腹を抱えて笑っている。
「ふーん……まあ、反省の色は見られる、かな?」
紗季はわざとらしくため息をつき、スマホの入力画面をタップした。
「え、なんて返すの?」
「んー、どうしよっか」
紗季はニヤニヤしながら、莉奈と真由の顔を見た。
「ここは厳しく、『限定スイーツは食べたかったやつじゃないと意味がない』とか?」
莉奈が提案する。
「いや、それは可哀想だって!」
真由が慌てて止める。
「じゃあ……こうかな」
紗季が打ち込んだのは、たった一言。
『で、お尻は痛いの?』
「「アハハ! 悪趣味!」」
送信ボタンを押すと、即座に「既読」がついた。
三人でスマホを覗き込んでいると、すぐに返信が来る。
『めちゃくちゃ痛いです。椅子に座れません(泣)』
「よしよし」
紗季は満足げに頷く。
「紗季、ほんと嬉しそうだね……」
真由が呆れたように言う。
「じゃあ、最後は優しくしとかないとね」
紗季は、次のメッセージを打ち始めた。
「『チーズハンバーグ、楽しみにしてる』とか?」
莉奈が推測する。
「甘いな、莉奈は」
紗季が送信したメッセージは、こうだ。
『反省文、受理します。ただし、執行猶予。ハンバーグの出来次第では、今夜、ルーレットver.2.0の可能性あり。一緒に作ろうね(ハート)』
送信した瞬間、また「既読」がつく。
しかし、今度はなかなか返信が来ない。
「……あ」
莉奈が呟いた。
「『入力中』が点いたり消えたりしてる」
「「(笑)」」
やがて、震えるようなメッセージが届いた。
『全力で作らせていただきます!!!!!!!!』
「よーし、彼氏教育、完了!」
三人の甲高い笑い声が、午後の講義へと向かう学生たちの喧騒に、楽しげに溶けていった。
あとがき
私のせいにしないでください(笑)




